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第45回 僕にはアニメが向いている
僕が、はじめて書いたシナリオが、「大江戸捜査網」という時代劇であることは、すでに書いたが、その後、数年、わずかに「おくさまは18歳」とか特撮物で声をかけていただいたが、ガールフレンドの事やセールスに夢中で、あてにならない脚本は、僕の気持ちの中では、いささかお留守になっていたといっていい。
むしろ書く事は、実現化があてにならない企画書やプロットで、うんざりしていたと言った方が正しいかもしれない。
脚本の世界は、書いている人達の生態は興味深く面白いが、脚本を書く事自体は、いささか、しり込みしていた。
それが、TBSの、『まんがはじめて物語』のプロデュサー鈴野尚志氏側から、七時台に放送していた、当時若手のアイドルだった榊原郁恵さんの青春物をやってみないかという声がかかった。「ナッキーはつむじ風」から続いた「愛LOVEナッキー」と言う作品である。
製作会社の東宝も了解しているという。「愛LOVEナッキー」は、『まんがはじめて物語』に途中から参加した脚本家の筒井ともみさんも書いていたようだから、そこいらの関係で、僕の名前が出てきたのかもしれない。「青春物」ならアクションもないし、何とかなるかと思って書いてみた。
書いた脚本の評判は悪くなかった。プロデュサーも製作を担当した東宝の監督も面白いと言ってくれた。
例えば、捨てられた動物を集めて子供たちの動物園を作る話。
スランプの少年天才ピアニストに、人間達の生きている暮らしを見せ、体験させて、生気をよみがえらせる話。後半には、活気のある魚河岸や、野球チームに参加するシーン、河岸を自転車で元気よく走るシーン、ボートを漕ぐシーン。それらのバックにショパンの幻想即興曲を全曲流すようにした。
僕なりに新しい試みをしたかったのである。
監督の方達も楽しんで作ってくれたようである。
当時のTV映画は、昔の映画界の習慣が残っていて、監督の力が強かった。
スタッフは、監督の指示で、動物を集めてこいと言われれば、何とか集めてきたし、天才ピアニストの弾くピアノの音が必要だとなれば、本物のピアニストを連れてきて録音した。
番組が変わり三原順子さん主演「GOGO!チアガール」になると、さらに僕のやりたい事はエスカレートし、学校にサッカーチームを作る話や、カンニングにコンピューターを使う話、漫画家志望の少女の春から秋にかけての初恋の話――当時、青春物でやりたかったもののほとんどを試してみた。
当時、若かった僕担当のプロデューサー新江幸生氏は、面白がって書かせてくれたし、各話の監督も満足していたようだった。
だが、その分、他のベテラン脚本家の脚本が、登場人物がレギュラーだけだとか、地味な人情劇が多くなっていったのに、僕は気がつかなかった。
無事に番組が終わり、打ち上げのパーティが始まった。
宴もたけなわになった時……酔った一団が脚本家のグループが飲んでいるところにやってきた。
「首藤剛志って脚本家はどいつだ」というのである。
「僕ですが……」と答えると、一団のグループが言った。
「いったい、雨降らせるのに、雪降らせるのに、どれだけ苦労がかかると思っているんだ」
その人達は、美術や効果の人たちだった。
「そりゃ、監督さんがやれと言えば、やるけどよう……現場の身にもなってくれ」
からむというより、泣きが入っていた。
つまり、僕の脚本は、1週間30分の青春物にしては、お金と美術や撮影効果の苦労がかかりすぎだというのだ。
事実、レギュラーにない登場人物も大勢出ている。ロケ現場もやたらと数が多い。現場の苦労は大変だったろう。予算だって、馬鹿にはならなかったはずだ。
要するに、若手の少し面白い脚本を書くシナリオライターが好きにかけるように、周りが我慢してくれていたのだ。
しわ寄せを食ったのが、ベテランの脚本家の方達で、予算のかからないレギュラー中心の地味な作品を書く事になった。
僕は考え込んでしまった。
僕が書こうとしたのは、それほど、スタッフの苦労を強要するほど、素晴らしい脚本だったのか……? 僕は、ただ、書きたいものを書いただけに過ぎなかった。
それに、多大な予算やスタッフの労力を使うのは忍びないというより嫌だった。
僕が、実写よりアニメに向いていると思ったのは、単純である。
アニメなら、実写で難しい事が表現できる。ただそれだけである。
さらに面倒くさい事を言えば、僕がイメージした登場人物とそれを演じる俳優のイメージが、どうしても一致しないこと。
今の実写ドラマは俳優の柄に合わせて、ストーリーを作る場合が多いと聞くが、そんな器用な技術は僕にはない。
僕は、さりげなく人が使う日常会話が好きだが、俳優さんは、日常では平気で日常会話を使っているのに、いざ演技となると、どうしても文章化された台詞らしい台詞しか、喋れない人が多い。
さらに、難しい事を言うと、実写とアニメの情報量の違いもある。
実写では、必要のない情報が写ったり俳優の演技で描かれてしまう事がある。逆に、アニメは必要のない情報は省略したり書かなければいい。
過剰に必要ならば書き加えればいい。
実は、アニメと実写の最大の違いは、この情報量の操作の仕方だと、僕は思っている。
ご存知のように、アニメの中のキャラクターは、作画の関係で、1作1作、顔やスタイルが違い、同じ登場人物とは思えないイメージになることがよくある。まるで、別人のように見える事もある。
それでも、僕には、僕のイメージと生身の人間である俳優の持つイメージの違いの方が気になるのである。
僕のアニメのイメージの調整は、脚本と声優と音響の折り合いの方が、ぴったりくるのである。
そんなこんなで、アニメに浸っているうちに、自然に実写の仕事は来なくなった。
最後に書いたのは「新・翔んだカップル」の実写スペシャルで、実写というよりは助演で出演した竹中直人氏など、ほとんどアニメ的演技だった。
こんな事を言いながら、作るのはアニメが好きだが、見るのは実写が好きである。アニメはほとんど見ないと言っていい。
僕のイメージの世界と、他人様の作った実写のイメージの世界が違うのは当然で、それが楽しめるのかもしれない。
書くのはアニメや小説で、見るのは他人様の作った映画が好き……不思議な気がする。
次回は『戦国魔神ゴーショーグン』の次の葦プロダクション作品『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のエピソードを語っていこうと思う。
つづく
●昨日の私(近況報告)
セールスをすると、様々な人たちの営みが見えてくる。
人は、相手が見ず知らずの他人だというだけで、知り合いには話せない事、悩み事も赤裸々なまでに話してしまう事がある。
それに、自分がセールスであるという立場を忘れずに、答えていく。
決して、相手の家庭に踏み込むような事を言ってはならない。
こうして、君のつきあいのファイルに様々な人間が増えていく。
異性の人それぞれの考え方、人それぞれの感情の持ち方も、君は知る事になるだろう。
それがいつかシナリオを書く時に、必ず役に立つ。
……と、こんな事を書いていると知り合いの精神科医に言ったら、現代はそんな状態じゃない。異性どころか同性ともうまく話せない、つまり、他人とコミュニケート不能な人間がどんどん増えているという。
いわゆる心理的引きこもり状態で、そんな自分をなんとかしたくて、訪れる患者が、病院や、セラピー、カウンセリングにあふれているという。
つまり、他者と交渉したり接触したりする事が苦痛だったり、恐怖だったりする人が増えているというのである。
人と人との交わりが過疎になった現代特有の病気だろうが、自分の中にそれを感じたら、シナリオを書くなどという事はひとまずおいて、病院に行ったほうがいい。
最近「自分がうつ病かなと感じたら、1ヶ月以内に病院に行きましょう」というCMがあるが、昔と違って、精神科や心療内科は、通って恥ずかしい病院ではない。それだけ患者が多いのだ。
僕は精神科医ではないから、はっきりした事は言えないが、多くの医者は、君の立場に立ってものを考えてくれようとする、せちがらい世間とは違う。セラピーに集まる人たちもみんなやさしい。カウンセラーも気持ちが悪いくらい親切である。
よく、精神科医にとっての敗北は、患者に絶望され自殺される事だというが、その最悪の事態を避けるために、できるだけのことをするだろう。
高い料金を取るカウンセラーほど、気持ちが悪いぐらい親切に君の話や悩みを聞いてくれる。
本人がどうとも思っていないようなトラウマまで探し出してくれる。
あなたが、こんなことにお金を払うのは馬鹿馬鹿しいと思い出したら、一歩前進かもしれない。
お金をとらない組織としてはAAとそれに関連する集会がある。
アルコール依存症者の自助組織だが、この人たちも、自分が患者であるだけに、その苦しみや悲惨を知っていて、相手に対してやさしく話相手になってくれる。
最近、酒を飲みすぎるなあと思う人は、すぐ行ってみる事だ。
相手がいなくて、1人で飲む酒が多いと思う人は特にそうだ。
あなたは、依存症ではないと否定するかもしれないが、人間、何かに依存する傾向は持っている。酒、たばこ、買い物、パチンコ、何にでも依存症は存在する。それが、他者との交渉の妨げになる場合が多い。
それに対応する無料の自助組織も今は沢山できてきた。
これらの組織に参加する事で、流行になってさえいるAC(アダルト・チャイルド)という意味も何となく分かってくる。
幸いにして、そんな依存症でなかったとしても、あなたは、あなたが知らなかった世界の事を知る事はできる。
現代の人間を描くのもシナリオである。
精神科の患者になる……(または、思い込む、装う)のは、シナリオラオターを目指す人には邪道に見えるかもしれないが、様々な人を知るには多いに役立つと思う。
大切なのは、色々な人に出会い知ることなのだ。
つづく
■第46回へ続く
(06.04.12)
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編集・著作:
スタジオ雄
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