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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第63回 『さすがの猿飛』ってなんだったのか

 『さすがの猿飛』は、番外編の他の本編の方も、原作の本数が少なかったため、すぐに原作を追い越し、オリジナルの展開になっていった。
 ヒロインの魔子の母親が登場し、原作の母親とは、違う設定になった。
 その他の、原作に登場した人物も、ほとんどといっていいほど、原作のコミックとは変わっていってしまった。
 立派だったのは原作者の細野不二彦氏で、どんどん原作より先に先行していくアニメに惑わされる事なく、アニメとは違う原作独自のストーリーを、コミックで展開し続けた事である。
 アニメの方が、原作を消化し尽くして、先行した場合、時々起こるのが、原作のコミックの方が、アニメのストーリーを追いかけて、アニメの展開を漫画化してしまう時がある。
 こうなると、アニメとコミックのどちらが原作か分からなくなって、漫画家とアニメ・スタッフの間でトラブルが起こるのである。
 つまり、先行するアニメどおりのストーリーのコミックを書いて、原作と呼べるのかというのである。
 だが、細野不二彦氏の場合、アニメはアニメ、コミックはコミックと割り切っていたらしく、細野不二彦氏の「さすがの猿飛」は、アニメとは違う展開で細野不二彦氏ワールドを作り上げていた。
 つまり、「さすがの猿飛」の元は同じだが、アニメ版とコミック版は、違うモノになっていったのである。
 コミックの「さすがの猿飛」には、アニメに登場する肉丸の通う忍者学校の対抗勢力のスパイの学校スパイナー学園はいっさい出てこない。
 アニメに追従したり影響を受けない「さすがの猿飛」を作りあげた細野不二彦氏は、大変だったと思うが、その制作姿勢は見事だったと思う。
 勿論、アニメ版『さすがの猿飛』に注文を出したり、苦情を言ったり、意見を挟む事もいっさいなかった。
 だから、アニメ版『さすがの猿飛』は、中盤以降、コミック版の原作「さすがの猿飛」をほとんど意識せずに作る事ができた。
 『さすがの猿飛』の脚本陣は、ほとんど、コミックの「さすがの猿飛」を意識せずに、独自のストーリーを作っていった。
 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書いた脚本家の皆さんが多かったが、原作がありながら、ストーリーはほとんどオリジナルという『さすがの猿飛』を書く事で、技術的にも、随分、手慣れてきた気がする。
 原作がありながら実際はオリジナルであるという事は、同時に、原作のコミックがつまらないから――「さすがの猿飛」の原作がつまらないといっているわけではない――アニメがつまらないんだ、というようないい訳も許されないという事でもある。
 アニメ版とコミック版の大きな違いのひとつは、原作では、ヒロインの魔子が、いつも肉丸と相思相愛でべったりとしていたが、アニメ版では少しひねって、魔子が肉丸とのべったりした関係に疑問を持ち出して、肉丸離れを試みようとする部分のある事である。
 つまり、魔子は、肉丸からの自立を図ろうとするのである。
 結局は、元の鞘に戻るのだが、魔子の肉丸離れは、かなり冒険だが、一応成功したと思っている。
 さらに、魔子の母親を、肉丸の母親の忍者学校の同窓生にした。昔の肉丸の父親をめぐる恋愛上のライバルだったが、今はCIAの現役ばりばりの諜報部員として働く女の魔子の母と、今は肉丸の父の妻となり専業主婦になった肉丸の母との対比、そして対決も、うまくいったエピソードのひとつだと思う。
 ニントンという、忍術のできる豚をレギュラーにして、さまざまな事件の傍観者として存在させたのも成功のひとつだと思う。
 脇役だった、スケバン忍者の美加を、魔子以上に活躍させたのも、可愛い子ぶりで目立っている魔子と対比させる意味でも、うまくいったと自負している。
 今でもスタッフの中には、魔子よりも、美加のファンが多いぐらいである。
 そして、登場するゲストの女の子を全て美少女にしたのは、僕が指示したわけではないが、それを意識するファンにとっては、歓迎されたようである。
 ただし、その美少女達の性格の描き分けには、随分、苦労はした。
 だが、やはり、この作品が、そこそこうまくできたというお褒めを戴けるなら、それはライバル高校のスパイナーの存在によると思う。
 ほとんど全話に登場した、スパイナーの00893と004989のドジな悪役ぶりは、随分エピソードに弾みをつけている。
 ニューハーフ風の台詞使いも、最初は心配していたが、声の千葉繁氏や間嶋里美さんのおかげで、違和感なく『さすがの猿飛』の世界に溶け込んでいた。
 このタイプの敵役を受け継いでいるいるのが、『ポケモン』のロケット団のおなじみのメンバーで、ロケット団のメンバーのキャラ設定の時に、スパイナーのコンビを意識して作るようにおねがいした覚えがある。
 ロケット団のメンバーは、今でも、その存在がなければ『ポケモン』のストーリーが成立しないほどレギュラー化して登場しているようだ。
 『さすがの猿飛』のスパイナーのコンビは、『ポケモン』のロケット団の原点のような存在だった。
 こんなふうに原作の「さすがの猿飛」とアニメの『さすがの猿飛』は番外編もふくめてどんどん離れていった。
 だが、どんなに離れても、原作はコミック版の「さすがの猿飛」である。
 いってみれば、原作の「さすがの猿飛」の庭をだだっ広く広げて、その中で、自由に遊びまくったのが、アニメ版の『さすがの猿飛』だといえよう。
 あんまり、飛び跳ねても申し訳ないので、コミックの第1話を、そのまま使ったLPレコードを作った。ただし、英語版である。「さすがの猿飛」のコミックの第1話を、英語の教材として勉強中の授業風景をレコード化している。
 最初は、まともに英語訳しているのが、だんだんおかしくなって、最後は英語の代わりに、京都弁まででてくるおかしなレコードである。
 英訳は、僕がたまたまロンドンに行った時に飛行機の中で知りあった、英語の家庭教師をしている女性にお願いした。
 まともな英訳者にお願いしたら、あまりのめちゃくちゃぶりに、このレコードを聴いて怒り出す危険性があったからだ。
 ともかく、このレコードを聴いた事があったり、さらにお持ちだったりする方は、数少ないと思う。
 いずれにしろ、脚本家としては遊びまくった作品である。
 今、このコラムを書くために、『さすがの猿飛』のエピソードを載せているムックを見ているが、各話のあらすじだけを読むと、どんなストーリーなのか見当がつかない。
 あらすじだけでは、支離滅裂なのである。
 だが、DVDなどで見返してみると、ちゃんと筋が通っている。
 別に、あらすじを書いた方が下手なわけではないと思う。
 各話、各エピソードに入っている情報量が多すぎて、あらすじにまとめるのが難しいのだと思う。
 我ながら、よくこんな話を考えたなと、自分であきれるようなエピソードも多い。
 ともかく、遊びまくっていたのである。
 それに乗って、アニメを動き回らせてくれたスタッフには、感謝の言葉もない。
 もちろん、アニメ版『さすがの猿飛』には、シリーズ構成の僕から見れば影になって、ささえてくださった人もいる。
 それが、プロデューサーの片岡義郎氏や岡正氏である。
 脚本にはいっさい口を出さないでくれたし、むしろ楽しんでくれているようだった。
 魔子役の島津冴子さんやニントン役の田中真弓さんがレギュラーの「アニメトピア」というラジオ番組は、時々、肉丸役の三ツ矢雄二さんが侵入し、ほとんど『さすがの猿飛』のPR番組のような様相だったし、その仕掛け人は片岡氏だったようである。
 あの当時からハゲラというあだ名だったが、先日、「ギャラクシーエンジェル」という舞台ミュージカルでお会いしたら、髪は昔のままで、ますます、エネルギッシュなように見えた。
 4分の1世紀近くも変わらないというのは、驚異的な事である。
 その他、今見てもはちゃめちゃに思える作品を支えてくれた人は、数限りなくいたと思う。
 忘れてはならないのは、5本に1本ほど、イレギュラーに、協力という形で作品を送り込んできた「カナメプロダクション」である。
 絵コンテ・藤原鉄太郎氏――『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のCDのペンネームである――、演出・石田昌久氏、作画監督・いのまたむつみさんという布陣の作品は、随分、他の話数を刺激したと思う。
 他の話数ほど枚数を使っているわけではないが、この人たちの『さすがの猿飛』は、枚数を使って動いているように見えるというのである。
 それに負けないように、土田プロ関係のスタッフが、枚数の暴走を始めたという説がある。
 では、「さすがの猿飛」という作品は、全体から見て、どんな番組だったのだろう?
 正直にいうと、この作品の特色を語る事は不可能に近い。
 実際に見ていただくより、他に手はないと思う。
 しかし、今のところ、全巻のDVDセットは出ているが、各巻のレンタルはされていないようである。
 あと、機会があるとすれば、アニメ専用チャンネルで、放送されるのを待つぐらいである。
 『さすがの猿飛』には何か重要なテーマがあるというわけでもない。
 1980年代のアニメ界に咲いた、あだ花という気もする。
 だが、それでも、1980年代のアニメを語る上で、欠かせない作品だとは思う。
 『さすがの猿飛』を作っている時は感じなかった疲れが、番組が終わった途端、ドーっと出てきた事でも、僕にとっては忘れられない作品だった。
 いわゆる遊び疲れというやつだ。
 スタッフが疲れを吹き飛ばして作った、思いっきりのお遊び作品としても、価値があると思う。
 おそらく、関係したスタッフも気持ちは同じだろう。
 関わった人たちには、オーバーないい方だが、いい意味でも悪い意味でも、一生忘れられない作品だと思う。
 『さすがの猿飛』を制作した土田プロダクションは、残念ながら倒産した。
 一部では、『さすがの猿飛』で枚数を使いすぎたために、費用がかかりすぎて、つぶれたという説もある。
 あるパーティの帰りのエレベーターの中で、あまり面識のない土田プロダクションの社長が、僕を見つけて、わざわざこう言った。
 「土田プロは、絶対立ち直りますから……」
 なぜ、僕にそう言ったのかは分からない。
 『さすがの猿飛』が、めちゃくちゃ動いたのは、僕がシリーズ構成した脚本のせいだからだろうか……?
 思い当たる点がないわけでもない僕は、
 「がんばってください」
 と答えるしかなった。
 その後、土田プロダクションが立ち直ったっという話は聞かない。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 たとえば、まだ、どこのコンクールに出しても入賞や佳作になっていない人は、もう一度最初から、僕のコラムを読み返す事をお勧めしたい。
 脚本を書く上でのヒントは、ほとんどちりばめておいたはずである。
 ともかく映画を見続けてほしい。
 そして、脚本を書き続けている人は、その作業を止めないでほしい。
 書く作業は、一度中断すると、怠け癖がついてしまう。
 ついつい、いつか書いてやろう……という気持ちだけで、実際は何も書けずに終わってしまう事が多い。
 本屋に行けば、様々なシナリオの書き方を書いた本があるが、それは、あなたが脚本のプロになってから読んだ方がいい。
 読めばなるほどと思う事も多いが、初心者は、技術だけで脚本は書けない。
 もっと、技術以外のトレーニングが必要だと思う。
 それを身につけてからの技術である。
 これから先のこのコラムは、シナリオが1本でもモノになった人へのアドバイスをしようと思う。
 勿論、モノになった人でも、モノになっていない人でも、こんな僕のアドバイスでよければ、できるだけやって行こうと思っている。
 質問があれば、およせください。

   つづく
 


■第64回へ続く

(06.08.23)

 
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