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第138回 『ポケモン』の話をする前に……
「無職」……といっても、書かなければいけない約束はしていたが締め切りのはっきりしない小説や舞台ミュージカルはいくつかあった……を2週間ほど続けていたある日、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の監督の湯山邦彦氏から電話があった。
「忙しい?」
と、聞かれたので、「暇だよ」と答えた。
「だったら、いい仕事の話がいくと思うからよろしく」
で、2日後、僕が聞いた事のないアニメ制作会社のプロデューサーから電話があった。
「シリーズ構成を頼みたいアニメがあります、打ち合わせをしたいんですが」
「どんなアニメですか?」
「ゲームのアニメ化です」
その程度の簡単な電話だった。
どうやら、そのアニメのシリーズ構成に、湯山邦彦氏が僕を推薦してくれたらしい。
で、そのアニメが『ポケットモンスター』で、放映開始から11年以上続き、今も放映中であり……僕が関わったアニメでいちばん続いたアニメが、13年続いた『まんがはじめて物語』だから、おそらく、その記録を抜くのは確実な、大ヒットアニメになった。
僕は、その『ポケットモンスター』のTV放送の始まりから脚本を書き、その1年後ほど後に始まった映画シリーズの1作目から3作目まで関わり、その後シリーズ構成を降ろさせてもらった後も、TVアニメを数本書いたので、ほぼ4年ちょっとつきあった事になる。
これで、『ポケットモンスター』についての話は終わりである。
……などと書くと、他の作品に関しては散々色々な事を書いてきたくせに、『ポケットモンスター』についての記載は、これだけかい? よっぽど書きたくない事が多いのだなと、いらぬかんぐりを受けそうなので、シリーズ構成として、脚本家として、僕の経験した事、知っている事について、僕のその時々の思いもを含めて、書いて見ようと思う。
実は、『ポケットモンスター』(以下『ポケモン』と呼ぶ)について語る事は、とても難しい。
『ポケモン』は、放映1、2年も経たずに、ゲーム、アニメ、関連グッズなど全体で、ポケットどころか巨大なモンスターになってしまった。
その一部分の、アニメの脚本部分の序盤だけを知っている僕が、『ポケモン』がなんであるかを語るのはとても無理である。
しかも、そのアニメにしても、スタッフが始めから今までほとんど変わっていないようだから、『ポケモン』について僕が書いた事を、その人達が今どんなふうに感じるか、予想がつかない。
まして、『ポケモン』が全世界にひろまった現在、僕の書いた事で、どこからどんな反響が起こるか見当もつかない。
だから、『ポケモン』について書くのは難しいのである。
僕の知る限りでは何事もアバウトに作られがちな日本のアニメだが、『ポケモン』は、かなりきちんとした体制で作られていた。
しっかりとした体制で作られていただけに、アニメのベースになる脚本の決定稿は印刷され製本され、たしか1冊1冊に番号までつけられて、アニメに関連する部門や人々に配られていたから、『ポケモン』の脚本が外部に流出する事もなく、まして、でき上がった作品の脚本が絵コンテで誰かに変えられて別の作品のようになってしまうなどという、レベルの低い混乱が起こるはずもなかった。
いくらスケジュールがタイトになったとしても、アフレコに絵が間に合わないなどという状態は、僕の知る限りなかった。
制作体制がしっかりしている事は、アニメの脚本家にとって悪い事ではない。
低次元の心配でいえば、ギャラの遅れもないし、書き終わった脚本が作品としてでき上がったとき、目茶苦茶になっている事もない。
2次使用の著作権料も脚本家連盟を通してきちんと支払われる。
脚本家は、余計な事に煩らわされる事もなく、書く事だけに専念できる。
それはともかくとして、僕がアニメ版の『ポケモン』のシリーズ構成をやるやらないに関わらず、僕の見ている前で、あれよあれよという間に『ポケモン』は、ゲーム、アニメに限らず、『ポケモン』と称されるものに関わる人達にとって、生活を左右するような重要で大切なものになっていった。
ほんとうに、あれよあれよ……である。
そして、『ポケモン』関連の商売が巨大になればなるほど、『ポケモン』の影響力はいろいろな場所と人に対して大きくなり、『ポケモン』のイメージが悪くなるような事は厳しくチェックされるようになった。
『ポケモン』を商品化したものは、粗悪品や偽物や類似品が出ないように、関係者は目を光らせた。
僕の例で言えば、こんな事があった。
僕は例年、ある新聞社が主催するチャリティの絵馬を書いていた。
僕の場合は、稲毛神社と小田原にある二宮尊徳の神社に奉納する絵馬だった。
その絵馬を売ったお金は、慈善事業に寄付される事になっていた。
僕はアニメの脚本は書くが、絵は描けない。
だから、他の画家やまんが家や書道家のように見栄えのする絵馬は無理である。
有名な芸能人なら、簡単な文とサインだけでもいいいだろうが、僕の名前など絵馬に書いたって何の値打ちもないだろう。
そこで、僕が書いた脚本のキャラクターを作画の人に描いてもらったり、時には見よう見まねで下手な絵を自分で描いて、サインをして出していた。
たまたま、ポケモンがブレイクした年がやってきた。
ピカチュウぐらいは自分でも描ける気がしたので、『ポケモン』の版権を取り仕切る会社に電話をした。
内容は、「チャリティの絵馬にピカチュウを描いてもいいですか?」である。
電話に出た担当の人は、「『ポケモン』のシリーズ構成をしている人なのだからかまわないでしょう……」という事で許可してくれた。
ところが、次の日、アニメの制作会社の社長から電話がかかってきた。
「『ポケモン』の会議で絵馬の話が出て、絵を描くのは許可できないという事になったから止めてくれ」という。
「首藤さんには、他にも作品がいっぱいあるんだから、よりによって『ポケモン』を描く事はないでしょうに……」と、余計な面倒を起こしてくれて困ったような感じだった。
僕がピカチュウの絵を描いていけない理由は、シリーズ構成に許可すると、それなら脚本家だっていいだろう、『ポケモン』に関わっている人ならいいだろう……で、きりがなくなる。そのうち、誰でも描いていいという事になってしまう……それは困るというのだ。
確かに僕は、『ポケモン』の脚本を書いてもいいという許可をもらっている脚本家であり、『ポケモン』の絵を描く許可はもらっていないし、まして権利も持っていない。
だけど、『ポケモン』のシリーズ構成なんだし、少しぐらいいいじゃない……というのは間違いで、確かに、僕がピカチュウの絵を描く事は、版権の侵害で違法行為である。
じゃあ、子供が落書きでピカチュウを描くのは違法かと言われれば、厳密に言えば違法なのだが、子供相手のものだけに大目に見る、というスタンスらしい。
だが、許可を受けない同人誌や、お祭りの屋台で売っている海賊版的商品は、見つかれば訴えられるだろう。
いったんは、電話で許可してくれた版権担当の方は、随分、上司から怒られたかもしれず、申し訳なかったと、今でも思っている。
絵馬には、版権侵害などと言わない別の作品のキャラクターを描く事にして、その後『ポケモン』関係は、いっさい絵を描かない事にした。
余談だが、日本の小学校でプールにミッキーマウスの絵らしいものを描いたら、ディズニーがクレームをつけてきた……という例があった。公共の小学校のプールにまで版権をいいだすのは、いかがなものか? という意見もあったが、版権、著作権に敏感に反応する事は、脚本家にとってはうれしい事である。
『ポケモン』の絵の版権にうるさいという事は、同時に『ポケモン』のアニメ脚本の権利も大事にしてくれるという事だからだ。
また、余談になるが、日本で著作権に関して一番うるさい(?)のは、音楽関係である。
買い取り契約をした楽曲でない限り、著作権は作者にあり、JASRACなどの音楽著作権管理団体に加入していると、カラオケで誰かが1曲歌っただけでも、作家に印税が入ってくる。
僕などでも、自分でも覚えていないほど昔に作詞した曲の印税が、それを報告してくれる郵便代がもったいないほどの少額でも入ってくる事があり、毎年、苦笑している。
つまり、どこかでだれかが、その曲を歌ったのである。
だが、脚本に関しては、音楽ほどしっかりしているわけではない。
ある年、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』がJASRACの外国部門の賞を取った事があった。それは、日本の音楽で、その年、海外でいちばん売れたという事である。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の主題歌は日本語で歌われているから外国で売れるはずはない。つまり、『ミンキーモモ』のBGMが売れたという事で、それはとりもなおさず、そのBGMを使っている『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の作品自体が、海外で売れている、放送されている、という事を意味している。
ちなみに、JASRACの外国部門の賞は日本のアニメがとる事が多く、それだけ日本のアニメが、多くの外国で放送されている証拠でもある。
今さらいうまでもなく、日本のアニメは、世界中を駆けずり回っているのだ。
インターネットで見れば、世界の至るところに、アニメファンのサイトがある。
事実、現在でも、世界のどこかで『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は放送されていて、去年は、オープニングタイトルだけ天安門を背景にした中国版『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が作られたという。
しかし、海外で放送されたものに関していえば、BGMの作曲家には印税が入っても、脚本家に印税が入る事はほとんどなかった。
脚本に対する著作権処理が、故意か無知だったか、とてもズサンだったからである。……もっとも、最近の大手の会社ではきちんと処理をするようになったところもあり、忘れたはずのアニメ作品の印税が突然入ってきて、仰天するどころか、生活まで変わってしまった脚本家もいるらしい。他人事ながらうらやましいといえばいえない事もない。
『ポケモン』の場合、大手出版社が関係している事もあってか、最初から脚本家の権利に対する意識が強く、ましてシリーズ構成のチャリティ絵馬まで許可しないほど版権に敏感である。
『ポケモン』のデザイン、絵、その他の権利と同じように、脚本に対してもそれなりに配慮や処理をしてくれている。
僕が『ポケモン』の脚本を書かなくなってから随分年月が経つが、だからといって関係がなくなったともいえないのである。
何人もいるプロデューサー格の方の1人が、毎年お中元替わりに、その年々に出たポケモングッズを送ってくださるし、まあ、それはともかく、突然、聞いた事もないような外国の国から、『ポケモン』の脚本印税が飛び込んでくるのである。
『ポケモン』のイメージが悪くなるような事は、とても書けないのが仁義(?)ってなもんである。
それでも、僕の知る『ポケモン』アニメの最初の3、4年は、興味深い(?)事が沢山あった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
あなたの周囲の人達の4、5人それぞれにオリジナリティを見つける事ができれば、それだけで充分すぎるほど自分にオリジナリティがある事を感じるはずである。
ただここで大事なのは、好意的に相手のオリジナリティを見つめる事である。
人の悪いところは目につきやすい。
悪意(つまり、意地悪な目)で相手のオリジナリティを見つけようとすれば、いくらでも悪い部分は見つかるのである。
あいつのあそこが悪い。
こいつのあそこが悪い。
そいつのあそこが悪い。
やがて、相手の悪い部分のオリジナリティは、あなたの中では全て悪いの一色になり、それぞれの悪さの違いなどどうでもよくなる。
悪いやつらだが、世間のしがらみで付き合わなければならないから、嫌々つきあう。
もしくは付き合いをやめてしまう。
あなたは、自分自身の悪い部分のオリジナリティには、まず気がつかない。
それが普通の人間である。
宗教では、自分を見つめ悔い改めよ……などというのがあるが、自分を見つめ直すなどという事のできる人はまずいない。
自分はよくて、他人はみんな悪いになってしまうのが普通である。
そうなると、よいのは自分1人……後は悪い他人になってしまう。
1人ぼっちである。
あなたは、オリジナルである。
だが、1人ぼっちのオリジナルでは、孤立しているだけである。
けれど、好意的に相手のオリジナリティを見つけようとすれば、
あいつのあそこがいい。
こいつのあそこがいい。
そいつのあそこがいい。
自分は自分、他人はみんないい。
とはならず、自分は自分、他人はそれぞれいい、になるはずである。
それぞれというところが大事である。
人を好意的に観察するのと悪意をもって観察するのでは、違いが出てくるのである。
好意的に見ると、他人のそれぞれ違ったいい部分のオリジナリティが見えてくる。
悪意で見ると、他人はみんな悪いで片づいてしまう。
あなたがオリジナルである事は違いないにしても、人を好意的に見るのと悪意で見るのとでは随分違うのである。
僕は、世の中、悪い奴はいない、などという、性善説を唱えているわけではない。
自分が孤立せずオリジナルである自信を持つためには、他人を悪意で見るより、好意的に見た方がいいと僕は思っているのである。
何だか、オリジナルという事に対する禅問答のように聞こえるかもしれないが、「誰でもできる脚本家」とい「うテーマは忘れていないから、安心してください。
つづく
■第139回へ続く
(08.02.27)
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