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第32回 『ゴーショーグン』の前に……
『宇宙戦士バルディオス』が、打ち切りと言う結果で終わった後……葦プロ作品の流れとしては『戦国魔神ゴーショーグン』『魔法のプリンセス ミンキーモモ』『アイドル天使 ようこそようこ』と、オリジナルのシリーズ構成作品が、続いていく。
しかし、忘れないでくれと叫び続けている作品群がある。
TBSとダックスインターナショナル系の『まんが世界昔ばなし』と、『まんがはじめて物語』だ。そして、ダックスが持っていたとも言える劇団「目覚時計」子供向け舞台ミュージカルのシリーズだ。
どれも、始めの頃は、長く続く番組とは思っていなかった。『まんが世界昔ばなし』も長く続いて1年、1978年5月に始まった『まんがはじめて物語』にいたっては、商工会議所かなにかの創設何年かの記念として企画され、ちょうどTBSの土曜の午後5時半の時間帯に放送する番組がなくて、とりあえずその時間の穴埋め用に、最初は13本か26本、つまり3ヶ月か半年放送すれば御用済みの筈の番組だった。それが、『まんがなるほど物語』とか『まんがはじめて面白塾』とか題名と司会のお姉さん役こそ変えたが、同じ形式で13年も続く長寿番組になってしまった。2001年の特番『21世紀まんがはじめて物語』をいれると、20年以上続いている事になる。
今も、地上、衛星、ケーブルなど、どこかの局では再放送を続けているから、見たことのある方の数は膨大なものになると思う。
『まんが世界昔ばなし』も2年半ほど続き、「ミュージカルまんが世界昔ばなし」として舞台化され全国各地を回っていた。再放送も色々な局で繰り返され、ミュージカルも新作が今年6月公開予定で、劇場も決まり、脚本・音楽は、ほとんど完成されている。
つまり、『まんがはじめて物語』も『まんが世界昔ばなし』も、いまだに消えていないのである。
だから、TBS関係での僕は、いまだに『まんが世界昔ばなし』と『まんがはじめて物語』の首藤剛志である。
このふたつの作品のメインライターでなかったら、僕は、とっくに、アニメから……いや、脚本家からさえも足を洗って、葦プロとの長いつきあいもなかったかもしれない。『宇宙戦士バルディオス』が打ち切りになったところで、面倒くさくなった僕は、脚本家を止めようと思ったことは確かである。『宇宙戦士バルディオス』終了後、すぐに、新しいロボットものが企画されていたが、それがもし打ち切りになったら、とても食べてはいけない。それほど、脚本のギャラは安いのである。
それが、ずるずると脚本に居座ってしまったのは、『まんがはじめて物語』のシリーズが続いていたことと、「ミュージカルまんが世界昔ばなし」の舞台が続いていたからであるといっていい。
そして、たったひとつ、作りたいと思っていたミュージカル「夢の国フィナリナーサから来た少年」も実現していなかった。
『まんが世界昔ばなし』は、このエッセイの1回目にも書いたが、世間的にあまり知られていない昔話やいいつたえを専門に書いていた。
知られていない話だけに原作の昔話を、かなり自由に変えさせてもらった。正直に言うと、「世界昔話」というよりも「首藤版昔ばなし」といってもいいほど自由に変えている。
昔話は、時代とともに姿を変える。
たとえば、「赤頭巾ちゃん」は、本当の話は、狼に食べられて終わりである。
それが、あまりに残酷であるという理由で、いつの間にか、食べられて終わりのはずの赤頭巾ちゃんが、猟師のおじさんに、助けられる話になった。
最近では、半分冗談だが、「赤頭巾ちゃん」が、狼を護身用の銃で撃ち殺す話もある。……今どきの女の子は甘く見ると怖い……という教訓だそうである。
「ありとキリギリス」という寓話がある。
ありは、夏、せっせと働き、キリギリスは、それを馬鹿にして、遊んでいる。
だが冬になり、食べ物がなくなると、蓄えのないキリギリスは路頭に迷い、夏に働いて蓄えのあるありに助けてもらう。
だが、イソップの原典で、ありはキリギリスを助けたりはしない。
雪の荒野に放り出したままだ。
本当の話は、残酷なのである。
僕の書いた「ありとキリギリス」は、その中間をとった。
キリギリスは、夏に遊んでしまった報いを、自分で受け止め、ありに助けを求めずに自分から雪の荒野へ消えていく。
時代とともに変わる昔話なら、僕の変えた昔話があってもいい
自己流の解釈が、『まんが世界昔ばなし』では、僕に関するかぎり許されていた。だから、好きなように書けた。
書くことの嫌いな僕でも、楽に書けたのである。
なお『まんが世界昔ばなし』のアニメーターには、現在、第一線で活躍されている方達が多く参加していて、(マッドハウス関係など)レベルがかなり高いので、今、ご覧になっても、鑑賞に堪えるものになっていると思う。
『まんがはじめて物語』も、かなり自由に書かせてもらった。
誰が、いつ、なにを、という歴史的事実は変えられないが、歴史的事実をいくら並べてみても、十数分の放映時間中では、視聴者の記憶には残らない。大事なのは、そのものの必要性である。
NEEDがあるから、発明、発見がある。
なぜ、汽車が必要だったのだろう。なぜ、電話が必要になったのだろう。
まず、テーマになるものの必要性を、僕流に考える。
僕の考えた必要性と歴史上の人々が考えた必要性とは、さほど違わないはずである。
だから、事前になにも調べずに書く……楽である。後で、歴史上の事実とすり合わせて、簡単に説明を加える。
僕の『はじめて物語』には、よく邪馬台国の卑弥呼が登場する。
日本人のはじめて人間の代表である。台詞は、関西弁と九州弁(博多弁)が、ごっちゃである。邪馬台国には関西説と九州説のふたつがあるからだ。
まず卑弥呼がテーマの必要性を考える。そして、色々な人が工夫して、最終的に歴史上の誰かが、解決法を発見するのである。
『はじめて物語』で大切なのは、いつ誰がなにを発明発見したかではなく、そのもの(毎回のテーマになるもの)の必要性なのだ。
そこを面白おかしく書けばいい。
それを許してくれた、製作の丹野雄二氏や初代TBSプロデューサーの鈴野尚志氏、各話担当の監督の皆さんには感謝している。
脚本家によっては、テーマを与えられて、まず図書館に行って、苦労して調べたわりには、事実を羅列しただけのつまらない教養番組になった回もあったが、モグタンという案内役のぬいぐるみのキャラクターと、好奇心は強いがどこかぼけている司会のお姉さん役(何人かが担当したが、岡まゆみさんが代表している)、説明の声(ロングおじさん……声優ではなく、当時、TBSでかなり偉い役職だった方である。後で重症の鉄道マニアと聞いて、しまった、と思った。実は鉄道関係は僕が一番多く書いていて、鉄道関係はロングおじさんに聞けば、もっと能率的に書けたかもしれなかったのだ)の個性もあって、普通の子供向け教養番組とは一味違ったエンターテインメントだったと思う。
『はじめて物語』は、脚本家としての僕にとって、重要な作品だった。
なぜなら、TBSの『まんがはじめて物語』の取材です……と言って、警察、消防署、官公庁、関係企業などに出入りして、色々な職業の人と会えたからだ。警察や消防や水道のはじめてを、警視庁や消防庁や水道局に行っても詳しく分かるわけはないのだが、少なくともそこで働く人には会える。『はじめて物語』の取材にはならなくても、様々な役職の人と話することはできる。
いろいろな職業の人と会うことは、デスクワークでひきこもりになりがちな脚本家に、広い世界を見せてくれる。
看護婦の回など、僕が1ヶ月入院した大病院で、医者や看護婦さんと知りあいになり、病院の裏話や看護婦の内情と気持ちを聞かせてもらい……それは、全く看護婦のはじめてとは関係ないのだが……知識というより人間的な財産になり、他の作品を書くときに随分役に立った。おまけにその時は、病院内部から看護婦寮の撮影まで許可してもらい、今は、なぜか、僕は病気と病院にやたら詳しい脚本家ということになっている。
『まんが世界昔ばなし』と『まんがはじめて物語』の脚本で出会ったエピソードは今後もこのエッセイの中に、唐突に出てくるかもしれないので、そこのところはよろしくお読みください。
……そうこうしている間に、『宇宙戦士バルディオス』の次のロボットものの企画が始まった。最初は『逃亡戦隊バッキング』と言う名前だったが、企画が進むうちに、いつのまにか『戦国魔神ゴーショーグン』という名前に変わっていた。この作品のシリーズ構成という訳の分からないスタッフ名に、はじめて首藤剛志の名前が載っていた。
つづく
●昨日の私(近況報告)
また、新しい年をむかえた。
新しい年を迎えるたびに、考えることがある。
僕は、いったい何者か……ということだ。
一応アニメの脚本家ということになっている。
しかし、小説も、舞台ミュージカルも、歌詞も書いている。
過去に、実写のドラマも書いていないわけではない。
と、いいながら、物を書いていないときは、無職。ニートとまでは言わないが、フリーターに近い。家がなきゃホームレスだ。
20代の頃は、かなり優秀な営業外交(つまりセールスマン)だったこともある。
最近、ベテランの脚本家ということで紹介されることが多いが、いつも、自分にとっては目新しいことを書こうとしていたから、ベテランと言われてもピンとこない。気分は若手のちんぴらライターなのである。
だから、アニメ業界の人達に電話するときには「ライターの首藤です」と、自己紹介する。
「あんたは脚本家なんだから、使い捨ての100円ライターみたいな言い方をするな!」
まじめな先輩から怒られることもある。
煙草を吸うから、打ち合わせが終わると、なぜか他人様の100円ライターまで持ってきてしまう癖があり……自宅は他人の100円ライターの山である。そのくせ、高価な万年筆や本物のライター、腕時計、サングラス、メガネの類いは、平気で置き忘れる。
だから、最近はなるだけ身の回りの高価なものはもって歩かないことにしている。
溜まった100円ライターは、まとめて、打ち合わせの場所に「皆さんでお使いください」と置いてくる。
100円ライターというと首藤さんのことを思い出す……と、くすくす笑う演出家もいる。
まあ、その程度のライターなのだ……と思わないこともない。
だから、この程度のライターに、皆さんがなれないはずはないのである。
まして、このエッセイを読むような人は、かなりコアなアニメ好きだろう。自分のホームページやブログ、掲示板の書き込みなどで、書くことに慣れている人も多いと思う。
いまだに、書くことが嫌いな僕に比べ、皆さんは、ライターになれる要素は、ずーっと高いと思う。
今になっても脚本家は僕に向いていない仕事だと思うことがある。
そんな僕がやっている仕事である。
皆さんが、脚本家ができないはずがない。
自信をもって、僕のエッセイを読んでください。
年頭の挨拶代わりに、そう、申し上げたい。
で、くどいようだが、過去の名作、名画だけは見続けておいてください。
さらに、もう少しだけ必要なことを、本文のエッセイやこのページに、これから点在させて書いていこうと思うので読み落としの無いようにお願いします。
以上 近況報告に代えて……。
■第33回へ続く
(06.01.11)
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編集・著作:
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