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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第141回 ゲームをやってみた

 最初に断っておきたいのだが、今の『ポケモン』は僕とは関わりはないし、以下の文章に、『ポケモン』対して僕の悪意はまるでない。
 そこをはっきり言っておいてから、本文に入りたい。
 今までの作品では、実名を書いた人には、ご本人の了解をいただいていた。
 だが、これだけ著名なアニメで現在も続いているだけに、ご本人の了解をいただけない場合もあるかもしれない。
 誰かに一度でも実名を出す事を断られれば、何も書けなくなる。
 したがって最初から、匿名どころか職名だけにする。
 それでも、これだけ長く続いているアニメである。
 分かる人には、誰が誰だかすぐ分かるだろう。
 その方達の誰かから、今さら首藤剛志がのこのこ出てきて余計な事を言うなと……あるいはもしかしたら、何も書かないでくれと……言われるかもしれない。
 そう言われたら、何も書けなくなる。
 確かに何も書かないで済ましたほうが、無難だと思う。
 書いたところで、僕には得るものは何もないだろう。
 ただ、何も書かないと、これだけ続いた「えーだば創作術」の、僕の脚本家としての4年ほどが空白になってしまう。
 それは避けたい。
 当然の事だが、ここに書かれるだろう事は、僕の立場から書かれている。
 このアニメに関わる人それぞれに、それぞれの立場がある。
 僕の立場から見た『ポケモン』のアニメは、おそらく、他のスタッフ、他の脚本家の方達とも違うだろう。
 ここに書かれている事は、脚本に関わった一個人の見た『ポケモン』のアニメだと思ってほしい。
 決して『ポケモン』のアニメの全体像ではない。
 『ポケモン』アニメの、総指揮のような立場にいるプロデューサーの方の側から見たサクセスストーリーとしての『ポケモン』アニメについては、この方の書かれた(他の方との共著という形をとっている)「ポケモンストーリー」という本があり、おそらく、全体を俯瞰した位置にいたこの方の書いた本のほうが、僕の書く事より、ずーっと、全体像に近いのかもしれない。
 今の僕が『ポケモン』アニメについてどう思っているかというと、 正直、十年以上も続いているアニメ化『ポケモン』のスタッフの方達の持続力を、凄いと驚いている。
 絶えず、アニメとゲームが付かず離れずしながら、PRも含めて様々な工夫、努力をしながら、人気を維持し現在に至っている事を、僕は尊敬している。
 そのアニメシリーズのTV版、映画版の1作、2作の脚本に関われた事は光栄である。
 できたら、もう10年ほど続けてくれれば、『ポケモン』アニメで育った人が親になり、子供に『ポケモン』アニメを見せる日が来るだろうし、それも可能な気がする。
 僕が『ポケモン』のアニメ化に参加した頃の「スタッフはまず『ポケモン』のゲームをやって下さい、そして『ポケモン』を愛して下さい」というスタッフへの檄文のような型破りな書き方の裏に、『ポケモン』のアニメ化を企画した人達の自信があふれているようだった。
 アニメ化成功へ意欲満々なのが見て取れて、気持がよくすらあった。
 ただ、「愛して……」という言い方の中に、アニメの実制作の現場へ対する懸念のようなものも感じた。
 「アニメを作る人達は、アニメが好きだから頑張っている」と、常々思い込んでいる僕としては、「愛してください」とあえて言うのは、ある意味、アニメに関わる人は作品を愛していない、と言っているような気がしたのである。
 アニメに関わる人達は、決して恵まれているとは言えない環境の中で、アニメが好きなゆえに、それなりに張り切っていると思いたかった。
 好きでなければ、アニメを作る事など、ないような気がしていた。
 『ポケモン』には様々なプロデュサーがいる。
 スタッフタイトルの呼び名は、様々だが、『ポケモン』アニメ化の仕掛けをし総指揮をしたような人から、その人の制作意図を現場で脚本に反映させるプロデューサー、ゲーム自体の責任者、アニメ制作現場でのプロデューサーの方達など、僕にとっては、みんなプロデュサーに思えた。
 その1人に、ぽつんと聞いた事がある。
 「『ポケモンを愛して……』って言うけれど、自分の関わるアニメが好きじゃない人なんかいるのかなあ」
 「この世界、適当にやっちやう人、結構いるから……」
 そう言われてみれば、僕の原作小説のアニメ化もかなり適当に作られて腹をたてた事を思い出した。
 自分の作品がひどい目にあいながら、それを忘れていた。
 『ポケモン』のアニメ化を適当にやられては困る。『ポケモン』のアニメ化を企画した人は、なにより、それを恐れたのかもしれない。
 とりあえず、僕は『ポケモン』のゲームに挑戦した。
 僕にとっては、ゲームボーイの画面は小さすぎるのでゲームを大きな画面でできるように、ゲームボーイ用のソフトをファミコンで見られる接続装置を買ってきた。
 そして、ゲームをやってみた。
 で、途中で頭を抱えた。
 僕流のやり方では、どうしても強引に突っ走ってしまう。
 僕流のゲームのやり方は、他の人とは当然違う。
 『ポケモン』については、ゲーム関係者の誰もが、よくできたゲームであると誉めていた。
 このゲームのよさは、なにより、人それぞれ様々な楽しみ方ができるところであるという。
 人それぞれ違う楽しみ方、つまり僕のやり方は、人と違って当然という事になる。
 ゲームをやり終えた他の方達から感想を聞いたが、それぞれ楽しんだらしい。
 しかし、楽しみどころが様々である。
 つまり、ゲームをする人それぞれにそれぞれのストーリーができているのである。
 ただ単に、僕が1人でゲームを楽しむだけならそれでもいいが、アニメ化を意識してゲームをするとなると違う。
 人それぞれの楽しみ方があるものを、ひとつのストーリーとして、アニメ化するのはかなり難しい感じがした。
 確かにアニメ化したら面白そうだと誰もが思うだろうが、問題はどんなふうにアニメ化するかだ。
 すでに何回か会議が開かれていて、様々なアイディアが出ていた。
 その議事録を見ていると、気がつくのは、それぞれのアイディアに、必ずのようにクレームがつき、そのクレームをつける人がいつも同じ人なのである。
 何人もの人がいる会議で、次々と出てくるアイディアを1人でクレームをつけ続けられるのは、かなり発言の影響力の強い人である。
 案の定、ポケモンのアニメ化を企画し、ゲーム会社から了解を取った人だった。
 アニメ化の総指揮とも言える人だ。
 「ポケモンストーリー」という本には、ゲーム会社の本社のある京都にでかけ、アニメ化の了解を取りつけて東京に帰る新幹線の中で、祝杯のビールを飲む場面が印象的に書かれている。
 ゲームのアニメ化の了解を取るのは、かなり難しかったようだ。
 もしも、ゲームのアニメ化が人気が出ずに失敗すれば、ゲーム自身の寿命が短くなる。
 共倒れになる危険があるのだ。
 それだけに、ゲームを作り育ててきた人達は、自分たちのゲームのアニメ化に不安と危惧を持っているかもしれない。
 だから、なおさらゲームのアニメ化の仕掛け人としては、成功させたい。
 そのために貪欲に、より面白いアイディアはないかと、出てきたアイディアに次々とクレームをつけていく。
 みんなでニコニコ決めてしまった事はほとんど面白いものはない、と決めつけている感じである。
 確かに一理あるし、クレームをつける方法で満足の行くアイディアに辿り着く事もあるだろう。
 ただ、そんなふうにクレームをつけていると、みんなのアイディアが出なくなり、クレームは、結局、ないものねだりに終わる危険性もある。
 この人のクレームの嵐を受けるのは、アニメ化が始まれば、アニメ制作の入り口である脚本になる。
 つまり、シリーズ構成の僕である。
 議事録を読んだときは、いささかしんどそうだなとは思ったが、引き受けた以上、それは覚悟する事にした。
 議事録を読むと、クレームをつけられたアイディアの中にも、いいアイディアがある気がした。
 しかしそれを言いだしても、クレームをつけた人は、より大きなクレームで攻撃してくるはずである。
 そのクレームを避けつつ、一度クレームのついたアイディアを復活させるにはどうしたらいいか。
 僕の最初のシリーズ構成案を、提出する日がやってきた。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 1人のオリジナルな相手を見つけられる人なら、他にもオリジナルな人を探してみよう。
 そんな人が、1人2人と増えていくたびに、だんだん自分のオリジナルな度合いも、深まるのに気がつくだろう。
 そして、そんな相手のオリジナルな部分を自分なりの言葉で表現すると、それは、あなたのオリジナルな表現である。
 オリジナルな表現でありながら、ちゃんと相手にも通ずる表現になる。
 相手もあなたにオリジナルなものを感じているからだ。
 あなたは、あなたのオリジナルで、相手に通じる言葉を身につけた事になる。
 こうやって、あなたなりに相手に通じる語彙を増やしていくのである。
 絶えず、相手の中にあるオリジナルな部分を探し、言葉に表現してみる。
 それが、あなたのオリジナルを磨く事になるのだ。
 人間はもともとオリジナルなものである。
 だが、その人の持つオリジナルな輝きは、磨かないと光ってこない。
 繰り返して言うが、自分のオリジナルを磨くという事は、相手のオリジナルを自分のオリジナルでどんどん表現するという事である。
 そして、ふと自分を振り返ってみる。
 自分のオリジナルで、自分を表現してみる。
 自分のオリジナルを語る、自分のオリジナル。
 そこで、自分がいかにオリジナルな人間か自覚できるだろう。
 自分のオリジナルが自覚できれば、自分の表現に自信が持てる。
 あとは、どんどん自分が感じるままに、様々な事をあなたの言葉で表現していけばいいのである。


   つづく
 


■第142回へ続く

(08.03.19)

 
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