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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第19回
書くことが嫌いな男は、いかにして鉛筆を持つようになったか PART 3

 「シナリオライター、やーめた」
 転向の決断と、実行力だけは自信がある――つまり、気が多く、気まぐれということである――僕は、「シナリオ研究所」をさぼりだし、唯一、面白かった「シナリオ研究所」の生徒達の、放課後談義も次第に飽き(といっても、入所してから1ヶ月もたっていない)、仕方がないから自分は通っていない大学受験予備校の友人達から、授業の様子を聞いて予備校に通った気になってみたり、まるで、本人は熱心でない安保反対学生運動の集会に参加して、「ナンセンス!」とか「意義なーし」などという学生運動最盛期に流行した絶叫調発声法を勉強? したり、新宿のフーテン達と、「この世になすべき意義はない」などと、自分たちが語っている事の意味が、自分たち自身にも分かっていないようなことを話しあって時間が経っていくという、我ながら、あきれるほど無駄な時間を過ごしたのである。しかし、まあこれも、後になって考えれば、余り役に立たない部類の人生勉強の一つだったとおもう。
 いずれにしろ、高校卒業後の数ヶ月は、暇だらけになってしまった。
 同じように、暇のありそうな浪人達を誘って、街に出て遊ぼうと思っても、先立つお金もない。
 お金のないときは、代々木の公園辺りでガールフレンドと時間を費やす手もあると考えがちだが、僕のガールフレンドには、そんな暇はなかった。彼女が、外国に行きたがっていて(観光旅行や留学ではない……外国に住む気でいたのである。その予行演習のためか、それとも、家族とうまくいかなかったのか、高校を出たばかり、しかもそう遠くない新宿に自宅があるのに、同じ東京の小田急沿線の世田谷区の経堂という所で安アパートを借り、家出同然のように、一人暮らしをしていた)、当然、お金などある訳ないから、昼は家賃を払うアルバイト、夜は四谷にある英語学校に通う費用稼ぎで、ボーイフレンドと、ちゃらちゃら遊んでいる暇などなかったのである。
 彼女が、なぜ新宿の自宅を出て、東京どころか、日本国内でなく外国に住みたがっていたか、その理由は何となく僕には分かっていたが、あえて、聞こうとは思わなかった。
 僕は、相手が話そうとしないことを、あえて詮索しない性格だった。
 相手が、僕に聞かせたい、聞いてもらいたいと思うことだけを、僕は知っていればいい……僕は、そういうタイプなのである。
 こういう性質は、普通、脚本家だけでなく、小説家など、物書きという人種には向かないといわれるし、僕自身も時々そう思う時もある。
 脚本は、目で見えるものと音として聞こえるものを書いて、映像化するものである。
 目で見えるものをよく観察する必要はある。
 聞こえるものを、聞き逃さないことも大切だと思う。
 だが、相手の性格を勝手に詮索したり、のぞき見したり、こちらから相手が話そうとしないことを聞きだそうとするのは、物を書く(あえていえば作る)うえでの越権行為だとも思うのである。
 くどいようだが、自分が見たまま、聞いたままのことの中で、自分が感じたものを、自分の思うがままに表現する……その方法(映画の場合は、主に映像と音を使うことになる)を模索することが、脚本家としての第一歩だと……偉そうに僕は考えるのである。
 新聞や放送……マスコミには、取材という言葉がある。
 僕は、たとえ、ものごとを取材する人が、例えばプロと呼ばれる新聞記者やカメラマンであろうと、その人たちが取材したもので、本当(真実)を描けた文章や映像ができるとは思えないのだ。
 まして、そんな取材に対して意見を述べる解説者など、表現者である作家(このエッセイの場合はシナリオライターということになる)とは、ほど遠い存在である……とさらに偉そうに言いきってしまおう。
 ……とか言いながら、これを書いている今は「シナリオ研究所」に通っていた十八才の時の僕の気持ちである……と、歯切れの悪い弁解をしておく。
 つまり、取材が必要になるようなこと……自分のあまり知らないようなこと、自分の感性に響かないような気持ちは、書こうと思うなということである。
 ところが、こういうことを書くと、人を殺したことのない人間は、人殺しを書いてはいけないのか……戦争体験のない人間は、戦争を書いてはいけないのか……という極論を言う人が必ず出てくる。
 こういう発言には、僕もむきになり、「その通りだ」と、極論で言い返したくなるが、大人気ないし、犯罪奨励、戦争肯定とも非難されかねないから、そんな常識外れなことは言わない。
 ただ、ぐっと話が柔らかくなって、恋愛体験(それが失恋であっても)のない人は、あんまり恋愛関係のシナリオは、書かないほうが身のためだと思う。
 異性(同性でもいいけれど)を愛した事のない人が恋愛を書くのは、僕にとってはひとごとながら、辛いし、切ないし、気の毒だなと同情する。
 それが、(架空の人や、アイドル相手の)想像恋愛だとしても、シナリオや小説で描くのは、少なくとも若いうちは、遠慮したほうがいいと思う。
 「そんなのこっちの勝手だろう」と言われれば、「どうぞ御自由に……」と答えるしかないけれど、そういうシナリオや映画は、うまくいけば、傑作が生まれる可能性がないとはいわないが、99・9パーセントは、読まされるのも見させられるのも時間の無駄である。
 ただし、個々の人間の持つ想像力、空想力、感性のひらめき、そして、表現能力は、人それぞれの才能とその人個人の経験がものをいうから、僕がとやかく言えることではないとは思う。
 でも、成功は「1パーセントの才能と99パーセントの汗と努力だ」という、誰かさんの名言(確か発明家エジソンの言葉)は当てにならないと思う。
 「成功」という文字が、別の「漢字」なら当てはまるかもしれないが、そんな品のないことに一生懸命苦労した覚えが、僕にはないからよく分からない。
 えーっと、この話、僕のガールフレンド(聖子と言う名前ではない)からはどんどん下品に遠ざかっていくようだが、シナリオというテーマからは、あまり離れていない「感じ」がしているので、オヤジギャグと軽蔑されるのを覚悟で書いてみた。
 話を、ガールフレンドに戻そう。
 ともかく彼女は忙しかったし、週に一回ぐらい会っても、「元気?」と言われて「元気、元気」と答えるぐらいのデイトだったし、電話も、電話代がもったいなくて、長話はしなかった。  
 ついでだが、僕も、渋谷に自宅がありながら、ガールフレンドと同じ小田急沿線の東北沢という所で、安アパートを借りていた。
 こっちの理由は、ただ単に一人でいる時間が欲しかったのだ。僕の家庭は、ごく普通の時間帯……つまり、朝、起きて、朝ご飯を食べ、(父は仕事が忙しくて、夕食を一緒にとる時間が少なかったが)他の僕の家族は、朝早く学校に行き、夕食も寝る時間も一緒だった。
 これで、僕の二人いる妹にも、学校に男の子の友達がいたというから、いったい、彼女達の時間のやりくりはどうなっていたのだろう。いまだに謎である。
 それはともかく、僕は正午起きで、シナリオ勉強中(大嘘)……ラジオを聴きながら、ろくでもないマンガや成人向き本ばかり読んでいた……の深夜族だから、家族と時間が合わない。ようするに、僕は、家族の時間帯にとって邪魔なのである。
 そこで、僕はずうずうしくも、もしも、家族が東京に住んでいなくて、僕一人が東京の大学に入学して下宿生活をするとしたら当然かかるであろう費用を、父に要求したのである。
 東京の、渋谷、駒場の東大から五分の所に住んでいながら、よくもまあ、そんなことが言えたものである。
 だが、父は、それを許し、僕は自宅の最寄りの小田急線、代々木八幡から、二駅しか離れていない東北沢にトイレ共同、風呂なし、四畳半のアパートを借りて貰ったのである。
 東京の地図を見ると分かるが、新宿区と渋谷区と世田谷区、「シナリオ研究所」のある港区青山は隣接している。小田急線は、新宿と小田原、箱根を結ぶ私鉄である。成城学園などという駅もある。ついでを言えば、ガールフレンドと僕は、同じ高校で、小田急線の最寄り駅は千歳船橋だった。
 新宿、渋谷、世田谷、港区青山……おまけに僕のガールフレンドの通う外国語学校は上智大学のある四谷である。小田急線の二人の二十代前の男女……大都会、高級住宅地、ちょっと昔なら格好のトレンディドラマの舞台である。
 余談だが、僕が東北沢を選んだのは、アパートの前に新宿二幸という食品デパート(今の新宿スタジオアルタのあるところ)の女子寮があったのも理由の一つではないと言えば、嘘になる。
 地方の人には、「ざまを見ろ」と言いたいぐらい、場所的には有名である。
 だが、僕とガールフレンドにとっては、場所はともかく現実は違う。
 電話代を節約するほどの貧困ぶりである。
 ガールフレンドにとって、遊んでいる暇などないのである。
 僕だって、口先では優雅に聞こえるかもしれないが、この先あてにならないシナリオ研究生である。しかも、書くことが大嫌いときている。 親には黙っているが、シナリオライターになる将来など、本人からしてあきらめている。しかし、親は、息子が脚本家になると思っている。
 この先、僕は、どうなるのか……しかも、とりあえずの収入だってない。アルバイトをさせるぐらいなら、親は、僕のためにアパートなど借りてはくれるはずがない。「シナリオの勉強に専念しろ!」の意味合いがあるからこそのアパートだ。
 最初は、シナリオライターから別の職業への転向を軽く考えていた僕も、少し困ってきた。
 こんなときには、気楽に職業転向を話せる相手がいい。
 僕には、強い味方がいる。前にも書いたが、映画に全く興味のない、シナリオを支那料理と思ったガールフレンドである。
 僕は、ニコニコ笑いながらというより、ヘラヘラ笑いながら言った。
 「シナリオ、止めることにしたよ」
 「ふーん……そう」
 彼女は、軽く答えた。それから、ぽつりと言った。
 「じゃあ、あれどうするの?」
 「あれって?」
 「変な夢の国から来た子の話……作らないの?」
 「あ……あれね」
 僕には、思い当たるふしがあった。
 彼女は、もう、シナリオを支那料理と間違えるガールフレンドではなかった。
 自分のボーイフレンドが、「シナリオライターになる」と言ったのである。シナリオライターが、どんな職業か少しは知ろうとしても当然といえば当然かもしれない。ありがたいことである。だが、困ったことに僕がシナリオライターなると決めたら、映画がすぐできると思っている。
 実際、彼女だけでなく、普通の人の脚本家に対する知識などその程度のものである。
 僕も、ガールフレンドに、少しは、シナリオについて知識を吹き込んではいた。映画を作る仕事……その説明だけでは、あまりに簡単だから、こう付け加えた。
 「作りたい映画があるんだ」
 書くことが嫌いな僕は、書きたいとは言わなかった。だから作りたいと言った。実際、ひとつだけ、作れたらいいなあ……と思っていたものがあった。それは、ミュージカルで、舞台でも映画でもよかった。だが、その題材は舞台で作るには難しそうだった。だから映画だ。シナリオだ。
 そのストーリーの概要は……現代の人間は、それぞれが持っていた夢を失いいつつある。そこで、夢の国から、それぞれの人々が失いつつある夢を取り戻させるために、夢の国の王家の子供がやってきて、それぞれの夢を復活させる……その人たちのそれぞれのエピソードが歌になり、踊りになり、メルヘンになる……。
 ガールフレンドは、「ふーん」と言っただけだった。
 僕も彼女も十八才……まだ、夢を持てるぎりぎりの年齢だったし、彼女には、外国に行くという夢があった。
 そのミュージカルはもちろん脚本にはなっていなかった。簡単なプロット(あらすじ)」とメモ……夢の子が出会うエピソードは、すでに百以上、アイデアができていた。楽譜にはなっていないが、歌詞がいくつかと、鼻歌程度に歌えるメロディができていて、そのいくつかを、彼女に聞かせた覚えがある。
 「変な国」と彼女が言った夢の国にはフィナリナーサと言う名前があった。
 「なに? それ」彼女が聞いた。
 「妖精と意味と看護とか手助けとかいう意味の合成語だよ」
 「妖精はフェアリー、看護婦はナース」彼女が正確そうな発音で訂正した。英語にはうるさいのである。
 「そんなことは知っている」僕は英語についてはじめて、彼女にくちごたえをした。
 「フェアリーじゃ当たり前すぎる。それに英語だって地方によって方言があるだろう。フィアリーだっていいだろう。ナースはERをつけて看護する人と言うような意味さ。どうせ夢の国の名前だ。フィナリナーサでいいじゃないか」
 「いいわよ。構わないと思う」彼女はそれを納得したようだった。
 夢の国から来た子は男の子のつもりだった。
 御存知の方は、思い当たるだろう。
 十数年後、その男の子は設定を女の子に代え、当時としては新種の魔女っ子アニメとして「ミンキーモモ」という名前でTVシリーズになった。女の子になってよかったと思っている。
 男の子だったら、あんな元気な女の子でなく、もっと暗いストーリーになったかもしれないし、女の子だったからこそ、素敵な二人の「ミンキーモモ」の声と巡り合え、今では考えることすらできないが、もしも「ミンキーモモ」が桃太郎のような男の子だったらスタッフもあれほどがんばらず、こんなに長く続かなかったろう。フィナリナーサと言う国の名前は、フェナリナーサと言う名前と僕の中でもごっちゃになって、最初の数話は、フィナリナーサと呼ばれている。まあ、どこの国にも方言があるから、ええだば、ええだば……である。
 十八才の当時、ミュージカルとして僕の作ったメロディのような鼻歌のような曲は、幸いにして、使われていない。作曲家の方も、その存在すら知らないだろう。
 歌詞は、ほんの一部が「ええだば音頭」など、あまり知られていないところに、こっそり忍び込んではいる。
 「ミンキーモモ」製作については、様々な出来事があったから、後日お話するつもりだが、十八才の頃に考えたエピソードで、消化できたものは三分の二程度……参加して下さった他の脚本家が考えたエピソードも加えると、パート1(俗に空モモとか昭和モモとか呼ばれた)、その十年後に作られたパート2(リピートではなく続編で、俗に海モモとか平成モモと呼ばれている)を含めても、未発表のエピソードはずいぶん残っている(少しだけ、「ようこそようこ」というアニメシリーズに使ってしまったエピソードもあるが……)。
 「ミンキーモモ」パート3を作るという話も、消えたり出たりしているが、エピソードだけは沢山ある。
 仮にパート3(完結編のつもりではいるが……)が近いうちに作られたにしても、万が一、パート4が作られる頃には、僕は生きていないだろう。
 いずれにしろ「ミンキーモモ」の出発点が、フィナリナーサから来た男の子の話だとしたら、四十年近く続いていることになる。 

 話を十八才の頃に戻そう。
 「あの変な夢の国の男の子の話を作らないの」
 「作るとしたら、お金がかかりすぎるよ。十億円、いや五十億円あっても足りないかもしれない」
 当時は、実写のつもりでいたのだ。もちろん、実写だろうが、アニメだろうが、僕としては作れるとは思っていない。ただの口実である。
 「作れないものをなぜ作れるように言うの?」
 「あの時は作れると思ったんだよ。まあ、俺の夢だよな」
 「現実にならない夢は、ただの嘘だわ。首藤くんって、いつも嘘つき……」
 僕は、彼女に嘘をついた気はなかった。確かに少し……いや……だいぶオーバーだが、その時は本気。嘘というよりホラに近い。
 ホラと言われれば、しょっちゅうホラをついていたかもしれない。
 一般的に言ったって「世界中で一番、お前が好きだ」なんていうのもホラに近いはずだ。だが、嘘ではない。
 ホラと嘘は、違うはずである。
 彼女は続けた。
 「いつも、そうなんだから、しょうがないもんね……」
 ここから先のため息交じりの台詞が、かっこいいのである。
 「いつか、わたしと首藤くんも嘘になる日が来るかもね……」
 僕より彼女の方が、シナリオライターになれる。
 僕は本気でそう思った。
 ……よく、そんな台詞が出てくるよ……それも芝居の公演でなく現実の公園で……新宿の中央公園の、魚だか鯨だか、何をモデルにしたのかよくわからないが、石かコンクリートでできたモニュメントの前だった。
 夜、十時……その場所だけは、今も覚えている。
 これで二人の話は終わりと思ったら……大間違いの序の口で……まだまだ大変なことが続くのである。

    つづく


●昨日の私(近況報告)

 十八才の頃、公衆電話のお金にも困っていた時期があった。
 しかし、貧乏でも恋愛はする。
 恋愛関係の話題になると、どうしても、家からはかけづらい。
 家族に聞かれると困る話が多いからだ。
 普通の公衆電話もいささかまずい。
 周りの人に聞かれると照れるし、僕ではないが、女性では、公衆電話で涙を流す人もいる。
 だから、公衆電話のボックスを探し、十円玉の数を数え、心構えをきちんとしてから電話をかける。
 ところが、携帯電話の時代になって、世の中、変わった。
 まず、電話ボックスが少なくなった。
 探すのに一苦労だ。
 携帯で、好きだ、嫌いだ、が飛び交う。
 そう言う話題は、携帯メイルでするから、人には聞こえない……という人も多いかもしれないが、電話の内容は、かける人の顔を見れば見当はつく。おまけに携帯メイルをかける人は、周りの人に関心を持たない。
 携帯に文句を言っている僕も、実は、携帯を持っている。
 だが、映画館や劇場で突然鳴ると困るから、スイッチを切る。
 かけてきた人や、自分のかけた人の名前を登録する癖がないから、覚えのない電話番号がいっぱいある。
 自分の携帯番号を覚えたのも、携帯を買ってから五年目である。
 物忘れが激しいから色々な場所で置き忘れが多く、探すのが面倒だし 電話をかけてくれた人のプライバシーもあって、やたらなところで落とせないから、持ち歩かなくなる。
 持ち歩かない携帯なんて意味がないと笑われる。
 だいいち、年中家にいる物書きなんて、外出先で、電話をかけたり、かかってきたりすることなんてめったにない。
 写真を撮るなら、それ用の、一眼レフを持って出かける。
 デジカメの画像は、余程、高価なものでないと鑑賞に堪えない。
 事故などでスナップ写真が必要な現場に出会ったとしても、あわてていて写真を撮る余裕がない。そんな現場で、携帯写真を向ける人は ひんしゅくを買うだろう。
 パーティや会合でスナップ写真が必要だとしても、携帯電話で代用するのは失礼だし、撮られる側もだらしがない。のぞきカメラや盗撮を許すのと同じ意識と思わないのだろうか?
 八十二才の父に、妹達が、一番簡単な携帯電話をプレゼントした。
 電話番号を覚えないから、人にも言わない。かかってもこない。
 出かけるときは、手帳を持っていく癖があるから、相手先を登録できない携帯電話は荷物になるだけだ。
 公園で、携帯をかけている老人のCMは、俳優が二人とも元気だからあまりみじめさを感じないが、一人で公園で携帯をかけている、ぼけかけた老人の姿を見かけるのはかわいそうだ。
 本当にアルツハイマー化して、徘徊する老人が、携帯電話に出るとも思えない。
 昨日、部屋のクーラーの掃除をしていたら、足場にしていた椅子から落ちて腰をしたたか打ち動けなくなった。
 部屋のどこかで、携帯が鳴る。
 腰が痛くて取りに行けない。
 携帯だから、かけてくるほうも、こちらが電話口から遠くても、出てくれるはずだと思って、何度も鳴らしてくる。
 こっちは必死で、携帯まで這っていく。体が痛いよう……。
 先日、着信履歴を見て驚いた。
 自分の家の電話番号がやたらに多い。
 理由は簡単である。
 家のどこかに置き忘れた携帯電話がどこにあるか分からないので、自分の携帯番号にかけ、着信音を鳴らして探しているのである。
 携帯って本当に便利か?
 

■第20回へ続く

(05.10.05)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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