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第70回 まだまだ続く小説家
前回「永遠のフィナーレ」と書いたが「永遠のフィレーナ」の間違いです。
おわびして訂正します。
もっとも、フィナーレとフィレーナとは意識的に発音を似せた意味もあり、それを書いた僕が、間違えるとは、弁解のしようもない。
「永遠のフィレーナ」はフィレーナという名の、女性でありながら、男として育てられた剣闘士(グラディエイター)の生き様と、文字通りフィナーレをむかえつつある人類の生存をテーマにした小説で、第1巻は、「アニメージュ」というアニメ雑誌に、1年間連載したものである。
「これは、遠い星の輝きの中に閉じこめられている果てしない時の向こう……人々が空を飛び回る術を知らぬ頃の世界に語り継がれていた一人の勇者の伝説である」という書き出しから始まり、1年で完結するつもりが、世界がどんどん広がり、気がつけば、雑誌からアニメージュ文庫に発表舞台を変え、延々10年間、全9巻で、やっと文字通りのフィナーレを迎えることができた。
1984年の連載開始からほぼ1年に1冊、1993年まで続いた長編になってしまった。
最初の編集担当は高橋望氏、3巻以降は吉田勝彦氏に代わった。遅筆の上に、たびたび僕が入院し、もしかしたらエンドマークが出せない危険があった小説だが、未完に終わらず、最終回を迎えられたのは、吉田氏の励ましと助言があったからで、感謝の言葉もない。
一言で10年といえば簡単だが、その間つきあってくれた吉田氏にとっても、貴重な時間を費やさせてしまった訳でもあり、申し訳ない気持ちでいっぱいである。
それは、表紙と挿し絵を描き続けてくれた高田明美さんにも言えることだろう。
また、言うまでもない事だが、それまでの間、読み続けてくれた読者にもありがとうと言うしかない。
しかも、この小説が続いている間に、序章の部分がOVAになったり、ファミコンゲーム化など、様々な人たちの手を煩わせる事になってしまった。
だいたい、僕の小説は、登場人物に感情移入しすぎるせいか、ずるずると長くなりがちである。
「戦国魔神ゴーショーグン」の小説シリーズもまだ完結していないし、前後編で終わったはずの小説「都立高校独立国」……これはNHKのFMでラジオ放送された……すら、続編の構想がある。
小説で完全に完結できたのは「永遠のフィレーナ」ぐらいである。
この作品は、海が重要なモチーフになるので、絶えず海を意識しなければならない。
そのために、執筆途中で、住居を小田原の早川という場所に替えた。早川というJRの駅は、日本で一番海に近い駅だそうで、もしかしたら、その港に住んでいた僕は、日本で一番海に近い所にいた物書きかもしれない。
冗談だが、窓から釣りができるほど、海に近かった。
そこに打ち合わせや、原稿を取りにきてくれた吉田氏は、小田原が気に入り、結婚後、一家で引っ越してきたぐらいである。
僕自身は、以後18年、小田原に住んでいたが、ここで結婚し、子供も生まれた。
大袈裟に言えば、「永遠のフィレーナ」は、僕と吉田氏の人生の重要な部分に影響してしまった作品かも知れない。
今は、僕も吉田氏も小田原を離れ、東京に住んでいる。
先日、「永遠のフィレーナ」の全巻を読み返してみた。
個人の生死の問題から、人類の滅亡まで世界が広がっている、良く言えば壮大な、悪く言えば誇大妄想的な話である。
生きるという事に懐疑的な、むしろ死に場所を探しているような主人公が、様々な登場人物の死に際に出会い「おまえだけは生きろ!」と言われながら、ついに「生きる!」と決意するまでの、主人公の生と死に対する意識の変遷を描こうとしている作品である。
今の僕にはとても書けそうにない「生に対する馬力」で、良くも悪くも突っ走っている。
小説を書き上げるまでの時間は長かったが、当時と違い「生への執着」がさほどない今の僕には、とても無理な作品だと思った。
まるで、僕とは別人が書いたような小説である。
展開は、はちゃめちゃかもしれないが、「生きる」という事に懐疑的な人たちには、元気の出る作品だろう。
絶版になっているから手に入りにくいとは思うが、機会があれば、読んでも損はしないと思う。
この作品を書いていた頃は、酒を飲んだくれながら、やたらと「生と死」、そして自分の存在の必要性を考えていたようだ。
だから、同時期に書いたアニメの『魔法のプリンセス ミンキーモモ』も、『戦国魔神ゴーショーグン』の『時の異邦人』のレミー島田という主人公も、しきりと自分の生きる事にこだわっている。
小説と脚本は、まったく違う書き方を必要とされる。
描く世界も違う。
小説にはある意味では馬力が必要なのだ。
今の僕には「永遠のフィレーナ」を書く元気はない。
と、するならば、ある時期、僕にとっては、「永遠のフィレーナ」や、その他「戦国魔神ゴーショーグン」の小説シリーズを書く時間が必要だったのかも知れない。
ところで、不思議な事に、「生きる」ことにこだわる登場人物は、僕の場合、フィレーナにしろ、ミンキーモモにしろ、レミー島田にしろ、女性が多い。
男性の登場人物は、能書きは多いが、だらだらと淡泊に生きている人間がほとんどである。
女性上位なのは、僕のどこかに女性に対する畏敬の念があるからかもしれない。
「生と死」以外にも人生には重要な問題がある。
おそらくそれは、恋愛だろう。
だが、僕の作品に恋愛小説はほとんどないと言っていい。
実生活では、ものを書いて、酒を飲んだくれて入院している以外は、ほとんど誰かと恋愛をしていた。
いや、入院している間でも、恋愛はしっかりしていた。
恋愛は書くものではなく、するものである。やることである。……と、今でも思っている。
唯一、恋愛小説風の味つけのある「戦国魔神ゴーショーグン」の番外編小説「美しき黄昏のパバーヌ」は、編集部には内緒だが、病院で世話になったある看護婦さんにプレゼントするために書いたものだ。
僕は、しつこいようだが、書く事が嫌いな人間である。
それが、その人に捧げる意味で筆を執ったのだから、相当夢中で恋愛していたのだろうと、今思うと苦笑を禁じえない。
ルネッサンスが舞台なので、イタリアまで取材に行った。
勿論、この作品も、小田原の仕事場から当時入院中の僕の所まで資料を運んでくれた、編集担当の吉田氏には随分お世話になった。
ところで、僕の小説は、自分が書きたいから書いたものがほとんどである。
頼まれても断ったものが多い。
「ポケモン」の小説2作も、頼まれたというより、「ポケモン」という生物を、シリーズ構成と脚本を書くにあたって、どういう生き物か自分で確認するために書いた。
3作目で終わる予定だったが、「ポケモン」のTV自体がいまだに終わっていないから、最終作はほったらかしになっている。
「ポケモン」は、これからも、ずーっと続くだろうし、シリーズ構成を辞めた今は書く予定もない。
小説に関しては、「戦国魔神ゴーショーグン」の最終巻を含めて、書きたいと準備しているものが4作ほどある。
どれも、アニメには向いていないものだ。
それと、自作のアニメのノベライゼーションが2作ほど……。
だが、それを僕が生きている間、頭がぼけないうちに全部書けるかどうかは、面倒くさがりで、怠け者の僕だけに、あてにはならない。
それでも今までに、「戦国魔神ゴーショーグン」シリーズ8冊、「永遠のフィレーナ」9冊を含めると30作近くの小説を書いてしまっている。
書く事が嫌いな僕は、勿論、小説も苦手である。
それでも、時間は怖い。
いつの間にか、それだけの数の小説を書いてしまっていた。
どこかで僕の小説を見つけたら、ちらっと読んでみてください。
時間の無駄にはならないだろうと、大言壮語しておきます。
次回からは、本業と言われているらしいアニメ脚本の話題に戻る事にする。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
あなたが、アニメシリーズのレギュラーになったとしよう。
月1本では、とても食べてはいけないギャラのはずである。
理想としては、月2、3本のレギュラー作品を持ちたいところである。
自分に合わない作品だとか、嫌いなタイプの作品だとか、偉そうな事は言わず、声のかかった作品はみんなやっておこう。
1度断ると、2度と同じプロデューサーから、注文は来ないと考えていい。
ここは謙虚に、どんな仕事もやってみよう。
案外、自分に合わないと思っていた仕事が上手くできる場合もある。
食わず嫌いは、この際やめておこう。
どんな仕事もこなして脚本を書いているうちに、この業界にあなたの名前が聞こえだし、世界が広がることもある。
ただし、「あの脚本家はどんな仕事もやるが、どんな脚本もひどい」……という噂も広がる可能性もあるから、慎重にやろう。
「あの脚本家はどんな仕事も無難にこなす」という噂も、誉められているようで、実はけなされているのと同じ事だから、注意しよう。
要するに無個性ということである。
もし、あなたが2、3本のレギュラーになるという幸運を捕まえたら、自分の気に入った1本に全力投球し、自分の個性を強烈にうちだそう。
二兎を狙うものは一兎も得ずという言葉もある。
つまり、2、3のレギュラーのうちの1本を懸命にやり、後は手を抜くのである。
手の抜き方はいろいろある。
プロデューサーの言うなりに書く。
先輩ライターの真似をする。
原作があるなら、原作通りに書く。
担当プロデューサーの他の作品を調べて絶賛し、自分の印象をよくするのも手である。
先輩やプロデューサーから、食事や飲み会の誘いがあれば、必ず出かけよう。
今、山のように放送されているアニメの中で、嫌いなものがあっても、悪口を言うのはよそう。
そのプロデューサーや先輩や演出家が、あなたの嫌いな番組にどこで関わっているかもしれないからだ。
壁に耳あり、障子に目ありである。
この業界は噂好きである。
特に悪い噂は、話に尾ひれがついて、悪くなる一方である。
僕など、病院に入院するたびに、「あいつはもう駄目だ」と言われ、ひどい時には再起不能……死んだらしい……という噂を何度もたてられた。
噂で殺された回数は、僕が一番多いかもしれない。
打ち合わせの時や、食事の時は、にこにこしていればいい。
特に、あなたが女性の時は、プロデューサーや関係者に色々誘われる事もあるだろう。
同じ酒を飲むなら、あたりのいい女性の方がいいに決まっているからである。
ここで大事なのは、広く浅くお付き合いする事である。
「あの女性ライターは某プロデューサーの専属だ」などと、噂を立てられたら致命的である。
他のプロデューサーから仕事が来なくなる場合もある。
盆暮れの挨拶、お歳暮お中元は忘れずに……それもまんべんなく……どこかに旅行に行ったら、お土産を持って行く事……などという先輩ライターもいる。
この業界は、他の業界よりも嫉妬深いと思っていい。
この業界は、人間関係が一番大事であると言う人もいる。
この業界は、人との付き合いの上手下手がものをいうと語る人もいる。
もっとも、これらの忠告は2、3本のレギュラーを持つ脚本家に対して言える事で、月に1本程度の、駆け出しの脚本家は気にしないでいいと思う。
ところで、悲しい事に、今まで書いてきた脚本家の条件からすれば、僕は完全に失格している。
何しろ、18年も小田原の海辺に住んでいた飲んべいの僕が、つきあいがいいはずがない。
東京での打ち合わせが済んだら、さっさと小田原に帰っていた。
東京に住んでいる今も、必要な打ち合わせだけで、後はFAX、メール、電話で事を済ませている。
携帯電話は持っているが、外に持ち歩かないから役に立たない。
今は酒は止めているから、飲み会にも行かない。
だから、人付き合いに忙しいレギュラー2、3本の脚本家にではなく、これからは、レギュラー月1本程度の、脚本家のタマゴへの忠告をしようと思う。
それが、役に立つかたたないかは、あなた次第である。
つづく
■第71回へ続く
(06.10.11)
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編集・著作:
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