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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第37回 
『戦国魔神ゴーショーグン』レミー島田のモデルになった女性・その2

 『戦国魔神ゴーショーグン』のレミー島田に、関わる話である。
 音響監督の松浦典良氏は、脚本の1話と2話を読んで、当時、「チャーリーズ・エンジェル」の声をやっていた小山茉美さんを「レミー島田の声はこの人しかいない」と強力に推薦してきた。
 『巴里のイザベル』で、僕はこの人でなければ嫌だ、と言った声である。
 偶然とはいえ、なんとなくうれしかった。
 同時に、悪役のブンドルの声に、『宇宙戦士バルディオス』の、どちらかというと熱血号泣タイプでありながら暗い感じの主人公、マリンを演じた塩沢兼人氏を推薦してきた。
 この決定には、僕はいささか疑問を感じたが、「大丈夫です」という松浦氏の一言を信頼することにした。
 結果的には、どちらも大当たりだった。
 いや、他のキャストも外れがなかった。
 松浦氏のキャスティングは、キャラクター達に、今となっては他の声では考えられないほど、ぴったり決まっていた。
 どのキャラクターもそれまで他のアニメではあまり見られないキャラクターだから、脚本を読んだだけで、ここまではまった声優を選んだ松浦氏の、眼力というか聴力(ちょうりき)は、いまだに大したものだと感心している。
 さて、20代の始めの頃に戻ろう。
 ふわふわと漂うようにシナリオライターのまねごとをしていた僕も、このままでは、同世代が大学を卒業したころに、就職して得るだろう収入と将来性を持つことはとても無理だと思い出していた。
 何にしろビンボーで、3日間、キャベツ1個で過ごしたこともあったほどである。とりあえず収入の確保が先決だと考えた僕は、ガールフレンドがやっていたアルバイトに目をつけた。
 彼女は何十万円もする外国の百科事典のセールスをやって、かなりの金額を稼いでいた。その額は、それこそ、20歳前に外国に行って暮らすという彼女の夢が、すぐにでも実現しそうなほどだった。
 彼女は決しておしゃべりとは言えず、むしろ無口で、一言一言話すにも言葉を選ぶようなところがあった。彼女の通っていた外国語学校の方針で、日常もなるべく友人とは英語を話すようにしていたから、頭に浮かんだ言葉をいったん英語に置き換えてから、また日本語に訳し変えているような、いささかじれったい言葉の使い方だが、そのくせ割と口に出したら気の利いた日本語になっているような……それが習慣になっているようなところがあった。
 彼女にできて、僕にできないはずはない。
 僕は、大手の出版会社の教育機器を売る新宿の販売会社に、営業……つまり、セールスのアルバイトで入った。
 なぜか、これがヒットした。
 たいして売る気もないのがよかったのかもしれないが、入社当日から1ヶ月連続して売リ続けるという記録を作ってしまった。
 もともと、セールスマンとは、日常必要としているものを売るわけではない。
 必要としているものなら、客は自分で買いに行くだろう。
 例えば生命保険のように、日常はとりあえずの必要がないから加入していない、または、必要としていても、新聞や車のようにどんなメーカーのものを買っていいか迷っているから、セールスマンが売りつけにくるのである。
 セールスは時間をかければいいというものではない。
 相手が買うか買わないかを見極めて、買いそうな客ならば、力を入れて説得する。
 だから、こちらも、買いそうな客にはエネルギーをつぎ込むから、そう長くは続かない。
 1日2、3時間で、こちらもばててしまう。
 こちらの気力が失せれば、客は敏感にそれを感じて逃げていく。
 焦れば焦るほどとれないし、ねばればいいというものでもない。
 1日2、3時間で勝負が決まるセールスは、アルバイトとして最適である。
 売れさえすれば、会社は勤務時間をうるさく言わないし、会社に出ないで家から客のところへ直行直帰も許される。
 売れさえすれば、後の時間は自由である。映画を見ようと、家で原稿を書いていようと遊んでいようと、会社に黙って「仕事をしていました」と言えばいい。これほど、そのころの僕に向いていたアルバイトはなかった。
 もちろん、ただ「買ってくださいよ」では、誰も買ってはくれない。
 売りたいこちらの気持ちが露骨だと、客は引いてしまう。
 売るためには様々なテクニックがいる。
 そのテクニックをここに書けば、1冊の本になるほどの量になるので、詳しいことは書かないが、ただ、売れようと売れまいと、様々な人間と出会える利点はある。
 世の中には、本当に色々な人間がいる。特に子供向けの教育機器や図鑑等のセールスをすれば、様々な親と子の姿が見えてくる。
 その家庭の状況も垣間見える。
 幸せな家族の色は同じだが、不幸な家族の色は様々である……という言葉があるが、幸せな家庭の色も、それぞれ違う色を持っていることが分かる。
 これはあとで考えると、様々な人間を知っておくと得な、シナリオの勉強にもなった。
 セールスの好成績で僕の生活は楽になり、気がつけば、互助会という名の冠婚葬祭のセールス会社に主任クラスでスカウトされていた。
 結婚式を安くする目的で入る人は少ないから、互助会のセールスとは、直截に葬式のセールスということになる。
 昔も今も、葬式料は不当なほど高い。それを少しでも安くしようというのが互助会である。余談だが、最近は互助会も高くなり、町の葬儀屋さんの値段も安くなっているというから、必ずしも互助会という葬儀会社の値段が、今はお得だとは言えなくなっていると聞く。
 互助会のセールスも、僕にとっては勉強になっていた。
 いったいなんのために、誰のために、葬式を準備するのか……ここにも様々な家族の姿が見えてくる。
 できるだけ多くの人と出会うことは、脚本家にとって損なことではない。
 と、今だから言えるが、その当時の僕は、脚本の勉強などということより、収入の方が魅力的だった。その当時の収入に僕の脚本の収入が追いついたのは、30代になってからだった。
 アルバイトと言いながらも、セールスに夢中になっている僕を見つめていたガールフレンドは、ある日つぶやいた。
 「横文字の仕事になるって、シナリオライターじゃなくて、セールスマンのことなの……。2年遅れたわ」
 そう言ってから、僕と付き合う日がみるみる減っていき、他愛ない喧嘩が多くなり、百科事典のセールスも止め、代わりに喫茶店のアルバイトを、昼夜続けて2軒掛け持ちで始めた。
 確かに、当てにならないセールスより賃金は安いが確実だし、食費も浮いた。
 そして、ある日、日本からいなくなった。
 2年間遅れたのは、彼女が外国に住むという夢のことだった。
 日本から消える前、共通の知り合いだった先輩の女性シナリオライターにこう言ったという。
 「日本人はなまじ日本語をしゃべるから、嘘が分かって辛くなる。でも、外国人なら、嘘をつかれても、外国語をこちらが分からないから、自分が悪いんだとあきらめがつく」
 彼女は、ウラジオストックからシベリア鉄道に乗って、ヨーロッパに行ったらしいと、噂で聞いた。
 飛行機のある時代である。何もわざわざシベリア鉄道でもあるまいにと思った。今ならシベリア鉄道といえば、水野晴郎氏の「シベリア超特急」を思い出し、ギャグにしかならないが、その当時は、何もわざわざ飛行機でなくシベリア鉄道、だった。
 そこには、なにがなんでも日本から飛び出してやるという、彼女なりの決意があったのだろうが、迂闊にも僕は、そのうち帰ってくるだろう等と思い、相変わらず、セールスを続けながら、時々、企画書や、自分の名前など出ないTVサスペンスものの原作ダイジェストなどをたまに書き、シナリオの世界に顔をつなげた感じだけで、気がつけば2年経っていた。
 そして、突然、忘れ物が飛び出すように、ある日、彼女の噂を聞いた。
 彼女はイギリスにいるらしい。彼女が持っていたのは観光パスポートのはずである。当時、観光パスポートでは6ヶ月しかひとつの国にいられないはずだった。それが2年も何をやっているんだ……。
 急に責任のようなものを感じてたまらなくなった。
 昔、誰に言ったか忘れたが、公園で月を見ながら「君が誰かに月に連れさらわれて行ったなら、僕は必ず追いかけて君を取り戻してくる」などというホラ話を平気でしゃべっている僕を思いだした。
 イギリスなら月より近い……なんとかしなきゃ。ほとんど一瞬のうちにそう決めて、彼女の日本の実家に行き、イギリスの連絡先を聞いた。
 「何をしているんだか……あの子も……」と頼りない返事のご家族に、「何をしているのか……事によっては連れ戻してきます」と言って連絡先を聞き出し、事によっては必要になるかもしれない手持ちの金を全部持って、パリ経由ロンドン行きの切符を買った。
 僕にとってはじめての海外旅行だった。どうやってパスポートをとって切符を買ったのかも、今はもう覚えていない。
 ともかく12月も末に近い寒い頃だった。
 日本を飛び立つ3日前に彼女の実家から電話があり、イギリスの彼女からクリスマスカードが届き、ドイツに行くと書かれていたという。
 とりあえずドイツの連絡先を書き写して、飛行機に飛び乗り、パリまで行った。クリスマス・イヴだった。書き写したドイツ語で書かれた連絡先は、ドイツの大きな街ではなく聞き慣れない町の名だった。
 町の名前も読めなかった。
 パリ行きの乗客が、郵便番号からドイツの黒い森の辺りの町だと思うけれど、聞いたことのない町だ、と教えてくれた。クリスマス・イヴのパリの街など、どうでもよかった。
 次の日のクリスマスにはロンドンに着いていた。
 そこで、僕は、呆然と立ちすくんだ。英語が通じないことに気がついたのだ。それどころか相手の言っている言葉すら聞きとれない。
 クリスマスのロンドンはどこも休みだ。日本航空のカウンターも休みで、誰もいない。1人でぽつんとロンドンのヒスロー空港に取り残された僕は、はじめてえらいことになったと思った。「私はだれ? ここはどこ?」の世界である。
 空港をさまよって、やっと日本人らしい男の人を見つけた。
 今でいうバックパッカー風の人だった。
 「今日、泊まる宿はありますか?」
 「最後のロンドンだけは決まっているけれど」
 「ツインに切り替えてください……僕も泊まります。料金は半々で」
 こんな時まで、ワリカンを言いだす僕もどうかしているが、事情を聞いた男の人は、呆れていたが、ともかく僕を、ロンドンのピカデリー広場の近くの予約していた安宿に泊めてくれた。
 次の日、僕はロンドンの街の広い通りを歩いていた。
 偶然にも、目指す建物が見えた。ルフトハンザ航空の文字が書いてあった。ドイツだからルフトハンザだ。
 僕は、ルフトハンザ航空に駆け込むと、ともかく「I want to go there」の一本やりでドイツの連絡先を書いた紙を見せた。
 向こうが何を聞いても「I want to go there」である。
 やがて、向こうが、飛行機の切符を出してくれた。
 ドイツのシュツットガルド行きの切符だった。
 「あなたの行きたいところはここの近くだ」
 向こうが英語でそう言ってくれたのだけは分かった。
 次のシーンはもうシュツットガルド飛行場だった。
 ロンドンの宿の支払いを終えて、親切な男の人にお礼を言うと、ともかく郵便番号だけを頼りにドイツにたどり着いたのだった。
 ドイツ人の話す英語は、親切丁寧で分かりやすかった。
 「ここのちかくですか?」
 「ここのちかくです」
 「どこですか」
 「タクシーでいきなさい」
 僕は、タクシーを拾った。タクシーはどれもベンツだった。
 「I want to go there」
 そこでも、それしか言えなかった。
 運転手は頷いて、タクシーを発車させた。
 アウトバーンという、当時速度制限なしの高速道路を、目の回る早さで40、50分走ったろうか。タクシーは高速道路を降りて、小さな町に入った。夕暮れが近かった。
 「ここ、キルハイムテック」
 運転手が言った。
 連絡先の町だった。
 ともかく泊まる場所を探さなければ……。
 で、「ホテル、ホテル、ホテル」と立て続けに言った。
 タクシーは、小さなホテルの前に止まった。
 運転手は料金メーターを止めて、金額を言った。
 フランもポンドもマルクも訳が分からなかったが、手持ちの金は全部マルクに代えていた。
 でかそうな紙幣を渡した。
 おつりを貰ったか、チップで持っていかれたかは、覚えていない。
 ともかく、ホテルのカウンターで、「One night please」と言ったら、「やーぱん?」と聞かれた。
 ドイツ語で日本人をやーぱんというのは知っている。
 イエスは「やー」でノーが「ないん」である。
 「やーやーやーぱん」と言うと、階段を指さす。
 言われたように階段を登ると、3階にドアがある。
 ドアを開けると屋根裏部屋で……家具などがしまわれてあり、そのまた、奥にドアがあった。
 光が洩れている。
 ドアがかすかに開いているのだ。
 ドアをノックした。
 ドアが開いた。
 そこにガールフレンドが立っていた。
 びっくり仰天した。
 彼女も息を飲んでいた。
 タクシーはホテルではなく、連絡先に僕を届けてくれたのだ。
 彼女は、そのホテルに住み着いていたのである。
 僕が何を言おうかと考えているうちに、彼女が首を何度も振ってから言った。
 「こんなところに来るようじゃおしまいね。出ていってよ」
 「出ていこうにも、ここに泊まっちゃった」
 「信じられないわ」
 「俺も信じられない」
 そう答えるのがやっとだった。
 少なくとも数ヶ月を彼女を探すために予定していた。
 それがヨーロッパに来て3日目……ドイツに着いたその日に会ってしまったのである。
 レミー島田の原形になる人は、フランスではなくドイツ南部、黒い森で知られるあたり……シュツットガルドの近く、キルハイムテックという小さな町にいた。

   つづく


●昨日の私(近況報告)

 「脚本家になるためには、どんな本が参考になりますか?」
 こんな質問なら、直ちに答えることができる。
 まず、小学校6年までの教科書である。
 馬鹿にするなと言われるかもしれないが、人間が持っている基本的な知識として、僕らには案外抜けているところがある。
 僕など、娘の小学4年生の理科や社会の教科書を読んでも、なるほどと感心することがある。
 中学生の教科書になると、もう、いらないという知識も見受けるが、小学生の教科書は、近所の子供から借りても読んでおくべきである。
 とくに、科学系の知識は、「ニュートン」や「ナショナルジオグラフィック」程度の雑誌は読んで苦にならないほど持っておくといい。
 さらに大切なのは、昔話や寓話の類を、読んでおくことだ。
 別に僕が『まんが世界昔ばなし』という番組をやっていたから言うのではないが、昔話は人間の本質を描いているから生き残ってきたというところがある。古来から残る哲学や宗教と同じである。
 昔話は、時代や土地によって変質してくるが、元のところは人間性を描き、人間に対する警句に満ちている。
 手に入りやすいところでは、ヨーロッパの昔話を集めたグリム童話がある。時代の道徳観に左右されていない初版のグリム童話などは、目を通しておいて損はない。
 現代にもグリム童話の主人公や悪役たちは生きている。
 実際に存在する人間に、グリム童話を当てはめてみるとよく分かる。
 全てのドラマは、グリム童話の中に語られているという人すらいる。
 世界中に残る民話を系統づけて分類したものも、(たとえば、つるの恩返しが北欧に行くとアザラシの恩返しになる等)多くの書物が出ているから参考にしてみるのもいいだろう。
 直截な「ドラマの作り方」とか「シナリオの作り方」等の指南書を読むより、昔話に出てくる様々なドラマのパターンを、自分たちの作るドラマにあてはめてみるほうが、結局はドラマの研究や勉強にはなると思う。
 最近の小説やアニメの読みすぎ見すぎは、影響を受けると模倣になる危険性があるので気をつけよう。

   つづく
 

■第38回へ続く

(06.02.15)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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