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第216回 病院の天井を見つめつつ……
『ポケモン』映画3弾『結晶塔の帝王』1稿の原稿の直しを、ほかの脚本家の方に託し入院した僕の体調は、いつものごとく、点滴を受けつつ安静にしていたら、2週間ほどたつと元に戻った。
しかし、ほかに体の異常はないか調べるために1ヶ月入院した。
その間、自分の今までの人生について、様々なことを考えた。
これで、『ルギア爆誕』の決定稿を書きあげてから数えて2回目である。
1年1度、『ポケモン』映画を書き上げるたびに倒れていたら、今後、毎年1回、入院することになる。
制作スタッフからすればえらい迷惑だろうし、僕自身、体が保たないだろう。
僕は若いときのように無理は利かない、いいおじさんである。
余談だが、今年の3月18日から4月19日まで小田原文学館で開かれる僕の脚本を中心とした資料展を目前にして、東京の自宅の物置から、放り込んであった関連資料が見つかった。そこで、この機会に見直してみた。
小田原にあった僕に関した脚本などの資料は、図書館のご厚意で僕からの寄贈というかたちで保管してくださって、分類され、インターネットで検索できるようにしていただいてある。それ以外にあとからみつかったもの、欠落していた脚本や僕自身の手元にないものを関係者の方が僕のもとに送ってくださったものなども、寄贈させていただいている。
仕事とはいえ保管スペースの確保や検索を容易にするための分類はとても大変であるから、図書館の方たちにご迷惑のかからないように、できるだけまとめてお送りするつもりではいるのだが、小田原に住む以前の、散在してしまったと思われたものが次々に見つかってくる。僕のシリーズ構成したアニメの予告は、アフレコの予告録音の数十分前に、アフレコ現場の雰囲気でアドリブで原稿用紙の裏に殴り書きし、いきなり声優さんにしゃべっていただいたようなものが多いが、そんな原稿まで見つかってくる。
僕の予告は、本編よりも面白いと言われたことのあるぐらい奇妙なものがある。
ちっとも次回の予告になっていないものもある。
たとえば、シリーズが終わった最終回に予告の時間が余っていて、
「ねえ、予告をやろうったって、これ最終回。予告をするものがないわ」
「じゃあ、私たちと関係ない作品の予告をさせてもらおうよ」
「失業しなくてすみますね」
「私たちに予告を読んでもらいたい作品は、ご連絡ください。電話番号は……」
ピーと、放送局の警告音がはいり……
「さすがにそれはだめか……」
「そうみたい……」
そんな殴り書きである。
いくらなんでもこんな原稿、図書館が保管してくれるはずがない、とは思いつつ一応図書館の方にうかがってみると、「アニメのアフレコ状況を知る上で面白い資料かもしれません。ともかく、首藤さんの作品関係で手にはいるものは、できるだけ保管整理します」と、おっしゃってくださる。申しわけないやら感謝にたえないやら。
ただし、こんな変な原稿は、この春の展示には入っていない。展示物の選択は、図書館の方たちにおまかせしている。
で、今回、物置から発見された書類の中に、英語で僕を紹介しているものが見つかった。
代表作と略歴、作品の特徴が記されているが、どこで調べたのか、僕の描くキャラクターの性格から、その性格を表現するために小山茉美さんや林原めぐみさんが常連になっているなどということまで書かれている……まあ、それはそうかもしれない。
それによると、僕のセリフは、七五調の歌舞伎の黙阿弥の影響を受けているとか……本当かね?
まあ、そこまではいいとして、続いてこうある。“彼はexcellentなライターであると同時に大酒のみとしても知られており、特にスポンサー相手のときにもっと酒を飲む”とあり、“ついに2000年夏、肝臓障害で倒れ、シリーズコンストラクションのポストを止めた。しかし、今も、多くの脚本を書いている……”
わあっ、である。
まんざら嘘ではないから、否定はしないが、僕は大酒飲みとして、外国にまで知られているのか?
『ポケモン』のシリーズコンストラクションを止めさせていただいたのは、肝臓障害が理由ではない。
病院の個室で、1人で自分の一生を考えたのである。
なんだか、いいかげんに生きてきたなあ……こんなに好き勝手に生きていいのだろうか。
一生は1度である。
何か、本当にやりたいことはなかったのだろうか。
本当にすべきことはなかったのだろうか。
なんだか、子供のころは、やりたいことがいっぱいあったような気がする。
どんなことにも興味を持つ子供だったはずである。
ところが病室の僕は、書いていないと何もしていない無職の病人である。
そもそも、僕は、文字を書くという行為が嫌いである。
僕は本来、左利きである。
どうやら子供の時に、だれから言われたわけでもなく、文字を書くという行為は右手を使わねばならないと思い込んだようだ。相当な苦痛だった覚えがある。
絵を描くのは左が主であり、そのうち右手も使えるようになり、両刀使いになった。
しかし、いまでも基本は左手である。
左手優先ではじまった絵は好きである。
しかし、自分の思いや考えを、絵で表現したいとは思わない。
文字を書くより絵のほうがいいと思うだけである。
頭の中に浮かんだいろいろな思いや考えは、そのまま自分の中に頭にしまっておけばいい。
しかし、人間の社会では、人間は1人では生きていけない。
1人で生きていけない以上、誰かに自分を表現しなければならない。
表現にはいろいろな方法がある。
なにも文章を書くという表現方法を使わなくてもいいはずである。
文章を書くということは、自分の思いを誰かに――もしくは自分自身に――表現するための手段のひとつでしかない。
それなのに、なぜ文章を書く仕事をしているか。
楽だからである。
絵は楽ではない。どんなに抽象的な絵であろうと、相手の心に自分の思いを伝えるには、基本的なデッサン力が必要である。
音楽も楽ではない。人の心に音楽で自分を伝えるにはデッサン力が必要である。
そのデッサン力を生まれながらに持っている人もいる。いわゆる天才だが、普通は楽器や楽譜や歌唱力などを鍛えなければならない。
もっとも簡単な表現は会話だろうが、会話が成り立つには、語学力以前に相手の気持ちがわかる能力がいる。
僕は、かなり好奇心の強い子供だった。言葉はわからなくても、自分なりに相手をわかろうとしていたようである。それが、ひとりよがりだとしてもだ。相手は人間に限らない。森羅万象、何もかもが興味の対象だったようである。
……わあ、偉そうなことを言っておるなあ。
だから会話(身振り手振りなどの動作を含めた)は、楽とか苦とかいうより面白い行為だった。いろいろな人と出会い対話(ふれあいともいう)するのが、少なくとも若いころは苦ではなかった。
書くより楽なそんな対話が、商売になりかけたこともあった。
セールスである。なんだか知らないが、僕の対話の仕方がユニークだったようで、かなり優秀なセールスマンになりかけていた。
だが、しばらく続けて、これはまずいと気がついて止めた。
セールスは、物を売る。その売り物が悪ければ、詐欺である。だましである。
僕は自分の売る物に、確実な自信は持てなかった。
そして、対話でものを売りつけるセールスは、物を売ることではなく、実は自分自身を売り込んでいることに気がついた。
僕が最も自信が持てないものが、自分である。
そんなものをセールスしてはまずい。
自分で自分をだましているに等しい。
だが、相手が僕を欲しがるのなら、それは自分を売り込んでいることにはならない。
相手が買いたがっているのである。
僕は楽がしたい。徹底的な面倒くさがりやで怠け者なのである。
会話の次に楽な表現は、他の表現に比べたら比較的楽な文章を書くことだと思った。
努力なんかしない。好奇心の持てるもの、興味の持てるものを調べたり体験するのは、勉強ではなく楽しみである。
あ、僕の好きなタイプの女性も、興味の対象であることは言うまでもない。
そうやって、幼年期から青年期まで好奇心の強かった時に自然に自分に身についたものを文章化した。
ただし、自分に自信の持てるもの……つまり、自分のやりたいもの、好奇心の持てるものしか書かないことに決めた。
僕のデビュー作は、時代劇で、最初はやりたいタイプの作品だったが、やっているうちに嫌になった。僕の最初のシナリオ作品を評価してくださった先輩が、ずいぶん手助けしてくださって放送にこぎつけていただいたものだ。
先輩に迷惑をかけたくなくて、しばらく書くのを止めた。
なにより、自分のやりたくないもの、好きでないものを、書くという嫌いな行為で表現したくなかった。
それから、しばらくして、絶対にシナリオライターにならなくてはならない状態に追い込まれた。
このコラムの1話に書いた状況である。
なんのことはない、昔のガールフレンドとの約束を裏切りたくなかったからだ。
で、好き勝手に書いたら、それが評価されて、以来、ほぼ勝手放題である。
やりたくないものは断ったし、途中で作品の制作方針が変わったので、病気を理由に途中で降ろさせていただいたものもある。
結果、僕の脚本歴にはいわゆる原作のある脚本は少なくなり、原作があってもかなりちがったアニメ作品になった。
もちろん、そんな場合、原作者や編集者の了解は受けたうえでのことである。
もちろん出来不出来はあるだろうが、ともかくやりたくないものには関わらなかった。
自分から企画や脚本を売り込んだこともない。
それでも、なんとか仕事が舞い込んできた。
若いころは僕の脚本を面白がってくれるプロデューサーや監督と出会い、評価してもらい、舞台ミュージカルを書き、普通なら望むべくもない著名で優秀なスタッフによる作品の台本を書かせてもらい、ついでに演出の真似事までさせてもらい、知らないうちにアニメでは気の合う若手演出家、プロデューサー、そのほか伸び盛りの優秀なスタッフ、声のキャストと一緒に仕事をするようになっていた。つまり、様々な出会いがラッキーだったのだろう。それが、知らず知らず勉強になってもいたと思う。
若い時からいろいろな作品のシリーズ構成格にされたこともあって、脚本家の起用法などで、常識外れの作品作りができたのも幸運だった。
年がら年中、病気で行方不明になり、作る脚本は変だから、普通だったら10年もしないうちにこの業界から追放されていただろうに、自分でも不思議だった。
しかしである。それでも40代の終わり、結婚もし、子供もでき、病室の中で天井を見上げていると、僕の人生はこれでいいのか、と思わずにいられない。
こんなふざけた一生でいいのかと考え込んでしまったのである。
なぜなら、いまだに、自分が何であるかわからないのだ。
書かなければならない約束のものもあるが、それを書ける能力があるかどうかもわからない。
僕は自分のことを電話で「あの……ライターの首藤ですが」という。
先輩の脚本家からよく怒られた。
「ライターなんて言うな。脚本家の首藤。作家の首藤と言え」
でも、やっぱり、僕はライター、ダンヒルでもカルチェでも100円ライターでもない。せいぜい煙草を3箱買うとおまけについてくるライター。
謙遜じゃない。本当にそう思うのだ。
そして、たまに飲む酒は、ワンカップ大関2本。最近、東京では売っていないようだが、市販の精神安定剤リスロンかワット1箱――もちろん入院中は飲まないが――ただし、禁煙中だった煙草は3ミリを1箱。
病院での僕は、決定稿に向けて直しが続いているだろう映画第3弾『結晶塔の帝王』のことはまったく考えていなかった。
たまに考えたのは映画第4弾の内容……しかし、まったくアイデアが浮かんでこなかった。
考えていたのは、いつになるかわからない『ポケモン』の映画、最終編の内容。
それは、ゲームの販売もTV放映も終わらなければ、絶対作れない内容だった。
総監督は、『ポケモン』映画2弾の時、あと10年は続けたいといった。
その方向方針でいくのなら、30年は続けられると僕は思った。
『ポケモン』という作品はその力がある。「男はつらいよ」はフーテンの寅さんの渥美清さんが亡くなって終わったが、アニメである『ポケモン』のピカチュウとサトシとロケット団トリオは永久に死なないからだ。
もちろんその時は、僕も現在のスタッフも現役としてはいないだろう。
そんな先の映画のエピソードを考えている僕は、そうとう精神的に参っていたのかもしれない。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
これでもずいぶん遠慮して書いている。
実は、いつか、アニメのミュージカルの話を書こうと思っていたのだが、舞台で生のアニメミュージカルとは――まして魔法もので子役を使うミュージカルとは――仰天するほどお金がかかるだろう。もう一度言おう。舞台は生ものだ。事故に対する対処は? 子供の観客の反応も細心の注意が必要だ。
舞台ミュージカル経験のない制作者は、予算だけ提示して、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品のテーマを理解していないミュージカル経験者に、丸投げで任せるしかない。おまけに肝心の制作者も、初代・2代目の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が、どのようなテーマでどのような熱意で作られたか知ってはいない。そして、費用は予算をおそらくオーバーする。
舞台ミュージカルは、予算オーバーを予想して余裕を持っていないと大変なことになる。その忠告はしたはずだ。でも、やっちゃうのね。
先週、このコラムに、ミュージカルをするなら、とりあえず1年前に出したBlu-ray版の初代『ミンキーモモ』の著作権料ぐらい出してからにしてください、と書いたけれど、これ、皮肉のつもり。
この会社、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に限らず他の作品についても、パチンコやらゲームやらいろいろな面で、著作権、脚本家印税、そもそも作品の版権その他があやふや。それも、ここ10年近く……。
いまさら、Blu-rayの著作権料など誰も期待していない。もはや、問題は金銭ではないのだ。
ハードがなくなったLDと違いDVDがまだ健在な現在、Blu-rayに要求されるのは、まず画質や音質だろう。
従来のDVDをBlu-rayにするなら、それなりのレベルアップが期待されて当然だ。
このBlu-rayはその期待に応えているのだろうか。その期待に応えていないBlu-rayが売れると思っているのだろうか。
ネットの時代、噂はあっという間に伝わる。
高額商品だけに、その期待に答えが出てないと、ファンが裏切られた気持ちになるのは当然だし、その怒りは、初代『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のスタッフに向けられがちになる。
パチンコの時も「なぜ『魔法のプリンセス ミンキーモモ』をギャンブルに使うんだ」という非難が、スタッフから僕のところに来て、困惑した。パチンコをやらない僕が知るはずもなく、僕が知ればいい気持はしなかったろう。
はっきり言って、かわいそうなのは『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品自体、ファンだ。
初代のファンは若くても40代前後、2代目でも30代前後。
ミュージカルは親子連れの観客層とグッズ販売が狙いだろうけれど、まともなミュージカルをやってペイできると思っているのだろうか。
制作者の最終目的が、新しい『ミンキーモモ』(3代目とはもういわない)のアニメ化なのはわかっているけれど、2代目から20年……その間に打つ手はあったし、いろいろな人が無駄に協力させられている。そして、みんな止めてしまった。
初代や2代目のようなスタッフは、もう集まらないだろう。
仮に裁判となっても、こちらの目的はミュージカルをつぶすことではない。勝っても負けても構わない。
でも、時期としては『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を作ったスタッフが誰もいない今が、一番被害が少ない。
今、まともな制作会社は、著作権料を払うのを当然だと考えるようになってきている。その流れを、目先の利益に走る制作会社のために逆行させるわけにはいかない。
あなたが脚本家なら、権利をうやむやにする会社の作品の脚本を懸命に書こうとするだろうか。
結局、良質な作品は、目先の利益を求める会社からは生まれなくなる。
新しい『ミンキーモモ』を待ち望んでいる下請けの会社はいくつもあるでしょう。
しかし、数年前、わずか13本のロボットアニメもまともに作れなかった会社に期待するのは危険というものだ。
21世紀の『ミンキーモモ』の夢がお金儲けだったら、それは妄想に終わる。
今は、ミュージカルの『ミンキーモモ』がファン、ミュージカルのスタッフ、キャストを巻き込んだ大災害にならないことを祈っている。
そして、今回のミュージカルは初代、2代目『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に関わった人たちとは関係のない、別のオリジナルだと言い張ってくれるといいのだけれど……なにしろ、著作権侵害部分を100本近い脚本から探すのは重労働なので。
あ、それから、「ええだば、ええだば」「なるようになるだばないだばさ」は微妙じゃないかな。「ええだば音頭」と「ダバダバ・フォーリン・ラブ」は、JASRACに登録されている。
作曲は若くして亡くなった岡崎律子さん。「4月の雪」という歌はオーディオ・ドラマ「ミンキーモモ 雪がやんだら」の脚本のプロット段階から曲作りに入り、半年ぐらいかかった曲だった。
つづく
■第217回へ続く
(10.03.17)
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編集・著作:
スタジオ雄
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