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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第168回 『ミュウツーの逆襲』市村正親氏

 ミュウツーの声をやっていただいた市村正親氏のことを、『ポケモン』のアニメスタッフは、よく知らなかったようだ。
 『ミュウツーの逆襲』のタイトルに出てくる役である。
 映画やTVに出てくる有名な芸能人を使うつもりではいたようだが、監督の推薦する市村正親氏とは誰か?
 プロデューサーの方達の関心は、観客を呼べる全国的に知名度の高い人を探していた。
 事実、今もそうだが、劇場アニメには声優をあまり使わず、人気のあるアイドルや話題性の高い俳優に声を演じてもらうことが多い。
 忙しい彼らのスケジュールを合わせるのは大変なような気がするかもしれないが、今の録音技術では、さほど難しいことではない。
 たとえば、AとBとCが会話しているようなシーンの場合、Aだけのセリフ、Bだけのセリフ、Cだけのセリフをまとめて、それぞれ別の日に録音し、あとで、それぞれのセリフをつなげて、あたかもAとBとCが同じ場所にいて会話しているようにみせるのは、簡単である。
 アニメーションは絵で、実物の彼ら本人が写るわけではない。
 必要なのは声だから、3人そろってアフレコ現場に集まる必要はないのである。
 相手もいないのに、それぞれ、相手の反応を見ずに自分のセリフだけしゃべって、それを録音技術でくっつき合わせて、それが会話をしている声の芝居として成立するかどうか、僕本人は疑問だが、実際にアニメではよくおこなわれているようだ。
 これは実写映画でも行われる技法で、二大名優スター競演の売りが映画で、事実2人の名優が会話をしたり、ともに行動したりするのだが、ひとつの画面に一緒に写っている場面は、ほとんどない映画がある。
 つまり、Aのしゃべっている画面とBのしゃべっている画面をまとめて取り、それを、交互につないで、あたかも2人が会話しているように見せているのである。
 目の前にいない相手に向かって話すのだから、それをしっかりやってのけるのが名優たる所以であろう。
 男女のラブシーンのある映画で、実は撮影中、その男女の俳優が一度も会ったことがない、という映画があっても不思議はないのである。
 各々のラブトークと恍惚(?)の表情を別々の日に撮影し、後で、そのフイルムを交互につないで編集すれば、熱烈に愛し合う2人の男女のシーンなど簡単にできる。
 だが、それは、確かにラブシーンには見えるが、いくら役者の芝居とはいえ本当にラブシーンと呼べるだろうか?
 まあ、それはさておき、アニメのアフレコでは、声の演技者が見えないから、スターを声に起用するのは簡単である。
 そのスターのセリフだけ、まとめて録ればいいのである。
 これは、セリフや会話で勝負したい脚本家にとっては、かなりつらい状況である。
 登場人物のセリフの部分だけ、それぞれ別にとって、あとで会話しているようにつながれても、それはセリフのパズル合わせで、会話の芝居として成立していない場合が多いのである。
 余談に聞こえるかもしれないが、アニメのアフレコは昔、フイルムを画面に映して音を入れていた。
 映写機でフィルムを回すから、1巻7分ぐらい、ぶっ続けでアフレコが行われる。
 声優がセリフを失敗すると、その部分は当然録り直しになる。
 フィルムをその部分まで巻き戻さなければならない。
 これには、えらく手間がかかる。
 したがって、声優の失敗があまり多いと困ることになる。
 できるだけ失敗のない、しかも芝居のうまい、おまけにそんな状態でアドリブまでこなせる俳優となると、そうは多くない。
 昔は、舞台の役者さんが、アルバイト代わりに声優をしていて、いつの間か声優が本職になった人がいたが、それは、セリフを語るのに失敗のない、しかもそれなりの演技や芝居ができ、予測しない出来事がいつ起こるかもしれない舞台上で機敏に対応できる……つまり、お芝居の基礎のしっかりしている人が多かった。
 そして、失敗は許されない緊張感もあった。
 声優は、声だけでなく、演技力のある芝居のできる人が必要だった。
 だが、今は、ビデオでアフレコをする。
 ビデオ画面にはカウンターがついていて、失敗した部分を簡単に取り出し、やり直しができる。
 会話の途中のセリフを間違えれば、そこだけを録り直せばいいのである。
 いわゆる、抜き録りと呼ばれているものだが、今のアニメのアフレコは、常識のように抜き録りが頻繁に行われる。
 芝居は、演技は、様々なセリフや動作が絡み合い、演技者の感情が揺れ動いて、それがまた様々なセリフや動作に反映して成立する。
 芝居には流れがある。
 ひとつのセリフを間違えて、そこだけ抜き録りしてしゃべられたセリフは、「文字づら」は同じでも、感情の流れまで同じに表現できるはずがない。
 それまでの芝居の流れにぴったりはまるはずがないのである。
 抜き録りの簡単な今のアニメは、極端な話、やろうとおもえば抜き録りだけで声はでき上がってしまう。
 そこには芝居や演技の流れがないから、セリフの1、2行がしゃべれれば、誰でも声優がやれてしまう。
 かくして、芝居や演技のできない、ルックスや聞き心地のいい声質だけの声優が蔓延することになる。
 彼ら、彼女らのセリフ回しは、芝居、演技ができないという意味でのワンパターン声優演技である。
 ついでに、ギャラも安いだろうし……。
 歌でも歌えれば、なおさら付加価値がつく。
 アニメのCDが売れる。
 このワンパターン声優演技は、脚本家にも影響していると思うときがある。
 脚本に出てくるセリフや芝居が、パターン化してくるのである。
 若い脚本家は、アニメを見て育った人が多いから、それが当たり前だと思っている。
 原作ものアニメ全盛のこの時代、ストーリーやキャラクターは原作からいただき、セリフと芝居は、ワンパターン。
 だったら、アニメに脚本なんかいらないよ……と言われても仕方ない時代は、すぐそこまできている気がする。
 ま、いずれにしろ、声優がそういう状況だから、興行的失敗のできない劇場アニメとしては、本来の声優としての実力がなくても、抜き録りで声が入れられるのなら、ギャラが高くても、観客動員力のあるスターを使ったほうが効果的だと思うのは当然である。
 ワンパターン声優演技の臭みが嫌だという演出家もいるだろう。
 スターやアイドルは演技力は???でも、オーラというか、魅力的な雰囲気がある。
 それが、声にも出てくる。
 アニメに演技や芝居を求めなければ、今時のアニメ声優臭さよりよっぽどましと思う演出家もいるだろう。
 まして、それが興行成績を左右するなら、なおさらである。
 『ポケモン』の劇場版としては、狙いは当然、興行の成功である。
 ミュウツーの声は、そのキー・ポイントのひとつである。
 しかし、監督の推薦した市村正親氏は、ほとんどのプロデューサーにとって無名の人だった。
 だがそれは、日本の演劇界をあまりに知らなさすぎたからだった。
 あるプロデューサーは、バーだかクラブだか知らないが、そこのお姉ちゃん達(ビートたけし流の呼び方です)に聞いたそうである。
 「市村正親って知ってる?」
 と……。
 「嫌だ、市村正親、知らないの?」
 と、お姉ちゃん達から笑われたと、頭をかいていた。
 つまり、市村正親氏は、日本演劇界、特に日本のミュージカル世界のトップの1人といって過言ない大スターだったのである。
 TVにあまり露出しない舞台の人だから、アニメやドラマやアイドル系にしか視界がなかったプロデューサー達の目に入らなかっただけで、TVなんかどうでもいい演劇、ミュージカル好きの方達にとっては、市村正親氏の名は、知らないと馬鹿にされるような存在だったのである。
 僕よりひとつ年上だと思ったが、演劇界、特にミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」日本版で派手に目立った役をやってから、トップランナーとして走り続けてきた方だ。
 つい最近、再演された、当たり役ともいえるミュージカル「ミス・サイゴン」のエンジニアという狂言回しのエネルギッシュぶりなど、僕よりひとつ年上とはとても思えない。
 ストレートプレイ(普通の演劇)はもちろんだが、僕にとってはやはり、日本のミュージカルの代表的役者として元気いっぱいの熟達が、市村正親氏だった。
 元気と向上心は僕も見習いたいものである。
 『ポケモン』以前にも、映画界にそんな市村氏に目をつけていた方はいたようで、それまでにティム・バートンの『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』というミュージカル風劇場アニメの主役の声をやっていた。
 早速、プロデューサー達は、その映画のビデオを取り寄せて検討を始めた。
 ミュウツーの声に市村氏が決まりそうだというので、あまりに僕が喜んで、いかにも僕の脚本にでてきそうな人物像なので、僕が市村氏を要望したと勘違いした人もいたようだが、実際は総監督の要望で、その人選には全く僕はタッチしていない。
 では、なぜ総監督が市村氏を推薦したかというと、おそらく氏がロイド・ウェバーのミュージカル「オペラ座の怪人」の日本版の主役だったからである。
 この総監督との作品で『魔法のプリンセス ミンキーモモ』があるが、この作品、色々なミュージカルをかなり意識していた。
 当然、日本の舞台ミュージカルも総監督の視野に入っていただろう。
 そして、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の優秀なスタッフの1人に、「オペラ座の怪人」のリピーターがいて、『ポケモン』に市村氏が出る事をずいぶん喜んでいたと、総監督から聞いた覚えがある。
 「オペラ座の怪人」の内容をここで述べるのは冗長になるので避けるが、主人公の才能がありながらも暗く屈折した人物像は、たしかに『ミュウツーの逆襲』のミュウツーと同質のものかもしれない。
 ミュウツー役に市村氏を起用しようとしたのは総監督の慧眼である。
 総監督の要望が通り、市村氏のミュウツー役が決まって、なにより助かったのは僕だった。
 『ミュウツーの逆襲』のテーマは「自分とは何か?」である。
 僕が子供の時からいつも考えていたこと……ほんとうは、いつもというのは言いすぎだけれど……。
 たぶん、そのテーマは世界に通用する。
 作品の途中経過がどうなろうと、僕はラストにいれるセリフは決めていた。
 サトシ「でもなんで、おれたちこんなところにいるんだろう?」
 カスミ「さあ、いるんだからいるんでしょうね」
 ピカチュウ「ピカ」
 サトシ「ま、いいか」
 ピカチュウ「ピカ」
 そして、忘れ去られたようなロケット団トリオは、周りが何にもなくなっても、自分たちは生きている。
 だから……。
 「きれいさっぱり、いいかんじ〜!」
 ロケット団のラストの決まり文句は「やなかんじ〜!」で、この映画で初めて「いいかんじ〜!」が出てくるのである。
 「自分とは何か?」
 の答えは、これしか僕には用意できない。
 あとは皆さんご自分で考えてください……でも「自分とは何か?」をちらっと考えてみてもいいですよね……。
 で、『ミュウツーの逆襲』は終わるのだが、ファーストシーンが見つからなかった。
 だが、ミュウツーを市村氏がやることになり、僕としては、あまりに恥ずかしい……しかし、一度はやりたかったファーストシーンを書ける自信ができたのである。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 いままでの過去話は小休止して、今回はちょっと個人的なお知らせです。
 『ポケモン』のシリーズ構成(シリーズ・コンストラクション)を止める以前の作品関係(主に脚本)のほとんどは、小田原市立図書館に納めていただきましたが、図書館の方々のご苦労で、そのリストができ上がり、インターネットの図書館のホームページからダウンロードできるようになりました。
 最近は、アニメの脚本決定稿が印刷製本されることは少ないようです。
 そういう意味では貴重かもしれません。
 実写など、準備稿まで印刷されて製本されていました。
 今は、制作会社にも昔の脚本は残っていないようです。
 企画書、設定資料、AR台本、絵コンテ、セル画、ポスターの原画、外国版ビデオ、同人誌など、普段、見かけないものもリストに入っています。
 僕の脚本でTVで初めて放送された「大江戸捜査網」から『ポケモン』まで、物書きとしての僕に関するほとんどがリストされ、お恥ずかしい限りですが、僕がシリーズ構成した過去の脚本のほとんどですから、その中には、今は著名な脚本家の方々の若き日のやる気のみなぎった脚本(今は違うと言う意味ではありません)なども紛れ込んでおり、よほどの暇と興味のある方は、リストをダウンロードしてご覧ください。
 現物の閲覧は、手続きをとればできるそうです。詳しくは、図書館のホームページをお読みください。
 まずは、ご報告まで……。
 来週からは、また。ワルクチ?三昧に戻ります。
 では……。

   つづく
 


■第169回へ続く

(08.12.17)

 
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