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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第54回 『ミンキーモモ』はロリコン向けか?

 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、脚本もスタッフもキャストも、好き勝手な事をやりながら、好調に続いていた。
 テレビ局に届くファンレターも、子供か、子供の気持ちを代筆したものが多く、当初の狙い通り、女の子アニメとして、まずまずの成功だと思った。
 驚いた事に、『戦国魔神ゴーショーグン』で、ファンになってくれた中学校や高校や20代の女の子のファンも、ときおり『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の感想やファンレターをくれた。
 『戦国魔神ゴーショーグン』のファンだったハイティーンから20代前半の女の子も、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』から逃げずに、ついてきているのだ。
 これは、実は当初から狙っている事だった。
 つまり、親と子が同時に楽しめるアニメにしたかったのだ。
 大人が見ても、面白いアニメであってほしかった。
 子供だましでなく、妙に教訓的なお行儀のいい女の子のものにもしたくなかった。
 自由奔放で、何でもありのストーリーとキャラクター設定が、それを可能にしたと思っていた。
 ところがである、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のアフレコをするスタジオの前に、明らかに高校生以上と思える男性の数が次第に多くなってきた。
 最初は、モモの声をやっている小山茉美さんのファンかと思ったが、小山茉美さんがスタジオに入る姿を見ても騒ぐわけでもなく、じっと見つめている。
 彼らは、どこかしら共通点があって、むさくるしい服装をして……いや、言い方を変えれば自分の服装を気にしないで……なぜか大きな紙袋を持っている。
 おとなしく、暗い感じで、空が晴れていても、彼らの頭の上だけは雨が降っているような、うっとうしい感じだ。
 「あの男の子達、なんなんだろう?」
 スタッフに聞くと、いとも簡単に答えてくれた。
 「あ、あれ、オタクですよ」
 「はあ。あれが、オタク」
 オタクという存在は聞いていたが、実際に見るのは初めてだった。
 僕は、オタクを否定する気は、まるでなかった。
 人間、何かに熱中すると、周りが見えなくなる。
 その事だけが、頭の中を占める事はよくある事だ。
 著名な科学者などは、自分がテーマにしている事しか考えず、他の事はほっぽらかしの、科学オタクといえない事もない。
 飛行機や車や船などの乗りものに夢中になる人もいる。
 ガンや大砲等の武器や、戦闘機や戦車などの兵器に夢中になる人もいる。
 僕自身、子供の頃は、プラモデルを作るのが嫌いではなかった。
 架空である兵器としてのロボットが好きな人がいてもいい。
 どんなものにもマニアックな人は存在する。
 人の趣味に、文句はつけられない。
 アニメが趣味の人もいるだろう。
 普通、趣味に夢中になる人の事は、マニアという。
 マニアという言葉が、どういう変遷を遂げてオタクと呼ばれるようになったか、詳しい事は知らない。
 マニアとオタクとは違うという人もいるが、その違いも僕にはよく分からない。
 最近、オタキングと呼ばれる人の本を読んだが、オタクとは……他の趣味の人には、何の意味もないが、自分の好きな分野のものを収集し、それにやたら偏執的に詳しい人……つまり、熱狂的なマニアという意味と、余り違いがないとしか僕には思えなかった。
 ただ、マニアの趣味というものは個人的なものだが、オタクは群れたがり、自分のオタク度を誇示したがる習性があるらしい事は分かった。
 なぜ、少女を主人公にしたアニメに、男性のアニメオタクがいるのかもよく分からなかったが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の元になった話は、男の子が主人公だった。
 むしろ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』に、男性ファンが増えるのは、そう悪い事とも思えなかった。
 それだけ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のストーリーが、男性にとっても面白いのだろうと思った。『戦国魔神ゴーショーグン』の時にファンだった女の子に聞くと、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の男性ファンは、かなり多いという。
 「激走グルメポッポ」というミンキーモモの同人誌も見た。
 面白いパロディ本だった。
 女の子の作った同人誌もいくつか見たが、女の子らしい、可愛いものが多かった。
 ようするに、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のオタクは、結構、明るい人畜無害な人が多いという結論を僕は出した。 
 しかし、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のファンには、変わった人が多いのも確かだった。
 これは女性の方で、スポンサーの玩具屋さんとも関係のある人だが、なんと「ミンキーモモ」という飲み屋を作ったのだ。
 特徴としては、小さな子供連れの夫婦でもお酒が飲めるように、小さな保育所のような施設がついているという。
 お酒を飲みたい人には子供連れでも安心してお酒を飲める店が必要だ、というのである。
 これには、参った。
 呆気にとられた。
 だいたい、子供連れでお酒を飲もうとする親が、普通だろうか?
 そうまでして酒が飲みたいだろうか?
 僕は、そういう店は止めてほしいという意見を伝えた。
 スタッフの子連れでない何人かは飲みにいったらしいが、その後、飲み屋「ミンキーモモ」が、どうなったかは知らない。
 ところで、初めは人畜無害だと思っていた『ミンキーモモ』のオタク達だったが、放送が中盤を迎える頃になって、妙な評判が立ち始めた。
 男の『ミンキーモモ』オタクは、ロリコンだというのである。
 これには、仰天した。
 いうまでもなくロリコンとはロリータ・コンプレックスの略である。
 ロリータ・コンプレックスは――辞書を引けば分かるが――男性が性愛の対象として少女を執拗に偏愛する事である。
 この言葉は、アメリカの作家ナボコフが書いた、ロリータという12歳の少女にいい歳をしたおじさんが夢中になるという、「ロリータ」という小説から来ている。
 その小説は、発表当時、当然、不道徳だと大問題になった。
 ついでながら、「2001年宇宙の旅」のスタンリー・キューブリックが映画化している。
 今でこそ、ロリコンという言葉は、案外、平気で使われているし、ロリータ・ファッションなどというものが、一部の女の子に流行っているが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の空モモの頃はそうではなかった。
 辞書の意味通りのロリータ・コンプレックスだった。
 何しろ、少女を性愛の対象とするのである。
 心理学上でも精神医学上でも変態の部類だ。
 ある子供相談で、「僕は12歳の男ですが、12歳の女の子を好きになってしまいました。僕はロリコンでしょうか?」という悩みがあったが、これは安心していい……普通というよりむしろ当たり前にある事です。
 悩む方が考えすぎだ。
 問題は、ハイティーンや20代、30代の男が、少女を性愛の対象とする事である。
 実は原作の「ロリータ」のおじさんの場合、なんとなく、僕にも分からないわけではない。
 大人の女性とのつきあいに疲れ嫌気がさして、純真無垢に見える少女に魅了されるのは、僕にはあり得ないが、他のおじさんにはあっても不思議ではない気がする。
 大人の世界ではあり得る事だから、ロリータ・コンプレックス等という言葉も存在するのだろう。
 しかし、実在の女性とろくな性愛関係も持たない若い男性で、少女を、ましてアニメの少女を性愛の対象にするのは、昔だって今だって、おかしいのである。
 愛の形は様々だから、何でも許されるとはいっても、性愛の対象をアニメに求める前に、もっと生身の女性とつきあってからにしてほしい。
 生身の女性が苦手だからといって、二次元のアニメキャラクターや、三次元とはいえ感情のないフィギュアに逃げるのは、男として生物学的に変だと思わないのだろうか?
 生きている相手なら、その人に実体があるのだから、同性愛ですらまともだと思う。
 イギリスでは、すでに同性の結婚は認められている。
 もちろん、男性の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』ファンの中で、昔の意味のロリコンの人は少数だろう。
 だが、僕がミンキーモモの生みの親だとしたら、そんな男性には近づいてほしくない。
 『ミンキーモモ』をロリコンから守ろうとするのは当然だろう。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の中盤から、少なくとも脚本からは、ミンキーモモが男性にこびているような態度は、徹底的に排除する事にした。
 時代は変わり、今は、ロリコンや萌えキャラが商売になるようになったが『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、無縁のつもりである。
 だが、発表された作品は、作り手から離れ、視聴者のものである。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』がロリコンアニメの元祖だとか本家だとか言うのは受け取り手の自由だが、作った側としては、かなり不愉快である。
 あまつさえ、アニメ雑誌あたりが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が、ロリコンを標的として意識して作られただのという根拠のないデマを流したなどという話を聞くと、編集部に殴り込みたくなってくる。
 しかしまあ、どうしてこんな時代になっちゃったんだろう。
 女の子が自立するようになって、同世代の男性の精神年齢が子供っぽく見え、相手にしなくなったからなのだろうか。
 女性の方達も、同世代の男たちの相手をしてやってください。
 すこしは、女性達にも責任があるのかもしれないのだから……。
 何かに熱中するオタクの生き方は、目的なしに散漫に生きる人に比べたら、奨励したいぐらいである。
 ただ、ロリコンはお断りである。
 その妄想が、現実になったら、もっとこわい。
 もはや犯罪である。
 歳の差のある性愛は、お互いが大人になってからしてほしい。
 大人同士なら80歳と20歳の性愛でも構わない。
 よくやるよ……と感心するだけである。
 少なくとも『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本は、ロリコンには全く関心のない人たちによって書かれていた事は確かだ。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 他人をモデルにするのはいいが、それでは自分の気持ち、テーマが描けないのではないかと、気にする人もいるかもしれない。
 心配は無用である。
 モデルにした他人を見つめるあなたが、すでに自分の気持ちやテーマを語っているのである。
 自分がモデルにした人を見つめる目や、その会話を聞く耳が、すでにあなたの気持ちやテーマを語っているのである。
 カメラを例にとれば、レンズには広角も、望遠も、絞りも、シャッター速度も、ピントの合わせ方もある。
 それを決めるのがあなたであり、それがあなた自身を語っているのだ。
 モデルにした人たちの会話の何を抽出して書くかで、あなたが何をテーマにしたいのかも聞こえてくる。
 できれば、書いている脚本のバックに流れる効果音や音楽も決めておいた方がいい。
 もちろん、特別に必要な音や、絶対必要な音楽以外は、脚本に書く必要はない。
 実際、映像化される時は、演出家や作曲家によって、あなたが考えている効果音や音楽が流される事は、ない場合が多いだろう。
 しかし、脚本を書く事は、あなたのイメージの中にある映像と音を文章にする事である。
 あなたのイメージに効果音と音楽は不可欠である。
 自分のイメージにあった音楽を聴きながら、脚本を書くのは効果的である。
 既成の曲を聞きながら書くのもいいし、自分で作曲したメロディをハミングしながら書くのもいいだろう。
 脚本を書くのは長丁場だから、短いポピュラーより、クラシックが向いていると思う。
 僕の場合、クラシックと自作の曲の他に、メトロノームを使う事がよくある。
 メトロノームのリズムに乗せて書くのである。
 これだと、音楽のない場面や、会話のないシーンのタイミングがよく分かる。
 ただし、音楽を聴きながら書く時は、パソコンやワープロを使うのはできるだけ避けた方がいい。
 タイピングのリズムと、音楽のリズムが合わないからだ。
 いや、それだけでなく、最初に書く時は、パソコンやワープロはやめておこう。
 現在のパソコンの能力では、あなたの書きたい文章や台詞を、正しく変換してくれるとは限らないからだ。
 特に、できるだけ自然に聞こえる会話を書こうとする時には、絶望的なぐらい、あなたの書きたかった会話に変換してくれない。
 そして、文字変換に手間取る間に、あなたのリズムが狂ってしまう。
 まだ、あなたは脚本を書き始めた初心者である。
 最初は、紙に筆記用具で書いていこう。
 消しゴムもいらない。
 間違えたところはそのまま残しておけばいい。
 後で、推敲を兼ねて、パソコンやワープロで書き直せばいいのだ。
 今は、パソコンやワープロの原稿が普通の時代だ。
 原稿用紙に筆記用具で書いた脚本は、あなたが余程の有名脚本家でないと、受け取ってもらえない。
 したがって、あなたの完成脚本は、パソコンかワープロで書いたものになる。
 だからといって、最初からパソコンやワープロを使うのは止めよう。
 最初の脚本は、紙に筆記用具の手書きを勧める。
 なぜなら、パソコン・ワープロで清書する時間を入れても、結局、最初に手書きをした方が早くなるからだ。
 僕自身は、パソコンで脚本を書いているが、それには仕方のない事情があるからで、手書きで原稿を書いていた時より三倍は時間がかり、脚本もずいぶん下手になったと思う。
 パソコンやワープロは、僕の作品を含めて、他の人の脚本の質もずいぶん落としていると思う。
 次回は、その悪口から始めようと思う。

   つづく
 


■第55回へ続く

(06.06.21)

 
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