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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第207回 2010……めでたくもありめでたくもなし

 2010年、僕にとっては「明けましておめでとうございます」と言って喜ぶ若さでもない。
 38歳、『銀河英雄伝説』の第1作目の劇場版『わが逝くは星の大海』を書き終えた時、酒の飲みすぎかどうか知らないが血を吐いて、知り合いの世話で栃木県にある自治医科大学病院に1ヶ月入院した。
 僻地医療の医者を育てるために作られた知る人は知っている日本でも有名な病院である。
 なにしろJRの駅名になっているほどだから、それこそ町全体に医療関係者が住んでいる感じで、病院の敷地は広大、敷地の森のような林には散歩道まである。病院本館の建物には上昇、下降、ふたつのエスカレーターがあるし、ガラス張りの渡り廊下はあるし、今でもSF映画のロケに使えそうな未来的な建築だった。
 看護婦寮などまるで団地である。
 そんな病院だから、患者のストレスも少なくあっという間に僕の病気は治り、ついでに体中、頭の中まで検査され、全く健康であると太鼓判を押されたのだが、そこで仲よくなったその病院のお医者さんや看護婦(今は看護師)さんたちと全快祝いで、タクシーで宇都宮まで行って、朝まで酒を飲んだ。
 ……暇な人は地図で見てください。自治医大駅から宇都宮の距離である。栃木県には盛り場といえば、宇都宮か小山ぐらいである。気分を発散するには、小山より宇都宮の方がいい。宇都宮といえば餃子だが、それだけでなく、深夜営業で若い人が楽しく飲める場所も多い。
 余計なことだが、僕の知る若い看護婦さんたちは、日ごろのストレスの発散のためかやたら酒に強く若さゆえタフである。昼勤務、深夜勤務など、2交代、3交代の不規則な仕事で、同じような不規則な仕事には国際線のスチュワーデス(キャビンアテンダント)があるが、彼女たちと恋愛などする時には、その不規則な勤務に対応できる体力が僕らにも必要とされるから、心しておくことだ。
 今だから言えるが、ある看護婦さんから夜の10時頃、東京の仕事場に人生相談風(?)の電話がかかってきて、次の日の午前4時ごろまで話をしていたら、急に相手の声が聞こえなくなった。こちらが何と言おうとうんともすんとも言わない。いったん電話を切ってかけ直したら話し中である。
 余計なことだが、その看護婦さんは寮の個室住まいで、自分の電話を持っている。電話といってもケータイはまだない普通の電話の時代である。留守番電話はあったが、まあ、そんなことはどうでもいい。
 電話が話し中である以上、他の誰かと電話しているのかもしれない。まさか看護婦寮の寮長さんに、その看護婦さんの様子を見に行ってくださいとも連絡できない。なにしろ、深夜の4時である。変な男からの電話で、その看護婦さんに妙なうわさがたっても困る。
 どうしたものかと思いつつ何度も電話したが、ずっと話し中……ぷーぷーぷー、である。
 やがて、外が白々と明るくなり、もういいや、朝の勤務時間になったら病院に電話しよう……と思ったら、午前7時過ぎに電話がかかってきた。
 「ごめんなさい。電話している途中で眠っちゃいました」
 つまり、僕と話しているうちに睡魔に襲われ受話器を持ったまま、眠ってしまったというのである。僕の電話は子守唄か、と言いたかったが、彼女たちの日ごろの激務を考えると「で、今は大丈夫?」としか言えなかった。
 「ええ、ちょっと眠いけど、これから仕事ですから」なんだか晴れやかな声である。
 この看護婦さん、病院ではいつもにこやかでてきぱきして、患者たちからも評判がよかった。
 当時、後藤久美子という国民的美少女がいたが、その看護婦さん、自治医大のゴクミと呼ばれていた。
 で、僕、当時38歳、彼女22歳……ついていけねえ、と思いつつの、宇都宮で深夜の飲み会である。
 ちなみに、僕がこの看護婦さんに最初に言った台詞は、彼女と病院の廊下ですれ違った時……。
 「あ……看護婦さん」振り返る彼女に「あなたの目……猫の目だね」
 何と答えたらいいか分からない様子の彼女に「いや、ただ、そう感じただけ……じゃあ」
 そう言って少し微笑んで、軽く会釈してそのまま振り返らずに立ち去る。
 ところで、これが脚本だとして、その後のシーンに、自治医大のゴクミが僕に聞く
 ゴクミ「どうして、わたしの目を猫の目だと感じたんですか?」
などという台詞は、絶対書いちゃいけません。
 事実、自治医大のゴクミは、そのことについてその後も一切、僕に言わなかった。
 どうしても書きたいなら、
 ゴクミ「……」
 少し間をおいて、ゴクミ、僕の後ろ姿に肩をすくめる……で十分。
 脚本なら、この後、深夜の人生相談電話に続けても不自然ではないはずだ。
 さて、僕は脚本家である。当時は『まんがはじめて物語』と『魔法のプリンセス ミンキーモモ』、そして『戦国魔神ゴーショーグン』のヒロイン・レミー島田と「美しい」が口癖の変な悪役ブンドルの作者である。
 ほとんどの看護婦さんがアニメなんか見てはいないのだが、ほんのちょっぴり、子供向け番組としての噂だけはあったようだ。
 大病院である。小児科だってあるのだ。子供たちには『ガンダム』より『まんがはじめて物語』のモグタンのほうが有名だった時代である。
 そこに、看護婦さんたちにとってはめったに出会うことのない、脚本家という職業の患者が入院である。
 脚本という言葉すらめったに聞かない。珍しいから興味を持つ。お医者さんだって興味を持つ。
 で、昔の僕は女性とお話しするのが下手ではなかった。そのせいか看護婦さんたちは忙しい中、よく僕と話をしてくれた。
 退院後も、通院を兼ねて看護婦さんたちやお医者さんたちの主要メンバーと宇都宮で飲み会になってしまった。
 僕も調子がいい男である。自分でもあきれる。
 看護婦さんたちの名前を聞いて、「いい名前だね。僕の書く登場人物の名前に使ってもいいかな?」
 『アイドル天使ようこそようこ』や『超くせになりそう』のゲストの女の子の名には、その看護婦さんたちの名前が出てくる。
 おまけに『まんがはじめて物語』の「看護婦編」では、看護婦寮の中をロケさせてもらい、彼女たちに出演してもらった。
 あいにく、自治医大のゴクミは仕事中でそのシーンには出演していない。
 「今どんなものを作っているんですか?」と、彼女たちから当然訊かれる。
 「クライマックスにラヴェルのボレロをぶっとおしに流す宇宙戦争アニメ」……『銀河英雄伝説』のアニメのことである。
 「ボレロですか……わたし、パバーヌが好きです」と、自治医大のゴクミが目を輝かして言ったので、パバーヌ、なんじゃそりゃ……と思ったが、口には出さずにCDで聞けば、えらく聞きなれたラヴェルの曲「亡き王女のパバーヌ」だったので、
 「いつか、その曲をモチーフにしたものを書くよ。君へのプレゼントだと思ってくれていい」
 歯の浮くようなことを、とみなさんあきれるだろうが、昔の僕はそういう台詞が自然に出てくるのである。
 それが数年後『戦国魔神ゴーショーグン』番外編「美しき黄昏のパバーヌ」という小説になり、後書きにちょっとだけその看護婦さんのことを書いてある。
 ぼくはここで、女性の口説き方を書いているわけではないし、その人と何かがあったわけでもない。
 ようするに耳を澄ませば、物語の発想のもとは、どこにでも転がっているということである。
 そして、言わせてもらえれば、僕自身あえて意識していたわけではないが、今考えると、言いたいことを台詞にするのが脚本の台詞ではなく、言いたいことを言わないのが上手い脚本の台詞だと言えるかもしれない。
 ついでに余談の豆知識、もし、あなたが入院する時は、口もきけないほど苦しい場合は別として、無理をしてでも最初の担当の看護師にできるだけいい印象を与えるようにしよう。最初の担当は、患者の症状と同時にその人の印象を次の担当に申し渡しとしてメモのようなものを書いて伝える。
 気難しそうとか。怒りっぽいとか。気のよさそうな人とか初見の感じを伝え、患者への対処の仕方を決めるのである。
 最初の申し渡しのメモに感じが悪いと書いてあったが、次の担当が接したら意外といい人だった……とは残念ながら、まずならない。
 最初の印象で、患者に対する接し方が決まる場合が多い……と僕は思う(と書いておかなければ、うちの病院は違うという反論がでそうだから、書いておく)。
 僕の場合でも、入院1週間目で初めて会った――その間休暇を取っていた――看護婦さんが、やたら親切だったことがあり、後で酒を飲みながら聞いたら、申し合わせの書類を読んで、なんとなくいいイメージを持って僕の看護にきたそうである。
 僕を最初に担当してくれた看護師に感謝したいなと言ったら、たまたまその酒の場にいて「脚本家なんてお仕事の人はじめてだったから、わたし大目に見たんですう」などと言って笑った。続いて「なのに、最初が私だったこと、覚えてないんでしょう」と、ちょっとだけ睨まれた。
 そういえば、自治医大のゴクミも最初の担当ではなかった。
 医者は、患者の症状を見て(または看護師から聞き)、その病気の治癒を目指す。
 看護師は患者の症状とともに、性格も見ている。そしてそれを交代する次の看護師に伝える。
 ようするに、最初の看護師への印象がいいと、引き継ぎの看護師の患者への対処もよくなるのである。それが、次へ次へとつながっていく。
 医者は病気を治せばいいが、看護師は患者の面倒をみなければならない。
 看護師も人間であり、看護は楽な仕事ではない。
 同じ面倒をみるなら、気持ちのいい患者のほうがいいに決まっている。
 しかも、昔ほどではなくとも過酷な看護師の仕事は、始めて3年がひとつのめどだと言われている。
 看護師になって3年目で仕事に疲れ止めていく人が多い。結果、看護師の仕事は、ベテランが少なく若い人が圧倒的に多いのである。
 看護師については、準看とか大学出とか、色々な問題があるようだが、ここではふれない。
 いずれにしろ看護に誇りを持ち、「白衣の天使」を必死でやってくれているが、日常の感情はどこにでもいる普通の若い人なのだ。
 しかも女性が多い。
 ガールフレンドと会う時のように好感度をあげておこう。
 話を元に戻す。
 宇都宮で、20代の女の子たちと40近いおじさんが、「38歳なんて全然おじさんじゃないですよう」なんて言われながらも、午前様でウイスキーのボトルをぽんぽん開けるのは、流石に無理があると思った。
 しかも全然酔わない。どんどん飲めてしまう。
 「僕、アル中じゃないのか?」
 何度も自分を疑う。
 救いは、飲んでいる相手が僕の体調を知っている医者と看護師であることだ。
 僕がアル中ならば。僕に酒を飲ますはずがない。もっとも、一緒に酒を飲んでいる医者も看護師の人たちも内科専門である。精神科ではない。
 アル中、いわゆるアルコール依存は精神科の分野とされている。
 「アルコール依存症には思えないけれど、気になるならば……早期に直すほうがいいに違いないし、いわゆる精神科、心療内科は脚本の仕事の参考なるかもしれないですね」と内科の名医は言う。
 で、日本一、いや世界一かもしれないアルコール治療病院を教えてもらった。
 しかし、診察を受け、なかば強引に入院もさせてもらったが、実際はアルコール依存症かどうかよく分からないのである。
 そりゃ酒を飲みすぎれば内臓を痛める。当り前である。けれど、危ない検査結果になれば、酒をやめてしまう。
 アルコール依存症特有の禁断症状もない。分かったのは、アルコールというよりタバコの依存症ということだ。
 日本有数の精神科医の方の治療も受けた。その医者と禅問答のような話を続けた結果、やたらと精神医学に詳しくなった。
 精神が完全にどこかに行ってしまった人は確かにいる。
 一方で、精神がふらふらしている人もやたらと増えている。病気でないのに病気だと思い込んでいる人もいる。
 その結果、精神科や心療内科が大繁盛である。
 ならば、物書きも大繁盛していいはずである。
 なぜなら、物を書くということは、人の心を描くことだともいえるからだ。
 物書きというのは、精神分析にたけている人か、病気である自分の心を表現できる人だろう。
 ところで、自分が病気ではないと思い込んでいることが、病気の証拠だとよくいわれる。これを否認と呼ぶ。
 僕は自分をなんらかの病気だとは思っている。じゃあ僕は何の病気なんだ?
 アルコール依存症者の平均寿命は52歳である。
 40代の頃、「あんたが52歳以上生きたら、アルコール依存症じゃあないかも」などと言われたこともある。
 実際、僕の40代の知人でアルコール依存症と言われた人は今、誰も生きていない。
 けれど、僕はアルコール依存症者の平均寿命をずいぶん超えて、アラ還になってしまった。
 これをアル還と呼ぶのだろうか?
 僕が知るアラカンは嵐寛寿郎……鞍馬天狗である(知っていますか? 正義の味方ですよ)。
 しかし、2010年、正義の刃は、悪を切り裂けるのか?
 ま、やるだけはやってみるが……。
 本来、1999年に『ポケモン』をあと10年以上やりたいと総監督に言われて、びっくりしてぶっ倒れた――けっして、それだけが僕が倒れた理由ではありませんが――その後のことを書くべきなのでしょうが、年明けですから、お屠蘇気分でアルコールのことを、実際には飲まなかったので書いてみました。あ、それと、脚本を書くときに参考になりそうなことも書いてあるのもお忘れなく……。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 ここに書いた著作権関係についても、脚本アーカイブについても、知人から言われた。
 どーだっていいじゃない、人それぞれ考え方が違うんだから、好きにやらせておけば……。それより、今の若い人たちの不勉強を指摘しなさいよ。ドルトン・トランボも、ロバート・ボルトも知らない若い衆に、脚本の話をしてもどこかのカルチャーセンターのゆとりぼうやを相手にしているようで空しいだけよ。
 確かにねえ……。この知人、橋本忍氏の名を聞けば、「私は貝になりたい」を観た私が貝になりたい、新藤兼人氏は「裸の島」で無声映画作っていればいい、と言いきるような人だから、その気持ちは分かる気がする。日本アカデミー賞の候補作だって、おおまけにまけて「ディア・ドクター」、候補になるはずもないケータイ映画の「天使の恋」のほうが、かーいい女の子が出ているだけましってなもんよ……であります。
 で、僕は僕で、すごいものを観た。大晦日、TVで紅白歌合戦の後、12チャンネルのジルベスターコンサートを見るのが恒例なのだが、カウントダウンの曲がホルストの「惑星」の「木星」で、宇宙衛星から野口さんの中継リクエストがあり、宇宙気分満点でいい感じのところに、出てきたのだ。
 キムタク君の古代くんがマジ顔で、コスプレ気分満点の沖田艦長がわらかしてくれて、「ドカーン」。わずか1分ほどで現実世界の銀河系を吹き飛ばしてくれた。そう、実写版「宇宙戦艦ヤマト」の予告スポットだ。そして昨日観た「アバター」というベトナム戦争時代の西部劇のような、原住民さん侵略してごめんなさい風反省SFにも、キムタク古代くん登場の予告編が「ドカーン」。
 「アバター」も吹っ飛び、今や日本映画の運命は、実写かアニメかコスプレか? わけのわからん宇宙戦争映画次第のようです。まあ1分足らずの予告だから何も申すまい……沈没か? 浮上か? 請うご期待!

   つづく
 


■第208回へ続く

(10.01.06)

 
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