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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第183回 『ミュウツーの逆襲』疲れました。

 他のスタッフの方たちの気持ちは知らないが、日本における『ミュウツーの逆襲』の予想を超えるほどのヒットは、僕にとっては、うれしくないと言えば嘘になるが、戸惑いというか、正直にいえば困ったなあと感じたことも確かである。
 人は誰もがそうだと思うが、現状以上のものを求めたがる。
 『ミュウツーの逆襲』は、公開前と違い、日本での大ヒットが現状になってしまった。
 次のポケモン映画は、それ以上のヒットが求められる。
 まして、公開前は、暗い、重い、爽快感がないと上層部に否定論のあった『ミュウツーの逆襲』である。
 『ミュウツーの逆襲』の内容は、上層部の方が本来望んでいたテーマやストーリーとは少し違うものだったと思う。
 そのせいか、『ミュウツーの逆襲』のテーマは「命の尊さ」を訴えている……などというわかりやすい発言で、ヒットの要因を上層部の方は語る。
 確かに、『ミュウツーの逆襲』のテーマに「命の尊さ」の要素がないわけではない。
 でも僕にとっては、そのテーマは、あったとしても傍系でしかない。
 「自己存在への問い」「差別」「バトルの否定」が重きをなしている。
 しかし、上層部から「自己存在への問い」などという難しい発言は出てこない。
 制作指揮を執る者として、そのテーマが分かっていたとしても、本来ヒットを狙って作られる子供を対象とした商業アニメで、そんな小難しいテーマを表現したとは言えないだろう。
 なにはともあれ、日本での大ヒットは、現実になってしまった。
 次回作を作るなら、僕としては、『ミュウツーの逆襲』の延長上のテーマにしたい。
 それが、本来上層部が狙っていた痛快娯楽活劇になるわけがない。
 しかも、それが『ミュウツーの逆襲』を超える内容の作品になり、『ミュウツーの逆襲』以上のヒットになる自信は、僕にはない。
 しかし求められるのは、『ミュウツーの逆襲』を超えるヒットに違いない。
 やはり、普通の考えなら、『ポケモン』でヒットさせるなら、痛快娯楽活劇の爽快感が必要だろう。
 もし、次回作が前作を超えるヒットを記録できなければ、それは他の日本映画と比べたらそこそこのヒットであろうと、上層部から苦情が出るに違いない。
 「そもそもポケモン映画は、そのまま、普通に痛快娯楽活劇の映画にしてもヒットするものだったんだ。それを、余計な内容を盛り込むから、次回作は前作を超えるヒットが記録できなかったんだ」
 前作を超えなければ、何を言われるか分らないのである。
 それを考えると、頭が痛くなった。
 先のことなど考えずに、現状の『ミュウツーの逆襲』のヒットを素直に喜んでいればいいものを、僕はそういうタイプではないらしい。
 僕は、『ポケモン』以前にも、そういう気持ちに襲われたことがある。
 「日本アニメ大賞」(通称、手塚賞などとも呼ばれていたような気がするが、今はない)の第1回脚本賞を(『魔法のプリンセス ミンキーモモ』と『さすがの猿飛』と『まんがはじめて物語』が対象作品だったそうだ)選考委員ほとんど一致の結果でいただいたことがある。
 選者の方から「なにしろ首藤さんは第1回目の受賞者だから、この先、何人受賞者が出ても、この賞の名前が出るたびに首藤剛志の名前はずーっと出てきますよ」と。おそらく激励の意味で言われたが、実はそう言われて、すごく気が重くなったのである。
 「第1回の受賞者で名前が残るなら、今後、その受賞に恥じない脚本を書き続けなければならない。まだ30歳そこそこなのに……とんでもないことになった」
 賞なんていただかなければよかった。
 そして、思った。
 「脚本を書くのを辞めるなら今だ。今なら惜しまれつつ脚本家を辞められる」
 だが、現実は、ずるずる物書きを続けている。
 このコラムを書きながらも、あの時、物書きを辞めておけばよかったと思う時がある。
 あの時以後、僕の関わった作品に対する賞はいいとしても、僕個人に対する賞らしいものは、いただいても自分がめげるだけだから、辞退することにしている。
 ひねた言い方に聞こえるかもしれないが、あの時、賞をもらってよかったのは、当時、存命中の手塚治虫氏とお会いしてお話ができたことと、いわゆるアニメファンとは、無縁な作品であるはずの『まんがはじめて物語』――この作品、文化庁などのお堅い賞はいくつもとっている――のスタッフがずいぶん喜んでくれて、放映している放送局の名目で、お祝いの記念品をいただいたことである。
 その放送局、当時はドラマと報道の放送局として知られていて、アニメファンが喜びそうなアニメには無関心のようだった。
 そんな中で、教養番組的アニメに関わっていた方たちが、なんだか僕の脚本賞をいちばん喜んでくれているようなのが、いささか不思議な感じもして、それがうれしかった記憶がある。
 そういう僕だから『ミュウツーの逆襲』の予想以上のヒットに対して素直じゃないのである。
 ヒットに対する世間の反響も、「ポケモン」ブームに対する驚きであり、映画の内容に対してのものは、ほとんどなかった。
 「ポケモン」に関係のない某アニメ製作会社の社長が僕に言った。
 「なぜ、『ポケモン』はあんなにヒットしているんだろう」
 僕が答えないうちに、彼は自分で答えを出して、勝手に自分に頷いた。
 「キャラクターだよ、アニメはキャラクター……ピカチュウだよ。『ポケモン』のヒットはピカチュウがいるからだよ」
 僕も否定はしない。多分、ピカチュウもヒットの大きな要素だろう。
 しかし、この社長の会社のアニメ作品に比べ、『ポケモン』アニメは、スタッフがはるかに丁寧に誠実に作っていたことは確かである。
 制作上層部も、ヒットへの情熱は人かどならぬものがあった。
 「アニメはキャラクターがよければいい」……それだけの考えだと、この社長の会社の作品は、いつか大失敗をしそうな気がして心配である。
 ともかく、「ポケモン」が大流行した……今もしていることは確かである。
 僕など、「『ポケモン』のブームに便乗して、好き勝手な脚本を書きやがって……」と、『ミュウツーの逆襲』の脚本について言われたことも知っている。
 否定はしない。そう言われたほうが楽な気もする。
 僕の知る限り、『ミュウツーの逆襲』で、「ポケモン」異常ブームという以外に内容について指摘したマスコミは、マイナーな映画雑誌といっていい「キネマ旬報」ぐらいである。
 「最近の日本アニメの内容は、実写を超えている。日本の実写映画の作り手も考えなければいけない」例として挙げられているのが、『ミュウツーの逆襲』と『クレヨンしんちゃん』だった。
 僕が気にしていた海外の評価も、ポケモンブームへの驚きがほとんどだった。
 ヒットの理由に、「ポケモン」をあつかう業者の宣伝のうまさを指摘する人もいる。
 上映館が、他の日本映画と比べ、圧倒的に多かったことを理由にする人もいる。
 さまざまな評価のほとんどが、たぶん正しいと僕も思う。
 ともかく、『ミュウツーの逆襲』のヒットは、日本のヒットどころではなかった。
 制作されて十数年経った今も、世界のどこかで公開されている。
 このアニメ映画の欧米諸国での人気は、他の日本映画と比べ桁違いといえるだろう。
 ただし、軽々しくは言えないが、イスラム教圏の評判はかんばしくない。僕はある程度それを予想していたが、理由は言わない。
 ほかの宗教圏については、よくは知らない。
 僕の聞いているのは主にキリスト教圏の評判であり、キリスト教といってもさまざまだから、本当に軽々しくは言えない。
 ただ、ある日本の大手新聞に、以下のような記事が載っていた。
 英国で上映中のころである。
 見出しは「ポケモン映画に神の教え」とある。
 その記事に対する僕の意見を書くと、いろいろ誤解が生じるので、記事をそのまま引用する。
 けっしてこのコラムを書く上での手抜きではないつもりなので、そのつもりで読んでください。

 (ロンドン9日=共同)ポケモン映画にはキリスト教の自己犠牲と救済のメッセージが盛り込まれている。英国で上映中のアニメ映画「ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」を見た英国国教会のアン・リチャーズ神学担当官が教会幹部へ提出する報告書でポケモンを称賛した。
 英紙ガーディアンによると、批評家には酷評されながらも子供には大人気のポケモンを、子供たちへの福音に使えるかどうか考えたリチャーズさんは「最初は、戦いの場面がたくさんあるので難しいと考えたが、映画を見て考えを変えた」と評価。
 戦闘を止めようとして殺された主人公のサトシに、心を持たなかったクローンのポケモンが涙を流してサトシを生き返らせた場面に、死と復活というキリスト教的メッセージを発見するとともに、作品の中に暴力の無意味さと愛の強さを感じ取ったという。ガーディアン紙は、このほかにもケント州の教会の若者リーダーがポケモンカードに触発され、聖書の登場人物によるカードゲームを考案するなど、宗教界でのポケモン見直しの動きを伝えた。

 そして、後の見出しに、「英国国教会担当官が称賛」とある。
 僕は、キリスト教信者ではないし、まして、英国国教会とはかかわりがない。
 そのことはコラムに書いておこうと思う。

 しかし、『ミュウツーの逆襲』を書くのはとても疲れた。
 いままで、書く行為が嫌いだが、ものを書いて疲れたことはなかった。
 しかし、今回は、なぜか、精神的に疲れた。
 「自分とは何か」という、僕自身が答えを見つけていないテーマを、「ポケモン」映画というメジャーな場所でやろうとしたからかもしれない。
 この映画を世界で公開するということで、身の程知らずに世界を意識しすぎたのが、疲れの原因かもしれない。
 欧米でヒットしたが、本当にこの映画が世界に通用したかどうかは、今も考えるだけで疲れてくる。
 『ミュウツーの逆襲』を書き始めたころから、医者から止められている酒(こっそりと飲んでいたが……)、煙草(こっそりと吸ってはいたが……)の量が明らかに増え、これはいけないと、市販の精神安定剤を代わりに飲み出した。
 『ミュウツーの逆襲』を書いていたころを思い出すと、今も「自分とは何か」「自己存在とは」を、いいおじさんになっているのに考え出して止まらなくなる。
 どうしてそうなるのか、精神医学や心理学まで、著名な専門家と話し、勉強した。
 答えはまだない。
 次回で『ミュウツーの逆襲』の話題については終わらして、先に進もうと思う。
 ポケモン映画の2作目「ルギア爆誕」にも、それなりのエピソードがあるのだから……。
 本来、このコラムの下、「昨日の私」では、脚本家の著作権問題と僕の関わりを書くつもりだったが、僕個人の話になるので、1回だけ後回しにして、『ミュウツーの逆襲』の話を終わらせるためにも、書いたのは『ミュウツーの逆襲』の後だが、ストーリーとしては『ミュウツーの逆襲』の前に位置する「ミュウツーの誕生」のプロットを載せておこうと思う。
 いつもの僕は、プロットを書かないで脚本を書く場合が多いのだが、ポケモンは制作関係者が多いので、意思の疎通を図るため、プロットを書いた。
 「ミュウツーの誕生」は、ラジオで、5回にわたって放送され、CDにもなったが、他のポケモン作品や関連商品と違い、あまり普及していないようなので、ここに載せた。
 多くの脚本家の皆さんが、脚本を書く以前にプロットを書くが、みなさんは、脚本を読む機会はあっても、プロットを読む機会は少ないと思う。
 ただし、皆さんが書こうとするプロットの見本になるかどうかは、わからない。
 僕の自己琉のプロットだからだ。
 ただし、このプロットが、関係者に読まれ、脚本のGOサインが出たのだから、いちおう、関係者に通用したプロットであることは確かだ。
 参考になればうれしいと思う。

   つづく

 ※なお、ラジオ脚本とアニメ脚本にも違いがある。以下のプロットが、どうのようにラジオ脚本化されたか。「ミュウツーの誕生」のラジオ脚本も掲載しておこう。


●昨日の私(というよりも、「ミュウツーの誕生」プロット)

○ラジオ「ポケモン」 「ミュウツーの誕生」プロット

 レギュラーメンバーの声をほとんど使えないことを前提に考えています。
 御意見よろしく願います。

○1話 アマゾン編
 TV編よりほぼ二十年前……。
 幻のポケモン……ミュウを捜し求める、女がいた。
 もしかしたら、それは、サトシの親戚かもしれない。
 (実は、ロケット団のムサシの母親の若き日かもしれません)
 アマゾンからアンデスまで、幻のポケモンをえんえんと追い求める女の執念の話が続く。
 ナスカの地上絵の中に描かれている、ミュウの絵。
 伝説を追って、アマゾンからアンデス山脈へ……。
 その、幻のポケモンは、アンデスの峰の上に、化石化した岩のように、たたずんでいる。
 まるで、キリマンジャロの雪の豹のように……。
 (ここいらは、幻を追いかける冒険者のロマン……を描きます)
 結局、アンデス山頂で、吹雪の中、女が手に入れたのは、ミュウのまゆ毛の化石だった。
 (BGMとして、アンデス系の音楽が使えるでしょうか)
 ミュウのまゆ毛を発見した女は、その後、リオデジャネイロで、記憶喪失した女として発見される。
 その手の平に握られている、まゆ毛の化石……。
 まゆ毛の化石は、その後、転々として、行方不明になる。
 (……まるで、北京原人の骨のように……ミステリアス調に語られます)
 ミュウを追い求めていた女性はその後、今も、行方不明です。

○2話 ニューアイランド研究所
 偶然、ミュウの化石を手に入れる某博士……。
 博士は、幻のポケモンのまゆ毛から、遺伝子による最強のポケモンを作り出そうとする。
 本来、博士は、人間のクローンを作りたかったのだが、その前にポケモンのクローンを作ろうとした。
 博士は、もともと、事故で死んだ自分の娘(ミー)を復活(再生)させたかったのだ。
 が、人間のクーロンはまだまだ無理で、娘は、完全な形では復活しなかった。
 博士は、不思議な生命力を持つポケモン(ミュウ)を復活させることで、人間の娘を復活させるヒントを得たかったのだ。
 試験管の中で、目覚めるミュウツー……。
 「自分がだれなのか……何のために生まれたのか?」
 まだ、自分がなんであるか……何も分からないミュウツーの前に、語りかけるもう一つの試験管があった。
 その中には、再生実験を、いまだに続けている、博士の娘、ミー(クローンの胎児)がいた。
 (胎児と呼ぶと語弊があるかもしれません。あくまでラジオでは、天使の声のような表現をしてみるつもりです)

○3話 語りかける声
 試験管の中のミーはミュウツーに、様々な人間の知識を教えてくれる。
 親の愛……やさしさ……夢……生命の神秘……試験管の中からとはいえ……誕生することの、希望……。
 ここで、ミュウツーは人間の言葉を覚えます。
 その会話の間に試験管の中のミュウツーは、いつしか自分を、人間だと思い込んでしまう。
 ミュウツーとミーは、まるで、兄と妹……姉と妹のように自分たちの未来を語り合う。
 この部分は、できるだけかわいらしく描きます。
 同時に聞こえるミュウの声……ミュウツーには、それが何なのかは分かりません。
 それはポケモンとしてのミュウツーの野生の呼び声なのかもしれません。
 しかし、ミュウツーの誕生への希望は、ミーの死によって吹き飛んでしまう。
 ポケモンほど、生命力の強くない人間のクローンは、細胞が老化してしまうのです。
 試験管の中のミーは、「あなたは生き続けてね……」という最後の言葉をミュウツーの心に残し……消えてしまいます。

○4話 ロケット団
 試験管から誕生したミュウツーは、自分が、人間でないことに気付きます。
 「自分は、誰なのか? 何のために生まれてきたのか」
 所詮は実験材料に過ぎないと知ったミュウツーは研究所を破壊します。
 そして、ロケット団のサカキとの出会い……。
 ロケット団と行動をともにして、世界制覇をめざします。

○5話 決別……そして、ミュウツーの逆襲
 ミュウツーはロケット団のサカキが、自分を利用しているだけにすぎないことを知ります。
 ミュウツーは、ロケット団の本部を破壊し、ニューアイランドの研究所に戻ってきます。
 人間と、人間に使われているポケモンに復讐することを誓って……。
 ここは、TV版の裏話風に展開させます。
 以上……
 (声に関しては、レギュラーメンバーを、ほとんど使わないつもりでいます)
 ミュウツーの声に関しては、試験管内のミュウツーは、幼児のミュウツーと言う考え方で、TV版の70話のニャース(「ニャースのあいうえお」で、ニャースが人間語を話せるようになるエピソード)とは違う……本当の幼児が言葉や人間の生活を覚えるようなフィーリングで描きたいと思っています。
 プロットですと、若干、暗く、重く感じるテーマですが、明るく描ければと思っています。

  首藤剛志

 以上 提出したプロットのままです。

   つづく
 


■第184回へ続く

(09.04.30)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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