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第211回 幻の第3弾から『結晶塔の帝王』へ
現実に存在したティラノサウルスの化石など出せば、『ポケモン』の世界観を壊す。そういう意見が当然出てくるだろうと思っていた。
それに対して、ポケモン世界の中にいては、ポケモンの世界が分からない。世界観にないものが現われてこそ、自分の世界が分かる。という答えを用意した。
地球は丸い。それは誰でも知っている。
実際に世界を一周して、元に戻っってきた人たちがいる。
太陽の周りを1年で回っている惑星だということも知っている。
だが、普通の生活では地面は平らなものだと思っているし、1年は時間の単位として使っている
実際、地球が丸いのを観た者は、20世紀に宇宙飛行士が現れるまでいなかった。
地球が丸いのが、はっきり実感されたのは、その時だっただろう。
余談だが、それでもこの地球には、地球が丸いどころか主に宗教上の理由で地球は平らだと思っている人が現在もいる。
つまり、自分の生きている世界がなんであるか知るためには、外側からの視点が必要になる。
自分の通常の世界では考えられないものが現れた時、自分の世界を改めて見つめ直すことができる。
ポケモン世界は、ゲームクリエーターの作りだした架空の世界である。
架空の世界が現実の世界になっている。そこでは、現実の世界の動物がいないことになっている。
だが、ありえないものが現れた時、自分たちの世界がどんなものか再認識できる。
だから、ティラノサウルスの化石が現れても『ポケモン』の世界観は変わらない。
しかも、恐竜そのものが出てくるわけではない。恐竜の化石である。
そして、恐竜がどんな動物であったか、実はまだよく分かっていないのである。
我々がイメージする恐竜は化石から計算しイメージする予想図である。
ティラノサウルスといえば、みなさんがイメージするのは「ジュラシック・パーク」に登場するティラノサウルスに近いものだろう。
要するに背びれのないゴジラのような恐竜である。
肌の色は茶褐色か黒ずんで地味なものが多い。
けれど、肌の色など実際は何も分かっていないのである。
赤、黄色、緑、青、それが混ざり合った色かもしれない。
僕の子供の頃、恐竜は爬虫類だといわれていたが、その説が最近あやしくなっている。絶滅したはずの恐竜が、進化して今も生きているという説もある。
それが鳥である。これはかなり有力な説だそうである。
幻の映画『ポケモン』第3弾に出てくるのは、化石のティラノサウルスである。
博物館に陳列されている、最近の映画では「ナイトミュージアム」にでてくる化石のティラノサウルスである。
それは生物ではなく、石なのである。
ポケモンはゲームクリエーターが考えた架空の生き物である。
だから、ポケモンがなんであるか分かっている。
恐竜は、実在していたが、実はよく分からない動物である。
そして今は、石になっている。
分かりきっている架空の世界に、よく分からない現実の世界の何かをぶち込めば、架空の世界がより現実味を帯びてくる。
現実の世界はよく分からないことが多いからだ。
だから、ティラノサウルスの化石が出てきても『ポケモン』の世界観に現実味を加え強固にすることになるかもしれないが、『ポケモン』の世界観を壊すことにはならない。
しかも、幻の映画第3弾では、「いったいあれはなんだったんだろう?」「そして我々の世界はどんな世界なのだろう?」でエンドマークが出る。
結局、このプロットは却下された。
その理由は、「『ポケモン』の世界観を壊す」でも「『ポケモン』に訳の分からない余計なものを出すな」でも「テーマに難がある」でもない。
「無機質なものに、意識が宿り動きだすというストーリーはヒットしない」というのがその理由だった。
御前様がプロデュースした『ポケモン』以前のアニメに、ミニ四駆とタイアップした作品があり、その映画化がヒットしなかったというのだ。
それが、意識を持ったミニ四駆が暴走するというものだったらしい。
僕は観ていないし、ヒットしなかったと言われても、その興行収入がどれほどのものだったか知らない。
劇場版『ポケモン』との比較ならば、ほとんどの映画がヒットしたことにならないだろう。
『ポケモン』アニメとミニ四駆アニメとは違うし、そもそも監督も脚本家も違う。
それに無機質なものに意識が宿るというストーリーは、別の魔女っ子アニメシリーズで映画『ポケモン』第3弾の監督と脚本家がさんざんやっている、いわば得意分野である。
余計なことだが、そのミニ四駆アニメの監督は、僕ともあるアニメシリーズを一緒にやったことがあり、無機質なものに意識が宿るというストーリーが得意なはずである。
ともかく、作品内容やテーマで否定されるなら反論のしようもあるが、ヒットするかしないかといわれれば、分かりませんと答えるよりない。
第1弾の大ヒットは、世界の観客を意識したとはいえ、結果は予想をはるかに超えた奇跡的ともいえる興行成績だし、第2弾はその年の日本映画では大ヒット、世界でヒットした日本映画として2位のものである。1位はもちろん劇場版『ポケモン』第1弾だ。
御前様は、第1弾の成績からすれば、第2弾の成績も不満だったようだ。そして今度の第3弾である。
映画『ポケモン』は、なによりまずヒットすることが義務づけられてしまっていた。
期待も大きいし、膨大な数のさまざまな人が、映画『ポケモン』がヒットするかしないかによって影響を受ける。
そして、御前様は過去の経験から、「無機質なものに意識が宿り暴走するストーリー」はヒットしないと思い込んでいる。
御前様は、マルチメディア展開で作品をヒットさせる、自他共に認める才能のある人である。
だが、劇場版『ポケモン』第1弾も第2弾も、御前様のヒット理論からすれば気にいっていたものではなかった。
そして第2弾は、第1弾と比べれば、成績はかなり低いものだった。
第3弾は、御前様のヒット理論にかなうもので第1弾をも超えるヒット作にしたい。
だが僕は、ティラノサウルスの化石の登場する作品が絶対ヒットするか、と聞かれれば、そこまでの責任はとれない。
内容には自信があるが、それがヒットするかしないかは分からない。
もし、ヒットしなかった場合、お前の脚本の責任だと言われても、「すいません」としか言いようがない。
けれど、『ポケモン』は、僕と監督が「すいません」と言っただけではすまない大プロジェクトになっている。
劇場版『ポケモン』の責任者は御前様である。ヒットするしないの結果は、責任者に取ってもらうしかない。
彼が「無機質なものに意識が宿り暴走するストーリー」はヒットしないと考えた以上、何を言っても論点がすれ違う。
作品がヒットするかどうかと、その作品内容がいいか悪いかは、かみ合わないのだ。
そして、映画『ポケモン』はヒットすることが一番大切なことだということは、僕も分かっている。
ティラノサウルスの化石暴走は、なにも映画『ポケモン』でやらなくてもできるテーマである。
ヒットするかしないかで却下されたのなら、あ、そうですか、とあっさりあきらめた。
「じゃあ、別の話を考えましょう」と気楽そうに答えた。
だが、正直、気分はどっちらけで、脱力感に打ちのめされていたことは確かである。
なにせ半年近く考え続けていた作品だったからだ。
小田原に帰って、あびるほど焼け酒を飲んだ。
数日後、遅れていた次のポケモンゲームのポケモンのうち、4種類のデザインが決まったと知らせがあった。
不思議なポケモン、アンノーンと、強力なポケモン・エンテイを含む4種類である。
他のポケモンはまだ決まっていないが、この4種類をメインにして映画を作れないかという。
映画の上映とゲームの発売時期をリンクさせたいという。
映画の制作中に、他のポケモンのデザインも続々と決まっていくだろうが、とりあえず、脚本段階では4種類だけである。
アンノーンなどアルファベットの集合体のようなポケモンである。
なんだかわけのわからないポケモンである。
こんだけじゃお話なんか作れないよ……と、各プロデューサーも思ったようだ。
ゲーム制作に近いプロデューサーは、一所懸命、アンノーンの意味づけを考えてくれた。
またミュウツーを出そうなどという意見、人気のあるリザードンというポケモンを出そうという意見、いろいろと会議で飛び交った。
しかし、ティラノサウルス化石が却下されて、焼け酒を飲んでいるうちに、僕の中に、違うストーリーが浮かんでいた。
『ミューツーの逆襲』の前編にあたるラジオドラマ(CDになっている)「ミューツーの誕生」の中で出てきたクローンの女の子・アイの時に思いついたアイデアだった。
「ミューツーの誕生」のプロット段階では、アイの名はミーだった。
しかし、脚本上で、ミーをアイに変えた。
もちろん語源は「私」のI・MY・MEだが、ミーはアイより語感的に自己主張が強い感じがしたのだ。
はかないクローンの女の子には、ミーよりアイのほうが似合っているような気がして変えたのだが、もうひとつ理由があった。実は、僕の娘の名前は三穂という。略称がミー。
『ポケモン』のTV放映開始の2年ほど前に生まれ、『ミュウツーの誕生』の頃は2歳か3歳だった。
僕が45歳の時に生まれた女の子である。
ということは、娘が多感な青春時代を迎える頃には、僕はもういいじいさんだ。もしかしたら死んでいるかもしれない。
母と子の関係を描いた作品は多いが、父と娘の関係を描いた作品はそう多くはない。
まして、40以上も年の差が離れた父と娘の関係はめったにない。
普通でも、女の子と父親の関係は、女の子が成長するにつれて希薄になる。
女の子が成長すればするほど、父親の存在は女の子から遠くなる。
実際、若い頃の僕のガールフレンドたち――さほど数は多くはないが――との会話に「母」「ママ」はあっても「父」「パパ」の話題はほとんどなかった。
こちらから、「君のお父さんは?」と話題を振っても、「いるわ」とか父親の職業を答える程度である。
父親の娘への思いが、あまり届いていないのだ。
女の子にとって、父親とはどんな存在なのだろう。
そして父親の娘に対する思い……それが映画第3弾『結晶塔の帝王』になった。
個人的には、あてにならない物書きという職業の父親は、年老いては、成長した娘に何もしてあげられない――おそらく娘も何も望まないだろう。ならば、この映画を僕からの娘へのささやかなプレゼントにしようと思った。
だから、『結晶塔の帝王』の主人公の女の子の名前はミーにした。
もちろん、プロデューサーもスタッフもそんなことは何も知らない。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
先日、連絡が取れた人達の中で、時間の都合のいい方たちだけが集まって「まんがはじめて物語」シリーズの同窓会が、TBSの関係者専用のレストランで、ささやかに開かれた。
1978年から始まり、2001年記念番組があり、今もどこかで放送されていて続編制作のうわさもたまにでる作品群だ。
30数年の期間である。スタッフの中には亡くなった方も多い。
それでも、思い出話に花が咲き、気持ちのいい会だった。
ところが、もうひとつ、僕の関わった魔女っ子ものの30周年を記念すると称するミュージカルのほうは、大混乱である。
オリジナルストーリーでオリジナルキャラクターによる、とあわてて題名に付け足しているが、ミンキーモモという名前が付いているから、まぎらわしい。作品の設定も似ているから、事情を知らないアニメの『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の旧スタッフ、キャストには、旧アニメの舞台ミュージカル化だと思っている人もいるだろうし、なにより、昔のファンは勘違いするだろう。
いつの間にか、旧アニメの原作や原案の名前が消されて、そのミュージカルには原作者名が載っている。
旧アニメの制作会社の当時、社長だった人の名前である。
旧アニメのスタッフの反応は様々だが、肯定的な人はほとんどいない。
少なくとも、旧アニメに関わった脚本家(40名近くいる)は、著作権の関係もあり、「告訴しろ」の声も多い。
多分そうならざるをえないだろう。
題名には著作権がない。だから、だれが『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を作ろうと勝手である。
ただし、特殊な契約をしていないかぎり、キャラクターデザイン、脚本、監督によっては著作権があるはずである。
アニメの『ミンキーモモ』の台詞には、総監督いわくの「ミンキーモモ文法」があるし、ミュージカルにそれを使えば著作権侵害・盗作になる。
つまり、旧アニメスタッフの了解を得ず(旧アニメに関わったスタッフは、今回のミュージカルを作る会社に1人いるだけ、当時の社長である)、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を自分のものだと思い込んで、強引に旧アニメがどんなふうに作られたかも知らず金もうけに走ろうとするから、混乱を起こすのである。
旧アニメには思い入れの深いファンも多い。
旧アニメの制作当時は、ごたごたもなく、それぞれにスタッフ・キャストが熱意を込めて作っていた。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は様々な人の熱意の産物である。
初代ミンキーモモには登場人物たちの合唱シーンがあるが、それを歌っているのは、朝8時にビクターのスタジオに手弁当で集まったスタッフ、キャストである。2代目ミンキーモモの「ええだば音頭」は、キングレコードで録音されたが、そのバックコーラスはスタッフの手弁当である。
そんなことを、今回のミュージカルの制作者は知っているのだろうか?
もう、僕だけの問題ではない。
僕は裁判沙汰は避けたい。旧アニメのファンやスタッフ・キャストの思い入れのある『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が汚される気がしてつらいのだ。
ただ、この会社で『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の3代目アニメシリーズは無理だろう。
2代目の『ミンキーモモ』の時、雑誌や放送局の協力を得て、一般からプロットを募集した。
その中から2本がエピソードとして採用された。
残りのプロットはどうなったか、こんな状態では心配する人もいるだろう。安心してください。ちゃんと、僕の知っているところにある。
おそらく、その会社には『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のシナリオは全部そろっていないはずである。
全部ゴミとして捨てて、後で続編を作りたいという時、僕のところに借りにきたことがある。
もちろんそのシナリオは返ってはこない。
海外でも評判の『ミンキーモモ』と今回のミュージカルのPRにある。以前、その会社は、それは海賊版だと言っていた。だから著作権料はでない、と。
つまり、そういう体質の会社なのである。
余計なことだが今回のミュージカルに関わっている方、ギャラは前払いで貰っておくことをお勧めする。
つづく
■第212回へ続く
(10.02.10)
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編集・著作:
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