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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第50回 『ミンキーモモ』ターニングポイント

 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の放映ははじまったが、当初は、割とおとなしいストーリー展開の話数が続いた。
 もともとこの作品は、企画会議でスポンサーの方から、「ストーリーなんてどうでもいいんです。ミンキーモモ関連グッズの30分のCMのつもりで作ってください」という、身も蓋もない、しかし玩具屋さんのスポンサーの立場からすれば、あまりに正直な注文をいただいていた。
 当時のアニメは(今のアニメもそうだが……)関連グッズを売るために存在している。
 視聴率や内容がどうあろうと、関連グッズが売れなければ終わりである。
 打ち切りもある。
 スポンサーは、関連グッズが売れさえすればいいのである。
 そのスポンサーの提供するアニメ作品へのスタンスは当然と言えば当然である。
 スポンサーの番組担当は、玩具屋さんの正社員である。
 製作費を出した作品の関連グッズが、売れなければ出世にも関わってくる。
 アニメの製作費という宣伝費を、グッズが売れなければ無駄に使った事になる。グッズが売れなければ、その人達の、玩具屋の社員としての能力を疑われ、その人達の将来さえ決めかねない。
 グッズを売らんがための意見が、放映開始直後は、いろいろ飛び出してくる。
 ストーリー上必要のないグッズも、番組の中で宣伝しろ……つまり、作品の中に登場させろという事になる。
 最初は、どこかの町の中だけで収めるつもりだった『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のアニメ製作者の意向など、玩具開発者には通じない。
 空を飛んでどこにでもいける「グルメポッポ」などという乗り物は、女児用番組というだけで、玩具屋さんが『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のストーリーが決まる前から開発していて、放映開始当時には完成されていた。
 この玩具は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を、決してどこかの町だけで終わらせる気持ちのなかった僕にとって、ありがたい存在だった。
 これを使えば、世界中、どこにでも飛んでいけるのだ。
 だから、『ミンキーモモ』の活躍舞台には2話目から、いきなりアフリカが登場した。
 しかも、放映当時はスポンサーが売りたがっていたグッズが少なかった。
 これも幸いだった。
 メイングッズは、ペンダントと魔法のバトンぐらいである。
 つまり、ミンキーモモが変身の魔法を使えば、ペンダントとバトンが必然的に出てくる。
 ただし、放映直後はスポンサーがストーリーにも口を出してくる可能性がある。
 玩具を売る対象が、幼児や小学校低学年にしぼられていたからだ。
 僕が作りたかったストーリーは、子供だけでなく、大人が見ても通用するファンタジーだった。
 しかし、放映当初はスポンサーの目が光っている。
 幼児向けの作品に、大人に通用するようなファンタジーを作れば、子供に難しいストーリーは作るなというクレームがくるだろう。
 スポンサーの目が、放映後『ミンキーモモ』の内容から離れ、CMのチェックぐらいになるまで、ほぼ二ヶ月と勝手に僕は読んだ。
 それまでは、スポンサーを刺激しないような、無難なストーリーを並べておいた。
 そして、『ミンキーモモ』のストーリーの転機になりそうな話を放映2ヶ月後の8話目に想定した。
 脚本の製作は、普通、ほぼ4話分ぐらいを同時に、各脚本家に発注する。
 そうすると、脚本家には月に1本ぐらいの割合で順番が回ってくる。
 だが、僕はそのやり方を使わなかった。
 キーポイントになりそうな話は、何度も打ち合わせして、期限を決めなかった。
 好調な時は1週間でOKな脚本もあれば、じっくり醗酵するまで寝かせておいた脚本もある。
 もっとも長い時間をかけたのは、読売広告社の大野実氏が企画当初から望んでいた、サンタクロースが存在するという話で、番組開始当時から考えていたが、放映は、12月のクリスマス……脚本完成からアニメ完成まで3ヶ月はかかるとみて、脚本完成はぎりぎり9月……つまりサンタクロースが実在するという脚本「お願いサンタクロース」は、シナリオ完成まで、6ヶ月かけた事になる。
 さて、最初のキーポイントになるはずの作品、第8話「婦人警官ってつらいのネ」は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』第1話の脚本が完成した時点では、すでに完成していた2話――1週間に1本放映されていくアニメ製作を考えれば、放映開始時には、脚本のストックが7、8本は必要である――を書いた土屋斗紀雄氏に依頼した。
 この脚本の特長は、ミンキーモモが、他の人のために大人に変身するのではなく、自分のために警察官に変身するところにある。
 ミンキーモモのところに差出人が不明のラブレターが届く。
 「ついに来るべきものが来たんだわ」
 ミンキーモモは、手紙に指定された待ち合わせ場所に急ぐため、婦人警官に変身する。
 その途端に行く先々で事件が起こり、婦人警官に変身したばかりに、次々にその事件を解決しなければならず、気は焦れどもなかなか待ち合わせ場所にたどり着けない。
 その婦人警官のミンキーモモが行きあたりばったりに出会う事件を、何でもいいから、できるだけ沢山書いてきてくれと、土屋斗紀雄氏に頼んだのだ。
 でき上がった脚本は、200字詰め原稿用紙で200枚近かった。
 普通の30分アニメの3倍の長さだった。
 3分の1にしなければ、とても放映できない。
 つまり、婦人警官に変身したミンキーモモが出会う事件のエピソードの3分の2は削らなければならないのだ。
 土屋斗紀雄氏は、それぞれのエピソードを必死で考えたから、どれを削ったらいいのか分からないという。
 どのエピソードにも愛着があって捨てられないのだ。
 その気持ちもよく分かる。
 僕はその脚本を預かって、演出サイドと相談しながら削る事にした。
 演出サイドとよってたかって脚本を削っていったが、削りすぎたのか、ミンキーモモが行き当たりばったりで右往左往するだけの、何のテーマもない脚本になってしまった。
 ミンキーモモに届いたラブレターは、ドタバタの末、結局、いたずらだということが分かるのだが……それだけでは落ちにならない。
 ただのドタバタアニメで終わってしまうのである。
 何かが足らない。
 ラストシーンに何かが必要だ。
 考えに考えた末、その回の演出だった西村純二氏が素敵なラストシーンを思いついた。
 子供に戻ったミンキーモモが机の前でしみじみと呟くのである。
 「いつか来るわ。私にも……本物のラブレターが……」
 自分自身のために大人に変身して、大奮闘した揚げ句、そこには何もなくて、子供に戻ったミンキーモモが本当の大人になった日を夢見るラストシーン……。
 それまで行き当たりばったりの転がりストーリーが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の持つテーマのひとつを呟いて終わる。
 この第8話は『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のターニングポイントになった。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が単なる子供向けの女児アニメでなくなるきっかけになった話数で、このエピソードから、単なる子供だけでなく、大人になりかけた子供達(?)のファンが、ドーッと増えた。
 この作品は、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本家達にも、一種のターニングポイントになった。「婦人警官ってつらいのネ」がOKならば、どんな話でも『魔法のプリンセス ミンキーモモ』では通用する。
 まず、僕自身がそう思った。「フィナリナーサ(フェナリナーサ)から来た男の子」で考えたエピソードのほとんどが『魔法のプリンセス ミンキーモモ』でも使えると確信した。
 他の脚本家も「好きな事が書ける」と、張り切り出したようだ。
 8話の脚本が、完成した時には、12話あたりまでの脚本は完成している。
 8話放映の頃には、脚本は14、15話まで執筆中である。
 ただし、脚本の完成順にアニメを制作していたわけではない。
 前にも書いたが、シリーズ構成が寝かせておいた脚本も少なくなかったし、どうしようもなく没にした脚本もある。ひと月に1回、夢の国の王冠にはまる宝石のシーンを書き換えれば、何も脚本完成順にアニメ制作側に渡して放映する必要はない。
 でき上がった脚本をいつアニメ制作現場に渡すかは、僕に任せてもらっていた。
 だから、脚本の話数と、実際に脚本が完成した時期は一致しない。
 8話を見た脚本家達の乗りが明らかに変わってきたのは、だから必ずしも話数順ではない。
 特に土屋斗紀雄氏と戸田博史氏の乗りが変わってきた。
 前々から来るように言ってはいたのだが、自分の作品のアフレコの時にはスタジオに来るようになった。
 山崎昌三こと谷本敬次氏(後の武上純希氏)も、おそるおそるながら、自分の趣味的な脚本を書くようになってきた。
 筒井ともみさんと金春智子さんは、それぞれのマイペースで脚本を書き、それはそれでよかった。
 僕はシリーズ構成として、人の脚本をよく書き換える脚本家だという噂があるようだが、このお2人の脚本はアフレコで台詞の手直しを少しする以外、手を加えた記憶がない。
 ほとんど、第1稿でOKである。
 筒井ともみさんの脚本では、面白いエピソードがある。
 彼女の書いてきた脚本を一読して、「これでいいよ」とOKを出したら……。
 「本当にそれでいいの?」
 「はあ?」
 「この本、いいわけないじゃない」
 自分の本の、出来がよくないという自己申告である。
 「僕はいいとおもうけれど……自分でよくないと思うんだったら。自分で直したら?」
 「時間ちょうだい……直すから」
 と言って、その脚本を持って帰ってしまった。
 自分の脚本を、自分で出来がよくないと言って自分で直すという人に出会ったのは、後にも先にも、この時だけである。
 後日、直したという脚本ができてきたが、第一稿とあまり変わっていなかった。
 前の第1稿のどこが悪かったんだろうと、首をひねったのだが、彼女は彼女なりに引っ掛かるところがあったのだろう。
 それが我慢ならなかったのだろうが、自分の書いたものに対する自己評価がきびしいのも、筒井ともみさんらしいところである。
 ただ、その評価基準が普通と違うところが筒井流である。
 感覚的な人だから、人がよいという映画を悪いと言い、人が悪いと言う映画をよいと言って弁護する事が時々ある。
 金春智子さんが金春流なら、筒井さんも筒井流である。
 4分の1世紀後の今現在もそれで押し通して、第一線で活躍しているから、さすがである。
 さて、やがてどこで聞いたのか、次第にアフレコ当日のスタジオの前に、ファンらしき人達が集まりだしてきた。
 ほとんどが声優のファンだが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』という作品自体のファンもいたようである。
 見ず知らずのそんな方達から「お疲れさまです」と声を掛けられ、最初は戸惑ったが、それにも慣れた。
 僕に来ていたファンレターの類いも倍増した。
 『ミンキーモモ』をロリコン現象の元祖だという意見もあるが、脚本を書いている僕にはそんな趣味はないし、ファンレターは女性が多く、ロリコンっぽいレターは、1通もなかった。
 ファンが増える事は悪い事ではない。
 脚本だけでなく、制作側全体も乗り出していた。
 脚本は書かなかったが、湯山邦彦監督は「森の音楽会」というエピソードでは、挿入歌をちゃっかり作詞している。
 僕はアニメ制作の現場には立ち会っていない。
 台詞などの最終チェックと次回予告を書く事もあって、アフレコスタジオには毎回通ったが、スタッフ、キャストの乗りは、そこでも充分感じられた。
 最初は女児アニメと呼ばれていた『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が、単なる魔女っ子とも違う何かに変わっていく予感が、みんなの乗りから感じられるようになってきた。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより、だれでもできる脚本家・番外編)

 前回で……さあ、あなたは、多くの異性との出会いを持った。
 もちろん同性の知人友人も多い。
 映画も沢山観ている。
 そろそろ脚本を書き出してもいい時期だ。
 と書いたら、色々言ってくる人がいた。
 異性の出会いがあったにしても、それからどうすればいいの……手を握るのは……スキンシップはどうすればいいのか……。
 ここは「だれでもできる脚本家」のコーナーである。「恋愛必勝講座」ではない。
 多くの異性と出会った後は、前回に書いた事に注意しながら、勝手にやってくれである。
 幼稚園や小学生なら、おててつなぐのもいいが、繁華街を歩くには邪魔になってしかたない。
 とは思うが、渋谷の街に出ていくと、若いカップルが手を繋ぎながら、のろのろと歩き、通行の邪魔をしているのをよく見かける。
 そこで、とても親切な(?)僕は、異性同士の手の繋ぎ方ぐらいは、サービスで僕なりの方法を書いておこうと思う。
 まず会合やデートの別れのときに、できるだけ2人きりになるタイミングを狙って、さりげなく「またね……」などと言って、相手と握手するのである。
 なるたけ汗ばんだ手でなく、さらりと握手しよう。そして潔くその場は別れる。
 会合に出席したりデートまでした相手だ。僕の例では、握手をこばまれた事はない。
 余計な事だが、握手は右手でする。左手ですると2度とあわないサヨナラの意味を持つそうだ。
 2人が握手に慣れてきたら、デートの場所をよく調べ、目的地の場所をわざと間違える。「あ……間違えた……こっちの道だったよ」と、さりげなく異性の手を取り、少し駆け足で目的地に急ぐ。
 目的地にたどり着いたら、「ごめん」なんていいながら、これもさりげなく手を放す。
 あくまでさりげなくが基本である。
 こんなふうに、相手と手を握る免疫をつけておき、人のいない夜道等に来たら、そっと手を握ってやろう。
 「この道、人通りが少なさそうで危険だから……」とでもささやけばいい。
 ここまできて、相手が手を繋ぐ事に拒否感がなければ、もうどこでも手を繋いでいい。ただし、繁華街ではくれぐれも人通りの邪魔にならないように……。
 次にいわゆるスキンシップだが、2人だけでいる時、会話が途絶える時がある。5秒か10秒ぐらいだ。
 その時は、できるだけやさしく相手の目を見つめよう。
 相手は顔を背けるかもしれない、うつむくかもしれない。
 しかし、後ずさらない限りは、相手はOKである。
 そっと相手の頬に触れて、軽くキスしよう。そして、やはり、「ごめん」などと言いながら立ち去る。くれぐれも、「おまえが好きだ!」なんて絶叫しないように……。
 他にも、便乗型というのがある。
 あなたは夜空の星や星座を少しだけ、覚えておこう。
 天気予報で晴れを確認してから「星を見ないか?」とさそおう。
 繁華街では夜空の星は見えない。かなり大きな公園に行かなければならない。
 銀座なら日比谷公園、渋谷なら代々木公園、新宿なら高層ビルの灯が邪魔をするかもしれないが、西口公園がある。公園までは市街地から結構歩くから、お笑いではない話題で、色々な話をすればいい。
 これから、夏、秋にかけて……公園のベンチはカップルで鈴なりである。
 「あの星を見てごらん。それぞれ近くに見えるけれど、実際は何万個年も離れている。そしてそれぞれ太陽系のような惑星を持っていて、その惑星に人間がいるとしても、何万年もの歴史を持っている、今だって何億人もいるに違いない。それなのに、この広い宇宙の片隅の地球の、しかも何億人もいる人間達の中で、今、僕達がこうやって出会えるというのは、偶然以上の奇跡的な出会いかもしれない」
 ってなことを言う。
 普通の場所で言ったら、キザで、誇大妄想で、笑われるかもしれないオオボラだが、星空の下だと、案外ロマンティックに聞こえる……。
 しかも周りのベンチはカップルばかり……それなりのスキンシップをしている。
 これに便乗しない手はない。
 何もしないのが、申し訳ないぐらいだ。
 もっともここまできて逃げ出す相手だったら、野暮を通り過ぎて、全く君に関心のない相手だから、さっさとあきらめよう。
 なお、公園では、大胆なスキンシップは押さえよう。
 カップルの数だけ、のぞきも多いのである。
 夢中になって抱きあっていたら、彼女を抱いているはずの自分の手が五本もあった……つまり他の人の手も彼女を抱いていた……という例もあるそうである。
 ただし、オリオン星座が見たいからといって、真冬の深夜の新宿中央公園にいくのはよそう。
 寒いし、雰囲気を盛り上げてくれる他のカップルもほとんどいない。
 いるのは、ホームレスか、カップルを脅してお金をせびるチンピラぐらいである。
 事実、昔、僕は冬の公園で、3人組のチンピラと大格闘して、袋だたきにされた事がある。一緒にいたガールフレンドが素早く逃げて、近くにいた人を連れてきたら……なんとその人は新宿の○○組の幹部だった。「俺の顔に免じて、ここは収めてくれや」の一言で、喧嘩も収まり、たいした怪我にはならなかったが、一週間、僕の顔の腫れはひかなかった。
 ○○組の幹部さんの忠告……
 「冬の夜の公園は危険や、気つけなや」
 「へえ、すんまへん」
 思わずやくざ口調で答えた僕だった。
 以上、異性同士が手を繋ぎスキンシップするようになるまでのアドバイスは、これでおわりにする。
 男女関係がここまで来たら、後は、あなた達の勝手である。
 失恋しようが、結婚しようが、死に別れようが、僕のあずかり知らぬことである。

     *   *   *

 さあ、次回こそ、多くの異性との出会いを持ち、もちろん同性の知人友人も多く、映画も沢山見ている、そろそろ脚本を書き出してもいい時期の方のために、「だれでもできる脚本家」のテーマに戻って、お話を続けていこうと思う。

   つづく
 


■第51回へ続く

(06.05.24)

 
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編集・著作:スタジオ雄  協力: スタイル
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