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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第73回 脚本家を辞める気で……

 この仕事を始めて10年以上もすると、徹夜はあたりまえ、昼夜は逆転、三食を定時にとることもままならなくなり、夜遊びも多くなり、まともな生活ができなくなった。
 被害をこうむるのは、僕の家族である。
 いつの間にか、家の中の二部屋を占拠し、応接間を打ち合わせに使う事も多くなった。
 もともとは、父の家である。
 だが、勤めに出ている父と、1日のほとんどを家にいる僕の生活パターンでは、その家が誰の家だか分からない状態になってきた。
 女性との付き合いもいろいろあったし、終電に乗り遅れた女性を自宅に泊めたこともあった。
 自宅から出ようとも思ったが、渋谷という交通の便のいい場所に住んでいたし、手持ちの資料が多すぎて、身動きがとれず、自宅に居続ける生活を続けていた。
 早く結婚でもして家を出てくれ……という声もあったか、不規則の権化のような僕との結婚では、相手が気の毒だし、1人の女性に縛られるのも嫌だった。
 30代から、40前半間での僕は、誰とも結婚したいとは思わず……唯一、1人だけ現れたが、妙な感情の行き違いでだめになった……いわゆる独身主義だった。
 当時は、一生、結婚するつもりはなかったのだ。
 しかし、その間、実家の家族と一緒にいるのも無理がある。
 僕1人のせいで、家族の生活のリズムがめちゃくちゃになるのだ。
 仕方なく、自宅のすぐそばに、1LDKの仕事場を借りて住む事にした。
 それでも、必要な資料は半分も運びこめなかった。
 はじめは、勤め人のように、自宅から仕事場に規則正しく通う気だったが、すぐにそのパターンは崩れ去り、仕事場に住み着くようになってしまった。
 電話だけは自分の番号を持っていたが、住所変更はしていないから、3日にいっぺんの割合で郵便物を自宅に取りに行くだけになり……寝食は、自分勝手の都合で、気ままな外食……眠りたい時に眠り、起きたい時に起きる、昼夜全く関係のない生活になってしまった。
 仕事場のマンションの住人は、さぞや僕を不気味に思ったに違いない。
 仕事で徹夜をした時など、寝酒で真っ昼間から酒を飲んでいるし、夜が明けるまで部屋の電気がついている。
 かと思えば、夜、外で遊んだ時など、みんなが出勤する時間に朝帰りである。
 さらに、TVのシリーズをやらなかったから、週ごとの打ち合わせもアフレコもなく、締め切りがあるとすれば、月1回、アニメージュという雑誌に連載していた「永遠のフィレーナ」という小説の続編の文庫版……つまり、締め切りがあいまいな作品。続いてアニメージュに連載した「ゴーショーグン」シリーズの「幕末豪将軍」という小説も、月1回の締め切りだったから、時間的に追いつめられた感じではなかった。
 FAXやインターネットのない時代だったから、月に1回、仕事場に原稿を受け取りにくるアニメージュの編集担当の吉田氏との打ち合わせが、唯一の定期的なスケジュールだった。
 彼とは、仕事関係以外の軽い雑談が楽しかったのを覚えている。
 TVは、1クールごとの初回は必ず書く約束のようになっていた『まんがはじめて物語』も、3ヶ月に1度ぐらいの打ち合わせですんだ。
 あとは、舞台のミュージカル……全体的にみて、仕事は結構あったのだが、追いつめられた感じはまるでなかった。
 電話はほとんど留守番電話……いなかったわけではなく、昼間はほとんど寝ていたのである。
 あちらこちら旅行するのも自由だし、映画を観るのも好きな時間、酒を飲むのも昼夜関係なかった。
 業界の人とも、たまに電話で話すぐらいで、後は自分勝手に時間を使っていた。
 色々な女性とも随分付き合った。女性という人間が、随分不可解な生き物だという事もよく分かり、とても勉強させてもらった。
 そんなエピソードは、山ほどあるが、その方達が今も生きていて、どんな状況でいるかどうか知らない以上、その話をここで語るどころか、その女性に連絡をとるだけでも、非常に迷惑をかけることになるかもしれないので、ひかえることにしている。
 したがって男女をとわず、このコラムに登場する方々には、仕事の関係であり、しかもご本人の了解をとって、名前を出させていただいている事にしている。
 さて、他人から見れば、乱脈極まりない生活に見えただろうが、あとで考えれば、直接の仕事とは関係のない、色々な素材を見つける僕にとっては充電の時期でもあった。
 しかし、この仕事場……自宅に近く、しかも、渋谷の街に近い、NHKのすぐ裏にあったのが、意外な盲点だった。
 つまり、NHKで残業をする人を目当ての、終夜営業の飲食店の密集地に位置していたのだ。
 まるで、NHK村の様相を呈していた。
 僕自身は、NHK関係で仕事をしたのは、衛星放送のアニメ『超くせになりそう』のシリーズ構成しかないが、飲み屋では、周りで飲んでいる人がほとんどNHKの人達で、その人達の間で、1人酒を飲んでいるうちに、彼らのうわさやぼやきが自然と耳に入ってきて、随分、NHKの裏話を聞かされた。
 20年以上前の事とはいえ、これも公共の場で語るわけにはいかないだろう。
 さて、その頃考えていたのは、脚本家を辞めて何をするかだった。
 小説は書き続けるつもりだったが、脚本家をやっていた頃ほど忙しいわけではない。
 暇を持て余して遊び回るのも、飲んだくれているのも、ちょっと空しい気がしてきた。
 そこで、昔かなり成績が優秀だったセールスの仕事を、いたずら心で試してみた。
 結果はがく然……昔は30分か1時間あればほとんど取れていた注文が、思うようにいかないのである。
 ブランクは10年ぐらいとはいえ、20代の僕と30代の僕のエネルギーと迫力が違っているのである。
 それは、海外旅行でも感じた。
 ろくに外国語をしゃべれもせずに、それでも、外国人とある程度コミュニケートできて、半年近くも放浪していた20代に比べて、30代は、自分の意志を相手に通じさせようとするエネルギーが足りなくて、意志の疎通を簡単にあきらめてしまうようになっていた。
 1、2ヶ月で、何とか相手に通じるようになっていた英語も、全然聞き取れなくなっている。
 年齢の差と、脚本まみれになっていた10年間ほどが、僕のエネルギーを衰えさせてしまっていたのだ。
 もう、無茶のできる20代ではないのだ。
 10年近くやっていた脚本の仕事は、僕にとっては楽な仕事過ぎたのだ。
 おまけに、ろくな運動もしていない机の前の仕事だ。
 それに慣れて、まともな人間の仕事をやるエネルギーと辛抱が、欠落してしまったのだ。
 ○○と役者は、3日やったら辞められないというが、それにプラスして、僕にとっては物書きが3日やったら辞められない仕事になっていたのだ。
 これにはいささか僕もめげた。
 これからの余生……といっても30年以上あるだろう……なにをやって生きていこうかと、いささか悩んだ。
 余談だが、独身で独り住まい、当時としては画面の大きな29インチのモニターTVと、4チャンネルのサラウンド装置を持っていた僕に、それだけの設備を持っていて、「これを見ない手はない……」と、アダルトビデオをレンタルして持ってきた知人がいた。
 30代にして、はじめて見るアダルトビデオだったが、サラウンドで響くあえぎ声を聞いても、ちっとも面白くなかったのを、覚えている。所詮、2次元のビデオだし、3次元の実体化している本物の女性との恋愛のほうが、感情もこもっていていいに決まっている。
 それに、アダルトビデオにうつつをぬかすより、これから、何をしたらいいのか、そっちの悩みのほうが大きかった。
 それを考えると、人と付き合うのも、かったるくなってきた。
 本来なら楽しいはずの、女性との付き合いも、何だか面倒になってきた。
 そんな時は、やるべき小説の仕事だけして、あとは、小説の資料や他愛のないTVを見て、1人で酒を飲んで、時々小説の構成を考えているほうがよくなった。
 1人暮らしで、暇な人間には、酒が忍び込みやすい。
 僕は、若い頃、酒は相当訓練していて、いくら飲んでも泥酔することはない。
 いつの間にか、酒を飲みながら資料を読んでも文章を書いても平気になっていた。
 もともと酒を飲むと、ものを食べないタイプだから、食生活もめちゃめちゃになりかけていた。
 自分でも、体力の低下と体調の悪さが自覚できた。
 脚本の仕事の打診も時々入ってきたが、申し訳なかったけれど、片っ端から理由を付けて断った。
 いい歳をした引きこもりのようなものである。
 そんな時、スクーターに乗って、脚本の仕事がやってきた。
 スクーターに乗っていたのは、仕事場の近くに会社のあるキティフィルム……いまはない……の田原正利氏(現在は田原正聖氏と改名)だった。
 田原氏は、キティフィルムで作っていただいた『街角のメルヘン』の時は、サブ・プロデューサーのような仕事をしていた人だ。
 仕事場のマンションの前まで来てしまうのだから、会わないわけにもいかない。
 田原氏は、彼が企画した『うる星やつら』全巻レーザーディスクという当時未曾有の高価商品をヒットさせて、プロデューサーに昇格したらしかった。
 その彼が、僕に脚本を書かせようと持ってきたのが『銀河英雄伝説』だった。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 アニメスタイル経由で、僕宛のお手紙を頂いた。
 そこに書かれた内容に対する僕の考えは、このコラムに大いに関係していそうなので書く事にする。
 その手紙は、名古屋の方からのものであり、簡単に紹介すれば、ご家族の事情が書かれてあり、お父上が、アニメファンである事もあり、父上の気持ちをかなえるためにも、東京に出ていき、アニメ脚本家になりたいという、かなり切実な内容だった。
 シナリオ関係の賞も、僕は知らない賞だが、お取りになっているそうである。
 シナリオライターになりたいお気持ちは、重々お察しする。
 しかし、気になる事があるのだ。
 お父上の気持ちをかなえるためにも、脚本家になりたいという点だ。
 誰かのためにとか、何かのためにと言えば、聞こえはいいが、それだけで、仮に脚本家になれたとしても、それは名前だけの脚本家でしかない。
 誰かのためにではなく、自分自身の中に表現したいものがあって、その方法として脚本が適切だから脚本家を目指すのが、本道だと思う。
 あくまで、脚本家を目指す動機は自分本位であってほしい。
 毎年、地方から、脚本家という職業を目指して、何人もの人が東京にやってくる。
 だがそれは、職業名としての脚本家を目指している場合が多い。
 自分が表現したいことに、脚本が適切な手段だからという人は、そう多くない。
 職名としての脚本家は、あこがれるほどのたいした存在ではないとあえて言っておく。
 運よく脚本家と呼ばれるようになっても、人の言うなりに脚本を書く、書き屋さんにすぎない人も多い。
 誰のためでもなく、何のためでもなく、自分を表現するために、脚本家になる。
 その確信が自分になければ、脚本家という職業は、わざわざ東京に出てきてまで挑戦する価値のある仕事とは思えない。
 アニメ番組は沢山ある。
 何とか潜り込める作品もあるかもしれない。
 だが、どんなアニメ番組であろうと、あなたの書いた作品の中には、あなたの表現したいものが生きていないと、あなたは本当の脚本家とは言えないと思う。
 表現したいもののない脚本家は、長く続いたとしても、結局は、便利屋さんで終わってしまう。そして、若手の便利屋さんが現れれば、すぐに、その場を取って代わられてしまうだろう。
 自分がどうしても表現したいものがあるかどうか、東京に出てくる前に自問自答してほしいと思う。

   つづく
 


■第74回へ続く

(06.11.01)

 
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