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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第75回 銀河英雄……「卿」……伝説

 『銀河英雄伝説』では、絶えずプロデューサーの田原氏と話し合った。
 しかし、この原作はファンが多い。
 小説とは、読まれた瞬間に作家のものから読者のものになる。
 読者が小説からイメージする世界は、極論すれば、1人1人、全部違うものだろう。
 それぞれの読者の中に、それぞれの「銀河英雄伝説」が、存在する事になる。
 それをアニメ化するという事は、文章で書かれた小説より、絵や音で、原作のイメージを具体化する事になる。
 その具体化されたイメージが、読者それぞれがイメージした世界に合うかどうかは分からない。
 むしろ、それぞれに合わせる事が、不可能に近いといっていい。
 だから、プロデューサー田原氏が熱烈な原作フアンだとしても、僕に依頼した「銀河英雄伝説」は、田原流にイメージされた「銀河英雄伝説」である。
 僕ですら、脚本を書き終えた後に原作を通読したが、僕流の読後イメージが、僕の書いた脚本とは若干違う。
 原作の概要を田原氏から聞いた話から、さらに客観的に離れてイメージして書いた脚本のほうが、僕が読んだ『銀河英雄伝説』の原作から得た僕流のイメージより、客観性から言えば、より原作に近い世界を描いている気がする。
 原作を読まないで書いた方が、多数の読者の持つそれぞれの「銀河英雄伝説」へのイメージを、さほど壊さずに映像化できているようだ。
 僕が知る限り、映像版『銀河英雄伝説』の第1作……今は外伝『わが征くは星の大海』という形でビデオ化されている……は、原作と違うという意味の非難は浴びていない。
 しかし、脚本完成前のプロットや箱書きの段階では、制作スタッフの間で、かなり紛糾した。
 それぞれが「銀河英雄伝説」を読んでいて、それぞれの持つイメージが違っていたからである。
 何しろ長大な原作で、その時点では、まだ完結していなかった。
 『わが征くは星の大海』は、原作の込み入ったストーリーを、あくまでバックグラウンドに押しやり、馬鹿な上層部や周囲の中傷があるにも関わらず、顔も見ぬ互いを意識しあう好敵手2人に、話をしぼりこんでいる。
 原作のダイジェストにはしていない。
 だが、それぞれのスタッフには、その他の思い込みや気に入ったエピソードがあり、「銀河英雄伝説」の世界を代表して描くのに、『わが征くは星の大海』が適切かどうかの初手から、疑問が起こっていたのだ。
 田原氏自身は、この作品以後全巻を映像化する希望があったが、当時はそれはあくまで希望でしかなく、それは制作スタッフにとって『わが征くは星の大海』の出来次第だった。
 このエピソードでいいのかどうか、スタッフの疑問は、若いプロデューサーの田原氏に集中した。
 つまり問題は「銀河英雄伝説」が、『わが征くは星の大海』でいいのか?……である。
 細部にも疑問が起きていた。
 会議は、そのままでは進退きわまりそうなところまできていた。
 脚本ができなければ、どうにもならない。
 「僕にまかせてくれませんか?」と、僕は言うしかなかった。
 他に良い案が出るわけでもなく、僕が書く『わが征くは星の大海』で、スタートする事になった。
 僕は、『わが征くは星の大海』では、ある種の格調とスタイリッシュに気を使った。
 登場人物たちは、ほとんどアニメ的な動きを見せず、表情もオーバーにせず、そのかわり台詞で、状況説明せずにキャラクターを表現するように、かなりひねった会話にした。
 その代わり、戦闘シーンは、クラシック音楽に乗って、目一杯見せ場を作ってもらうように脚本を書いた。
 僕と田原氏とは、脚本上の話しかしていないが、田原氏にはプロデューサーとしてやる仕事は多く、おそらく、相当のプレッシャーがかかっていたと思う。
 ただ、熱狂的な原作ファンである事には変わりなく、脚本上、ひとつの台詞に粘り強くこだわりを持っていた。
 この作品は、帝国軍と同盟軍という2つの艦隊の戦いが舞台になっているが、帝国軍側の台詞の中に、「卿」という呼び名が出てくる。カトリックの枢機卿などにつかわれる卿で、「きょう」と読まずに「けい」と読ませる。
 意味は、「あなた」とか「きみ」とか「おまえ」という呼び方で、英語で言えば「You」を指す。
 原作の帝国軍では、相手を呼ぶ時に「卿」をやたらと使う。
 「あなたは、どうするつもりか?」
 「あなたは、どう思うか?」
 などという台詞が
 「卿はどうするつもりか?」
 「卿はどう思うか?」
 となるのだ。
 どの道、「あなた」も「卿」も英語で呼べば「You」である。
 だが、「卿」というこの呼び名が、原作の特徴であると、田原氏は言う。
 確かに文章で読む分には、視覚的に特徴があるし、読む方もすぐに慣れるだろう。
 しかし、耳に聞こえる台詞には、「けい」である。
 台詞には流れがある。
 映画には、時間の進行がある。
 文章を読む時のように、読むのを止めたり、ページをめくり直している余裕などなく、映画の時間は進んで行く。
 いきなり、「あなた」「おまえ」と呼ぶところに「けい」が聞こえると、観客はとまどうだろう。
 今の「けい」は、何なんだ……?
 そう思った瞬間に、後の台詞を聞くリズムが途絶える。
 僕は『わが征くは星の大海』を、一本の映画として成立させたい。
 原作を知らない人にも、分かる映画にしたいのである。
 原作を読んだ人しか分からない単語を、台詞として音で聞かせたくはない。
 しかし、田原氏は「卿」が「銀河英雄伝説」の重要な特徴のひとつだから、使うべきだという。
 田原氏の言い分も分からないわけではない。
 原作あっての企画である。
 誰にも分かる原作の特徴は、生かさなければ、原作ファンが逃げて行く。
 「卿」と言う呼び名を、使う、使わない、で、どちらもゆずらない。
 延々と話し合って、結論が出ない。
 その日は、知人のご母堂のお通夜だった。
 結論が出ないまま時間が経ち、お通夜に行った時は、終わっていた。
 田原氏も、話の決着がついていないので来た。
 その後、酒場でほとんど徹夜で「卿」を使う、使わないの話が続いた。
 心底疲れたが、僕も、『わが征くは星の大海』という作品の根本に関する事なのでゆずれない。
 結局、「卿」は使わない。
 その代わり、「あなた」とか「おまえ」を意味する台詞を書かないこと、もしも『わが征くは星の大海』が成功して「銀河英雄伝説」がシリーズ化する時は、「卿」を使ってもいいという事で折り合った。
 翌日の知人のご母堂の告別式には間に合い、礼を失せずにすんだ。
 しかし、田原氏の「銀河英雄伝説」に対する執着とねばりは驚異的だった、と今でも感心している。
 それが、その後決まった総監督やキャラクター・デザインや作画、声のキャスティングにも影響していたに違いなく、「銀河英雄伝説」に田原氏の存在は欠かせないものになった。
 「卿」については、『わが征くは星の大海』には一言も出てこないし、帝国側の台詞には、「あなた」や「おまえ」という言葉を必要とする台詞は、ひとつも出てこない。
 この「You」という意味を使わない台詞作りは、かなりスリリングで面白かったのを覚えている。
 脚本の戦闘シーンは、クラシックを意識し、長めに描写し、特にクライマックスは「ボレロ」のCDを絶えず聞きながら書いた。
 脚本の枚数は、予定の時間を考えると多すぎるとの意見が出たが、僕の体内時間では、少し短めの感じだった。
 脚本が長すぎると困ると思い、自分で少し削ったシーンがあるのだ。
 絵コンテにしてみると、やはり予定の上映時間より短かいという結果が出て、削った数シーンを付け足した。
 できあがった脚本自体には、僕の予想に反して、どこからもクレームが来なかった。
 台詞であれやこれや工夫したので、原作小説に出てくる台詞はほとんどないが、1ヶ所、原作と似たような設定になった部分があり、そこは、帝国軍の旗艦の艦長の台詞を探して、原作の台詞をそのまま使っている。
 原作とどこが違い、どこが同じか比較してみるのは、僕自身の自分の脚本を知るうえで、自分のためになる。今は『わが征くは星の大海』は、そんな作品だと思っている。
 『わが征くは星の大海』の脚本は、ほとんど1稿でOKが出たから、ずいぶん楽に書いたように見られがちだが、はじめてワープロを使ったり、粘り強いプロデューサーとつきあった事もあって、かなり消耗した。
 ついでに、脚本執筆中に酒も相当消化したので、体はぼろぼろ……。とうとう、脚本を書き終えた時は胃から血を吐き、入院という事に相成った。
 入院先は、栃木の自治医大病院というところで、チューンアップも兼ねて、1ヶ月いた。
 そこで、出会った医者や看護婦さんや患者さんとは、色々な思い出があるが、それはまた別の話である。
 脚本は、アニメ制作の最初の部分である。
 後は、制作スタッフの方達の力がものをいう。
 他のシリーズ作品なら、台詞のアドリブや、ものによっては絵コンテを見せてもらったり、予告も必要で、アフレコまでつきあう場合もあるが、『わが征くは星の大海』は、台詞をかっちり計算して書いたので、直す事もない。
 退院した頃には、ほとんど完成を待つばかりだと思っていた。
 だが、誰も気がつかなかった重大な問題が起こっていた。
 それは、『わが征くは星の大海』にとって致命的になるかもしれない問題だった。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 先週の話題、プロデューサーがライターを兼ねることはまずない、と書いたが、知人からメールがあり、過去に東映動画で、プロデューサーが脚本を書いた事もあったそうだ。
 そういえば、東映動画以外にも、プロデューサーがペンネームを使ってアニメ脚本を書いたという話を聞いた事がある。
 あくまで僕の憶測でしかないが、これには、会社内部の事情とか、脚本家を必要としないしっかりした原作があるとかの特殊な場合の話で……脚本家が書きたい作品を、自分でお金やスタッフを集めて作ったのとは、違うケースだと思う。
 僕の知人の脚本家で、最近、プロデューサーを兼ねた映画作品……アニメではない……を作った方がいるが、大変だっただろうと思うし、そのバイタリティに尊敬の念さえ抱いている。
 すでにDVD化されて、レンタルもされているので、題名だけでも紹介しておきたい。
 「ベロニカは死ぬことにした」製作・脚本、筒井ともみ
 筒井さんは、アニメと僕の関係では、昔、『バルディオス』や『ミンキーモモ』『さすがの猿飛』の脚本などを書いていたが、もともと実写志向の人で、ドラマでは向田邦子賞や、映画でも年間のベストワンクラスの脚本をいくつも書いている。
 「ベロニカは死ぬことにした」は、筒井さんらしい作品で、よほど自分の手で作りたかったのだろう。
 次回は、また元に戻って「誰でもできる脚本家」を続けようと思う。

   つづく
 


■第76回へ続く

(06.11.15)

 
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