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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第22回
「街角のメルヘン」の誕生 1

 「十八才の童話(メルヘン)」こと「街角のメルヘン」は、僕の作品群の中でも、一風、変わった位置を占めている作品である。
 この作品の現在までを語るには、僕の作品歴の40年分の年月がかかる。
 他の僕のシリーズとの関係も無いとは言えないが、その都度、お話していたのでは、このエッセイの中で、読んでいただいている人が、忘れたころにこの作品の話題がでて、エッセイとしての全体のバランスを壊してしまう危険があると思うので、ここらでまとめて、一気に、書いて置こうと思う。と、思ってまとめたら一回分で、枚数が済まなくなった。
 少し余談めいた話が入ってきたからだが、お許しいただきたい。
 さて、この脚本「これは日本では作れないね」「世界中のどこの国も映像化できないだろう」「この脚本は、生まれるのが十年、早すぎた」とか、言われた。
 実際、十八才のシナリオ研究生の書いた脚本を、誰が映像化しようとなど思うだろう。だが、万が一、作ろうという奇特な人が出てきたとしても、無理な作品だったと思う。なぜ、たった二人が登場するだけの作品を作るのが難しいか、その答えは簡単である。舞台が新宿の西口から公園への道でなければならないからだ。
 他の国に、新宿の西口はない。じゃあ、西口でロケをすればいい。新宿でロケをした作品など、どこにでもある。
 だが、この作品には、ロケなどとても不可能なカメラアングルが必用だった。高層ビルから雑踏の中の二人、そして、行き交う人々たち全てにピントの合うレンズが当時も今もある筈もなく……仮に広大なセットを作っても、桜の散る春、雨の六月、アスファルトの湯気立つ夏、そして雪の降る冬……その全てが、本物でなければ効果がでそうになかった。今、日に日に進化しているCGを使っても、写っている道の距離感で変わる空気の厚みまで表現できるところまでは至っていないだろう。
 しかも、素知らぬふりをしながらも、どこかでカメラに写ってますという意識のあるエキストラの群れが、季節に合った衣装をとっかえひっかえ、二人の周りを歩き回られても困るのだ。
 そもそも、主人公の二人そのものが、群衆の中にまぎれている一部でなければ、ならない。
 シナリオを書いた本人が、映像化など無理だと最初から思っていた脚本だった。
 しかし、映像化はされなかったが、評価はされて、色々な余禄を生んではくれた。
 その変わったものの一つを披露すると、研修科の先生の中に、山田信夫氏(代表作は、石原裕次郎主演の「何か面白いことないか」だと僕は思う)という脚本家がいた。この方は、当時、日活の脚本家として飛ぶ鳥を落とす様な勢いのあるシナリオライターだった(この人の紹介をすると、多作でもあり、あまりに長くなるからインターネットで検索でもして欲しい……ごっそりと、山田信夫氏関係が出てくるくるから、そちらにお任せする。こういう点では、本当にインターネットは便利である)。山田信夫氏は脚本を書くときには、原稿用紙ではなく、仮名文タイプライターを使っていた。
 ワープロの無い時代、ぱちぱち音を立てながらタイプライターを使うのは、手を酷使してなる病気、書痙になる心配もなく……それだけ仕事量が多いということで……何となく、カッコ良かった。しかし、仮名文タイプは、漢字変換をしてくれない。タイプライターを原稿用紙に書き直す作業が必要になってくる。
 山田氏は、その頃、当時の日本では、屈指の超大作の脚本を書き始めていた。
 五味川純平原作、山本薩夫監督、「戦争と人間」上映時間3時間以上の第1部である。その後「戦争と人間」は三部作まで続き、全十時間近い大長編映画になるが、太平洋戦争前夜の満州事変、ノモンハンの戦いあたりまでを背景にした作品で、多少、日本共産党系に偏向して描かれているが、受験勉強で手薄になりがちな部分、昭和史の一ページを知る手がかりにはなるから、その意味で、時間のある人は、最近、DVDになって出ているから見て損はないと思う。
 その超大作の第1部のタイプ用紙から原稿用紙へ書き直すアルバイトをやらないかというお声がかかったのである。
 何と言ったって、山田信夫に山本薩夫に「戦争と人間」である。
 脚本の勉強になるから、こっちからお金を払ってでもやるべきだと、みんなから言われた。
 なぜ、山田氏が、そんな自分にとっても大切な超大作の脚本を、原稿用紙への書き直しとはいえ、僕に依頼したかというと、シナリオ研修科の入所試験風の提出シナリオで「十八才の童話(メルヘン)」を読んだからだそうだ。研修科に入ると、講師を引き受けてくれている人たちの中から三人の専任の先生を選ぶことができたが、「十八才の童話」を読んで下さった関係もあって、僕は三人の一人に山田信夫氏を選んだ。
 山田氏としては、その関係もあるし、僕にプロが仕事する様子を見て勉強しろという意味と、若い目から見た意見も聞きたかったようだ。生意気な僕は、時々、意見を言ったが、山田氏は、笑って聞き流し、もちろん、一つも採用されなかった。
 ただし、原稿用紙に書き直す時には、「勝手に、台詞や、ト書きを書き直すなよ」と、なぜかくどいぐらいに言われたのを覚えている。
 そんなことを、やりかねない奴だと思ったのかもしれない。
 もちろん、そんな失礼なことをした記憶などないが、字が汚い、誤字脱字が多すぎると言う理由で……山田氏本人から言われたのではない。別の人から、山田氏がそう言って嘆いていたと聞いたのである。確かに字が汚かったことは自覚しているし、脚本の面白く無いところは書き飛ばして、誤字脱字に注意を払わなかったことは認めるが……「戦争と人間」の原稿用紙書きは、その1部限りで、仕事の話はこなくなった。
 山田氏としても、アルバイト代以外に、仕事が一区切りした時に、山田氏が仲間を呼んで息抜きにやった麻雀で、僕が役満を一夜に二度あがるなど、僕の一人勝ちで、経費的にも予想外の損害だったろう。
 だが、著名な脚本家が、孤独であるはずの脚本を書くという作業の様子を見せてくれたことには、とても感謝している。
 脚本を書くときに欠く事のできないものと言う人もいる「箱書き」(映画のシーン構成を四角い箱のような枡に書いて並べたもの……おおまかなものを大箱といい、思いついたト書きや台詞まで書き込んだ、詳しく細かいものを小箱という)の実物を見せていただいたのも参考になった。……もっとも、山田氏は、いつもは箱書きは書かないで力任せに書くが、「戦争と人間」は歴史的事実が重要だから、歴史とドラマの時間関係を確認するために、今回、特別に書いていると、なぜか弁解するかのように僕に話していた。ちなみに、僕も箱はほとんど書かない。大きな作品で、会議で打ち合わせが必要な時に、みんなに見せる参考用に書くときはあるが、箱書き通りの脚本ができ上がったことは、まずない。
 ところで、とても不遜な言い方だが、僕は、「戦争と人間」の第1部を、面白いとは思わなかった。パターンに描かれた人間の群れが、歴史上の事実の中をうろつき回るだけの群集劇にしか思えなかった。
 1部、三時間以上が、長すぎてつらかった。人が書いた物だけに、書き写すのにあきてしまった。
 だから。人からうらやましそうに、「勉強になったね」と言われると、「まあね」としか言いようがない。
 やはり、人はそれぞれ感性が違い、人の作ったものより、自分の感性に合わないと良くは思えないのだ。
 それでも、僕の書き写した脚本の初稿は、エンターテインメント作家山田信夫氏の面目は保たれている脚本ではあったと思う。一稿を印刷したシナリオを僕は持っており、読み返してみたが、今も、そう思う。
 だが、その後、脚本は、日共系監督の山本薩夫氏が直しを要求したらしく、完成した決定稿や映画は、少なからず初稿とは違ってしまっていた。
 監督は、この群像劇の戦争反対側に肩入れして、反戦派に同情的になり、いとおしく、かわいそうな立場を強調した。そのため、かえって、悪役であるはずの軍部や財閥が、力強くカッコよく見える映画になっていた。監督の思惑が逆効果になり、妙にバランスの悪いものになっていた。その特徴は、2部、3部になっても変わらなかった。反戦派が、かわいそうになればなるほど、悲しく描かれれば描かれるほど、悪役のはずの人間群像が立派に見えてくるのだ。
 こうなると、歴史的事実も、偏向した見方で描かれているとしか思えなくなってくる。「戦争と人間」が、日活という映画会社の命運を決めた超大作のはずなのに、いまだに評価が定まらないのは、それが理由かもしれない。
 エンターテインメントに徹するならそれに徹し、日本共産党的反戦映画なら、それに徹すればよかったのにと、僕は思う。「十八才の童話」は、「戦争と人間」とは全く関係はないが、その作者である僕には、試合をやっている球場の外にいる観客のような余禄を、与えてくれた。「戦争と人間」の後、日活は完全にロマンポルノ路線になる。
 余談とも思える話を長々としたのは、この「戦争と人間」、今、レンタル屋で、見やすい位置に並んでいるし、こんな映画が日本にあったことを、戦争アニメが好きな方達にも、知っておいて欲しいと思ったからである。
 さて、「十八才の童話」は、そんな奇妙な余禄を、僕に与えながらも、他にも仕事が来るようにはなった。「十八才の童話」は、設定を変え、舞台を変え、登場人物を変え、いくつかの作品シリーズのエピソードにもなった。
 そして、いつの間にか時は1984年になり、とうとう、「十八才の童話」そのものが「街角のメルヘン」という名で映像化される日がやってきたのである。

   つづく


●昨日の私(近況報告)

 渋谷に仕事場を変えた僕は、月に二度ほど小田原に行くという、今までと逆の生活になった。
 週に一回、小田原から渋谷に出てきていた頃は、結構、新鮮で楽しかった渋谷も、こう近いと、ごみごみとうるさいだけだ。
 ちょっと出るのに、パジャマ風軽装というわけにもいかない。……別に小田原の街をパジャマで歩いていたわけではないが、軽装だったことには変わりないし、御近所の人もそれに慣れてくれていた。
 仕事が物書きだから、ヒゲも剃らず髪がぼさぼさでも、服装に気を使わなくても仕方ないんじゃないか……と、許してくれていたところもあったのかもしれない。
 渋谷でその格好では、ホームレスと間違いられかねない。
 いちいち着替えるのも面倒くさいから、仕事場に引きこもりがちになる。街に出るのは、話題になっている映画をたまに見に行くときぐらいである。
 で、映画を見るときのことを書く。
 まず、一人で見に行くこと。
 とくに、デイトの場所に映画を選ぶのはよそう。
 大昔、こんなことがあった。
 ガールフレンドを誘って、映画を見に行った。
 映画の選択には、気を使った。
 ガールフレンドは、普段、映画をほとんど見ない子だった。
 恋愛映画は今更、照れるし、主人公に僕より格好の良いやつが出て来ると、比較されそうで不愉快である。
 難解な芸術映画は、後で語るのに面倒だし、第一、飽きられて、あくびをされても困る。
 過激なホラーやアクションは、趣味を疑われたり、残酷で軽薄なやつと思われても嫌だ。
 今ならともかく、昔は、スター・ウォーズなど見せようものなら、SFオタクと間違われそうだ。
 ホームドラマは、ガキッぽいと思われるかもしれない。
 結局、007を選ぶことにした。アクションもあるし、気の利いた台詞もあるし、ラブシーンもそこそこである。昔の007は、子供っぽくもなかった。音楽も悪くない。
 ところがである。007シリーズの最高傑作と言われる「ロシアより愛をこめて(昔は「007危機一発」という題名であった)」で、ふと横を見ると、ガールフレンドはすやすやと眠っているのである。
 普通、007で寝るやつがいるか? しかも主人公は、今の渋い名優のショーン・コネリーでなく、男の匂いむんむんのさっそうとしていた頃のショーン・コネリーである。ストーリーだってよくできているし、アクションシーンもいい。
 でも、そんな映画でも寝てしまう人もいるのである。
 映画に興味を持てない人には、どんな映画も通用しない。
 趣味嗜好の違うことを一緒にしようとしないことである。
 暗闇に二人だけで二時間も無言でいるぐらいなら、映画を見る以外、他にできることはいくらでもあるはずである。
 これは、極端な例だ。
 だが、別の意味でも映画は、一人で見に行こう。
 誰かと一緒に見ると互いに感想を言いたくなる。
 これは、男同士でも同じである。「面白い」「つまらない」互いの意見が違えば不愉快だ。「面白かった」「つまらない」の意見が一致したとしても、人それぞれで、面白い部分とつまらなかった部分が同じとは限らない。
 それを、「面白い」「つまらない」という同じ言葉で頷きあうのは気味が悪い。
 映画は、自分の感性で見て評価すればいい。それを人に語ることはない。そして、自分だけが面白いと思う部分を大事にしよう。
 特に脚本家になろうとしている人は、映画は一人で見よう。
 自分が面白いと思う部分が、あなたの個性である。
 他人が面白いと言う部分を、自分が面白いと思うときは、疑ってかかれ。
 もしかしたら、それは、他人の趣味嗜好を、自分の物と勘違いしているかもしれないのだ。
 面白い映画だと大ヒットしている映画が、本当に面白いのか……。年に数本しか見ない人が、面白いと勘違いして集まってきているだけなのではないか?
 人の意見に耳を貸さずに、まず、自分だけで映画を見て感じてみよう。
 それが、あなたらしいシナリオを、あなたしか書けないシナリオを、書けるようになる第一歩かもしれない。
 そして、自分だけが面白いと思っている部分が、もしかしたら、他の人の眠っている感性を揺さぶるかもしれないのだ。
 

■第23回へ続く

(05.10.26)

 
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