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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第121回 『機動戦艦ナデシコ』12話における「ゲキ・ガンガー3」

 『機動戦艦ナデシコ』12話「あの『忘れえぬ日々』」で、コンピュータ「オモイカネ」の電脳世界に入ったルリとアキトを、ウイルスと同じようなものと感知した「オモイカネ」は、自己防衛プログラムを働かす。
 この場面に僕が最初にイメージしたのは昔のSF映画「ミクロの決死圏」(リチャード・フライシャー監督、1966年)である。
 この映画、今見ても充分面白いSF冒険映画で、DVDも出ているようだから、未見の方にはお勧めしたい。
 数あるSF映画でもベスト10に入る映画だと僕は今でも思っている。
 脳出血の患者を救うため、ミクロ化した医者たちが、タイムリミット60分で体の中に入って治療するというストーリーで、その医者達を異物だと感じた患者の体の白血球や抗体が攻撃してくるのだが、この白血球や抗体にあたるものを、コンピュータである「オモイカネ」が繰り出してくる。
 要するに、ウイルスバスターのようなものである。
 具体的に、それがどんなイメージのものか、かなり考えた。
 だが、ルリやアキトと戦って面白いもののイメージが見つからなかった。
 で、ぼんやり、『機動戦艦ナデシコ』の設定を見ていて、ふと気がついたのが、「ゲキ・ガンガー3」の設定である。
 「ゲキ・ガンガー3」は『機動戦艦ナデシコ』の乗員のロボットアニメオタクの間で、流行っている70年代風の熱血ロボットアニメである。
 ともかく『機動戦艦ナデシコ』のスタッフの拘りは偏執的と言っても言いすぎではないほどで、架空のロボットアニメ「ゲキ・ガンガー3」の設定まで作ってあり、それで、もう1シリーズ、『機動戦艦ナデシコ』とは別のアニメが作れそうなほどだった。
 実際、劇中劇風なエピソードもあったし、後日、『ゲキ・ガンガー3熱血大決戦!!』というOVAまで出た。
 その脚本は小黒祐一郎という人だった。
 この人、WEBアニメスタイルの編集長というだけでなく、色々なアニメの企画や設定に足跡を残しているのだ。正に「アニメ様」である。
 余談だが、昔、1980年代後半レーザーディスクに対抗してVHDという箱に入ったレコードのようなビデオディスクがあり、当時のアニメマニア向けにアニメ情報を見せていた「アニメビジョン」という映像雑誌といった感じのディスクがあったが、その編集にも携わっていたらしい。
 「アニメビジョン」の創刊号から3号まで連載したアニメ『コスモスピンクショック』は僕の書いた脚本だったから、それから今まで僕は気がつかずに至るところで小黒氏とはすれ違っていた事になる。
 『機動戦艦ナデシコ』の設定に小黒氏が関わっていたとは、このコラムを書くために、昔の資料を小田原の図書館から引っ張り出してきて、はじめて気がついたのである。
 小黒氏には失礼な話かもしれないが、「えええ? こんなところに小黒さんが……」と、びっくりした。
 『機動戦艦ナデシコ』の場合、僕は、一脚本家としての参加である。
 制作スタッフに会う事はほとんどない。
 脚本打ち合わせの時に、監督やシリーズ構成、プロデューサーと会うぐらいだ。たまに『機動戦艦ナデシコ』を書く他の脚本家の方と打ち合わせが重なる時もあったが、僕の担当は3本だから、他の脚本家の方の事も詳しくは知らない。
 多くの人が『機動戦艦ナデシコ』の企画や設定に参加している事は知っていたが、その方達の全てとお会いしているわけではないのだ。
 完成した決定稿は読んでいるが、脚本は何本かが同時進行しているから、他の方が今現在どんなエピソードを書いているかはよく知らない。
 打ち合わせの時にストーリーエディター(シリーズ構成)の會川氏から話を聞くだけである。
 もっとも、それが画期的な事かどうかは知らないし、南極二郎氏の発案かどうか詳しいところも知らないが、当時のパソコン通信で、『機動戦艦ナデシコ』の関係者以外、立ち入り禁止の会議室が作られていて、スタッフ間の風通しはよくなっていた。
 その後の作品で、スタッフが自由に語り合える会員限定のインターネットの会議室があるという話は聞いた事がないので、いまだに僕は『機動戦艦ナデシコ』の会議室は、画期的だったと思っている。
 で、話を「ゲキ・ガンガー3」に戻すが、唐突に、設定がぎっしり詰まった「ゲキ・ガンガー3」を「オモイカネ」の自己防衛システムのイメージに使えないか、と思いついたのである。
 しかし、しっかり設定のできている「ゲキ・ガンガー3」である。
 『機動戦艦ナデシコ』の全体のストーリーに今後どう関わってくるかが分からないと、気安く僕の意思で使うわけにはいかない。
 シリーズ構成の構想を崩さず脚本を書くのが『機動戦艦ナデシコ』での僕の立場だと考えていたからだ。
 それが打ち合わせの場か、パソコン通信の会議室かどうかは忘れたが、會川氏に「ゲキ・ガンガー3」を使わせてもらっていいかの了解をとった。
 會川氏は使っていいと快諾してくれた。
 要するに、「オモイカネ」は、いつも、ナデシコの乗員の様子を観察していて、自分を守ってくれる防御システムの最強のイメージを「ゲキ・ガンガー3」だと思い込む。
 自分の自意識の木の枝を守るために「ゲキ・ガンガー3」のイメージを作りだしてくる。
 一方、アキトは、「ゲキ・ガンガー3」の超オタクである。
 「ゲキ・ガンガー3」に関しては戦艦ナデシコの乗員の中では一番思い込みが強い。
 「ゲキ・ガンガー3」を倒すには「ゲキ・ガンガー3」で立ち向かうしかない。
 ルリは、それを知っていて、アキトにオモイカネの自意識を刈りとる役目を頼んだのだ。
 オモイカネのイメージする「ゲキ・ガンガー3」とアキトの思い込みの中にある「ゲキ・ガンガー3」と、どちらが強いか。
 オモイカネは、27話までの「ゲキ・ガンガー3」を知っていた。
 だが、28話以降も「ゲキ・ガンガー3」は時間帯を変えて続いていた。
 そして、アキトは、設定資料の中に、実際には使われなかったドラゴンガンガーの設定があるのを知っていた。
 オモイカネの知るはずのないドラゴンガンガーになったアキトの「ゲキ・ガンガー3」は、必殺技ドラゴンブレードでオモイカネの「ゲキ・ガンガー3」を打ち破る。
 必殺技の名前は、適当に付けてくれと脚本には書いておいたが、ドラゴンガンガーや必殺技の名づけ親は、なんと小黒氏だったそうだ。
 アキトとルリは、しばらくの間、自意識が芽生えないように、その枝を刈りとる。
 オモイカネの連合軍への反抗心も消えたように見えた。
 だが、ルリは知っていた。
 やがてまた、オモイカネに自意識が戻ってくる事を……。
 そして、ルリにオモイカネからのメッセージ……。
 「あの忘れえぬ日々、そのために今を生きている」
 ルリは、呟くように答える。
 「うん、そうだね」
 「ゲキ・ガンガー3」まで繰り出しての、ルリとコンピュータ「オモイカネ」の意志の疎通の話は、こうして終わる。
 12話はルリの人間性だけを見せて、『機動戦艦ナデシコ』自体の全体のストーリーには、影響を与えずすむエピソードになった。
 僕の書いた脚本の中では、SF設定、「ゲキ・ガンガー3」設定など、色々な方の協力を得た珍しい作品である。
 この脚本、相談を重ねて2稿か3稿で決定稿になったが、パソコンの中の『機動戦艦ナデシコ』のファイルを見て驚いた。
 僕は、ワープロを使うようになってから自分の書いた原稿は、初稿から書き直した物も、全部残してある。
 普通はナンバー1か2で終わりである。
 つまり、直しても1回である。
 手書きの原稿の時は、書き直しはほとんどしないですんだ。
 ところが、『機動戦艦ナデシコ』の12話の脚本は、なんとナンバー7まで原稿がある。
 つまり、スタッフに渡した回数は2、3回だが、自分の中で7回書き直しているのである。
 しかし、苦労した覚えはない。
 きっと、楽しみながら書き直していたのだろう。
 しかし、「ゲキ・ガンガー3」の設定がなかったら、どれだけ苦労させられたか分からない。
 この12話。ルリとコンピュータ「オモイカネ」と「ゲキ・ガンガー3」とアキトというロボットアニメオタクの思い込み……よくまあ、結びつけるよ……と人から呆れられたが、今となっては僕自身、よくまあ結びついたと、自分でも不思議である。
 ともかく、ルリ3部作の2本目は、こうしてでき上がった。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 シリーズ構成にはシリーズ構成の役割があり、脚本には脚本の役割がある。
 監督にも、演出にも、絵コンテにも、役割がある。
 脚本は、少なくとも設計図である。
 監督がやりたい事は、脚本に反映されなくてはならない。
 昔は、監督のやりたい事を通すために、とりあえずプロデューサーや局やスポンサーから了解の出た脚本を、めちゃくちゃに絵コンテで変えるといった事が行われて、脚本家と演出家がもめる事がよくあったが(だいたいそんな時は脚本家があきらめる。脚本料は高くない。もめている時間があったら次の脚本を書いたほうがいい……こんな気持ちが蔓延してくると、脚本を渡したら後はどうされてもいい。勝手に監督の好きに直してくれの無責任状態になる……それもまた困ったものだが)、製作委員会などという名がつくやたらと船頭が多い最近のアニメ制作状態では、脚本はそれぞれの船頭達の意志の反映という意味を持ち、いったん船頭達の了解を得た脚本を監督や演出が絵コンテで無闇に変える事は少なくなったという。
 監督がやりたい事があるのなら、自分で脚本を書けばいいので……事実、脚本のない絵コンテから始まるという個性派監督の作品もある。
 だが、やりたい事がストーリーや台詞でなく、脚本と関係ない絵の部分とかアクションの部分にある監督もいるわけで、そのやる気が脚本の重要な部分を削ってアクションを増やさせたり、一人よがりの表現で作品全体が破壊されたりする場合もある。
 少なくとも脚本が必要とされるアニメ作品ならば、監督は脚本家とよく話しあうべきで、何をやりたいかを監督は脚本家に明解にすべきである。
 というのが建前だが、監督が脚本家と話しあう時間もとれない制作状態だと、監督の都合や好みで脚本が無視されていく。
 それが普通だと思っている監督がいる事も確かだろう。
 なにしろ、制作状態が大変なのである。
 最初の脚本部分に関わって時間を潰すわけには行かない。
 アニメの制作状態がどれほどすごいか、分かりやすい本がある。
 「アニメのダメ制作はこう言った」(迫田啓伸氏著、新風舎文庫)……というアニメの制作進行という職業の悲惨を描いた本である。
 アニメ業界は入りたい人は多いが絶えず人手不足。その理由は、辞めていく人が多いからだという、この人の語るアニメ制作の現場が、事実か、大袈裟なのか、本当はもっとひどいのか。色々な見解があると思うが、ひとつ気になるのは、この制作進行さんの書いた本に、脚本という言葉がほとんど出てこないのである。
 制作進行さんの意識に声優、作画、背景、仕上げ、撮影、編集、演出、制作など様々な仕事があるが、なぜか脚本が書かれていない。
 もちろん制作進行が、脚本の事を意識する必要はないのかもしれないが、少なくとも自分が関わっているアニメの設計図である。
 ちょっとは語ってくれてもいいんじゃないか?
 アニメ業界の事を語る本に、脚本の文字がほとんど出てこないというのは、アニメ業界の悲惨は事実だとしても、寂しい気がする。
 過酷な制作現場の中で、絵コンテ以前の脚本の事など意識にのぼらないのは当然なのかもしれない。
 ともかく、期限までにアニメを作らなければならない。
 だから、脚本家がびっくり仰天し、怒る気もしないぐらいの脚本無視も起こるのかもしれない。


   つづく
 


■第122回へ続く

(07.10.24)

 
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