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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第199回 『ルギア爆誕』登場人物にもそれぞれも個性

 『ルギア爆誕』でロケット団トリオを他から浮き上がらずに目立たせるためには、他の登場人物それぞれも個性が立っていなければならない。
 様々な登場人物が、ひとつの限られた時間や出来事に対して、それぞれ勝手な思惑で動きまわり、結果、ひとつのテーマが浮かび上がってくる作品を群像劇などと呼ぶ時もある。以前も書いたが、ロバート・アルトマン監督という映画監督は、その種の映画を作るのがうまく、僕の気に入っている作品が多い。
 僕は、いろいろな個性の人間がそれぞれに動きまわる群像劇が好きである。
 出来事を1人の視点からでなく、俯瞰で描くことができるからだ。
 ただし、作品中、さして登場時間が多くない各々が、その時間内でそれぞれの持つ個性を表現してみせるのは結構難しい。
 各々の持つ、作品には描かれていない生い立ちを考えて、それによって形成された性格が顕著に表れる言動をピックアップしなければならない。
 一応、主役格のサトシとピカチュウやレギュラーメンバーの登場する『ルギア爆誕』は、厳密にいえば群像劇とは言えないだろうが、ロケット団トリオを目立たせるために、僕はこの映画を群像劇風の作品にしようと思った。
 レギュラーメンバーについては、その生い立ちも性格も把握しているつもりだった。
 『ポケモン』の小説(絶版……中古なら手に入ると思う)には、そこをかなり描いたつもりである。
 しかし、よく考え直して見ると、TVシリーズでも、そんなにレギュラーの性格がくっきりと表現されているエピソードは少ない気がする。
 各エピソードのゲストに気を取られて、それを受けるレギュラーは、よく言えば観る人に分かりやすいステロタイプ、悪く云えばワンパターンな人物像に思えた。
 で、この際だから、主役級のレギュラーたちも群像劇の一員のように、本来持っているはずの性格のある一部分が、際立って見えるようにしようとした。
 つまり、『ルギア爆誕』では、レギュラーのキャラクターをも、もう一度見直してみたのである。
 レギュラーメンバーは、かなりしっかり僕の頭に入っているから、『ルギア爆誕』での彼らの言動は予想できた。
 そして、TVシリーズでは目立たなかった部分を補強して描けばいい。
 主役のサトシは、あまり悩みもせず、ポケモン大好き少年で、ポケモントレーナーへの道しか頭にない、正義感の強い単純な性格……TVシリーズで描かれるキャラクターでいい。ポケモンが好きなのに、自分のポケモンを対戦相手のポケモンと戦わせ、その勝負に一喜一憂する。
 戦わせれば自分のポケモンが傷つくこともあるだろうに、その矛盾には気がつかない。
 しかも、勝負が終われば、相手に恨みも優越感ももたない。
 異性にもあまり興味を示さない、まだ子供である。同年代の女の子カスミから見たらガキである。
 『ポケモン』というシリーズの主役だから、そのままでいい。
 ただ、『ルギア爆誕』では、自分のやっていることが、自分の思っていたよりスケールの大きいことに関わっていると知ってビビる部分を入れてみた。
 一緒に旅をしているカスミという少女がサトシといる理由は、シリーズの第1回目に自転車をサトシに壊され、それを弁償させたいためである。
 だが、それだけで長々一緒に旅をするのはおかしい。
 ゲストの女の子フルーラにサトシのことを「あなたのボーイフレンド? 趣味悪いわね」と言われ、売り言葉に買い言葉で「私の行きたい先に、たまたまサトシがいるだけよ」という台詞をくちばしってしまう。
 だからといって、サトシのことが取り立てて異性として好きなわけではない。
 この台詞は、フルーラに対する女の子同士のつっぱりあいの要素が強い。
 本当は、サトシのことを単純バカ……デリカシーのない男の子だと思っている。
 なんとなく、一緒にいるだけである。だが、「私に行きたい先にたまたまサトシがいる」という表現に、カスミ自身も意識していないサトシに対する感情を込めてみた。
 もう1人のレギュラーだったタケシは、『ルギア爆誕』のエピソードの旅には参加していない。
 女の子を追いかける習性(それなりの理由はある)のあるタケシが参加していたら、もっと物語の展開が複雑になっただろう。
 タケシが消えた原因は、製作サイドの都合であるが、代わりの少年に、タケシを超える個性はない。
 シリーズ途中に、レギュラーを変えるのは難しい。
 以前のキャラクター以上の強い個性がなければ、前のレギュラーに勝てない。
 新しいメンバーの少年に、それなりの個性を持たせようとしたが、突然の変更で、強力な個性を見つけだせぬまま、レギュラーの座は、その後タケシに戻ってきた。
 『ルギア爆誕』では、登場人物に強烈な個性を持たせようとしたから、この代役の少年をかえって無個性にすることで個性的なキャラにしたかった。が、あまり成功しなかった気がする。
 ただ、現場の目撃者と言う存在だけになってしまった感じである。
 後のレギュラーキャラクターは、かなりオーバースイングにした。
 ポケモン研究家のオーキド博士は、現地の調査に向かうものの、地球存亡の危機にあわてる様子もなく、平然と事態の説明をしている。
 そんなに落ち着いていられる状態なのだろうか?
 オーキド博士は、ポケモンというものの説明をする役割である。
 だから、自分の役目に忠実な人なのである。
 つまり、どんなことが起ころうと、自分の役目を果たす生真面目な、言い方を変えれば自分本位な人なのである。
 そのヘリコプターには、ちゃっかりサトシのママが乗っている。
 サトシのママにとって何よりも心配なのは、女手1人で育てた息子の安否である。
 サトシの希望どおり自由に旅をさせているが、いざとなれば心配でしかたがない。じっとしていられない。
 だから、調査隊のヘリコプターに乗っていても、彼女としては当然のことである。
 本当なら、異変の調査に関係ないママが、調査隊に混じっていること自体が変なのだが……。
 「息子が、異変の中心になっている場所にいるらしいから……」
 の一言で存在理由を片づけてしまう。
 サトシのママは、異変に対する専門的知識は何も持っていない。
 異変調査隊に、そんなママが混じっていては邪魔になるだけである。
 それでも、平然として(気持ちはサトシへの心配でいっぱいだろうが)、調査隊のヘリコプターに乗っている。
 日本の観客は違和感を感じないだろうが、このママは、ずいぶん自分本位な行動をとっている。
 外国で航空機が墜落して日本人が亡くなった時など、遺族の方々が現地に航空会社のチャーター便で駆けつけることがあるが、外国人から見ると気持ちはなんとなく分かるものの奇妙に見える場合が多いそうだ。
 遺族が現地に行ったところで、亡くなった方が生き返るわけではない。
 亡くなった方を悼むのは、わざわざ現地に行かなくてもできる。
 現地に出かける時間を作り、仕事を休み、そしてチャーターされた飛行機が万が一墜落でもしたら、目も当てられないではないか。そんな手間をかけるより、チャーター便の費用を慰謝料としてもらった方が合理的ではないか。亡くなった方も、その方が喜ぶのではないか。
 世の中にはそういう考え方もあるのである。
 だから、異変解決に何の役にも立ちそうにない、この作品におけるママのでしゃばった行動は、変に見えるだろう。
 変でもいいのである。
 それが、この作品のサトシのママの、ママらしい自分本位の姿なのである。
 で、作品の中で、登場人物が自分本位の姿を見せるということは、自分の存在のアピール……つまり目立ちたがるということでもある。
 役柄的に地味に目立たなくても、地味で目立たない事をアピールして、結局は観客の印象に残るという高等技術もある。
 地味に目立たなくても、その作品の中で自分本位な姿を見せれば、自然と目立った存在になるのである。
 群衆劇とは、そんな目立ちたがりのそれぞれが、集団で寄ってたかって織りなしできあがる作品と言っていいと思う。
 この作品のゲストでは、敵役ともいえるコレクターのジラルダンなど、自分本位の目立ちたがり屋の典型である。
 彼は地球の征服も滅亡も彼の目的にしてはいない。
 彼は珍しいものをコレクションしたい自分本位の欲望のかたまりなのである。
 彼の空中宮殿(博物館)には武器のように見えるものがあるが、それは相手を攻撃するためのものではない。
 あくまで、コレクションにしたいものを捕獲する道具である。
 彼の価値観は優れたコレクターとしての自分の存在にある。
 だから、自分の空中宮殿(博物館)が壊れても、悔しそうなそぶりは見せない。全然めげた様子はない。
 コレクションを集めたいという自分本位の欲望は、壊されたわけではない。
 博物館が壊されたがゆえに、さらにコレクターとしての欲望が膨らみ、燃え上がる。
 一度手に入れたコレクションには、逃がしたとしても、もう興味が薄れている。
 ジラルダンは自分の登場する最後のシーンに幻のポケモン、ミューのカードを見て微笑みすら漏らす。
 おそらく彼は、次のポケモンのコレクションの対象をミューにしたのだろう。
 地球が壊れようと宇宙が消えようと、彼の自分本位な欲望には関係がないのである。
 僕は、役は小さくとも、こんな自己本位な部分を見せる登場キャラクターで、この作品をうめつくそうとした。
 作品にはほんのちょっとしか顔を見せない島の長老は、過疎化した僻地を観光地にすべく、伝説を利用したお祭りで客を呼び込もうとしている。
 だから妙に他の土地から来たサトシたちに愛想がいい。
 伝説などまるで興味のないフルーラにとって、伝説の笛を吹く巫女は「しかたないなあ」とアルバイト気分である。
 でも、同年代のカスミと出会うと、ちょっとしたライバル意識で、サトシをネタにカスミを刺激し、巫女としての仕事を格好よく見せようとする。巫女としては新米である。
 個性的な人物として描くのに困ったのは、島の女船長とその友達(フルーラの姉で前年まで巫女をしていた)である。
 年ごろの女性である。
 過疎な島といっても、おそらく衛星中継などで、都会の生活を知っている。都会へのあこがれもあるだろう。
 この女性達が、僕には理解不能だった。
 自分で設定した人物なのに、その人物を個性的に描くとなると、さして人物像を知らないことに気がついた。
 僕の作品の主要人物には、かなりデフォルメしてはいるが、現実のモデルがいる。
 しかし、僕のレパートリーのモデルに、女の船長と巫女を仕事にしている人はいない。
 で、小田原漁港で聞いて回ったが、どんな小さな漁船にも船長に女性はいなかった。
 「女性に船の命を預ける船長は無理だ」というのが漁民の方の意見だった。
 女性は、いざという時に理性より感性で物事を決断してしまうから危ない、という意見が多かった。
 そういえば、女性の旅客機のパイロットや電車の運転手もあまり聞いたことがない。
 大型トラックや少数の人を乗せるタクシーのドライバーになら、女性は何人でもいるのだが……。
 作品の出番は少ないのに、登場人物を個性的に見せるため、どうしても、彼女たちのキャラクターをしっかりつくっておかなければならなかった。
 くりかえすが、これ、ロケット団トリオを、作品から浮き上がらせずに目立たせるためである。
 脚本を作るためには、脇の役のキャラクターをしっかりつかんでいくことは、大切なことである。
 まあ、たまには、おおざっぱの方がいい時もあるが……。
 『ルギア爆誕』でのロケット団トリオについての話は、この回で終わりにしようと思っていたのだが、ロケット団を語るために他の登場人物のことも書かなければならなくなった。もうしばらく我慢してほしい。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 脚本家の著作権に関しての余談になるかもしれないが、最近のインターネットはすごいことになっているようだ。
 当日や前日に放映されたドラマやアニメを、すぐに観ることができる。
 本音を言えば、放映定時に見たり録画したりする手間がないし、CMもカットされているから、噂になっているドラマやアニメを見るには便利である。
 中には、外国語のスーパーが入っているものもある。
 映画も無料で見ることができる。
 多分、その多くが、著作権を無視し許可を得ていないもので、けしからんというか、著作権違反である。
 すぐにも取り締まるべきだと言いたいのだが……実はその中に僕が昔書いた脚本の作品もかなりある。
 ビデオ化されたものやDVD化されたものもあるが、今はそれも絶版になり、レンタル屋にもおいていないものがある。
 数十年前作られた僕の初めて書いた脚本のアニメ化作品『街角のメルヘン』など、OVAの黎明期の作品で、レーザーディスクにまでにはなったが、DVDは出ておらず、おまけに、恥ずかしながら売れ行きもよくなかった。
 なにしろ、ビデオが1万円以上し、レンタル屋もない時代の作品である。
 OVAは、1回見ただけで終わりでは申し訳ない。
 繰り返し見て鑑賞に堪えるもの、買って数年後に再度観ると感想が違って思えるもの、大人になると見方が変わるだろうものを意識して作った。
 視聴者を子供を対象にせず、放送局もスポンサーも気にせず作った作品もある。
 とはいえ今の子供の見ないような深夜に放送して、DVDレンタルで儲けようとするアニメとは、別の作り方である。
 上映時間の長さもTVを意識しなかったから、TV放映もしにくいだろう。
 今や、ほとんど幻の作品である。
 僕にはそんな作品が結構ある。
 で、そんな作品が、いくつかインターネットで見ることができることが分かった。
 作家としては、著作権をとやかく言うより、より多くの人に見てもらいたい。
 作られた当時、人気のあった作品が、今の人たちにどう受け止められるかも知ってみたい。
 著作権無視だといって、告発(?)して取消させても、DVDにならなければ、誰の目にも触れない作品になってしまう。
 ○○○○動画など、画像に観た人の感想が流れて興味深い。
 著作権無視だが、商品化でもないこの手のインターネット配信にどう対処すべきか?
 せっかく作った作品だから無料でも多くの人に見てもらいたいのだが……うーん……。

   つづく
 


■第200回へ続く

(09.10.07)

 
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