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第31回 太陽系改造計画……打ち切り
『宇宙戦士バルディオス』も、終盤に入ってきた。
だが、終盤に入ってきて、困った問題が起こってきた。
最初の設定から、最後のどんでん返しとして、侵略側のS―1星は、実は未来の地球だったと、酒井氏は決めていた。つまり、『バルディオス』の戦いは、現在の地球人と、未来の地球人がたったひとつしかない地球を奪いあう悲劇なのである。
S―1星は汚染されきった未来の地球から脱出して、時空(亜空間)をさまよううち、まだ、汚染されきっていない地球を発見して、侵略をもくろんだ。そして、防衛する地球側と攻撃するS―1側の戦いが、地球を人間がまともに住めない汚染された星に変えてしまうのである。
だが、終盤にいたって、地球の誰も、S―1の誰も、自らが侵略しようとしている星、防衛しようとしている星が、同じ地球であることに気がついていないのである。
最初の設定の段階では、文章で書かれた設定だから、同じ人類が戦うというその悲劇性が、強調されて、おそらくスタッフの誰も気がついていなかったのだろうが、いつかはS―1星が、過去の地球だと気がつく日が来るはずである。太陽系の9つある(10あるという説もある)惑星のうちの第3惑星地球を、いくら汚染されているとはいえ、そもそも地球に住んでいたS―1星人が、どこかの別の太陽系の星だと勘違いするだろうか?
宇宙の遠くから見れば、どこから見ても太陽系は太陽系のはずである。
いくら地球の姿が、汚れきったS―1星と違って見えていたとしても、太陽系を見た瞬間、それの気がつかない人間がまるでいないなどというはずがない。だが、ストーリーの中では、誰も気がつかない。
つまり、S―1星人の誰もが、地球を自分たちの住んでいたS―1星とは違う星だと勘違いしてもらわなければならないのだ。そのためには、S―1星人が見た現在の太陽系が、未来のS―1星の太陽系と違う形をしていなければ、ならないはずである。
地球の地形もS―1星と違っていなければ、すぐ、地球とS―1星が同じ星だと分かってしまうだろう。
「少なくとも太陽系の形を変えなければ……S―1星と地球が同じ星だってことが分かっちゃいますよ」
『バルディオス』のゲスト話にだけ付き合うつもりだった僕も、そのころは、そうとうメインストーリーにからんでしまったから、さすがに気になって、酒井氏に言った。
酒井氏は、少し考えていたが、「それ、首藤君やってよ」。
酒井氏には、メインになるマリンとアフロディアの愛憎話の決着が残っている。
おいおいおい……と思ったが、乗り掛かった船である。
まず、地球の地形を、S―1星と同じ地形に変えることにした。
南極と北極の氷を溶かし、大洪水を起こし地球の大陸の地形を変え、S―1星の地形に近くすることにする。超パニック、大デザスターの「破滅への序曲」前後編だったが、僕には個人的に困ったことがあった。
実は、僕は『バルディオス』を書いていたころ、TBSで放送されている『まんがはじめて物語』のメインライターだったのである。『まんがはじめて物語』は文化庁子供向け優秀番組に選ばれていた。子供向け教養番組の一面を持ち、科学的知識に間違いのないように作られていた。そのメインライターが、どんな科学的知識で、地球を水浸しにできるのか……あんまりいいかげんな方法を使うと、困るのだ。
したがって、北極と南極の氷が溶けると、海面の水位がどれぐらい上昇するか、高熱で水蒸気化した水が豪雨になって降り注ぐとどんなぐあいになるか、かなり慎重に調べたのである。
それでも、未曾有な災害だから、かなり科学的な部分はラフな表現にして、そのぶんを、大水害で生き残るものと死んでいくもの……地球軍側で、家族を持っているもの、独身で孤独な人間達との感情を描くことにした。この惨事で地球のほとんどの人間が死んでしまうのだから、それまで『バルディオス』の各話に出てきたゲストの登場人物も死ぬことになるだろう。僕の書いていない話数に登場する『バルディオス』のゲストを確認するために、他の人の脚本を全部、読み直した。
こういうスーパーマンが出てこない(……このエピソードでロボットのバルディオスはなんの役にも立たない)大災害もの、集団劇もの(怪獣映画や宇宙侵略ものもふくめる)の脚本を書くときには、なるべく主役級の登場人物を作らないことがコツである。
主役級が大活躍するより、小さなエピソードを持った様々な人々が右往左往し、感情をむき出しにしたほうが災害のスケール感がでるし、観客がそれぞれの登場人物に感情移入しやすくなる。
ただし、小さなエピソードを持つ人々に、リアリティがあることが大切である。(最近の映画を持ちだすなら、どれも集団劇で主役といえる人物があまりいない作品に「ALWAYS 三丁目の夕日」「大停電の夜に」「男たちの大和」などがあるが――それぞれの作品に、リアリティのある人物や、描きそこなった人物が出てくるが……ほとんどあきれるほどリアリティのないパターン人物ばかりが登場する「男たちの大和」は敵の攻撃がなくても、沈没して当然である。あの映画を見て感動した人がいたら、その人自身がリアリティのない人だといったらいいすぎかもしれないが……と、と、と、話が脱線した。
『バルディオス』に戻り、洪水で地球の地形が変わっただけでは、S―1星=地球の決め手にならないと思った僕は、S―1星という名前がなぜ「S―1星」という名前なのかに目をつけた(先日、酒井氏に「S―1星」と名づけた理由を聞いてみたが、昔の事で覚えていないとおっしゃっていた。「酒井(sakai)1番星」という意味のS―1星か? などと冗談を言ったが、はっきりしたことは分からない)。
僕はS―1星とは、太陽から1番目の惑星ということにして、水星と金星に消滅してもらうことにした。……かなり、『まんがはじめて物語』のメインライターとして心が痛んだが、こうなったら勢いである。
太陽系を見るときにシンボルとも言える輪のある星、土星(木星にもにも輪があるがめだたない)にも消えていただいた。
水星も金星も土星も、相当無茶苦茶な方法で消滅させたが、その後、「さよならジュピター」とか「2010年宇宙の旅」という、木星相手に無茶をする映画が出てきたので、少しは罪の意識がなくなった。
こうして、太陽系から水星、金星、土星がなくなり、太陽系の姿は変わり、S―1星の太陽系と同じ形になったことにして、全ての登場人物に、S―1星=地球ということが分かるようになった。
負けっぱなしの地球軍はがたがたになり、残るはマリンとアフロディア関係のクライマックス……「破滅への序曲」から6本、ほとんど立て続けで書き、クライマックスは酒井氏にまかせるとして、僕は『バルディオス』を書き終えた。
その後、『バルディオス』関係者とはほとんど会わなかった。
後は、自分の書いたものが放映されるのを、TVでぼんやり見るだけである。そろそろ、太陽系改造計画の回がやってきた。
実は、脚本としては、水星と金星が消える「失われた惑星」が先に放映されるはずだった。だが、その31話は、放送されなかった。そのかわり放映されたのは地球が水びたしになる32話「破滅への序曲・前編」だった。そして、前編のクライマックスで出たタイトルは、「つづく」ではなく「完」だった。
「完」??? あっけにとられないわけはない。
これからじっくりと太陽系が変わっていくのに……。
この世の中には、惑星や地球の地形を変えるよりもすごい力を持つものがいたのである。放送局だかスポンサーが知らないが、ともかく放送が打ち切られてしまったのである。理由は、ロボットのおもちゃが売れなかったとか、視聴率が悪かったからとか、色々あったらしい。
ともかく、僕の書いた5本分が放映されなかった。ただ、後に発売されたレーザーディスクやDVDには、打ち切り決定前に完成していたらしい3本は収納されている。残りの2本は闇の中である。
酒井氏が担当したマリンとアフロディアの話数も完成しなかったらしい。
僕としては、怒るというより呆れた。
色々理由はあるにしろ、終わってもいないものを打ち切る事のできるセンスのある人がいっぱいいるということに驚いた。
まさか、1人だけのツルの一声で、打ち切られる筈もないと思ったからだ。
余談だが、ずーっと後になってはじまった、他の人気番組で、1人だけの意見で作品の方向を変えることのできる実力者というか権力者がいることを知った。
他の人が逆らえないのである。人は彼のことを陰で「御前様」。その人の出る会議を「御前会議」と呼んでいた。
ただ、僕は『バルディオス』のこの打ち切りで、少なくとも自分の番組だけは、いつ打ち切りになっても、みっともなく終わることのないような準備をしておく気にはなった。今でも、その気持ちはあって、自分がシリーズ構成した番組ならどんなに長く続いた番組でも、打ち切りが決まって3本余裕をくれれば、きれいに、結構感動的に終わらせられる自信がある。
つまり、その番組が始まる5本目ぐらいまでに、早めにいつでも終われる伏線を入れておくのである。……いくらなんでも始まって5本で打ち切られる番組は……聞いたことはあるが、少ないだろう。
つまり、その伏線が生きているかぎりは、その番組が、10年続こうが20年続こうが……きれいに終わることができるはずである。『宇宙戦士バルディオス』は、その後、ファンの後押しがあったということで、映画化された。僕の書いたエピソードが使われているという意味で、脚本タイトルに名前は載っているが、映画そのものの脚本は書いていない。
色々なエピソードが突出したTV版の『バルディオス』を1本の映画にまとめるのは酒井氏にとって大変な苦労だったと思う。
僕にとって、『バルディオス』は、酒井氏のシリーズ構成法を参考にして、自分なりの新しいシリーズ構成法を考える事ができた貴重な体験だった。それが、その後の『ゴーショーグン』や『ミンキーモモ』の構成法になっていく。ついでながら、後で分かったことだが『バルディオス』の話数を一番多く書いたのは、酒井さんだと思っていたら、なんと僕だった。『まんがはじめて物語』のプロデューサーから、『他のをやるのを悪いとはいわないけどさあ……』と、やんわりと釘を刺された覚えがある。
つづく
●昨日の私(近況報告)
今、このエッセイを書いているのはクリスマス・イヴである。
今夜ぐらいは、シナリオの話から、離れてみよう。
今ごろ、サンタクロースが、夜空を飛び回っていることだろう。
だが、最近、困った映画を2本見た。「三丁目の夕日」と「大停電の夜に」である。どちらも悪い映画ではない。「三丁目の夕日」は、昭和博物館というものがあるなら、そこから、あれやこれや、話のエピソードまで持ちだして、一所懸命、陳列している。登場する子供の人数が少ないのが気になるが(ベビー・ブームを忘れているのかな)、まあ、ニコニコ笑ってみていられる映画である。「大停電の夜に」も、「ラブ・アクチュアリー」というイギリス映画を小振りに日本映画化したようで悪くない。
だが、困るのは、サンタクロースである。どちらも、サンタクロースが出てくるが、人間が扮装している。
サンタクロースは存在しているのに、人間が真似をしている姿をみせるのは、子供達に誤解を招く。
残念だが「三丁目の夕日」は子供に見せられない。
ただ、「大停電の夜に」は、パソコンの画面に、宇宙衛星がサンタクロースの軌道を追跡しているシーンがあり、これには救いがある。
僕も『ミンキーモモ』で、空を飛ぶサンタクロースを、宇宙衛星が敵のミサイルと勘違いして、戦争がはじまりそうになるというエピソードを書いたことがある。
僕が子供のころは、今のように裕福でなく、プレゼントといえば、誕生日、クリスマスのサンタクロース、お年玉ぐらいであった。
だから、親や親戚から貰う誕生日祝いやお年玉でない、誰ともしれぬサンタからのプレゼントは特別謎めいてうれしかった。
10歳を過ぎて親がプレゼントを枕元に置くのを見て、聞いた。
「世の中には、うちより貧しい人が一杯いて、本当のサンタは、そっちを回っていて忙しいから、かわりに頼まれたんだ」と、父が答えた。
「色々なところで戦争が起こって、貧しい子が一杯増えるだろうから、これからは来なくなるかもしれないね」とも言った。
サンタは、子供にとって宗教とは関わりのないやさしい謎だった。
僕の10歳の娘は、サンタは世界サンタクロース協会に所属していて、毎年、プレゼントする子供を決めると信じている。
お金持ちのビル・ゲイツの子供には、プレゼントが行かないと思っていたが、先日、六本木ヒルズの美術館で、ビル・ゲイツが所蔵のレオナルド・ダ・ビンチのノートを公開したので――つまり、いいことをしたので――今年はビル・ゲイツの子供のところにもプレゼントがいくかもしれない、などと言っている。
娘に、サンタのプレゼントが来るのは、パパが物書きで自由業だから、いつ貧乏になるかわからないからだということになっている。
この娘の判断は正しい。
サンタクロースは存在する……そういうエピソードを入れたい。
代理店の読売広告社のプロデューサー大野実氏は、『ミンキーモモ』という番組の名前も決まっていない頃から言い続けていた。
以来、『ミンキーモモ』には、本物のサンタクロースが登場する。
本物のサンタを書く以上、作家の僕もサンタを信じている。
夜も更けた。娘のところには行ったかもしれないが、僕の仕事場にサンタの気配はない。
……僕、今、貧乏なんですけど……。
来年は、サンタクロースへ手紙でも書こうと思っている。
■第32回へ続く
(05.12.28)
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編集・著作:
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