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第113回 「黄龍の耳」官能部分……結局白旗
音だけで官能シーンを描くには、どうしたらいいのか。
残念ながら僕の体験の中に、音だけに集中してその種の行為をした事などなかった。
少なくとも、僕の方にも恋愛感情やら、その他もろもろの感情がともなうから、その時にどんな音や声が聞こえるか、冷静に耳をすましていられるはずがない。
まして、相手の女性に「官能していますか?」なんて間抜けな事を聞いた事もない。
その時の音や声を取材したいからといって、最初から最後まで、目を閉じて女性を抱くなんて、相手に対して失礼で僕にはとてもできない。
目の見えない座頭市じゃあるまいし、僕の中に、音だけで官能を表現できるサンプルがなかった。
それでも、脚本を書くための手がかりが欲しいから、それまで、読んだ事がなかった官能小説の類を何冊も音読してテープに録音して聞いてみた。
馬鹿馬鹿しくて、笑っちゃうだけである。
いいおじさんが、アダルトビデオをレンタルするのはかなり恥ずかしいのだが、この際である。
美人女性のを選んで、片っ端から借りて見た。
かなりかわいい女性やきれいな女性がその種のビデオに出てくるのには驚いたが、すぐにそれにも飽きてくる。
それに僕が知りたいのは、目に見える映像ではなく聞こえてくる音と声である。
アダルトビデオを目を閉じて聞くと、これもかなり笑える。
ほとんどのビデオが演技過剰で、僕にはオーバーな音や声にしか思えない。
その種のビデオの愛好家から、発売禁止のビデオを何本も借りたが、見ればグロテスク、聞けばわざとらしく、どれも参考にはならない。
当時は独身だったから、別に1人で見ている分には人目をはばかる事もないのだが、この種のビデオを1人で目を閉じて聞いているのは、そうとう空しい姿である。
自分で自分に白けてくる。
こういうビデオは、酒でも飲みながら、誰かと笑いながら見ているのがいちばんだと思う。
1人で見ていると、こんなものを見続けるほど恋人不足に悩んじゃいないと次第に腹立たしくなってくる。
まして僕が目的にしているのは、音と声である。
ほんと、酒でも飲まなきゃ聞いていられない。
たまに、見るものの劣情をそそるようにと、一所懸命工夫した傑作(?)もあるのだが、音と声だけになると間が抜けている。
それにこっちの求めているのは劣情ではなく、官能である。
日活のロマンポルノやピンク映画には、出来のいい作品も多いが、あくまでそれは作家性のある映画としてであって、音や声だけの官能度となるとピンとこない。
女性の監督したアダルトビデオというのも見たが、なるほどね……とは思うものの、音と声に関しては、他のアダルトビデオとさして違いがあるとも思えない。
この種のビデオは、聞けば聞くほど空しさがつのるだけである。
そのうち、僕は聴覚による官能へ対する感度が鈍いのではないのか、という妙な自信喪失状態になってしまった。
いや、聴覚だけではなく、僕自身の感覚全部が、官能などを感じる能力がないのでは……とすら思うようになりそうだった。
よく考えてみれば、若い頃だって、その種の脚本は書いた事がないのである。
書きたいと思った事さえなかった。
「黄龍の耳」の音響ドラマを書くまで、僕自身は現実にいる実際の女性とそれなりにつきあってきていたから自分では気がつかなかったが、僕は性愛とか官能というものに対して感性が乏しい……要するに僕は不感症ではないか……と、本気で悩み込んでしまった。
つまり僕は、性愛とか官能を脚本に書ける人間ではないのである。
女性は好きである。
妻も子供もいる。
僕自身は好きではないが、同性同士の恋愛や性愛や官能があることも知っているし、実際にそんな知人もかなりいる。
だが、性愛とか官能の存在は分かるにしても、それを表現できるかというと、まるで自信がない。
完璧におじさんになった現在は、なおさらである。
僕は、性愛とか官能をテーマにした作品は、一生書けないと思う。
突然そんなものを書きだしたら、その時は、多分、僕が歳とってぼけた証拠だろう。
結局、情けない話だが、散々苦労した揚げ句、「黄龍の耳」の音響による官能シーンには、白旗を上げるよりなかった。
「黄龍の耳」という音響ドラマは、どんな題材やテーマでも書けると思っていた僕に、書けないものを教えてくれたのである。
僕の書くものは、いつの間にかアニメが多くなってしまったから、別に性愛や官能なんて書けなくてもいいと思われるかもしれないが、すでにアニメは子供だけのものではない。
アニメを見る年齢層は、どんどん上がっている。
性愛とか官能が人間にとって重要なものである以上、それをテーマにしたものも出てくるはずである。
いや、僕は見た事がないが、もうすでに作られているかもしれない。
性愛や官能は映像では表現できないと僕は思っているが、それは僕が思っているだけの事で、映像でそれを表現できる人やそれを感じる人はきっといる。
だが、僕には不可能である。
物書きにとって、自分が書けないものがあると自覚するのは、結構辛い。
「黄龍の耳」の音響官能部分の台詞は、通り一遍の「あーあーああ」「うううう」「はあはあ」という女性の思わずもらす声しか書けなかった。
後は、音楽でよろしく……である。
音響監督の斯波氏は、当時人気のある女性声優さんをずらりとそろえていた。
豪華メンバーだった。
録音には立ち会わせてもらったが、声優さん達はそれぞれの官能部分を、それぞれがんばって表現してくれた。
僕としては、他の台詞の部分は責任持てるが、官能部分の声は声優さんにおまかせである。
おそらく、いつものアニメではそんな声をアフレコで出した事のない声優さん達だと思う。
なんだか、もったいないというか、申し訳ないような気分にさせられた。
脚本を書いた僕には、その部分の台詞に全く自信がなかったからである。
声優さんたちのその声が、いいのか悪いのか、僕には判断できなかった。
「黄龍の耳」はラジオで放送され、CD6巻になった。
このCD、今、手元にあるのだが、もう一度、聞こうかどうかは迷っている。
かなり面白くはできているとは思うのだが、僕にとっては、今まで書いたように、ラブシーンの部分に少しだけ苦い思い出もあるCDなのである。
「黄龍の耳」の後は、ラジオドラマというかCDドラマというか、ちょっと変わった形式の脚本を2作品と、同時進行で製作されていたアニメシリーズに、シリーズ構成でなく、一脚本家として加わった。
それが『機動戦艦ナデシコ』である。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
アニメの脚本家がいなくなったら、いちばん困るのは、もしかしたら日本脚本家連盟かもしれない。
脚本には著作権があり、日本脚本家連盟員の脚本家のアニメがビデオやDVDなどの二次使用になった時、売り上げの1.75%の脚本使用料(印税)が日本脚本家連盟を通して、脚本家に支払われることになっている。
その1.75%から、1割弱の手数料を日本脚本家連盟がとる。
似たような組織としては、日本シナリオ作家組合がある。
日本のほとんどの脚本家は、そのどちらかに入っているが、アニメの脚本家の場合、日本脚本家連盟員が圧倒的に多いようだ。
アニメが外国に売れた時にも、脚本使用料が払われる。
このところのアニメブームで、手数料だけでも膨大な金額が、日本脚本家連盟に入っている。
今、アニメはバブル状態である。
アニメ脚本家がいなくなれば、日本脚本家連盟の手数料収入は激減するだろう。
つまり、アニメ脚本家は、1本のギャラは安いが、売れているアニメなら、それなりの印税収入が入ってくる。
これは、40年に渡る脚本家達の権利主張が実を結んだ結果だが、まだまだ全部のアニメで使用料が取れているわけではない。
印税がしっかりしているのは、ジャスラックに代表される音楽著作権関係で、脚本著作権はまだそこまでいっていない。
動画連盟に加入している大手のアニメ会社は、使用料を払う事になっているが、動画連盟に加入している会社でも、認識不足というか、とぼけているというか、払っていない作品もある。僕の場合、現在使用料が取れているのは、書いた作品の半分ぐらいである。
音楽著作権では、世界で一番売れた日本の音楽として、毎年アニメのBGMの名前が出てくるが、そのアニメの脚本印税が全く払われていない例もある。
いずれにしろ、アニメの音楽と脚本は、少なくとも建前として著作権がある。
原作にも当然、著作権はある。
おおむね、原作のあるアニメの方が売れているから、オリジナルの脚本より、原作のある脚本……つまり乱暴に言えば、書くのが楽な脚本……の方が脚本家の収入が多いという矛盾が生じるが、その問題は今は言及しないことにする。
著作権があるだけ脚本家は恵まれているのである。
アニメは、いうまでもなく、大勢のスタッフの実作業で作られている。
で、脚本、音楽以外の実作業スタッフのギャラが信じられないほど安いのである。
そして、どんなにアニメが売れても、その実作業スタッフには還元されない状況がある。
今はアニメーター他、実作業の人達の犠牲の上で、アニメが作られているといっていい。
どんなによい脚本でも、絵がよくて動いてくれなければよいアニメにはならない。
実作業の人達の待遇がよくならなくては、実作業をする人達がどんどん減っていき、そのうち日本のアニメは潰れるだろう。
アニメ脚本はアニメ作品の一部である。
アニメの実作業の大半が潰れれば、アニメの脚本もない。
運命共同体のようなものである。
現状では、脚本家が他の作業の人達にできる事は何もない。
アニメの製作費を決めるプロデューサーや、アニメ製作会社や、局や、スポンサーが考えることだ。
けれど、脚本家も、たまには他の実作業の人達の事を考えながら脚本を書いても罰は当たらないだろう。
少なくとも、軽い気持で脚本は書けなくなる。
つづく
■第114回へ続く
(07.08.29)
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編集・著作:
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