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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第161回 ポケモン事件2日目

 長い間の休載をおわびします。
 理由を説明すると、直接的には転倒事故を起こし救急車で病院に運び込まれ入院していたのですが、元の原因は、僕の不摂生による体調不良ですから、自業自得です。
 このコラムを、お読みいただいていた方達、またアニメスタイルのスタッフの方達には大変迷惑をおかけしました。
 申し訳ありません。
 その入院時の状況を詳しく説明すると、このコラムの本来の話題からそれて長くなってしまうので、休載直後から話を続けますが、今後ともよろしくお願いします。
 で、1997年12月16日、日本中でTVの『ポケモン』を見ていた人たち(多くは子供)の一部が体調不良を訴え、700人以上が病院に搬送され、そのうち百数十人が入院した。
 重傷者はいたが、幸い死者はでなかった。
 病院に搬送されなかった方でも、その日の『ポケモン』を見て体調不良をもよおした人は1万人を超えると予想されると報道された。
 子供向けのアニメを見て子供が倒れる。
 日本中が驚いた。
 マスコミは大騒ぎだった。
 マスコミがこの事件を追いかける姿は、後先考えず食いつくピラニアのようだった。
 なぜか被害者の方達の声の多くは、僕には聞こえてこなかった。
 僕の仕事場が海辺の田舎だったことで、事件の情報が周りの人たちの話題に出なかったのと、加害者の位置にいるだろう僕としては被害状況が怖くてTVニュースをあまり見なかったせいだろう。自宅に届く新聞すら読まなかった。
 情けない話だが、頭を抱え自分で自分の耳をふさいでいたのかもしれない。
 だから、この事件の全貌と真相に対して、僕は当時世間に報道された以上の知識はない。
 だが、あの事件の1年半後に、ポケモン事件の被害を受けた女の子が担ぎ込まれた同じ病院に入院したことで、なぜか急激に生々しく何かに追いつめられた気持ちになったことは確かである。
 入院するまでは、世間に報道されたこの事件について、知ろうと思えばインターネットで検索できる――当然、現在でも検索でき当時の状況を知る事ができる――が、そこに書かれている内容を云々する、それ以上の情報を僕は持ち合わせていなかった。
 詳しく知りたくもなかった。
 まるで交通事故の加害者になってしまって、被害者の方にはとても申し訳ないとは思うが、それはわき見運転や飲酒運転などの交通違反をした結果の交通事故ではない気がしていた。
 被害者の不運はもちろんだが、加害者も不運だった。そう思いたかった。
 だが……本当にそうなのだろうか?
 これは、僕だけなのかもしれないが、自分のやっている仕事に漠然とした不安のようなものを感じたのを憶えている。
 で、ポケモン事件とかポケモンショックと呼ばれるその事件は、今となっては10年以上前の出来事になってしまった。
 正直な話、今もこのコラムであの事件の頃を思い出しつつ書くのはひどく憂鬱で、筆が進まない。
 ただ、この事件について書いている途中で、コラムを休載してしまって、「いまさら、忘れたいと思っている昔のことをほじくり出すな!」という『ポケモン』関係者からの圧力のようなものがあったのではないかと心配して下さる読者の方もいるようなので、はっきりお答えしておくが、このコラムに関して『ポケモン』関係者から、今までクレームのようなものは一切ない。
 むしろ、あるプロデューサーの方からはアニメ版『ポケモン』の初期のシリーズ構成の首藤剛志が、どんな心算で『ポケモン』に関わっていたか、はらはらしつつも、それが面白いから頑張って書いてくれ、という励ましさえいただいた。
 僕自身、作品に出来不出来はあるだろうが、自分が後ろめたいと思う脚本は書かない事にしてきた。
 だから、自分の関わった作品に悪意を持つわけがない。
 余談になるかもしれないが、もともと僕は、映画は好きだったが、脚本家になりたかったわけではない。
 このコラムの初期にも書いたが、たまたま最初に書いた脚本らしきものが、これまたたまたま僕の書くものを好ましく思う方達に評価され、気がついたら好き勝手なものを書いて食べていける職業で生きてこれただけである。
 それが、世間で脚本家という職業名で呼ばれていた。
 今考えると、物書きとしてはものすごくラッキーである。
 ただでさえ、そもそも書くという行為が好きではない僕が、書くことで生きてこれたのは、僕が好き勝手に書くものを面白がっていただける方達と出会え、その方達が「あんたの好きに書いていいよ」と仕事に誘ってくれたからである。
 作品は脚本だけでは成立しない。制作会社、TVなら放送局の編成、代理店、スポンサー、もちろん監督、スタッフキャスト、その他、様々な人が面白がってやる気になってくれないと面白い作品にならない。
 小説にしろ、まず編集者が面白がってくれないと出版されない。
 もちろん、僕の関わった作品を楽しんでくれる視聴者や読者がいなければどうしようもないが……。
 僕の書くもの、僕という人間性(書くものに人間性が出る)が好きになれない人もいるだろう。
 だから、僕が好き勝手に書けそうにない作品は、初手から断るようにしているし、最初はやれそうにみえて、やりかけてつぶれた作品もある。
 若い頃の僕は、多分、頑固で生意気な脚本家だっただろう。
 書きたくないものは、書かないのだ。
 当然、製作者にしろ、監督にしろ、編集者にしろ、どんなスタッフにもそれぞれの立場の、作りたいものがある。
 その作りたいものに、僕の好き勝手ぶりがマッチすると思った時、僕に声をかけてくれる。
 そんな出会いがとぎれなく続いたのは、幸運以外の何物でもない気がするし、僕の書くものを面白がってくださった方達には、とても感謝している。
 今の本音としては、昔、僕を面白いと思ってくれた方達が、今の僕を見て、「やっぱり、面白い……自分の目に狂いはなかった」と、思っていただいてほしいのだが、そのためには、過去の作品以上のものを書くしかなく、それはかなり僕にとってのプレッシャーである。
 と同時に、最近、僕自身、僕の好き勝手ぶりを、相手の作りたいものの中にうまく組み込み、相手の作りたいものを、より面白くできればいいと思うようにもなってきた。
 で、気がつけば、ほとんど書く仕事で生きてきてしまった。
 実は、仕事(つまり、生活の糧)以外にも、かなりいろいろやってきてしまってはいるのだが……。
 それでも……
 「俺の人生、表向きは物書きで終わりかよ」
 と時々、呆然となる。
 同時に「それでも、ええだば、ええだば」とも思うのである。
 だから、このコラムで、僕の関わった作品について、悪く語るのは、自分の表向きの人生を悲嘆しているようなもので、僕の性格としてあってはならないのである。
 僕は、たった一度の人生を、他人がどう見ようと自分本人は楽しいもので終わるつもりである。
 このコラムを最近、全部、読み返してみたが、僕の筆力不足のせいか、自己弁護しているように読める部分があるかもしれない。
 しかし、自分の関わった出来事を弁解したり、他人のせいにするようになったらおしまいだと思う。
 僕としては人生いろいろあったなあと、結構楽しんでこのコラムを書いているつもりである。
 そもそも、このコラムは、アニメの脚本に興味のある人たちに向けて書いている。
 僕が経験したことで、アニメの脚本に関連していると思えることを選んで書いている。
 このコラムがアニメの脚本を知る上で参考になるだろうという主旨がある。
 何年もこのコラムを続けているが、たった一度だけ、クレームを受けたことがある。
 『ポケモン』関係からではない。
 このコラムのもう一つのスペース「昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)」で、取り上げたロボットアニメのプロデューサーからである。
 そのアニメ、最初の1話の脚本ができた時に、まだ、監督が決まっていなかった。
 わずか全13話の予定だから、当然最終回までのストーリーは、監督抜きの会議で決まっていた。
 その時点で、監督が決まっていないから、後で決まった監督は、そのストーリーに当然関わっていない。
 監督が誰になるか分からないから、プロデューサーは、1話を字コンテ風に書いてくれと要求してきた。
 これは、監督や演出や絵コンテの領域である。
 後で決まった監督は、字コンテどおりには絵コンテを作らず、最初の会議で決まった全体ストーリーにいない重要人物を付け加えた。
 重要人物だから、当然、重要な役割を果たすはずで、それを監督は考えていると思った。
 その重要人物とメインキャストの声優は、監督が決めた。
 極めてタイトなスケジュールで制作は続き、後で加えた重要なはずの人物はろくに役割を果たさず、脚本はアフレコぎりぎりにでき上がってくる絵コンテのつじつま合わせのようになり、結果、当初決まっていたはずの全体ストーリーとは全く別のものになった。
 ついでに言えば、もう一つの最終回というCDも作ったが、それは、当初、決まっていた全体ストーリーとは別の最終回のつじつまの合わない部分のつじつまあわせになった。
 当初の監督不在の会議で決まった全体ストーリーは、全く姿を消した。
 そういう制作状況で、脚本家がどういう脚本を書いたかを、できるだけ正確にコラムに書いた。
 メインは脚本についての話のつもりだった。
 そのロボットアニメが放送された後、プロデューサーからクレームがきた。
 あのコラムのせいで、アニメ放映後にそのロボットを使うゲームやロボットのフィギュアの商売に支障がでたのだそうだ。
 僕は言った。
 「今度、コラムで『ポケモン』の事を書く予定なので気をつけますよ」
 今のところ、このコラムについてきたクレームは、そのロボットもののプロデューサーからのひとつだけである。
 ついでだが、『ポケモン』のレギュラー脚本家の1人で、他のアニメのシリーズ構成を何度もしているベテランが、僕に言ったことがある。
 「『ポケモン』ほど脚本家を優遇しているアニメはめったにないですよ」
 そりゃあ、アニメ版『ポケモン』にもいろいろ問題はあるだろう。
 が、制作体制や制作姿勢のしっかりしていることに関しては、このコラムにクレームを言ってきた会社とは比較にならない。
 回数が多ければいいというものでもないが、脚本会議は、1話分について3回から4回はする。
 『ポケモン』には脚本の決定稿の印刷台本がある。それは絵コンテを元にしたアフレコ台本とは別である。
 アフレコ時に、アニメの絵はちゃんと動いて色もついて全部できている。
 片や、決定稿が印刷されるはずもなく――最近のアニメはほとんど脚本決定稿が印刷台本にされることはないそうだが――最悪の時は、脚本を読んで書いているとも思えない内容の絵コンテが出来たのがアフレコの数日前で、アフレコに使われる映像は、絵コンテのカットそのままである。
 TVアニメとして、『ポケモン』は他のアニメと比べて極めて良好な状態で制作されていた。
 視聴率も悪くない。
 子供たちへの評判もいい。
 ゲームの売り上げも好調……。
 ゲーム「ポケモン」のアニメ化は、うまくいった。
 誰もがそう思っていただろう。
 それがなぜ、あんな事件を起こしてしまったのか?
 元気に走っていたのが、いきなり落とし穴に落っこちた……まさにそんな気分だった。
 事件の起こった2日後、TV局は『ポケモン』放映の停止を決めた。
 視聴者の多くが倒れた原因が解明され安全の確認ができるまで放映できないというのは、TV局としては、当然の処置かもしれない。
 そして毎週定例の脚本会議の日がやってきた。
 もちろん、書きかけの脚本は、全てストップだが、その日は、事件後、脚本制作メンバーが、互いの顔を合わせた初めての時でもあった。
 笑顔も冗談もなかった。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 退院後、1日2本のペースで映画を見ている。
 なんだかしらないが、アニメを除く日本映画が好調である。
 「おくりびと」を筆頭に、「容疑者Xの献身」「パコと魔法の絵本」「イキガミ」「アキレスと亀」「デトロイト・メタル・シティ」。
 それぞれ、それなりに面白い。
 どれもこれも、「お上手……よくできました」である。
 「パコ……」のCGアニメと実写の切り替えの巧みさなど、見事だと思う。
 日本映画で箸にも棒にもかからないと思ったのは「20世紀少年」ぐらいだ。
 しかし「お上手……よくできました」の次に「でもなあ……」がついてしまう。
 素材も演出もそれぞれ特徴があって面白いと思うのだが、「でもなあ……」の部分が脚本なのである。
 どれもこれも登場人物が脚本の教本からでてきたようにパターンなのだ。
 パターンの人間像は、演じやすいのである。
 人物像がパターンだから、俳優の個性がものをいう。
 登場人物の持つ本来のキャラクターより、俳優のキャラクターが前面にでてしまうのだ。
 本来、登場人物にあわせて俳優を選ぶべきなのに、事実そうしているはずなのに、俳優の演技がめだってしまう。
 素材はちがってもストーリーやテーマがパターンだから、音楽がやたら耳に残り、ストーリーとテーマを語ってしまう。
 人物やストーリーやテーマが分かりやすいパターンだから、俳優の演技や音楽が印象に残るのだ。
 現実の人間って、世界って、こんなに分かりやすいのだろうか?
 現実の世界にBGMが流れているんだろうか?
 どんな素材を使いどんなテーマを描こうとかまわないが、まず脚本は、現実の世界や現実にいる人間をよく観察して、そこから登場人物のキャラクターを作り動かしてみたい。
 登場人物のキャラクターやテーマより、演じる俳優や音楽が目立ってしまうのは、やっぱり脚本が弱い気がする。
 もっとも、虚構と現実のあいまいな世界観を描くことに固執して、人間がどこにいるのか分からず戦闘シーンだけ見せ場になっているアニメよりは、どの映画もましな気がする。

   つづく
 


■第162回へ続く

(08.10.29)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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