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第107回 シリーズ構成「めてお・しゃわー」
体調を崩し、コラムを休んだため、今回の内容は第105回の続きという事になります。
主に、音楽ができてこないという理由で、『レイは元気』という作品は、脚本8本の段階で、幻の作品になってしまった。
僕自身には小説などやる事があったが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の「海モモ」で育っていた脚本家の人たちの仕事ががらあきになってしまった。
せっかく、これからアニメの脚本家として羽ばたいて行くだろう人達の仕事をなくしてはならない。
僕は、他の作品のプロデューサーに、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本家の次の仕事を打診した。
だが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本は特殊で、必ず首藤剛志がアレンジしていると思われていたらしく、各脚本家個々に対する評価に必ずしも結びついていなかった。
注文があったとしても「首藤剛志が脚本完成まで責任を持つなら……」という条件つきだった。
しかし『魔法のプリンセス ミンキーモモ』はもう終わったのである。
いつまでも、首藤印つきの脚本家でいることは、脚本家本人達にとっても、いいことではない。
本人自身の個性で、脚本家としてひとりだちすべきだし、それぞれ、それだけの実力があると僕は思っていた。
だが、周りの評価は、そうではなかったようだ。
唯一、『レイは元気』と同時進行で制作されていた作品の監督をしていた湯山邦彦氏が、すでに固定されていたその作品の脚本陣に割りこませる形で、北条千夏さんを使ってくれることになったが、北条さんの脚本はあまりに個性的で、その作品とはしっくり折り合っていなかったようだ。
こうなったら、首藤剛志込みで、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の主要脚本陣を丸ごとどこかの作品にセールスしようかとすら思った。
実は、脚本家で食べて行く前は、セールスの仕事をしていて、売り込みには多少の自信があった。
だからこそ逆に、脚本に関しては、自分の売り込みを禁じ手にしていた。
脚本家としての自分を、セールスのように売り込みたくはなかったし、注文以外の仕事はやらない事をモットーにしていた。
だが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の「海モモ」のライターに仕事はない。この時ばかりは、それを破って、脚本の仕事を売り込もうという気持になりかけたのである。
だが、幸いな事に、そんな気分に落ち込んでいる日は数日で済んだ。
『レイは元気』が頓挫した事を聞いた、葦プロダクションでない別の会社が、『レイは元気』の脚本家を丸抱え……つまり、脚本家の選択は僕に任せるという条件で、ある作品のシリーズ構成を僕に打診してきたのだ。
それが、『(超)くせになりそう』という作品だった。
うれしいことに、音楽面ではキングがすんなりとついてくれていた。
噂によると、キングの大月俊倫氏が、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の若手脚本家達をバックアップする意味でついてくれたらしいが、本当ならありがたい事だった。
いずれにしろ、僕は、渡りに船で、シリーズ構成を引き受けることにした。
この作品は、1994年の4月からNHK―BS2の衛星アニメ劇場で、ほぼ1年、39話放送されたアニメだが、あまりにマイナーな放送のされ方で、ビデオこそ発売されたようだが、DVDが出たわけでもない。
この作品を作った後に制作会社が潰れ、それもあってか、現在どこでどんな扱いを受けているのか、僕もよくは知らない。
したがって、ご存知の方も少ないと思うので、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のように詳しい話は避けようと思うが、僕自身が、どんな作品か説明しようにも説明しづらい、奇妙なアニメ作品である。
このアニメ作品には、講談社の「なかよし」という雑誌に連載されたマンガの原作がある。
いわゆるよくあるラブコメの一種である。
本来、僕は原作のあるアニメのシリーズ構成は、やらないことにしている。
原作を尊重しようとは思うのだが、どうしても、やっていくうちに原作から離れていって、僕流になってしまうのである。
これはある意味、原作にとって失礼である。
だから、原作を変えてもいいという原作側や出版側の了解がとれない場合、原作つきのアニメは避けてきたし、次第に原作のある作品の注文も少なくなってきた。
原作をある程度変えないとアニメにならない作品の注文がたまにくるぐらいだった。
『(超)くせになりそう』は、原作を変えていいという了解はとっていない。
だから、僕の方もシリーズ構成名を「めてお・しゃわー」というペンネームにしている。
たまたま、この仕事がきた頃、獅子座流星群が話題になっていたので、流星雨という意味を引っかけたのである。
余談だが、当時、小田原にあった仕事場の裏山の頂上に登ると、流星群がよく見えた。
『(超)くせになりそう』の脚本のメンバーと、打ち合わせも兼ねて流星群を観にいき、「めてお・しゃわー」という名前にしたのだ。
僕としては、『(超)くせになりそう』限定のシリーズ構成用のペンネームだった。
僕自身、最初は、原作をあまりいじる気はなかった。
だが、この作品、原作をそのままにやっても面白いアニメになりそうにないので、いろいろ工夫をしているうちに、その工夫が、僕のやりたい事に変わってしまって、いつの間にか原作とはあまりにかけ離れた作品になってしまった。
それについて、原作側がどう思っていたかはよく知らない。
面白くは思っていなかっただろうが、『(超)くせになりそう』がアニメ作品としては、確実に面白くなったのは確かだ。
原作を変えた事への苦情は、結局、僕の耳には届かなかった。
結果として『(超)くせになりそう』は、当時、僕がアニメでやりたかった実験を、ほとんどやってしまったような妙な満足感の残る作品になった。
次回は、『(超)くせになりそう』が、どんな作品だったかを簡単にお話しして、次の作品の話へ移ろうと思う。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
当たり前のことだが、脚本家という職業は、脚本を書いてそれがお金になっている時である。
他の自由業も同じだが、仕事をしていなければ無職である。
脚本の仕事が途切れなければ脚本家だが、途切れれば、それは即、無職につながる。
僕の場合、たまたま仕事が途切れなかった。
だからといって、僕が脚本家であるかと聞かれると、いまだに、そうかな? と首をひねる。
僕の場合、脚本を書く事が、仕事や職業と思えないふしがあるのである。
僕は、子供の時から、書くという作業が嫌いである。
この歳になっても、それはどうしようもなく変わらない。
だから、僕が書く時は、余程の時である。
つまり、自分が書かなければ表現できないことがあると思わない限り、書かない。
書きたくない事、表現したくない事、好きでない事は書かない。
書きたくない事を書いてまで、脚本家でいたいとは思わない。
ようするに、好き勝手な事を書いていて、それが、世間的に脚本家として通用していたにすぎないのである。
僕の場合、書いたものがお金になるかならないかより、自分の書く内容が好きか嫌いかが優先する。
こんな具合に好き勝手な事をしているのを、仕事と呼べるかどうか、職業と言えるかどうか、疑問である。
好き勝手な事をしているのだから、それを仕事と呼ぶなら途切れる事があっても当然である。
需要があって仕事がくる。
僕に対して需要がなければ、仕事はこない。
つまり、いつ無職になっても仕方がない……というより、もともと無職なのにそれが、お金になっていると考えていたほうがいい。
僕は所詮は無職なのである。
で……別の見方をしてみよう。
脚本家を含め、創作的な自由業は、その作業自体が仕事ではない。
その創作を生み出す自分を作るのも、仕事のうちだと考えよう。
そうすると、自分を作りだす、自分を取り巻く日常のすべてと関わる事が仕事ということになる。
脚本家にとって、映画を観る事も、本を読む事も、色々な人と会う事も、日常起こる全てが脚本家の仕事にとって、取材になり勉強になる。
その代わり、遊びとか趣味とか呼べる物はなくなる。
それらも仕事のうちである。
つまり、脚本家の日常全てが、お金になるならないに関わらず、仕事であるということになる。
考え方によっては無職をしていることが、仕事をしていることに切り替わるのである。
好き勝手な事をしていて、それが仕事だと呼べる職業は、創作的な自由業しかないだろう。
例えば誰かと恋愛していて、それを愛とはどういうものかを取材している仕事の最中だ、と言える職業はそうはないだろう。
脚本家もその内のひとつだと思えば、こんなに楽しい職業はない。
あなたがやっている脚本家は、本来は無職だが、好き勝手な事ができる素敵な仕事なのである。
そう思えば、多少仕事がこなくても、お金がなくても、楽しく脚本家をやっていられる。
つづく
■第108回へ続く
(07.07.18)
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