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第76回 銀河英雄……ボレロ……伝説
『銀河英雄伝説』のバックに流れるクラシックは、徳間書店関係の音楽会社の著作権フリーの曲を使う予定にしていた。
クラシックのほとんどの音源が、著作権フリーで使用可能なはずだった。
ラヴェルの「ボレロ」は、クラシックの中でも誰もが聞いた覚えがあるだろう有名な曲である。
当然、「ボレロ」も自由に使えるはずだと誰もが思い込んでいた。
ところがである。
驚いたことに簡単に使えない事が分かったのだ。
ラヴェルは、割と近年亡くなった人で、「ボレロ」の著作権がまだ生きていたのである。
著作権は、作者の死後50年(当時)でフリーになる。
ただし、戦争をした相手国には、戦争をしている期間は数えない。
日本は、第2次世界大戦で、連合国側のフランスと戦っているから、その期間が上乗せされる。
フランス人のラヴェルは1937年12月に亡くなっている。
つまり、ラヴェルの亡くなった年プラス50年プラス日本と戦争していた年月が足されて、著作権がフリーになる。
そうなると、1990年以降でなければ、ラヴェルの作曲した曲は勝手に使えない。
『銀河英雄伝説』は1980年代後半の作品だから、あと数年残したところで、著作権に引っかかることになるのだ。
ラヴェルの「ボレロ」は、著作権フリーの曲ではなかったのである。
『銀河英雄伝説』の『わが征くは星の大海』では「ボレロ」は、著作権の処理をクリアにしなければ使えないということなのだ。
僕の書いた脚本の『わが征くは星の大海』のクライマックスの戦闘シーンは、「ボレロ」を全曲使うことを前提に書かれている。
絵コンテだって、そのつもりで戦闘シーンを描いているだろう。
「ボレロ」が使えなければ、作品はめちゃめちゃになってしまう。
こりゃ大変である。「ボレロ」が使えないとしたら、代用できるクラシックはないか?
田原氏から、カセットテープに入れた著作権フリーのクラシックが何本も送られてきた。
だが、どれも「ボレロ」の代用にできる曲ではなかった。
僕の答えはひとつだった。
「ボレロじゃなきゃ駄目だよ」
それは、プロデューサーの田原氏も自覚していた。
「ボレロを使います」と、原作者ともども僕の仕事場で「ボレロ」を聞いて『わが征くは星の大海』で使うことを決めていたのだ。
それが、使えない……ならば、どうする?
田原氏としては引っ込みがつかない苦境である。
このあたりの田原氏の心境は、ただ事ではなかったと思う。
だが、田原氏の『銀河英雄伝説』に対する情熱と執念は、普通ではなかった。
どこの誰を説得し、どのようにプロデューサーとして動いたのか知らないが、僕に来た田原氏の連絡は「やっぱりボレロを使います」だった。
そして田原氏は付け加えた。
「どうせ『ボレロ』を使うなら、『銀河英雄伝説』用に、新しい演奏でやります」
なんと、東京の三鷹の公会堂で新日本フィルオーケストラを使い「ボレロ」を録音するという。
その費用がどれだけかかったかは、僕は知らない。
制作当初から考えれば予定外の出費だった事は確かだ。
こうして、三鷹公会堂で、新日本フィルで「ボレロ」が演奏録音された。
そのついでに、『わが征くは星の大海』で使うマーラーやニールセンの曲も演奏された。
だだっ広い公会堂に、観客はいない。
いるのは、『銀河英雄伝説』に関係する少数のスタッフだけである。
スタッフの数より、オーケストラの人員の方が圧倒的に多い。
僕も見学させてもらったが、公会堂のがらあきの客席の真ん中に1人ですわって、オーケストラの演奏を聞いていると、まるで自分のためだけにオーケストラが演奏してくれているような、奇妙な錯覚に襲われた。
ここにガールフレンドを連れてきて、「これは、君のために演奏してもらっているんだよ」とでもいえば、完璧にその女性を口説けるな……などと、余計な事すら考えた。
ともかく、僕がそれまで経験したことのない豪華な気分だったのである。
あんな気分は、2度とないだろうと今でも僕は思っている。
こういう体験をさせてもらえただけでも、『銀河英雄伝説』の『わが征くは星の大海』を書いてよかったと思った。
やがて、『わが征くは星の大海』は完成し、試写が行われた。
監督は石黒昇氏、作画はマッドハウス……当時としてはかなりクオリティの高い作品だったと思う。
音楽面の、クラシックとの融合も上手くいった。
原作者も制作スタッフも納得できる出来だったのだろう。
不思議と『わが征くは星の大海』では、監督と話し合うことはなかった。
脚本と監督の仲介に、田原氏が飛び回っていたのだろう。
試写は、ほとんどの人が、満足した顔で見終わっていた。
みんなの顔を見ていると言いにくいのだが、僕としては2ヶ所だけ、引っかかるシーンがあった。
主役である帝国軍のラインハルトの乗る戦艦の真下に、もう1人の主役、同盟軍のヤンの乗った戦艦が、ぴったりとくっつくシーンがある。どうやって、帝国軍の戦艦の真下に同盟軍の戦艦が潜り込めたのかが脚本には書いてあるのだが、そのシーンが省かれて、分かりにくくなっていた点。
もうひとつは、戦いが終わったあと、ラインハルトの腹心の部下ともいえるミッターマイヤーが、女性(妻)の写真を見ているシーンだ。
これは脚本にないシーンで、原作を読んでいないと、ミッターマイヤーが愛妻家であり、その写真が妻である事が分からない。
おそらく田原氏の指示による原作ファンへのサービスのつもりだろうが、原作を読んでいない観客にはその女性が誰なのか分からないと思う。
脚本ではいっさい触れていない部分が、付け加えられていたのである。
そのふたつのシーンを除けば、原作を知らない観客も、1本の作品としては満足度の高いものになっていると思う。
この『わが征くは星の大海』の出来で、田原氏が望んでいた『銀河英雄伝説』のシリーズ化が決定したようなものだから、ご同慶のいたりといえる作品である。
原作と違うじゃないかという非難も、僕の知る限りはなかった。
そして、『銀河英雄伝説』は、全巻がシリーズ化され、20年近く立った今も、人気があるらしい。
去年、東京の表参道を通りかかった時、大きな『銀河英雄伝説』の看板があり、驚いた。
今に及ぶ『銀河英雄伝説』の人気は、製作した田原氏だけでなく、徳間書店の某女性プロデューサーの力も大きいと聞くが、詳しいことはよく知らない。
僕が『銀河英雄伝説』に関わったのは『わが征くは星の大海』と、シリーズの最初の26本のおおまかな構成と、はじめの3話だ。
その後は、シリーズビデオ販売のために原作ファンを大事にして、原作通りやりたいという田原氏の意向と、原作と多少ちがっても、アニメとしての『銀河英雄伝説』の作品世界を確立したいと思う僕の意見が、どうしてもかみ合わず、僕の体調が思わしくなかった事も手伝って、『銀河英雄伝説』のアニメ版からは、降ろしていただいた。
原作どおりやるのであれば、別に僕が脚本を書く必要もないと思ったのである。
原作にはないエピソードだが、同盟軍側の主人公ヤンに反発しながらも、次第に引かれて行くジェシカという女性を脚本上でふくらますために、わざわざ声を小山茉美さんにお願いしたが、原作どおりだとたいした活躍もなく消えてしまうので、気の毒なことをしたと思っている。
その後の『銀河英雄伝説』は、忠実に原作をなぞっているようだ。
現実には、それで『銀河英雄伝説』はヒットしているのだから、結果論だが、僕が降りてよかったのかもしれないと今は思っている
僕がシリーズ構成を続けていたら、原作とは違うニュアンスの作品になる事は、確実だからだ。
僕が『銀河英雄伝説』を降りたのを待っていたように、別の作品の依頼がきた。
『アイドル天使ようこそようこ』である。
僕が『銀河英雄伝説』のシリーズ構成を続けていたら、『ようこそようこ』と出会うこともなかっただろうと、今思えば、僕にとっても『銀河英雄伝説』を降りたのは正解だったかもしれない。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
月にアニメが1本ぐらいレギュラーの人は、脚本家という狭い世界だけでなく、できるだけ違う職種の人とつきあう機会を探すことだ。
ただつきあうだけでなく、その人がどんな人生を送ってきたかを想像することも、大事だ。
現実は、あなたの想像とは違うものかもしれない。
しかし、想像であろうと、あなたの人を見る目は、確実に進歩していく。
その人達が、いつ、あなたの書く作品のモデルになるかもしれない。
僕の場合、見ず知らずの人と絶えず合わなければならないセールスマンという仕事が、ずいぶん人を見る目を養ってくれたと思う。
それと、これから書くのは不謹慎な話だが、体調が悪くて、僕の40代は何回か病院に入院した。
今はほとんど禁煙になったが、10年ぐらい前は、大病院には喫煙ルームやコーナーがあった。
そこに集まってくる患者さんは、煙草が吸えるぐらいだから、命に関わるほどの重病ではなく、内蔵に若干問題のある人や、骨折などの怪我の治療で入院している人が多かった。
様々な職業の人々が、煙草吸いたさに集まってくる。
地元のやくざと警官が、煙草をふかしながら仲良く世間話をしている場面に出会うこともある。
煙草を吸うしかやることがないから、そこで話の花が咲く。
病院から退院すれば、みんな赤の他人である。
しかし、病気で入院している間は、喫煙仲間である。
いつもは人に話さないことも、赤の他人ゆえに話せることもある。
病院の喫煙ルームではいろいろな患者さん達の人生観を聞くことができる。
おまけに、みんな病気だから、気が弱くなっている。
妙に患者同士がお互いを哀れみ、優しい気持ちになっている。
年中、見舞客が来るわけでもないから、人恋しくなっている。
だから、本音で話す人が多い。
そこで耳を傾けると、様々な患者の人生が見えてくる。
病院の喫煙室は、様々な人間を知りたい僕にとっては、宝庫のようなところだった。
患者仲間の友人もできた。
退院後も付き合っている人が何人かいる。
そんな人達は、僕の知らない職業や世界の情報源になってくれる。
病院は、本来、人の生死にかかわる場所である。
患者のご家族にとっても、つらい場所であろう。
だが、不幸にして入院するようなことがあり、あなたが、すこしだけ元気をとりもどし余裕があったら、周りの患者にも目を向けてみよう。
物書きならば、どんなところにいようとも、好奇心と人を観察する態度を忘れないでほしい。
その一例として、病院をとりあげた。
大病院は、様々な人生のるつぼでもある。
煙草は体によくないから、病院で吸うのはもってのほかで、ほとんどの大病院が禁煙になった。
喫煙ルームのある病院はほとんどなくなった。
本当に不謹慎きわまりない言い方なのだが、ちょっぴり寂しい気がする。
つづく
■第77回へ続く
(06.11.22)
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編集・著作:
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