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第225回 自分は自分
ここ数週の休載をお詫びする。
このコラムで、常連になってしまったこの文章も、もう二度と書くことはないと思う。そう思いたい。
ともかく、先々週は体調がすぐれずベッドに横になってうとうとしていたら、暗闇で電話。
受話器を探りながら出てみると、コラム担当の方からだった。
ベッドサイドの明かりを点けて、時計を見ると締め切りの時間はとうに過ぎていた。
「調子が悪くてすいません」
毎度のことで察していただいたのか
「はい、わかりました」
と言っていただけたかどうか記憶にないが……というのも、受話器を置いた途端、ベッドからこけ落ちてそのまま気絶。路上で倒れて救急車で運ばれたことはあったが、自分の仕事場では初めてである。翌朝、気がついたが、体中の節々が痛く、ベッドサイドの床から動けない。
仕方ないから、手の届く範囲にあったものでしのいだ。例えば冷蔵庫には手が届いたし、ノートパソコンは枕元にあり、指がうまく動かなかったが、かろうじてマウスを操れたので、床に散らばっていたDVDをノートパソコンで見て、ベッドサイドに積み上げた読みかけの本を片っ端から読んで3日間じっとしていた。
家族からか仕事関係か知らないが、何度か電話が鳴ったが、着信音3度で留守電に切り替わるようにしていたから、電話に手が届くまでに切れてしまう。
救急車を呼ぶ手もないではなかったが、救急車体験者としては、隊員の方の真面目できびきびとした働きを見せられては、僕程度の状態で救急車を呼ぶのは申し訳ない。もっと、急を要する病人やけが人がたくさんいるはずである。
そのうち自力で動けるようになるだろうと思い、床にじっと横たわっていた。
腰を相当やられたらしく、トイレには這っていった。
3日後、なんとか、手足が動くようになったので、ジーパンとTシャツに着がえ、マンションの壁に寄りかかりながらエレベーターに乗り、そんな格好に怪訝そうな管理人に愛想笑いをして、そろりそろりとマンションの外に出て、都合よく通りかかったタクシーに飛び込んで、運転手さんの手も借りて何とか病院へたどり着く。
で、早速、検査。
結果はなんと「今までになく正常」。
「はあ?」と僕……。
「多少、体に打撲傷の跡がありますが、大したことはないでしょう。きっと、じっとしていたのが安静になったんでしょう。栄養補給が必要かもしれないので念のために点滴しましょう」で、終わりである。
看護師さんに見送られて、タクシーに乗ってマンションに帰ってきた。
しかし、僕はだるいのである。きついのである。椅子に座るのも痛いのである。
食欲なんてまるでない。それでも、体は正常なんだそうである。
で、通院を続けながら、それでも病院の帰りにタクシーで渋谷に出て、映画を見て、書店(渋谷には大きな古本チェーン、ブックオフがある)をのぞくのは、悲しき生活習慣でどうしようもない。
もうそれだけでくたびれて、あとはベッドに倒れこむ。
座っていられるのは、病院の待ち時間、映画館の数時間、立っていられるのは、書店での数十分が限界のようだ。
そんな具合で、また1週間が経ってしまった。
時々、自宅から電話がかかる。
何も食べないでいるのはよくないから、食事に来いと言われる。
仕事場から、歩いて十数分の距離を、タクシーで自宅に食事にいく。
食欲がないが、せっかく家族が心配しているのである。かなり、無理して、おいしそうに食事をとる。
少し体力がつくと、当然、このコラムを含めて、締め切りのある書きものをやるべきであろう。
ところが、動けるようになって早速出かけたのは、小田原である。
図書館関係の方、小田原生涯学習の方、親交を深めるという目的はあったが、実は、予定の時間より早く小田原に行って、小田原名物のかまぼこ(小田原かまぼこと一口に言ってもそれぞれの店にそれぞれの味がある)について、調べたかったのである。超不定期の僕のブログに、かまぼこについて書くと宣言したからである。そもそもこのブログ、「書くのが嫌いだからといって、あまり書かないと、書き方を忘れちゃうよ」という友人の勧めで「それもそうだ」と思い始めたブログで、最初は毎日のように書いていたが、今は、1ヶ月に1回……やっぱり、書くのが苦手なのである。
で、ふと思ったのである。
このコラム、4年間も続いているが、お読みの方の役に立っているのかな?
4年分全部を読み返してみた。
僕が、最初から、真面目な脚本家志望だったら、ほとんど役に立たないコラムだという気がしないでもない。
特に、シナリオ学校や先生のシナリオ方法論を勉強して脚本家になろうとしている人には不向きである。
脚本は創作物である。人から教えられるものではない。シナリオ学校の優等生は、教える先生を超えることはできない。
そもそも教える先生の質があてにならない。旧式な方法論を、まるで教科書を読みあげるように伝えているにすぎない。
そのくせ、生徒たちを教えているんだぞという、自分に対する過大評価がある人が多い。
シナリオ学校の先生になる暇があったら、自分の書きたいものを書いているはずである。
そもそも、物書きなんてものは、まっとうな生き方からはずれた人たちが、まともなことを書かないゆえに面白いのである。まともじゃないくせに、どこか読み手の共感(不快感でもいい)をくすぐるところが、物書きの書くものの存在価値だと思う。
別に、僕ははずれたものを書こうと意識して書いてはいない。
だが、あまのじゃくなのか、そんなものを書くようになってしまった。
昔、ある脚本家が僕に言った。「僕は首藤さんの書くものをマネしようと思った。でも、無理だと思った。首藤さんと僕は違う。僕は僕の書けるものを書く」。
正解だと思う。
あなたと僕とは違うのである。
先日、僕の通っていた公立中学校で、全校生徒とその父兄の方たち、先生たちを相手にした講演会のようなものを開いていただいた。
最近の学生相手の講演会は、生徒は人の話を聞かず私語ばかりで、やっていられないという話を聞かされていた。
ところがである。1時間半ほどの講演で、生徒たちは少なくとも形だけは真剣に聞いていてくれていた。あくびをした生徒が1人いただけだった。
先生たちの教育がいいのか、それとも、マスコミで騒がれるような学校の荒廃を演じてみせるのは自分たちにとって損だ生徒たちが(大人より一枚上手にも)考えたのか。
実は、この講演。事前にある程度リハーサルがなされていて、おおむねの流れが決まっていたらしい。
講演の終盤に近くなって、優等生らしい少年が挙手して僕に聞いた。
「どうして、脚本家を目指されたのですか? 脚本家になるにはどんな努力をされたのですか」
多分、生徒も先生も父兄も、「やりたいことを見つけたら、そのために、精一杯頑張る」的な答えを、期待したのかもしれない。
僕は答えた。
「楽だからですよ。紙と鉛筆だけあれば、物書きになれるでしょ?」、
みんなびっくりしたようだった。
講演後、生徒や校長先生や父兄の方たちが、話しかけてきた。
「おどろきました。こんな講義、はじめてです」
「息子が、先生(僕のことである)の本が読みたいと言っています」
僕は、そこでつい余計なことを言ってしまった。
「インターネットのアマゾンで、中古なら1円で売っていると思います。送料340円かかりますけれど……でも、もったいないから、本は校長先生にお渡ししてありますから、みんなで、回し読みしてください」
後日、その中学校の運動会に招待された。
あの時の父兄の方が、声をかけてくれた。
「アマゾンから取り寄せました」
ありがたいことである。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
以前、このコラムで、最近の日本のアニメ(特に映画)が、絶好調だと書いた。
基本、アニメにしろ実写にしろ映画なんて虚構の世界なのだが、虚構を前提にした現実感(リアリティ)は、所詮、アニメは動く絵だと居直っているせいか、なまじ実物を映して虚構を表現しようとしている実写映画の嘘っぽさより、アニメの描く虚構の方が本物のように思える不思議な逆転現象が、今、起こっている気がする。
アニメの作り手たちのテクニックが熟達してきたこともあるだろうが、観客が、生まれたころから見慣れたアニメに、現実との違和感を感じなくなったことも、その原因のひとつだろう。さらに、アニメならではの現実的虚構表現方法を、アニメの作り手たちが、それぞれに見つけ出しつつあるのが、今のアニメを僕が面白く感じる理由なのかもしれない。
アニメやコミックの実写映画版も多いが、生身の俳優が演じると、その俳優の知名度や人間ぽさがどうしても前面に出てしまい、画面に映る背景にしても、特殊効果にしても、たとえCGを多用し本物に見せかけようとしても、最初から虚構を前提としたアニメの映像が描く本物らしさに及ばない気がする。
ただ、僕はアニメの脚本には、虚構を現実に見せてしまう一種のハッタリやアニメ的情感が足りない気がしていた。特に、男性脚本家の書くアニメ脚本が、アニメ的現実虚構表現をうまくこなしていない気がする。
これはアニメに限らないが、僕がちょっと面白いと思う映画の脚本は、ほとんど女性が書いている。こう言う僕も、シリーズ構成をした作品には女性脚本家に書いていただいた脚本が多いが、そのわけは、女性の書く脚本はきめが細かいなどというありきたりな理由ではなく、男性脚本家では、どうしても予定調和的になりがちなストーリー展開や感情表現が、女性に書いてもらうと、女性特有の感性まかせの強引さ、身勝手さに引きずられることがあり、それが面白いというか、魅力的に感じる時もあるからだ。
今のところ、映画の制作者や監督は男性が多いようだが、脚本関係は女性が増えている。もちろん監督も女性が増えつつあり、それがそれなりに面白いから困ったもんである。
つまり、男性の制作者や監督にとって、今の時代、男性の書く脚本なら自分でも書けそうであり、どうせ他人に脚本を書いてもらうなら、自分にない女性の感性を持ち込んだ脚本の方が面白いというか、興味深い作品ができるような気がするのかもしれない。
話を元に戻せば、アニメ的現実虚構表現が、同世代の実写関係者に浸透していないはずはなく、脚本は女性ではないものの「わあ、よくできたアニメ脚本」と言いいたいが実は実写映画の部類になるだろう作品を最近、少なくともふたつ観た。
脚本は、脚本家ではなくて監督自身が書いている。監督御本人が、「この脚本は、他の脚本家では無理だ」と思ったかどうかは知らないが、見事に、アニメ的脚本でありながら、なんとなく実写になっている映画である。
ひとつは「川の底からこんにちは」。女性として中の下と自認している世渡りベタな女の子が、なんとなく追い詰められた気分になって「こうなったらやるっきゃない」と故郷の倒産しかけたしじみ会社を再生させようとする話だが、どう見ても中の下には見えない、今、旬の女優、満島ひかりさんが、たまったストレス解消のために、浣腸治療(?)を受けるシーンから始まって(いつも無表情の綾波レイが、実はそのためにストレスがたまっていて、便秘になっていたってな感じである。余談的予想で申し訳ないが、綾波レイの声優さん、あの役はずいぶんストレスがたまるだろうなあ……)、そんな子が、せこいしじみ会社の再生に挑戦する。
展開はほとんどマンガである。で、この作品の場合、アニメキャラのような主人公や、ありえないような脇役達を、出演者たちがのらりくらりと現実的だか非現実的だかわからない絶妙な演技で見せてくれるから、この作品、極めてアニメ的現実虚構世界を作りだしている。
本来、アニメのシーンは絵で描かない限り、存在しない。つまり、アニメで描かれるものは、その作品に必要なもののはずである。無駄なものをわざわざ描く手間は避ける。たまたま、写ってしまった映像や演技はありえない。
アニメのシナリオも本来、そうあるべきである。アドリブに見えても、アニメにおいては、意識的なものでなければならない。
「川の底からこんにちわ」は、無駄なシーンが多いようで、実は無駄なシーンがない。この映画の監督は20代の若い監督だそうだが、アニメ脚本を書いてもらえば、そうとう面白いものができると思う。
そして、もう1本が「告白」。娘を殺された教師が、中学生相手に復讐するんだかしないんだかよく分からない映画である。
この映画の監督は、映像的に様々な表現を駆使することで知られていて、僕の好みの監督である。
しかし、今回ほどアニメ的脚本作法を使った作品はなかった気がする。
ともかく、必要なシーンしか写さない。よく考えれば、いや、よく考えなくても突っ込みどころの多い作品だが、突っ込まれそうなところは写さないで、どんどん先へ進む。あれよあれよで終わってしまい、後味が悪いが妙な爽快感を作り上げてしまう。
中学生の娘が、原作を読んでいて、バカばっかりが出ていて、最悪のつまらない小説と言っていた。
「なぜ読んでるんだ?」と聞くと「本屋大賞でしょ。良家の子女のたしなみで読んではみた」。
「告白」の主役、松たか子さんが演じたヒロインの決まり文句が「良家の子女のたしなみ」である。
原作を読んでみた。確かにつまらない。
学校崩壊や、引きこもりや、いじめ、幼児殺害……現代的なテーマをモザイクのように重ねてはいるが、青臭い文学少女の観念的妄想小説で、形式はできそこないの「藪の中」、お子様向け「罪と罰」。作者が酔っているとしか思えない。基本の母性愛に関しての扱いが古い。
いろいろ問題はあるけれど、キーポイントのひとつ、エイズについては、娘の学校では、中一で詳しい知識を教わるそうである。
クラスそろって、いじめに走るこの原作の学校生徒の扱いは「がきっぽ」すぎるそうだ。
だから、現実の問題を、少女趣味で描こうとしたバッカみたいな小説にしか思えない……と娘は言いたいらしい。
ほんとの中学生は、もちっと、したたかですよ、ということらしい。
馬鹿ばかりが思い込みで突っ走って、気がつけば死体がごろごろ、ショッキングでしょう? それだけの小説という評価に僕も同意する。
しかしである。
映画の「告白」は、原作に忠実のようで、実は最後の数分で原作をひっくり返す。
人を殺すのが悪いなんて学校で教わらなかったよ……なんてね。
犯人の少年の言葉である。
そして最後の松たか子さんが、原作を否定するような台詞を言う。原作にはない。
必要なものしか見せないから、効果がある。
実にアニメ的な脚本だと思う。現実的に見えて虚構かもしれない世界がある。
ま、参考にしてください。
つづく
■第226回へ続く
(10.06.24)
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