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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第223回 『ポケモン』から消えた僕

 TV版『ポケモン』のシリーズ・コンストラクションを降ろしていただいた後の脚本は、できるだけ、バトルが見どころにならない、つまり『ポケモン』アニメで確立しつつあるお約束のパターンと違うものを書くことにした。
 それでいながら、『ポケモン』の世界でなければ描けないものを見つけようとした。
 しかも、僕でなければ書けないだろう内容を意識した。
 気楽に書けるだろうと思っていたのだが、非常に苦労した。
 気力、体力が衰えていたせいもあるだろうが、『ポケモン』でありながら、通常の『ポケモン』でなさそうなものを見つけるのが難しかった。
 脚本会議に出席していた方達は、映画版やシリーズ・コンストラクションを降りた僕に、気を遣ってくれたのかどうか、僕が持ち込むプロットを、ほとんど素通りにしてくれた。
 つまり、僕の書きたい『ポケモン』エピソードは何でも書かせてみようという態度を、少なくとも僕の前では見せてくださっていた。
 2001年の「テッポウウオのそら!」あたりから、「ポッポとデカポット!まだみぬそらへ!!」を経て、2002年の「ヤドンのさとり!サトシのさとり!」に至るまで、ポツンポツンと見受けられる僕の脚本作品がそれである。
 それらの作品をここに並べて解説してみても、今や600本を超える『ポケモン』アニメのエピソードの中では、それぞれ単なる1本でしかなく、このコラムをお読みの方達の記憶に残っているかどうかも定かではない。
 インターネットで検索すれば、それらの作品名が分かることは分かるが、書いた本人も、そういえば書いたかもなあ……というあやふやさである。
 このコラムを書くにあたって、その頃の作品をビデオで見返してはみたが、確かに他の脚本家の方達の書いたものとは毛色が違ってはいて、僕らしい脚本だなあ……とは思うものの、胸を張って『ポケモン』アニメの異色作と呼べるかどうかは疑問である。
 むしろ、シリーズ・コンストラクションをやっていた頃の初期の脚本作品の方が、何もやっていないようでも、『ポケモン』アニメを成功させようと気を張っていたからか、よっぽど『ポケモン』アニメ全体から見れば異色で、僕の記憶にも残っている。
 つまり、シリーズ・コンストラクションを降りたからこそ、脚本会議でどんな異論が出ても、結果は作ってよかったと思われるような、TVサイズの『ポケモン』アニメの脚本を書いてやろうと思っていた肝心の脚本が、映画版の脚本と同様、思いつかないのである。
 これには参った。
 おまけに『ポケモン』アニメが始まったころ、おそらく励ましの意味で言われたのだろう、「ポケモンの首藤と言われるようになってください」というあるプロデューサーの言葉に、シリーズ・コンストラクションを降りる際に、健康不良を理由にすると同時に「ポケモンの首藤とは呼ばれたくないので……」とうっかり答えてしまっていた。 
 つまり、その言葉の裏には、健康不良だからこそ『ポケモン』の他にある書きたいものを優先させたいという意味があったように聞こえるわけで――事実、書かなければいけないと思うものがあった――しかし、『ポケモン』のプロデューサーからすれば、こんなに失礼に聞こえる答えはないだろう。
 僕は、自分の言葉に自分で追いこまれた。
 僕が書くその後の『ポケモン』アニメは、僕が優先させたいと思う他のものに匹敵するか、それ以上のものでなければならないはずである。
 まして、僕が優先させたいと思う小説を含めたいくつかの作品の出来が酷ければ、「こんなもののために、『ポケモン』のシリーズ・コンストラクションを降りたのか?」と失笑されるだろう。
 事実、『ポケモン』の映画を降りる、シリーズ・コンストラクション(つまり『ポケモン』アニメのメイン脚本家)を降りる、と言い出した時、「なぜ、この不況下であんなにヒットしている『ポケモン』を降りるのか?」と、家族、知人のほとんどが反対で、しまいには「お前、気がおかしくなったのか?」「何を言われても『ポケモン』にしがみついているべきだ」とまで言われた覚えがある。
 まあ、僕が納得できる『ポケモン』の脚本を、僕が書けそうもないと感じたことが、僕の出した結論につながっているわけだが、その「感じ」に過ぎなかったことが、まさに実感になってくると、穏やかな気分ではいられない。
 体調、精神状況、ともに最悪だった。何かというとすぐ倒れ入院した。
 そこに、僕が書きたいものとは別に、色々なものが飛び込んでくる。
 TBSの特番「2001まんがはじめて物語」の制作決定……この作品の前身である13年続いた『まんがはじめて物語』シリーズの脚本制作の責任は、大いに僕にあった。特番が成功すれば、シリーズ再開もありうる。そのスタッフの数人は、小田原の病院まで来て僕と打ち合わせ。スタッフの1人は、忙しすぎてがんの発見が遅れ、若くして亡くなった。先に死ぬなら僕だろうと思ったのに……。放映結果は色々な要素がからみ中途半端。2010年現在も企画は動いているらしい。つい最近、前作シリーズのスタッフの同窓会がささやかに開かれたが、とても楽しかった。
 さらに期限なしで約束してはいた舞台ミュージカルのいくつか……そのうちのひとつは企画から6年後に実現し、その2年後再演もされた。ついでながら、今年、上演された魔女っ子ミュージカルらしきものとはぜんぜん別のミュージカルである。念のため書いておく。
 そういえば、その魔女っ子ミュージカルと似た名前のアニメの第3弾の企画も動いていた。
 10年前の当時は、過去の同作品の作画スタッフもやる気でいたようだ。脚本も同様。プロットを過去2作の主役2人に頼む話もあり、可能ならば、3弾目の主役の声を含めて3人の主役の声がそろうエピソードも考えてあった。
 この作品の過去2作の総監督は『ポケモン』の総監督でもあり、この監督を務めるのは基本的に不可能なのだが、せめて監修ぐらいで引っ張り出そうという説もないわけではなかった。ちなみに、僕は当時から御本人の気持ちは聞いてはいたが、2010年の現在、その魔女っ子アニメ制作会社の状況は、あまりに昔と違い、関わることをはっきり断っているらしい。
 以上、書いたことは、やらなければと思っていたこととは別の一部分である。
 体調はいつ、あの世に行ってもいいような状態である。
 それを自覚しながらも残された時間にやらなければと思うものが多く、おまけに自分のハードルは、自分で勝手に高くしていたから、半狂乱である。
 で、子供の小学校入学を理由に、早川の魚港から建物の立派な小学校のある小田原市内のど真ん中にいきなり引っ越し。
 後で思えば、誰より大変だったのは、僕の妻と娘だったろう。
 小田原市内の家は、3人家族にとってはかなり大きな家なのだが、体調不全で、情緒不安定な人間と同居である。
 僕なら、こんなおじさんと一緒にはいたくない。
 よく我慢していたと思う。
 で、月に1本などと言っていた『ポケモン』のTV脚本は遅れに遅れ、スタッフには迷惑のかけっぱなし……。もともと僕の書く『ポケモン』脚本の内容は、番組の進行に関わりのない番外編的プロットばかりなので、首藤さんの脚本はローテーションに入れず、「脚本ができた時でいい」ということになり、なおさら、プレッシャーがかかり、ある日の脚本会議で誰も手をつけなかったポケモンをメインにしたプロットを出し、GOサインが出て、書いている途中で考え込みだし、それっきりになってしまった。今は、そのポケモンの名前も忘れてしまっている。確か、アフリカにいるミーアキャットに似たポケモンが大集団で出てくるプロットだったと思う。
 それを書いている途中に、体調不全で、また入院……。脚本会議とはぷっつり音信不通となって、首藤剛志は『ポケモン』を書きたくないんだろうと判断されたのか、それっきりになってしまった。
 しばらくの音信不通に僕としてはいささかほっとした。
 ミーアキャットに似たポケモンのエピソードは、他の脚本家の方に書かれた様子もなく、自然消滅したようである。
 その後、『ポケモン』スタッフの方とは、思わぬところで会ったり、別件で電話を交わしたこともあるのだが、『ポケモン』の脚本、そして、2作まで書いた小説の3作目の話は出ない。小説は2作目で終わったままで、他の作者による続きが出た様子もない。
 つまり、『ポケモン』に関しては、映画とシリーズ・コンストラクションは降ろさせていただいたのだが、脚本家としての首藤剛志は、脚本執筆途中でいつの間にかいなくなったのである。
 僕が書けなくなったと言ってもいい。だから、消えてしまった。
 かなり、僕が無責任なのだろうが、まあ、それでいいとも思う。
 『ポケモン』アニメに関しては、僕のやれることは、ぎりぎりまでやった気もしないではないからだ。
 誤解されると困るのだが、『ポケモン』アニメスタッフと喧嘩別れしたわけではない。
 今も毎年、『ポケモン』グッズを送ってくださるプロデューサーの方がいる。
 僕が関わっていた当時の『ポケモン』の脚本群を、小田原市立図書館に保存していただいく際、配慮していただいたプロデューサーの方もいる。
 いわゆる御前様とも、ある方のお葬式で偶然お会いした。僕の健康を気遣った挨拶をいただいた。
 たまにだが総監督とも話すことがある。『ポケモン』については、「続いているねえ」「続いちゃってるよ」って感じ。
 むしろ、某魔女っ子アニメの噂話が多いかもしれない。「どうなってるんだろうねえ」「どうなってるんだろう?」って感じかな……。
 そんなわけだから、現在の『ポケモン』に関しては、「今の『ポケモン』をどう思いますか?」と聞かれても何も言えない。
 「がんばっているな」と感心するし、これからも続いてほしいと願っている。
 なんにしろ、1作目の脚本を書いたのは、僕なのだから……。
 ところで、『ポケモン』脚本が途切れた頃の僕だが。病室で他の作品群のこととごっちゃになって悩んでいた。
 しかし、体は回復……退院したと思ったら、ある日の深夜、家から抜け出し、次の日、小田原の海……それもテトラポッドがいっぱいの危険な海に浮かんでいたらしい。発見者は海辺にいたホームレスの方だそうで、海から助け上げて警察に通報したようだ。その方は警察には名前も告げなかった。だから、お礼のしようがない。
 その海辺は小田原市内からかなり遠いのだが、僕は車を持っているのにもかかわらず、歩いていったらしい。
 かなり精神安定剤(どこでも手に入る市販のもの)を飲んでいたようだが、このへんの記憶は今もまったくない。
 僕は頭を数針縫う傷を負っていたが命に別条なく、本人に自覚はないのだが、警察は自殺未遂と判断、事情聴取をしたが、意味不明のことを答えたらしい。
 で、処置に困った警察は、僕をとりあえずもよりの精神病院に入れた。
 僕はそこの医者に東京の渋谷の住所と小田原の家の電話番号を言ったそうだ。
 渋谷の住所と小田原の電話番号では、つじつまがあわないが、医者は小田原の電話番号に電話した。
 妻が電話に出て、「あらま、どこをふらついているかと思えば、そんなところにいるんですか?」
 で、翌日、妻が迎えに来たが、その時、僕は全く正気に戻っていた。
 「けれど、少し様子を見ますか?」と医者は言い、僕も妻も同意した。
 そんなわけで、頭の傷の包帯が取れるまで、極めて軽度の精神病患者が十数人いる雑居病室に数日いた。
 そこで見た普通に見えて少し壊れた人たちの行動は、なんというか、つまり僕にとっては、とても勉強になった。
 この話を妻から聞いた僕の精神カウンセラー(著名な精神科医である)があわてて、「そんなところに長居をしていると、本当におかしくなる」と、精神病院に直接かけあってくれて、静養を目的とした病院に転院させてくれた。
 この事件を、僕は別に隠そうとは思わない。
 考えごとに熱中している時、その手助けにしろ市販している薬やアルコールを飲むなという教訓である。
 ちょうどその年、プロ野球の阪神が優勝した。狂喜した大阪のファンが何人も道頓堀に飛び込んだ。
 僕は阪神ファンである。だから、この出来事、阪神が優勝して喜んだ僕が、道頓堀の代わりに小田原の海に飛び込んだという笑い話にしている。
 さて、『ポケモン』の脚本を書かなくなった僕には、もちろん、その後がある。
 体裁よく言えば、自分のやりたいことのために、あれやこれやと悩んだり、のたうちまわった軌跡がそこにある。
 だが、いいおじさんがじたばたする話は語るのも恥ずかしいし、聞いてもスマートには感じてもらえないだろう。
 アニメや脚本に興味のある方にとって、あまり関心が持てることとも思えない。
 たまに書いてみようかなと思った脚本が、とんでもない作品になったこともあったし……これについては、下のコラムに以前少し書いたが、困った意味の参考にしかならないだろう。
 今までの話にしても、実はアニメマニアが、興味を持てそうな作品を選んで重点的に書いてきたところがある。
 そういう作品は『ポケモン』で終わりにして、みなさんが脚本を書く上で、僕の独断と偏見で役に立ったことを少しお話ししてこのコラム全体を終わらそうと思う。
 このコラム、僕が僕自身を見直すコラムでもあったのだが、4年も続けて分かったのは、あまり過去の扉を開くのは僕自身にとって精神衛生上よくないということである。どうしても気分が後ろ向きになる。だからこそ、少しでもみなさんのお役に立てればいいとは思っている。前向きなみなさんにね……。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 このコラムの最初に、なにはともあれ映画をたくさん見ろと書いたはずである。
 その中には、過去に名作と言われた作品が100本や200本はあるはずである。
 それらは、あなたの血や肉になっているはずである。
 そうしてきたあなたが、ここ数年の日本の実写映画を見てどう感じるだろう?
 ボケやスカ映画のあまりの多さに辟易するはずである。
 そう感じることができたら、あなたは、いい脚本が書ける人である。
 なぜ、最近の日本映画にボケやスカが多いのか?
 それは、作り手たちが、安易に作られたTVのドラマやアニメやゲームを見すぎていて、その引き出しから映画を作ってしまう傾向があるからだと思う。
 つまり、TV育ちの作り手が、過去のドラマやアニメやゲームの表現を映画に移し替えているだけなのである。
 だから、どこかにありふれた既視感があり、つまらなく感じてしまう。
 しかし、優れた既視感というものもある。
 優れた既視感は、どこかで見たようでいながら、しかし新しい何かを、あなたに感じさせてくれる。
 いわゆる名作と言われる映画は、優れた既視感を持っているから、いつの時代でも新しい何かを感じさせてくれる。
 だから、名作と呼ばれているのである。
 そう言っている僕が、今のアニメを面白いと思うのはなぜか?
 今のアニメの作り手は、すでに視たアニメを土台に、新しい表現を見つけ出そうとしているからだろう。
 アニメを他の映像媒体に移し替えるのではなく、アニメ自体の中で新しい表現を模索している。
 だから、面白い。
 今、面白いアニメが、数十年後に見て面白い名作になるかどうかは分からない。
 でも、今は面白いのである。
 今の脚本家にできることのひとつに、アニメの表現に、名作映画の優れた既視感を持ち込んでみる手があるような気がする。
 そんな気持ちでアニメの脚本を書けば、過去の名作が血肉になっているあなたが、今のアニメに新しい何かを持ち込むことができないはずはないと思うのだが、いかがですか?
 僕の言っている意味が分かりにくいですか?

   つづく
 


■第224回へ続く

(10.05.26)

 
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