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第189回 休載のお詫び
今、流行っているインフルエンザではないのだけど、ひどい風邪気味で先週は休載してしまった。
申し訳ない。
回復には向かっているのだけれど、万全とはいえない。
特に、これから書こうとしているのはポケモン映画2作目の脚本上の失敗部分だ。
作品としてのポケモン映画2作目が失敗しているというわけではない。
事実、興行成績は公開した年の日本映画のベストワンだったそうだし、欧米でヒットした日本映画では『ミュウツーの逆襲』に次ぐベストツーで、この記録は10年以上過ぎた今も変わっていないようだ。
だから、脚本上の欠陥に気がついた人は少ないかもしれない。
脚本を書いた僕本人が、書いている途中までその失敗部分をそれほど気にしていなかったぐらいだから。
けれど、書き進んでいくうちに、妙な予感がしだした。
これで、僕自身が納得できる脚本ができるのだろうか?
スタッフの納得ではない。
僕自身の納得だ。
理屈ではなく、僕自身の生理的ともいえる納得感である。
僕は、きめ細かく脚本の構成を立てるタイプではない。
脚本を書いている途中で、思いがけなく浮かんだアイデアを大切にする。
で、結果的には、脚本の出来がよかろうと悪かろうと、そして他の方がどう評価しようと、自分では納得できる脚本が出来上がる。
不思議なことに脚本を書きだす前の、自分の頭の中にあるプロットとも食い違う点はまずない。
しかし、今回。僕が脚本をというものを書き始めてから20年以上たって2度目―1度目は僕の脚本が初めてTV化された「大江戸捜査網」の脚本――の自己納得(?)できない脚本ができてしまうような予感がして、それが、どんどん大きくなっていった。
そして、自分が納得できない部分の理由が自分なりにわかった時、いささかノイローゼ状態になった。
これから書こうと思うのは、自己申告による自分の脚本の失敗部分だ。
他人の書いた脚本の欠点を指摘するのは簡単だし、それはもともと僕個人の感想だから、ほかの方が別の見方をして、僕が感じる脚本の欠点を、逆に良い脚本と感じる人がいても不思議はない。
僕自身、納得して書いたつもりの脚本ではあるものの、自身が思う以上に過大な評価をされ、「そんなに僕の書いた脚本は面白いか?」と自分で自分の首をひねる脚本もある。
でも、自己申告により、自分の脚本の……少なくとも自分の失敗部分を自分が指摘するのは、かなりきついものがある。
自虐的に見えるし、僕の脚本をもとにして作ったスタッフに申し訳ないし、『ポケモン』映画の2作目が面白いと言ってくださる方の気分を害することになるかもしれない。
でも、このコラムはアニメ脚本に興味を持っている方に向けて書いている、少し変わったアニメ脚本家の回顧録(?)のようなものである。
アニメ脚本に関心のある方に少しでも参考になればと思って書いている。
だから、自虐的な失敗体験もできるだけ正確に――といっても僕の感じたことにすぎないが――書くべきだと思っている。
『ポケモン』映画2作目の脚本的失敗は、わざわざ映画用に登場させたX(ルギア)の性別をさして気に止めなかったことだ。
映画に登場するルギアは男(オス)の声である。
だが、プロット上では性別不明だった。
ルギアはプロット上では、性別不明でもよかった。
もともとポケモンには性別はない。
ほとんどの方は、ポケモンのピカチュウは男の子(オス)だと思っているだろうし、行動も男の子っぽい。
しかし、本当は性別不詳である。
でも、そのことを気にする人はいなかった。
「ポケモン」の原作はバトルをメインにしている。
バトルは基本的に男の子の好みである。
だから、ポケモンは男の子的な性格で違和感がなかった。
だが、ルギアは、世界の生命を生み出した「深層海流」のシンボル的ポケモンである。
母性のポケモンなのである。
それをどこかで意識しつつもさして気にしなかったのは、脚本家の僕としては迂闊を通り越して、大失敗だった。
ルギアの性を男にしてしまったために、『ポケモン』映画2作目のストーリーの流れが、少なくとも僕の中でぎくしゃくしてしまったのである。
自分の失敗について語るのはつらい。
体調もあまりよくない。
自分の失敗と向き合う気力がまだない。
自分の失敗をじめじめ語るのはみっともない。
体調を整えて、しっかりと語りたいと思う。
なぜなら、脚本を書く上で、登場人物の性別は、簡単に設定できるようでいて、かなり難しいのである。
例えば、映画やTVドラマで、原作の登場人物の性別を変えたり、原作にない女性や男性を登場させる例がよくある。
それが成功している場合もあるし、失敗している場合もある。さまざまである。
それについては、しっかり考えたい。
前回の休載のお詫びも込めて、短いコラムだけどとりあえず書いた。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
金銭を超えて自分の書いたものには責任を持とう……それが、このコラムの結論のはずだった。
ところが、先月、協同組合日本脚本家連盟の関連団体・日本放送作家協会(親睦団体というのは僕の勘違いだったらしく、別の組織らしい。僕は両方に会費を払っていたから、同列の組織だとばかり思っていた)の会合に出てびっくりした。
「脚本家の著作権を守ろう」というテーマが出てくるのかと思ったら、そんな話はぶっ飛んで、「脚本は文化である。その文化を後世に残すためアーカイブ(図書館)を作ろう……準備は進行中である」というテーマが、かなり前面に出ている。
目標は日本で書かれた脚本(構成台本)すべての収集保管だそうだ。
理想はすごい。
しかし、その資金はどこから出るのか?
脚本家連盟には、多くの著作権徴収手数料が入っているはずだから、脚本家連盟は日本放送作家協会にもっと協力するべきである……という意味もあるようだ。
著作権の買い取り契約が問題になっているときに……。買い取り契約が進めば、脚本家連盟に入る手数料も少なくなっていくはずである。
そして、その手数料の半分以上はアニメ関係の脚本印税である。
日々の生活のために著作権買い取りにサインをしなけれなならない人もいるだろう。
脚本家連盟の事務員の給料や退職金が、普通に活躍されている脚本家の方たちより高給だという愚痴もよく聞く。
世の中、100年に1度の不景気の時代である。
そこに脚本アーカイブである。
もう一度言おう。
理想はすごい。
でも、そこには金銭問題が必ずからむ。
金銭、名誉、そんなものは関係なく、あなたはあなたらしいものを書く。
他の誰でもないあなただけが書けるもの……そして、自分が作ったものには責任を持つ。
著作権を大切にしよう、と、文化としての保存すべき脚本。
なんだか、似ているようで……センスの違いなのだろうか。
かなり、体調がおかしくなることの多い今日この頃である。
つづく
■第190回へ続く
(09.06.24)
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編集・著作:
スタジオ雄
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