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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第139回 ゲームのアニメ化に思った事

 あるゲーム(いうまでもなく「ポケモン」である)のアニメ化の、シリーズ構成をやらないか? という打診を受けて、その打ち合わせに出席するまでの日数は、それほどなかった。
 その間、考えていた事はというと……。
 「ポケモン」というゲームに対して、予備知識はほとんどなかった。
 ただ、いわゆるゲームというものに関しては、詳しくとはいえないが、ある程度どんなものかの知識はあった。
 僕の書いた「永遠のフィレーナ」という小説を原作にして、OVAが作られ、ファミコンのゲームが作られた事があったからだ。
 その時、小説のゲーム化にあたり、ゲーム独自の色々なアイディア出しと監修を頼まれた。もとになる原作者が、僕なのだから、それは当然なのかも知れない。
 打ち合わせも何回か出席したし、ホテルの泊まり込み……つまり缶詰めで、制作会議も体験した。
 場所は東京でなく小田原に近い平塚市のホテルで、当時、小田原に住んでいた僕を考慮に入れて平塚にしてくれたようだ。
 小田原には、ビジネスホテルはあっても、会議場を持っているような大きなホテルはなかった。……余計な事だが、寂しい事に今もない。
 近所にあるとしたら箱根か熱海だろうが、それじゃあ会議でなくて、観光か温泉宿泊の遊びになってしまう。
 で、ゲームというものが、どういうふうに作られていくかを知り、えらく手間がかかり、ソフトの容量の制限で、できる事とできない事があり、ある程度、満足のいくゲームを作るためには、締め切りなど当てにならないゲーム制作時間というものがある事も知った。つまり、いつ完成するか、きっちりとした予定が立てられないのだ。
 数ヶ月の遅れは普通で、1年以上の遅れもざらだという。
 実際、そのゲームの完成は遅れに遅れ、一時は完成しないんじゃないかという危惧さえあった。
 そんなゲームに、監修という立場であっても、ある程度関わった僕は、ゲームというものの構成・シナリオと、アニメの構成・シナリオとの違いぐらいは分かった。
 ゲームの主役は、あくまでゲームのプレーヤー(ゲームをする人)で、原作者の考えた小説やアニメの主役ではない。
 ゲームはプレーヤーの気持ち次第で展開が変化し、ゲームの制作者はそれに対応するシナリオを用意し、その展開の結果、結局、プレーヤーはある事件なりエピソード(それは原作にある)に辿り着く事になり、その時々にまたプレーヤーの選択する結果の色々な展開を用意しながら、その繰り返しで、結局、前もってゲームで決めた(原作にある)結末まで進むようにする。
 作者の考えたストーリーを一直線にいけば、短い時間で済むのだが、ゲームの場合、主役はゲームのプレーヤーである。
 プレーヤーの気持ちは分からない。
 だから、プレーヤーの気持ちがどう変わろうとも、それに対応したシナリオを用意しておかなければならない。
 さらに、ゲームの性格上、事あるごとに敵が出てきて戦いがある。
 その勝敗も、プレーヤー次第で、勝つか負けるか分からない。
 勝敗に対応したシナリオも必要になる。
 さらにさらに、それだけでは面白いゲームとはいえず、プレーヤーがより楽しめるようにゲームに様々な工夫が凝らされる。
 だから、ゲームのシナリオは、原作をアニメにしたシナリオとは、比較にならないほど膨大に膨れ上がる。そのシナリオを見せられた時は、その厚さだけで僕は仰天した。
 ただし、シナリオは膨大になってもゲームに登場するキャラクターの性格や感情は単純化される。
 あくまで、主人公がプレーヤーである以上、それぞれのプレーヤーの個性や気持ちが優先されてゲームに反映されるから、ゲームの登場キャラクターがあまり複雑な性格や感情をもっていると、プレーヤーのゲームへの感情移入の邪魔になるのだ。
 それぞれのプレーヤーは、登場キャラクターの性格や感情が単純だから、自分の性格や気持ちを登場キャラクターに感情移入して、プレーヤー自身の持つキャラクター像をふくらます事ができる。
 そして、ゲームが自分の思いどおり行かない場合、リセットしてやり直しができる。
 つまりゲームの結末は同じでも、そこに行き着くまでが、プレーヤーそれぞれで千差万別になってしまう。
 もっとも、これは10年以上前のゲームの話で、ゲーム機の進歩が、ゲームの内容や表現をもっと複雑にして、進化させているのは言うまでもない。
 それはともかくとして、小説などの原作のあるものからゲームを作りだすと、おおまかなストーリーと登場人物と設定は似ていても、そのゲームは、原作とはほとんど別のものになる……ならざるをえない……というのが、僕のゲームというものに対する感想だった。
 原作とゲームとの違いをとやかく言うのは間違いで、元々が違う媒体なのだ。
 だが、原作とその映像化、アニメ化となるとちょっとニュアンスが異なる。
 もちろん小説だろうと、随筆だろうと、コミックだろうと、作者がどういうつもりで書こうと描こうと、それを読む人、見る人それぞれの感じ方で、千差万別、作者の意図したものとは違ってしまう事は仕方のない事である。
 作者は作品を人に見せたり読ませたりする場合、ある程度、それを覚悟しておくべきだとは思う。
 自分の作品は、発表された時点で、もう自分だけのものではないのだ。
 それは、多分、インターネットの匿名の文章でも同じだろう。……もちろん、ここで言っているのは、著作権等という権利問題とは別の意味だ。
 まして、このコラムでも何度も書いているが、原作が映像化、つまり映画化、ドラマ化、アニメ化等にされた場合、プロデューサー、演出家、脚本家、その他、色々な人の感じ方のフイルターを通して作られるから、原作者の意図したものどおりでき上がる方がまれだと思う。
 だから、原作者は自分の作品が映像化された時、「原作と映像とは別の表現ですから、どう料理されようとかまいません」とか、中には「私の原作が、こんなに面白くなるとは思いませんでした」という大人の感想を言う人も出てくる。
 それどころか映像化を想定して小説を書く作家もいる。
 映像化された事で、原作が売れる事も少なくないからかもしれない。
 しかし、あまりに作者の意図したものと違うものになったときは、大人だから口にこそ出さないが、あまり愉快ではないと思う。
 余談かも知れないが、僕は、その意味ではあまり大人ではないなあ……と、恥ずかしく思う時もある。
 もちろん、自分の意図しないものを作られるのを嫌がる作家もいて、自分の作品の映像化を断る人もいる。
 そんな作家の方達の気持ちはとてもよく分かるので、僕は、基本的に原作のある作品の脚本を書く事は避けていたし、色々な要因で原作のあるものを脚本化する時は、「僕が脚本を書くと、原作と違うニュアンスになるものになるかもしれないけれどいいんですね?」と、原作者と、その原作を発行している出版社の編集長に直接、念を押す事にしていた。
 余談の余談だが、ある時、ある作品で、編集長と原作者の了解を得て、企画がGOになり、その作品をどう脚本化するかをプロデューサーや他の脚本家の方達と会議している時期になって、企画が潰れた事があった。
 その会議には、原作者も出席するはずだったが、いつまで経っても姿を現わさない。
 ずいぶん時間があって、原作者の編集担当の方が来て「この話はなかった事にしてください」と言う。
 要するに編集長と作者には了解が取れていたが、その作家の編集担当の了解が取れていなかったのだ。
 小説家やまんが家にとって編集担当は、多くの場合、相棒以上の存在である。僕自身も小説を書く時など僕の編集担当の方には公私ともと言っていいぐらい色々お世話になっている。小説の内容の相談相手になってくださり、そんな熱心な編集担当の方の尽力がなかったら、完成しなかっただろう小説もある。
 その会議に、企画を断りにきた編集担当には、作家が若い事もあり、自分が育てているという気概と自負があったのだろう。
 頭越しに編集長と作家で企画を決めてしまった事は、彼女(女性だった)にとって許せる事ではなかったのかもしれない。
 おそらく、「この企画は、将来のあるあなたの作家性を潰すかもしれない」と考えて作家を説得したのだろう。かといって、作家自身が断りにいくのは、一度了解しただけに、気後れする。そこで、編集担当が代わりに断りにきたのだ。
 ちょっと余談が過ぎたかもしれない。
 つまり、原作の映像化というのは、その原作どころか原作者を潰す危険があるという考えもあるのだ。
 僕もそれを否定はしない。
 しかし、小説とゲームでは、媒体があまりに違いすぎる。
 小説の読者とゲームのプレーヤーでは、作品への参加性(?)が違いすぎる。
 ゲームの場合、主役はプレーヤーなのである。
 あくまでプレーヤーを意識してゲームは作られる。
 小説だって、読者を意識するだろうが、前面に出るのは小説家の作家性である。
 読者の個性や感情で、小説の文章が変わるわけではない。
 だが、ゲームはプレーヤー次第で展開が変わる。
 僕は、小説がゲームになる場合は、媒体が違いすぎるから、原作と違った展開になってもプレーヤー次第なのだからかまわない。どうなろうと、ご自由に……という気持ちだった。
 自分の原作小説のゲームの監修をして、つくづくそう思った。
 しかし、ゲームがアニメになったらどうなるのだろう。
 それぞれのプレーヤーが、そのゲームに持っていたそれぞれのイメージと展開。
 それが、固定されたイメージと登場キャラクターとストーリーになり、視聴者の前に現れる。
 主役は、ゲームのプレーヤーではなく、アニメの登場キャラクターだ。
 リセットもできない。
 ゲームのプレーヤーの人達は、ゲームのアニメ化をどう受け取るのだろう。
 そんなアニメの脚本を、どう書いたらいいのか?
 僕としては、ゲームのアニメの脚本ははじめての事で、何となく楽しみだった。
 つまり、『ポケモン』のはじめての打ち合わせには、かなり、気楽な気分で出かけたのだ。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 他人のそれぞれいい部分を見つけたら、今度はそれを表現してみよう。
 とりあえずは、いい部分を見つけた他人の中の1人にしぼってみる。
 その人のどこが他の人と違っていいのか……的確な言葉や文章を探してみる。
 あれもこれもといっぱい言葉や文章を探さなくていい。
 なるたけ短い方がいいと思う。
 取りあえず、それを書いてみるといい。
 そして、それを口に出して言ってみよう。
 「あなたの(君の)○○なところがいい」
 相手の性格的なよい部分を表現する言葉や文章が考えつかなければ、外見的な事でもいい。
 相手のいい部分を表現するのだから、悪い表現になるはずがない。
 例えば「あなたはきれいな人だ」でもいいのだ。
 けれど、きれいな人なんていっぱいいるだろうから、きれいだけでは相手のオリジナルないい部分を的確に現している事にならないだろう。
 どういうきれいさなのか、きれいを表現する言葉を類語辞典で探してみるのもいい。
 ピンとくる言葉がなければ、その相手をきれいに見せている要素を探してみよう。
 顔でいえば、目が鼻がくちびるが髪が……いろいろあるだろう。
 その部分がどういいのかを表現する言葉や文章を探してみる。
 けれど、相手の肉体的ないい部分を見つけても、その部分が口に出していいものかどうかは、あなたの好意的な常識で判断するように。……相手が女性の場合、「あなたの胸の形がいい」と言って、相手が喜ぶかどうか微妙である。
 外見的な部分で、そんなところしか相手のいい部分が見つからないとしたら、「あなたはきれいな人だ」と言った方がましかもしれない。
 直接、本人に言う度胸がない場合、他の人に言うのもいいだろう。
 ともかく、口に出して言ってみる。
 「あの人はきれいな人だ……」
 するとなぜか、「あの人はあなたの事をきれいって言ってたよ」という具合に、間接的に本人に伝わる。
 普通、人間は、自分のよい部分に気がつかない。
 それを他人から指摘されると、悪い気はしない。
 「自分はきれい」と自他共に認めているような女の子でも、本気で自分を「きれい」だと確信している人は少ないから、自分を「きれい」だと表現してくれた人を意識する。
 そして、「あんな奴からきれいなんて言われたくない」等と口では言うかもしれないが、内心では「わたしをきれいだといってくれた人はどんな人だろう」と関心を持つ。
 で、自分のいい部分を指摘してくれた人の「悪い部分」ではなく、「いい部分」を探そうとする。
 誰だって「嫌な奴からきれいと言われるより、いい人からきれいと言われたい」という意識が働くからだ。
 その時、あなたは、相手にとって、いっぱいいる他人ではなく、特別な人になっている。そして相手は、他の人にないあなたのオリジナルなよさを探そうとする。
 そして、相手は相手なりの思いで、あなたのオリジナルな部分を見つけ出す。
 なぜなら、あなたがオリジナルであるように、相手もオリジナルだからだ。
 もともとオリジナルな人が意識した人なのだから、相手のオリジナルな部分に気がつかないはずがない。
 そしてあなたのその部分は、多分相手にないオリジナルな部分である。
 オリジナリティのある人は、相手の中にある、自分にないオリジナルなところに、まず目が行くからだ。
 他人の持つオリジナルなよさを口に出して表現すると、自分のオリジナリティの良い部分を認めてくれる人が出てくるのである。
 あなたはもう孤立したオリジナルではない。
 少なくとも、それぞれ違った2人がいる、オリジナルの1人である。
 ところで、ここでは、「きれい」というありきたりな言葉を例に使ったが、少なくとも脚本家になろうとしている人、すでになっている人なら、もうちょっとましな言葉を思いつくはずだ。
 それに、他人のそれぞれに違ったオリジナルなよさを見つけたら、それぞれのよさを表現するために、それぞれ違った言葉を使い、同じ言葉は使わないだろう。
 他人の中にそれぞれのオリジナリティを見つけるたびに、それを表現するための語彙が増えていくのである。
 その語彙の中に、あなたならではのオリジナルな言葉がでてくれば、それは、かなり凄い事だと思う。


   つづく
 


■第140回へ続く

(08.03.05)

 
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