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第124回 『マクロス7』CDドラマ
いきなり、余談で申し訳ないが、前々回のコラムで、『機動戦艦ナデシコ』のルリに関することで、僕の娘が生まれて最初に覚えた言葉が、おっぱいの「パイ」であると書いたが、娘から厳重な抗議があった。
妻にも確認したのだが、娘が最初に覚えた言葉は「あった」という単語だったらしい。
「何々があった」の「あった」で、何かの存在を意味する言葉らしい。
僕は、娘が最初に覚えた言葉は「パイ」だと思い込んでいたのだが、ここは、いちばん身近で娘を育児をしていた妻の発言を認めざるを得ない。
娘にとっても、生まれて最初に覚えた言葉が「パイ」などという伝説を作られては、女の子だけに困るということで、それももっともだし、ここで娘と読者の皆さんにお詫びして訂正したい。
本来、このコラムは資料的な意味もあると思うので、手持ちの資料や日記的なメモを確認したり、当事者に聞くなどして正確を期するようにしているが、どうしても記載の中心は僕の記憶に頼る部分が多いので、事実に間違いがあった場合は遠慮なく指摘してほしい。
間違いは必ず訂正するつもりです。
で、本文に戻ることにするが、ジーベックの佐藤氏からは、『機動戦艦ナデシコ』の前にもうひとつの作品の打診があって、それを書いたことを思い出した。
それが、『マクロス7」のCDドラマ全3巻である。
アニメ版の『マクロス7』は、僕の書いた『アイドル天使ようこそようこ』の監督のアミノテツロ氏が監督しているが、『マクロス7』自体のアニメには、企画にも脚本にも僕は参加していない。
アニメ版の『マクロス7』が終わり、そのCDドラマを作ることになって、もうネタがみつからないのだという。どうしたものかとスタッフは考えたらしいが、アミノ氏が「首藤さんなら、なんかネタを思いついてでっちあげるだろう」と言い出したことから、僕に打診ということになったらしい。
アミノテツロ氏が監督した作品だけに、たまにはそのアニメを見たことがあったが、まさか僕に話が来ると思わないから、『マクロス7』の詳しいことはまるで知らなかった。
ただ、その前作にあたる『マクロス』を見た時は、他のどのロボットアニメより面白かった覚えがあった。
僕が面白く思ったのは、登場するロボットとか人間関係ではなく、アイドルの歌う歌で戦争を収拾する点である。
これには僕もびっくりした。大笑いした。こんな手がありかと新鮮だった。
続く『マクロス7』も設定はいろいろ変わっているが、主たる部分は歌である。
『マクロス』と違い、『マクロス7』では曲がロック調に変わっていたが、戦争と歌を結びつける基本は変わっていない。
で、佐藤氏からの電話に僕は即座に答えた。
「宇宙戦争を歌合戦ですればいいじゃない。宇宙で最もヒットする歌を決める歌合戦……で、歌合戦に負けた星は滅ぼされる。その歌合戦に『マクロス7』も参加するはめになる」
口からでまかせではないが、すらすらとストーリーが出てきた。
佐藤氏はいきなりストーリーをしゃべりだした僕にびっくりしたようだが、ただちに「それでいきましょう」と言ってくれた。
ついでに「困った時は首藤さんってアミノさんが言ってました」と言ってくすくす笑っていた。
僕は困った時の便利屋か? という気もしないではなかったが、武器を使わず歌合戦で宇宙戦争するというアイデアとストーリー……これ、佐藤氏と電話するうちに15分ほどで、しゃべりながら作り出したものである……に、結構、僕自身も乗れたので、気楽に引き受け、登場人物などの設定資料を送ってもらった。
実は書くことを引き受けた時、登場人物の名前も人間関係も知らなかったのである。
しかし、『マクロス7』は人物も設定もかなりしっかり作られていたので、僕の作ったストーリーにすんなりはまってくれた。
CD3巻分の分量の脚本を書くのに、1週間もかからなかったと思う。
だが、脚本はできたものの、問題は音楽だった。
僕は、ロックは嫌いではないが、どちらかというとメロディアスなほうが好みである。
『マクロス7』で歌われるのはロックが基調だから、正直言ってそれがいい曲なのかどうか僕には分からない。
ロックすらよく理解できない僕である。
いくら思いつきのでまかせとはいえ、全宇宙で、いちばんヒットする歌など想像もつかない。
僕は、いつもはアニメのBGMや挿入歌にはこだわるほうである。
しかし、今回は全宇宙クラスのヒット曲である。
そこまでこだわったら、誇大妄想もはなはだしい人間にされてしまう。
そうは思われたくないから、全宇宙クラスのヒット曲はどんな曲でもいいやの気持ちで、全て作曲家の方におまかせした。
一応、歌合戦の最終に残るベスト3は「怒りの曲」「希望の曲」「悲しみの曲」、それぞれの分野でベストワンの3曲にした。
作曲家の方はずいぶん苦労しただろう。
おまけに、予選で落ちる歌も必要である。
そしてベスト3曲の中で最高の曲……つまり、「怒りの歌」「希望の歌」「悲しみの歌」のみっつのうち何が全宇宙の生物の心に訴えかけることができるのかが、宇宙最大のヒット曲のポイントになる。
そんなもの、脚本を書いている僕にも分からない。
で、ストーリーの結末は、ベスト3の曲以外にも、それぞれの星でヒットした曲は、それなりの魅力があり、曲の優劣などつけられないことが明らかになる。
宇宙全体でベストのヒット曲など選べるわけがないのだ。
結局はそれぞれの星のヒット曲の持つエネルギーが集積し炸裂し、歌合戦の戦争会場とそれを企画した中心人物をふきとばしてしまう。
つまり、歌合戦の戦争などは意味がないというエンドマークである。
意味はないが、歌合戦の戦争が行われることで、武器を使う戦争も意味がなくなる。
通常の軍人は使い道がなく、歌手が歌うことで戦士になる。
映像のない音だけのCDドラマだが、戦闘場面のほとんどない戦争ドラマ……もちろん、ドタバタコメディ色は強いのだが……を書いたのは、よく考えてみると僕にとっても初めてで、気楽に書いたわりには、ミュージカルとも、ロボットものとも言えない不思議なものができ上がった。
それも、CD3巻と言えば、ほぼ3時間である。
台詞と歌の組み合わせだけで、よくそれだけの長さの脚本が書けたたものだと我ながら感心する。
ともかく、他愛のない掛け合いと、それぞれ自分たちの歌を詭弁的に誇るセリフの応酬である。
それに、武器を使って戦う場所のなくなった軍人のせつないぼやきが重なる。
そして、歌、歌、歌……。
全宇宙歌合戦などというと壮大(?)だが、よく考えると、いや、よく考えなくてもバカバカしい話が、CDドラマとはいえ、よく実現できたものである。
もっとも、もとはと言えば、『マクロス』というロボットとアイドルソングを結びつけたアニメがあったからこそ、できたことだとは言えると思うが……。
このCDドラマ、ふざけていると怒る人もいたが、おおむね評判がよく、ある出版社でノベライゼーションまで企画された。
ロックミュージカルの、音楽を使えない活字だけの小説化など、無理だと思われるだろうが、音楽を活字で表現する方法を僕なりの思いつきで考えて、小説化するつもりだった。
が、『マクロス』の版権を持つ会社と、僕の権利問題で折り合いがつかず、小説化は流れてしまった。
『マクロス』の版権を持つ会社は、提示した条件で、僕が了解すると思っていたようだが、音楽を文章化する方法を考えていた僕は、彼らの提示した条件を受けるわけにはいかなかった。
小説化は頓挫し、企画した出版社や編集者の方にはずいぶん迷惑をかけた。
今残っているのは、ビクターから出ていた「マクロス7 CDシネマ」3〜5(ギャラクシー ・ソング・バトル1〜3)のCD3巻だけである。
近いうちに、新しいアニメの『マクロス』が復活するらしいが、僕の書いたドラマは、骨董品的CDである。
今はもう手に入りにくいとは思うが、機会があったら聞いてみてください。
今でもかなり、笑えて楽しめるはずだと思う。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
わずか30秒の欠落部分に僕が入れたのは、ヒロインが「赤ちゃんポスト」出身だという独白だった。
孤独であり、しかし1人で生きている。これからも生きてやる!
そのヒロインのエネルギーが、次のクライマックスシーンにつながるようにした。
しかし僕としては、「赤ちゃんポスト」の設定は、他の作品で使いたい、さまざまなドラマが生まれる可能性のあるものだった。
「赤ちゃんポスト」というと悲惨な感じがあるが、むしろ、子育てのできない親から虐待されるより、「赤ちゃんポスト」に入れられたことで新しい生き方を見つけられるかもしれず、希望と夢に満ち溢れた子になるかもしれない。
「赤ちゃんポスト」出身の子には、多彩なドラマが待ち受けているはずである。
それが、わずか30秒の台詞で無駄使いしなければならないのである。
しかも、他の人の書いたことになっている脚本の中である。
ただこれは、僕にとって、びっくり仰天のまだ先陣にすぎなかったのである。
もっとも、もう1人のシリーズ構成も、そんな成行きに任せて漫然としていた、というと言いすぎになるだろう。
彼は、そのころから、シリーズを降りたいという意志表示はしていたからだ。
しかし、残すところあと数本になっているシリーズから脚本家が降りるのは、シリーズの混乱を助長すると考えたプロデューサーは、彼を引き留めた。
僕も同じ気持ちだった。
それに対する監督の意見は特になかった。
監督は、本読みの打ち合わせでは、疲れきっているのか寡黙だった。
結局、最終回の1回前の脚本は、当初の予定通りもう1人のシリーズ構成が書くことになった。
そして、その書いてきた脚本が、かえって混乱を大きくし、僕のびっくり仰天の中盤になったのである。なお、びっくり仰天の終盤はまだ先にある。
ところで、僕は、この作品がなんという名前の作品かを言う気はない。
もう1人のシリーズ構成の名前も言う気はない。
ただ、実際に起こったことを書いている。
こんなことは、他の作品も似たようなものだという人もいる。
そうではないという人もいる。
このコラムはあくまで脚本について述べるつもりである。
今回のテーマは実際に行われた脚本無視について書いている。
今まで書いているのはその序盤の状況に過ぎない。
つづく
■第125回へ続く
(07.11.14)
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編集・著作:
スタジオ雄
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