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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第188回 「爆誕」

 『ルギア爆誕』の「爆誕」という言葉に妙な感覚を感じるのは僕だけかもしれない。
 爆発して誕生するものとしてまず最初にイメージするのは宇宙の誕生……ビッグバンである。
 ともかく世界はどんな原因かはしらないが、大きな爆発から始まったことになっている。
 この説を前提としなければ、昨年の日本人のノーベル賞もわけのわからないものになってしまう。
 当然、ビッグバン以前に何かがあったはずだという疑問がわくが、それをここでいっても話が物理学のほうになってしまうので止めておく。
 しかし。ほとんどの人が「爆誕」という造語を見ればビッグバンを思い浮かべるのではないかと思う。
 余計なことだが『まんがはじめて物語』シリーズに「バクタン」という架空の動物が登場するが、あの「バク」は夢を食うといわれる動物の獏を由来にしている。
 僕の言う「ばくたん」は「爆誕」と書く造語のことだ。
 しかし、1949年生まれの僕は、別の意味が頭に浮かんでしまう。
 僕はいわゆる「戦争を知らない子供たち」の一員である。
 1945年が終戦である。
 1945年8月の終戦はどうでもいいということはないが、まあ、どうでもいいということにしよう。
 日本軍が全滅した沖縄のそばの石垣島で父は生きのこり、僕が生まれた。
 その時父が沖縄にいたら、僕はいない。
 それよりその年8月、広島と長崎に爆弾が落とされた。
 日本の敗戦を決定づけた爆弾だった。
 その時、広島、長崎で母親の胎内にいた子供を胎内被爆者と呼んだ。
 なんとなく差別的な呼び方に感じた。
 僕が小学1年生の時、上級生にそんな子がいたのだ。
 文字どおり爆発の影響を受けて誕生した子供たちだ。
 この方たちは、被爆の影響を受けている。おおかれすくなかれ……。
 『爆誕』という題名を聞いた時、それを言って題名を別のものにしてくれと頼めば受け入れられたかもしれない。
 だが、酒が残っていたか睡眠薬のせいか、僕はぼんやりして黙っていた。
 だれも、『爆誕』という題名が気にならなかったようだ。
 ポケモン2作目はX(エックス)爆誕という仮名に決定、ルギアという名とそのデザインは後に決定……誰のアイデアか記憶にない。
 「爆誕」という造語は、誰からも非難は受けなかった。……少なくとも僕は何も言われなかった。
 考えすぎ、気にしすぎともいわれたが、『爆誕』という題名は僕には重すぎた。
 脚本を書いている間、重くのしかかった。
 『ルギア爆誕』には、もうひとつ、脚本上の失敗があり、エンディングの曲も大失敗だと僕個人は思う。
 だが、今日は言いたくない……なにより「爆誕」という造語を意識しているからだ。
 僕が古いのか、日本人が忘れっぽいのか……。
 広島・長崎の胎内被爆者の方たちを連想する「爆誕」という言葉を使った作品を作ってしまった僕は、ポケモン2作目の映画について、今、これ以上文章の書けない気分に襲われている。
 文章は短いが今回はこれで勘弁してください。
 胎内被爆者の方たちはご存命中なら64、65歳である。
 戦後、ベビーブームの世代でも団塊の世代でもない。
 そんな方たちを意識せずに『爆誕』の題名をつける、おそらく無意識のセンスの存在には、今も声が出ない。
 しばらく、黙らせてください。
 そして、広島、長崎を風化させないでほしいと、願います。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 僕の名前を間違えた翌々日、制作会社の社長から電話があった。
 「申し訳なかった。土下座をしてでも謝りたい」と言う。
 「土下座してでも……」とは、ずいぶん時代がかった表現だなとおもったが、僕も若くて血の気が多かった。
 「謝ってすむ問題じゃなく、制作体制の不備だと思います。2度と起こさないでもらいたいし、僕もそういう態度で今回対処するつもりです」
 と言って電話を切った。
 翌日、玄関のチャイムの音でドアを開けた僕は驚いた。
 社長本人が立っていた。
 土下座こそしなかったが――されても困る――僕より20歳は年上の方だ。
 「今回のことでいろいろ他の人とも話し合ったのだが、本当に申し訳なかった」
 他の人とは先輩の脚本家のことだろう。
 そして、再放送からフィルムのタイトルは修正し、「2度と当社はこのたびのような間違いは致しません」という誓約書を出し、お詫びのしるしとして、ギャラ1本分の入った封筒を出した。
 ここまで、機敏に誠意をこめた対応をされて、その時のタイトル間違いを騒ぐのは、大人げないような気がした。
 「2度とこんなことのないようにしてください」と言って、振り上げかけたこぶしを降ろすしかなかった。
 もともと、個人的に恨みの様なものがあるわけではない。
 それまで、「大江戸捜査網」を1本書いただけの、脚本家としてはど素人に近い僕を起用してくれた方である。
 最初に僕の脚本を面白がってくれた監督は奇妙な慰め方をしてくれた。
 「気の毒といえば気の毒だが、俺は作品にずらずらとスタッフ名が出るのが嫌いでね。作品がよければ自分の名前なんかいらないと思っている。だいち、関わったスタッフ全員の名前が出るわけでもないし、そんなことをすれば、タイトルだけで作品より長くなってしまう。だれが作ろうと作品は残る。面白い作品を作ればそれでいいと思っているんだ」
 確かに、作品のタイトルに全員の名前が出るわけではない。
 限られたメインスタッフだけである。
 当時、脚本家関係にはふたつの組合があった。
 シナリオ作家組合と放送作家組合である。
 シナリオ作家組合は映画の脚本家を中心にした親睦団体のようであり、放送作家組合は脚本や構成の権利や責任についてうるさかった。
 当時の理事長だった寺島アキ子氏の著作権意識が放送作家の著作意識をずいぶん引き上げたといわれている。
 放送作家組合は現在は日本脚本家連盟と呼ばれていて、作品における脚本や構成の地位向上を強く打ち出していた。
 今ではめったにないが、脚本家の名前を一枚看板で出せとか、そういう意味での地位向上である。
 常識的に「良い脚本から悪い作品が生まれることがあっても、悪い脚本から良い作品は生まれない」といわれる。
 作品の出来の90パーセントは脚本にかかっていると言い切る監督もいる。
 それだけ重要なら、脚本家の権利と責任をもっと評価しろというのである。
 それが、結果的に映画や放送の質向上につながるという考えである。
 何を基準に質向上と呼ぶかは、はっきりしないが……というより僕個人としては理想論にしか思えないがともかく、当時のスタッフにとって脚本の重要さは今よりずっと高かった気はする。
 だから、当時の脚本家の卵にすぎない僕の名前のタイトル間違いの処理をかなりの人が気にしてくれていたのである。
 その背後に先輩脚本家の暗躍(?)があったのは言うまでもなく、感謝の気持ちは一生消えない。
 僕はそれまで、成り行きでシナリオ作家組合に入っていたが、この事件(?)を機会に放送作家組合に入れてもらい、しばらく両方に入っていたが、著作権意識の強い放送作家組合だけにした。
 似たようなことを訴えているふたつの組織の両方に入っていても無駄だし、シナリオ作家組合と放送作家組合のあいだで、僕にとっては意味のない縄張り争いのような確執があったからだ。
 で、そんな事件の中心人物である僕が、脚本家の著作権に対して無関心でいられるわけがない。
 ただしビデオももちろんDVDもない、ほとんど脚本の二次使用料など、関係のない時代のことである。
 ところで、その後、タイトル間違いを起こした制作会社が、同じような事故を起こした話は聞かない。
 それどころか、その会社の社長、のちに、日本映画監督協会の著作権委員になったはずである。
 すでにお亡くなりになったが、監督や演出の著作権は、まだ一部の人しかもっていない。
 どういうなり行きかは知らないが、監督や演出の著作権保持に尽力する位置についてしまったのである。

   つづく
 


■第189回へ続く

(09.06.10)

 
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