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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第71回 自由に書いた『時の異邦人』

 『戦国魔神ゴーショーグン』の小説を中心にものを書いているときに、ふってわいたように、ビデオ販売を最終目的にした『戦国魔神ゴーショーグン』の新作映画の話が飛び込んできた。
 徳間書店の「アニメージュ」経由である。
 TV版が終了してから、3年経っている。
 だから、TV版はいっさい意識しないで、むしろ当時僕が書いていたロボットの出てこない小説版的な内容の、人間中心の話でかまわないという。
 作品のストーリーやテーマは僕に任してくれて、何をやってもいいと言ってくれた。
 つまり、『戦国魔神ゴーショーグン』とタイトルが付いていれば、何を作ってもいいというわけだ。
 作家の自由に作っていい映画……こんな条件に飛びつかない脚本家はいないだろう。
 同時に進行し始めたアニメに、押井守氏の『天使のたまご』という作品があったが、あの作品も、作家が自分の思い通り自由に作った映画だったと思う。
 でなければ、あれほど作家本位に作られた怪作が、製作され、一般に公開されるとは思えない。
 僕の推測にすぎないが、当時、徳間書店が作った『風の谷のナウシカ』がヒットしたので、その余勢で、すべてを作家に任せるアニメを作ろうという機運が、徳間書店に高まったのだろうと思う。
 そう考えれば、『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人』と、『天使のたまご』は、『風の谷のナウシカ』が、成功しなければ生まれなかった副産物のようなものだといえる。
 だとしたら、僕は『風の谷のナウシカ』を作った人達に感謝しなければならない。
 それはともかくとして、やりたかった題材はあった。
 ひとりの人間の人生の、子供の頃と、青年期、老人期を、同時進行で描こうとするもので、その同時進行が文章では表現しにくく、小説化は不可能と思っていた作品だった。
 見る者に有無を言わさず時間が経過する映像なら、可能かもしれないとは感じていたが、こんな題材を映像化してくれるアニメ会社もお金もありそうにないから、ほぼあきらめていた作品だった。
 それを文句も言わずにやらしてくれるというのだ。
 1時間半の映画だが、プロットも書かず、ほとんど徹夜で、3日ほどで脚本はでき上がった。
 レミー島田という『戦国魔神ゴーショーグン』の中のヒロインの幼児期、子供の時期、青年期、老人期が交互にモンタージュされて1本の映画になるというこの作品『時の異邦人』は、口で説明しても、あらすじを書いても、理解されにくいだろうから、いきなり脚本化して読んでもらおうと思ったのだ。
 シーンにいちいち、幼児期だの、青年期だの、老人期だの書くのは面倒だし、脚本を読む人のスピードを損ねると考えて、脚本のシーンの柱につけるマークで、時代を表した。
 例えば、○の付いているシーンは青年期、□の付いているシーンは子供の頃、☆の付いているシーンは老人期という具合だ。
 それが上手くいったのかどうかは知らないが、この脚本にはどこからも文句や意見が出ず、1行も直さずに映像化される事になった。
 普通は、人に読ませる前に自分で少しは手直しをするものだが、それすらしなかった。
 今思うと恥ずかしいが、当時の僕は自信満々で、この脚本にケチをつける人は、脚本の読み方を知らない人だと言えるほど、僕の気分は絶好調だったのである。
 後に、『時の異邦人』のムックにこの脚本は載せられたが、そのときは、脚本の柱のマークだけでは分かりにくいと考えて、活字の印刷の色を変えて時代を表していただいた。
 つまり、黒い活字で書かれているシーンは、青年期の部分、赤や、緑の活字で書かれている部分は、他の時代のシーンという具合だ。
 僕の脚本は、おおむね僕の自由気ままに書かせていただいているが、『戦国魔神ゴーショーグン』の『時の異邦人』ほど制約なしで書いたシナリオは、いまだにない。
 脚本の出来としても、僕の書いたシナリオの中でも5本の指に入ると思う。『時の異邦人』は小説化もしたが、やはり、時代と場所のモンタージュをテンポよく文章化する事は難しかった。
 当時、徳間書店側のプロデューサーだった鈴木敏夫氏に、『時の異邦人』の脚本とアニメと小説を比べると、脚本が一番面白かったと言われたのを、今でも覚えている。
 この作品では、主人公レミーの、幼児期、少女期、青年期、老人期が描かれると同時に、生きようとする前向きのレミーと、与えられる死を運命だとしてあきらめるレミーが、野獣を操る不思議な少女や老婆に姿を変えて現れる。
 レミーの声は、レミーのそれぞれの年齢で、生に対して肯定的なレミーと、姿を変えて現れる否定的なレミーの最高七つの声が必要になる。
 その話を聞いた本来のレミー役の小山茉美さんは、七役の全部をやると言い出した。
 もともと七色の声を持つと言われていた小山茉美さんである。
 確かに役者冥利につきる役だし、脚本を書いた僕も、レミーの声は小山茉美さんを前提として書いている。
 幼児から老婆まで……しかも、それぞれの陽の部分と陰の部分……それを全部やるとなると、1時間半の上映時間中、ほとんどが小山茉美さんの声で埋め尽くされる事になる。
 さすがにそれは無理だという、監督・湯山邦彦氏や音響監督・松浦典良氏の判断で、2役ほど、他の声優さんがやる事になったが、本気で7役やるつもりだった小山茉美さんは、随分残念がっていた。
 『時の異邦人』には、その彼女のプロ意識が炸裂したエピソードがある。
 全体のアフレコが終わった後、自分の演技に満足できなかった小山茉美さんは、自分の声の部分だけ、全部、やり直したいと言い出したのだ。
 やり直しについてはノーギャラでいいという。
 監督や音響監督の了解を得て、スタジオに他の作品の予定の入っていない深夜に、彼女の台詞の部分を全部やり直した。
 いまでも覚えているが、台風の夜だった。
 録音が終わったのは、台風が去った朝だった。
 地下にあったアフレコスタジオから出てきたとき、朝陽が妙にまぶしかった。
 小山茉美さんも納得した表情だった。
 したがって、『時の異邦人』のレミーの声は、全部、別録音されたものである。
 その効果は、充分、作品に反映されている。
 だが、後に小山茉美さんは、ノーギャラでやり直した事に反省の弁も述べている。
 他の声優さんがそれをやり出したら、アフレコ現場や声優のギャラのランクは混乱する一方だというのだ。
 たぶん、それは正しい意見だろう。
 ただ、『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人』は、小山茉美さんのやり直しで、数段よくなった事は確かである。
 ビデオでアフレコする現在は、役者の都合による別録音が普通のようになっているが、『時の異邦人』の頃は、フィルムでアフレコをしていた。
 ミスをすると、フィルムを巻き戻す作業に手間がかかる。
 それだけに、アフレコ本番での失敗は極力避けなければならない。
 声優には声優なりの技術と演技力が必要だったのである。
 ところで、最近は、声優としては素人同然の俳優や、声優のたまごのような人が声を演じるアニメが増えているが、それが可能なのは、アフレコのやり方が、ビデオを使うようになって、昔と違って楽になってきたからである。
 そのぶん、声優の質が落ちても通用する時代になってきている。
 声優として演技力や技術力のない若手がどんどん出てくる。
 理由は簡単で、ギャラが安いからである。
 もしくは、声優ファンを狙って、声ではなく外見で選ぶ事もある。
 誰が言ったか知らないが、グラビア声優の横行という事になる。
 だが、作品の全体が見えないで、自分の声のところに台詞を入れるだけの声優が増えてくると、確実に作品の質は落ちてくる。
 話が、声優の事にそれてしまったが、『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人』は、TV版から3年経っていただけに、声優としては油の乗りきった人達が集まっていた。
 残念な事に、そのメンバーの何人かは他界してしまい、もうその声を聞く事ができない。
 音響や音楽の使い方で『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人』の特殊な世界を作ってくれた、音響監督の松浦典良氏も亡くなった。
 原作・脚本として、僕に好き勝手させてくれた環境ももうやってこないだろう。
 『戦国魔神ゴーショーグン 時の異邦人』は音の面でも、僕にとって貴重な作品である。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 月にレギュラー番組1本だけというあなた……。
 赤貧であるとともに、暇だらけだと思う。
 30分もの1本だと、どんなに長く時間をかけても1週間でできあがるだろう。
 後は、本読みによる直しが少し……あり余るほど時間がある。
 ただし、僕にとっては例外があった。
 長年、脚本を書いていた僕だが『ポケットモンスター』は、驚くほど時間がかかった。
 本読みの会議が1本につき週1回水曜日にあり、1本の脚本完成までに、少なくとも3週間から4週間会議が続くのである。
 会議の参加者が多く、シリーズ構成と脚本家だけでなく、総監督、演出家、プロデューサー、その他……。
 今はどうか知らないが、最初の1週間目がプロットの打ち合わせである。
 2週間目が、できあがった1稿の本読み……。
 色々意見が出る。
 3週目が、色々な意見を、入れた2稿目の本読み。
 ここで、全員一致で、OKになればいいが、そんな事はめったにない。
 さらに意見が出て……4週目になる。
 4週目で3稿……これで全員OKにならないと、面倒臭い事になる。
 4稿も5稿もするライターは『ポケットモンスター』を書く実力がないと思われる。
 『ポケットモンスター』の脚本を書くライターは、ほとんどが、シリーズ構成の経験のあるベテランなのである。
 誰が決めたのか知らないが、僕が『ポケットモンスター』のシリーズ構成を引き受けた時に、すでに脚本を書く人達は決まっていた。
 誰に脚本を書いてもらうか考え悩む、シリーズ構成の最大の醍醐味が、『ポケットモンスター』にはなかったのである。
 本読みという定例会議をする事も決まっており、週1回であるから、ほとんどの脚本が、4回会議をして……つまり1ヶ月かけて完成する。
 いつもの僕なら、各々のライターと電話で話をして、FAXで脚本を読み、監督の意見を聞き、直しの個所をライターに告げて、それで決定稿にならなければ、何度でも直してもらう。
 ライターの顔も見ないで、決定稿ができ上がる事もある。
 面倒くさければ、ライターの了解をとり、僕が書き直してしまう。
 だから、1週間で決定稿になる脚本もあれば、半年かかる脚本もある。
 週1回などという定例は、作らない。
 その代わり、脚本家にアフレコ現場に来てもらい、そこで必要ならば脚本の打ち合わせをするようにしている。
 自分の書いた脚本がどう完成するかを見てもらいたいのと、できるだけレギュラー声優の特長をつかんで、脚本に反映してもらいたいからだ。
 だが、最近、僕のやり方が普通ではなく、『ポケットモンスター』のように各ライターと定例会議で顔合わせしながら本読みをするやり方が通常の脚本の作り方である、と気がついた。
 『ポケットモンスター』だけでなく、どんなアニメも、定例の本読み会議があるようだ。
 いちいち打ち合わせで会議をするのだから、どんなに急いでも月に1本しかでき上がらない。
 当然、他の番組と掛け持ちしなければ、やっていけない。
 2本掛け持ちすれば週2回、3本掛け持ちすれば週3回、会議に出かけなければならない。
 えらく無駄な時間を使うものだと思うが、これがしきたりのようなものなのだから、仕方がない。
 しかし、週1回打ち合わせがあるにしろ、レギュラーが月1本しかない新人のあなたなら、暇だらけのはずだ。
 その暇をどう使うかが、脚本家としてのあなたの今後を決めるのである。

   つづく
 


■第72回へ続く

(06.10.18)

 
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