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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第182回 『ミュウツーの逆襲』公開

 暗い、重い、爽快感がない……そんな否定論のあるなか、劇場版『ミュウツーの逆襲』は公開された。
 同時上映は『ピカチュウのなつやすみ』という短編がついていた。
 これは、人間が姿を見せない短編で、幼児の観客向けに作られたとりたててストーリーがあるわけでもない、ポケモンだけが登場し、ナレーションでポケモン達が遊ぶ様子を語る作品だった。
 当初、これも僕が書く予定だったが、僕としては『ミュウツーの逆襲』を書くだけで精いっぱいで、短編は別の脚本家の方にお願いした。
 初日は、おそらく関係者すべてが、不安と期待の入り混じった感じだったろう。
 僕自身は小田原にいたが、当時あった市内の映画館(現在、小田原市内に映画館はない)に様子を見に行くのが怖くて、作品を観ていない家族にも、初日には行くなと言って(前売券は10枚ほど貰っていた)、仕事場で、劇場の入りを気にしながらも別の脚本を書いていた。
 だが、やはり劇場の入りが気になって仕事にならず、結局、見たくもないTVを一日中、見ていた記憶がある。
 『ミュウツーの逆襲』のスタッフ内の評価自体が賛否両論(特に製作上層部の否定論が気になった)だっただけに、なおさら気になった。
 客の入りが悪ければ、総監督ともども、脚本の僕も非難にさらされるだろう。
 特に『ミュウツーの逆襲』は、僕の趣向があからさまに出ている脚本内容だ。
 当初、製作陣が考えていた爽快な冒険活劇ではない。
 次の日、制作会社に電話をした。
 「初日の入りどうでした?」
 弾んだ声が返ってきた。
 「大入りです。大ヒットになるかも……」
 ほっとした。
 てくてく、上映している小田原の劇場まで様子を見に行った。
 たいして客席の多くない劇場の前が、親子連れで混雑して、とても入場できる感じではなかった。
 数週間して、また劇場の前に行くと、親子連れがいて、小学校の低学年らしい子供が泣いていた。
 たまたま見にきた回が満員で、次の回を待たなければならないが、親に用事があって、次の回が待てないらしい。
 僕は持っていた前売り券を2枚出し、その子の親に「僕、この映画の関係者なんですが」といい、その子に前売り券を渡し、「また今度、お父さんかお母さんの時間のある時に連れてきてもらったら?」
 前売り券を貰った子供は、びっくりした顔で泣きやみ、その子のお母さんも驚いたらしい。
 その方は、僕に何度もお礼を言うと子供に……
 「明日、きっと連れてくるから今日はね」
 子供はうなずき、帰っていった。
 地方都市の劇場でさえ、こんな状態だった。
 僕がうれしくないはずはない。
 後日、その劇場で『ミュウツーの逆襲』を観た。
 気になるのは、観客の反応だった。
 僕は、劇場上演の子供向けミュージカルをいくつか手がけている。
 子供が芝居や歌に飽きて騒ぎだすと劇場内を走る、わめく、泣く。そうなったら芝居はぶち壊しで悲惨な結果になる。
 いかに子供を芝居に集中させるかが、子供向けミュージカルの成功の秘訣である。
 そして、子供を連れている親たちも満足させ、もう一度見ようという気にさせる内容でなければ、入場料がけして安くない、舞台ミュージカルの続演、再演は不可能になる。
 つまり、ぬいぐるみを使うような、いわゆる子供だましの舞台ミュージカルでは通用しないのだ。
 大人と子供の両方を引きつけるミュージカルは、かなり難しいのである。
 その台本と作詞をいくつも書いている僕は、子供向けミュージカルを成功させるノウハウがある程度身についてしまったようだ。
 しかし、映画ではどうか。
 映画館では、ほとんどが、親子連れである。
 子供だけが見ているTVアニメとは違う。
 大人と子供の、それぞれの受け取り方が違うにしろ、映画を見て家に帰って「面白かったね」と話し合える作品が理想である。
 併映の短編は、ポケモンが出てくるだけで幼児たちは喜んでいる。
 しかし、大人は「やっぱり、お子様向けか……」の家族サービス、子供にお付き合いのしらけムードが漂う。
 子供向け舞台ミュージカルを手がけている僕は、そんな雰囲気にわりと敏感である。
 そして、『ミュウツーの逆襲』が始まる。
 はじめは、子供とお付き合いムードだった大人たちの態度が、冒頭のミュウツーの台詞「ここはどこだ? 俺は誰だ?」から雰囲気が変わってくる。
 併映短編のお子様向きとのギャップに戸惑う。
 やがて、大人も子供と一緒に映画に集中してくれている雰囲気が、僕には伝わってきた。
 そして、『ミュウツーの逆襲』が終わった時、子供向けの映画に付き合うつもりだった気分が、なにか違うものを見せられたような雰囲気になっている。
 『ミュウツーの逆襲』への観客の反応は、作品の出来うんぬんよりも、劇場アニメ映画として、僕が望んでいたものに近かった。
 もっとも、劇場の売店で売っているポケモングッズを子供にせがまれて、「あ、やっぱりお子様映画だったんだ」という気分に引き戻されるのだろうが……。
 結果、『ミュウツーの逆襲』は空前の大ヒットだったそうだ。
 日本で『ミュウツーの逆襲』の稼いだ額が70億とか80億以上とか、僕の金銭感覚ではよく分からないが、関係者もびっくり仰天の結果になった。
 もちろん、日本国内に限れば、それ以上稼いだアニメ作品にスタジオジブリのアニメがあるのは、皆さんご存知のとおりである。
 作品の質の違いも、僕が言う筋合いではないだろう。
 少なくとも、その後作られた何作もの『ポケモン』映画の中で、今のところ興行収入面で『ミュウツーの逆襲』の記録は破られていないようだ。
 『ミュウツーの逆襲』は最初の『ポケモン』映画であり、最高に稼いだ『ポケモン』映画でもあった。
 『ミュウツーの逆襲』の予想を超えるヒットについては、色々な理由が取りざたされている。
 文字どおり、百家争鳴である。
 で、おそらくそれらの見解のほとんどが間違っていないと思う。
 僕としては、日本国内でベストワンの成績になったわけでもなく、それよりも多くの人に見ていただけた事がうれしかった。
 多くの人に見ていただければ、それだけ多くの様々な感想が生まれる。
 それでいいのである。
 作品のテーマを観客に押しつける気はない。
 何かを感じてもらえばいいのだ。
 映画は、どんな評価を受けようが、まず多くの人に観てもらわなければ話にならない。
 もちろん、観てもらう人たちを前もって作り手が限定し制作する映画もあるが、『ポケモン』映画は、観ていただく相手を選ぶ作品ではない。
 しかし、日本での大ヒットに、僕自身はうれしいものの戸惑ったことも確かである。
 そこそこヒットはしてほしかった。
 しかし、ちょっと観客動員数が多すぎるのが怖い気もしたのである。
 日本人は何事かあると、あまり深く考えずにどーっと集まるふしがある。
 思いが、一方向に固まる傾向がある。
 群衆心理といえるかもしれない。
 もちろん、細かく考えれば、いわゆる日本人が、けっして同一民族であるとは思っていない。
 いわゆる、日本語を国語とし日本人意識を持っているという日本国民という意味の日本人である。
 日本人って、なんだか知らないがどーっと固まって流れて、よく考えれば勝てそうもない戦争をやってしまった過去のある国民である。
 集団心理が動き出すと、歯止めが効かないところがあるような気がする。
 それが、僕には怖いのである。
 自分が『ミュウツーの逆襲』に関わっていながら、こんなことを書くのはどうかと思うが、僕としては日本でのヒットはそこそこでよかった。
 余計なことを書いて叱られるかもしれないが、ジブリのアニメ『となりのトトロ』は素敵な作品で、そこそこのヒットでよかったと思う。
 しかし、それ以降の作品は、それなりに悪くないとは思うが、あれほど大ヒットしていいのだろうか?
 誰もが観なければいけないようなアニメだろうか?
 日本人なら観なければいけないような気持ちにさせる作品――もちろん、ジブリの方達にそんな気はないだろうが――を作ってしまうのに加担するのが、僕は怖いのである。
 さらに余計なことを書けば、押井守氏監督の作品群がある。
 どの作品もある種の一貫した志向や感性を僕は感じるのだが、僕の好みではない。だが、それを好きな人が多いのも分かる。だから、そこそこヒットする。それでいいのである。
 だが、彼の作品群がジブリ級のヒットをしたら、僕は恐怖を感じ、日本から逃げ出すだろう。
 そんな感覚が僕にはある。
 だから、『ミュウツーの逆襲』の日本でのヒットは、うれしくもあり、いささかの怖さもあり――なにしろ、『ポケモン』アニメは、脚本自体に罪はないとはいえ、あのピカピカ事件をおこしているのである――素直におめでたく喜べない複雑な気分でもあった。
 当時の僕は、そんな気持ちが態度に出て、どこかしらけているように見えて、『ポケモン』スタッフからはそうとう変な奴だと思われたかもしれない。
 だが、相手が日本だけでなく世界ということになると、話は別である。
 『ミュウツーの逆襲』は、最初から世界(特に欧米)へ持っていく事を前提にして作れと、上層部から言われていた。
 日本の映画は、専門家や一部の映画ファンには高い評価を得ていたが、一般の欧米人にはほとんど通用しなかった。
 『ミュウツーの逆襲』は、世界に通用するのか?
 「ポケモン」のゲームやキャラクターは、そこそこ海外に浸透している事は聞いていた。
 しかし、映画はゲームではない。
 テーマとストーリーがある。
 世界の様々な人々に通用するテーマやストーリーなら、それはある意味、世界の人たちに普遍的に通用するテーマでありストーリーのはずである。
 脚本を書く僕ができるのは、それを見つけ出すことだと思っていた。
 だから、僕は日本の反響より、海外が気になった。
 もちろん、海外でヒットすることなど予想どころか考えもしなかった。
 ただ、日本発信の映画『ミュウツーの逆襲』が、世界に通用するかどうかが僕の最大の関心事だった。
 主人公達がバトル(それが戦いであろうと政治であろうと人間関係であろうと、たとえ恋愛であろうと)で勝敗を決するテーマやストーリーは、ハリウッド映画に山ほどあり、日本映画よりはるかに世界に通用している。
 日本映画は、バトルテーマでは、ハリウッド映画、いや他の欧州映画にすらかなわないだろう。
 僕は世界に通用させるには、バトルの勝敗を超えたテーマが必要だと思った。
 それが、「ポケモン」のゲームの本質と違ってもだ。
 結果を先に言えば、『ミュウツーの逆襲』は全世界で公開され、アメリカで『Poke'mon The First Movie』として公開、興行収入8000万ドルを記録し、日本映画初の週間興行ランキング初登場第1位だった、アメリカでの初日の興行収入は1010万ドルで、アメリカにおける日本映画のそれまでの興行収入記録だった『Shall we ダンス?』の950万ドルを初日のみで更新したんだそうである。
 ちなみにその後、日本映画のアメリカにおける興行で2位になったのは、『ポケモン』映画2作目『ルギア爆誕』だそうだ。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 脚本の著作権について書くと、反発も多い。
 まず、著作権売り渡し契約をした脚本家の方達の反発。
 当然、権利を買い取ろうとしている制作会社は、余計なことを書くな、言うなと思っているだろう。
 実際、昔、某制作会社から、
 「あんたの持っている権利は、特例なんだから、他の人に言うと特例を取り消すぞ」
と警告されたこともある。
 困るのは著作権を持っていない音楽や脚本以外のアニメ制作パートの方達の反感。
 「ろくな脚本を書かないくせに、印税だけとりやがって……」
 僕には覚えがないが、陰口でそう言われている脚本家もいる。
 僕は各パートの方達が著作権を持つのが理想だと思っている。
 しかし、脚本家は、自分の著作権を守るだけで窮々としているのが現実である。
 他パートの方達の権利を考える余裕はない。
 みなさんがみなさんの力で権利を取ってください、と言うしかないのである。
 僕も、コラムにこんなことを書いて、無駄に敵を作りたくはない。
 でも、乗りかかった船で続ける。続けろ、という方もいる。
 僕が脚本を書きだした頃は、セルビデオもレンタルビデオもなかった。
 ビデオもベータだVHSだと言っている頃である。
 二次使用料なんて話にも出なかったし、せいぜい、映画がTVで放映される時に脚本家の地位が取りざたされるぐらいだった。
 新米の僕なんか、映画の脚本など書いていなかったから、関係のない話である。
 なにしろ再放送の時に、CM時間のために脚本家の名前が出なかった事もあった時代だった。
 僕自身、ビデオデッキを持っていなかったし、買おうにもテープが高いから、当時出始めた三倍速のVHSビデオを画質が悪くても買おうかなと悩んでいたのを記憶している。
 つまり当時は、少なくとも僕には著作権で金銭問題が入り込む余地がなかったのである。
 しかし、金銭が絡まなくても、僕自身は、脚本家には著作権があると思い込んでいた。
 僕は子供のころから書くと言う作業が嫌いだったが、たまに、人から言われて、いやいや作文のようなものを書くと、必ずなんとか賞を貰い、印刷物や新聞に名前が出たし、それなりの賞品やわずかだが金銭をいただいていた。
 意地汚いガキだが、何も貰えそうにないものは文章なんて書かなかった。
 学校の宿題の作文なんか、全部、さぼっていた。
 格好よく言えば、ボイコットである。
 そのくせ、鉛筆のデッサン画やクレパス画や水彩画は、自発的に描いていたから、昔は、画家になればよかった……などと酒に酔うと叫んでいたらしい。画家は、時として作曲家、物理学者、料理人様々に変わる。
 当然、どれも無理だけれどね。
 でも、少なくとも、小説家や脚本家はなかった。
 だから、何もいただけない文章を書いたのは、学校の国語のテストや試験の解答の短文ぐらいである。
 落書きも文章は嫌いだった。
 だから、人の悪口と思われかねないものを書いたのは、このコラムくらいである。
 つまり、真面目に書いたものには、何らかの報酬、権利がついてくるものと思い込んでいた。
 新聞や雑誌を読めば、ベストセラー作家の、明るく楽しい印税生活の記事などが載っているし、著作権や印税など作家として当然だと思っていた。
 しかし、何の見返りもない文章を書かなければならない時期がやってきた。
 大学入試に落ちて、予備校の代わりにシナリオ研究所というところに通いだした。
 そこで、20枚シナリオという練習シナリオを書けという。
 練習シナリオだから、当然、ギャラはない。
 何も見返りのない原稿を書くのは、僕にとっては、カルチャー・ショックだった。

   つづく
 


■第183回へ続く

(09.04.22)

 
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