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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第12回 恐怖の20枚シナリオ(Part 1)

 「シナリオ創作術」と、銘うった癖に、12回にまでなっても、それらしい話が少しも出てこない……と、お怒りの方もいらっしゃると思う。
 僕としては、読み方によっては、全編にわたって創作術を伝えている筈のつもりなのだが、確かに「創作術」らしさも必要かもしれない。
 だから、少し「シナリオ研究所」の授業についても書いておこうと思う。
 ただし、文字通り少しだけである。理由は簡単。下手なことを書いて「シナリオを教えるという業界」の営業妨害をしたくないし、実は、この手の商売の繁栄を心から願っている。……本当ですよ。
 なぜなら、僕自身、この種の学校に教師として招かれ、いくばくかのギャラをいただいた事があるのだ。
 もっとも、余計なことを言い過ぎたのか、次の依頼があったことがない。こんな状況の折り、更に、ここで「シナリオを教える業界」から妙な反感をかって、もしかしたら今後、二度と、どこからもお声がかからなくなり……、つまり、これから先の、もしかしたらあるかもしれない、わずかながらの収入源を失いたくないからだ。
 こんなふうに、「業界」をほめているのか、けなしているのか訳の分からない書き方をしているのは、「シナリオ研究所」の授業自体は、少なくとも僕には向いていなかったからだ。
 まず、僕の行った「シナリオ研究所」では、丁寧に原稿用紙の書き方から教えてくれた。
 こんなのは、一日で覚えられる。御不審のある方は、この「えーだば創作術」の第一回目を読んでいただければいい。それで、多分、充分な筈である。人によっては十分間もあれば大丈夫……という疲れるだじゃれを書いてヒンシュクを買うより、簡単な事だろう。
 さて、それからいよいよ「シナリオの基礎」の授業が始まる。
 シナリオ、つまり脚本は――シナリオという単語と脚本という単語を使い分けている人がいるが、僕にはその違いがいまだに分からない。辞書で「シナリオ」を引くと脚本の事と書かれていて、「脚本」を引くとシナリオの事と表記されているような、その程度の感じしか持っていない。もっとも、前にも書いたが、女性相手には、できるだけ、僕自身は横文字で「シナリオ」と表現する習性がついてしまっているようだ。
 マイナーな専門誌で「シナリオ」とか「ドラマ」とかいう雑誌があるが、これらの雑誌が「脚本」とか「劇」ないしは「劇的」などという題名だったら、発行部数がさらに減少、もしかしたら廃刊になっているかもしれない。……あ、いけない、言い過ぎた……昔、「シナリオ」にも「ドラマ」にも小文を載せてもらったことがあったのを忘れていた。
 話を元に戻そう。
 まず、シナリオは、映画やテレビの基(もと)になるものだから、いわゆる、文学や評論とは違う。映像化が最終目的になる。だから、ト書き(地の文)に、映像化できないもの……つまり、視覚的でないもの、目で見えないものは書いてはいけないという前提がある。
 つまり、うれしいとか悲しいとか、怒っているとかいう感情は、目に見えないから、行動で、観客の目に見える……もしくは、観客が目で見て感じられる表現描写をしなければならない……というのである。
 つまり、うれしいときには、顔にほほ笑みが浮かび、悲しいときには、目に涙。怒っているときは、拳(こぶし)がわなわなふるえる。……とか書かねばならない。
 断っておくが、上記の感情表現描写は、ひとつの例として出しただけで、シナリオのト書きとしても、文章としても、ありきたりで、俗で、平板で、最悪である。
 人は様々である。一言で、うれしい、悲しい、怒り、といっても、それぞれ個性的な感情表現を持っている。
 それが書き分けられなければ、シナリオのシの字も書けたとはいえない。
 さて、僕なら、どう書くか? どうしたら、書けるようになるか?
 企業秘密にする気はない。
 だからといって、短いスペースで、秘密をあかすこともできない。
 これから先、僕が、この歳になるまでに起きた脚本関係もふくめた様々な出来事の中で、その都度、語られることになるだろう。
 ただ、その前に、これは僕流の考えに過ぎないかも知れないが、脚本とは……、シナリオとは……、手許に国語辞典などいらないほど簡略で平易な単語を並べて書かれたト書きと、ちょっとだけ気の利いた台詞(せりふ)が交錯する、多分この世で一番、簡単な文章の群れが集合した作品だと思っている。
 脚本を高尚で崇高で、人間や世界を描ききる文学、もしくは映像芸術作品と勘違いしている方は(勘違いではないと言う人がいても否定はしないが……)これから先続く、僕のこのエッセイは、多分、「怒髪天を衝く噴飯物(われながらすごく古い表現だなあ……)」かもしれないから、読まないほうが良いかもしれない。と、一応、お断りしておく。
 ま、それはともかく、ト書きが、繰り返して言うが、……「観客が目で見て感じられる表現描写」……であることを18才の僕は、「なるほど」と納得した。
 ……本当は、それだけじゃないんだけれどね……(と、今のは25才以降の僕の独り言)。
 だが、納得できたのは、そこまでだった。
 シナリオの先生はその後、こう言った。
 「シナリオの修業に、一番効果的なのは、ぺラ20枚のシナリオを沢山書くことです。できることなら週1本でも、書き続けることです」
 ぺラとは200字詰め原稿用紙。つまり普通の400字詰め原稿用紙10枚。平均的な常識で上映時間10分間のシナリオということである。
 そのシナリオの先生は、確信しているようだった。20枚シナリオをできるだけ沢山書くことが、脚本家へ道だと……その修業の道は、遠いように見えても、結局は近道なのだと……。
 この先生の方法論は、その後、30年以上続いて、今も生き続けている。
 その方法論を基礎にした学校も、繁盛しているかどうか知らないが、今も続いている。脚本学校の名門校といっていいだろう。
 真面目な脚本家志望者が、今も大勢、20枚シナリオ修業を続けているのだろう。
 なぜ、20枚シナリオ修業が必要か? その理由と理屈(理論?)を書いた本も、僕が18才の時から出版されていたらしい。今も版を重ねているから、隠れたベストセラーといえるだろう。
 つい最近、僕のこのエッセイのようなものを書く為に、本屋に行ってその本を買ってきた。30年以上もシナリオで食べてきて、その本を読んだことのなかった僕の不勉強さには、自分でも呆れたが、読まなくて良かったとも思った。
 悪口を言う気はない。親切で誠実な脚本入門書だと感心もした。
 ここまで書いたから、著者名を紹介するが、新井一(はじめ)氏……続編も出ているから、興味のある方はどうぞ。
 18才の頃、御本人とお会いしたこともあるし、お茶まで御馳走になった。だからと言うわけではないが、温厚で生徒に優しい先生だった。
 で、その本を読んで、正直「なるほどね」と思った。書いてある内容に間違いがあるとも思わないし、よくまとまっていると思った。でも、結局、最後まで「なるほどね」で終わってしまった。
 なぜなんだろう?
 20枚シナリオ修業を、本当に真面目に続け続け続けられた方の中で、今、脚本家を本業にしている方、手を上げて下さい。
 もしも、何人かいらっしゃったら、その方達に、畏敬の念を捧げ。心から尊敬したいと思う。
 じつは、僕は、20枚シナリオ修業法を聞いた途端、困り果てて頭を抱え、そのまま教室から出ていこうという衝動にかられたのだ。
 「シナリオ研究所」に通っていた間、書いた20枚の原稿は、結局、3本だけだった。 そのシナリオらしきものは、習作(文章どころか万年筆の文字の練習)とは言えるかも知れないが、僕本人としては、シナリオなどという名で、呼びたくない代物だった。
 なぜ、「シナリオ研究所」の授業が、僕に向かなかったか、その時書いた3本の原稿の内容を具体的な例として使って、次回からお話していこうと思う。
 余計なことだが、この3本の原稿、「シナリオ研究所」の先生や生徒たちには、意外にも評判がよく、あまりにひどいものを書いてしまったと体調までおかしくなっていた僕は、ますます困ってしまったのである。

      つづく


●昨日の私(近況報告)

 最近、葬式が多い。
 それも、僕よりも若い働き盛りの人が、数日前まで元気だったように見えて、ぽっくりと亡くなってしまう。高齢の方ならともかく、同年代や同じ仕事をしている人の訃報は、喪失感が大きい。
 僕の作品に「戦国魔神ゴーショーグン」という作品があって、その小説版は、いまだに最終回を迎えていない。作品の続く間は、永久に生き続ける筈だったレオナルド・メディチ・ブンドルという主人公級の男の声は、塩沢兼人氏という俳優以外、考えられなかった。だが、今、彼はこの世にいなくなってから随分になる。
 塩沢兼人氏の不在は、健在な筈のレオナルド・メディチ・ブンドルの存在を、不可能にしている。
 僕の関わる作品のキャラクターは、その俳優でなければ考えられない声がほとんどである。
 しかも、長続きする作品が多い。
 例えば「ミンキーモモ」という作品は、10年以上の間隔をおいてはいるが、パート1の一代目のミンキーモモ役だった小山茉美さんが、パート2で二代目のミンキーモモ役の林原めぐみさんと共演する必然性があった。
 もしも、パート3があれば、一代目と二代目が、三代目の誰かと共演する必然性が出てくる。
 少なくとも作家としての僕は、そうなってもらわなければならない構想を持っている。
 一代目の小山さんも二代目の林原さんも、他の俳優の声は考えられない。
 林原めぐみさんにいたっては、僕が関わった「ポケットモンスター」のムサシ役を10年も続けている。
 僕よりずーっと年下のお二人に、長生きしてくれなどと失礼なことは言えないが、健康だけは気をつけて欲しい。
 とか何とか言っているうちに、僕がサヨナラしちゃったりして……。
 ともかく、元気、元気で、いきましょう。
 

■第13回へ続く

(05.08.17)

 
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