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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第79回 『アイドル天使ようこそようこ』の脚本

 『アイドル天使ようこそようこ』を書き始めた頃の僕の状況は、入院を含めてめちゃめちゃだったといっていい。
 入院中に、『アイドル天使ようこそようこ』の全体の構成をたてたが、その頃は、別の舞台用のミュージカルを書き上げており、その本読みや稽古が始まっていた。
 脚本や台本を書いた僕が、舞台の稽古に立ちあう必要はなかったが、気になることは確かだった。
 雑誌に連載していた小説も、連載は終わったものの、続編を文庫で書き続けていた。
 滅び去った海洋民族の末裔の物語「永遠のフィレーナ」である。
 この小説は、その後も書き続け、結果的にほぼ、10年がかりで、全9巻の長編になってしまった。
 さらに、イタリアのルネッサンスを舞台にした「戦国魔神ゴーショーグン」の番外編の構想も練っていた。
 他にも、東京の渋谷区が日本から独立するという小説「都立高校独立国」を考えていた。
 この作品を思いついたのは、『アイドル天使ようこそようこ』とほぼ同じ頃で、舞台も同じ渋谷で、『アイドル天使ようこそようこ』のエピソードを探しながら、同時に、この小説の事も考えていた。
 入院前は、自宅とは別に、渋谷のNHKの裏あたりに仕事場を借りていたが、このあたりは酒場が多い。
 僕には、脚本の業界関係の他にも友人が多かったから、いつしか仕事場は、終電に遅れた飲み友達のたまり場になっていた。
 当然のように、仕事場は深夜の飲み屋のようになってしまった。
 そこで、酒を飲みながら友人達と様々な話をしたが、その時の話題は、いろいろな人の職業や人間関係を知るために、今も役に立っている。
 役には立ったが、徹夜で話している間に、僕も絶え間なく酒を飲んでいる。
 僕は、酒に強いはずだが、肝臓や胃は頑丈ではない。
 おまけに、ろくに睡眠もとらずに仕事もしていたし、渋谷や新宿に出歩いてもいた。
 とうとう、体が悲鳴を上げて入院になるのだが、もとが丈夫なせいか、入院するとすぐよくなる。
 入院をして『アイドル天使ようこそようこ』の構成を終えた頃は、気分は元気になってしまった。
 だが、肝心の脚本は、構成を元に他の脚本家にお願いして、その手直しをしていたが、十本もでき上がっていない。
 そろそろ放映も始まりかけていた。
 打ち合わせも頻繁になるし、『アイドル天使ようこそようこ』以外の小説のことも気になる。
 病院に多少の無理を言って、退院をした。
 だが、渋谷の仕事場に戻ったら、また酒まみれになって、元の木阿弥になることは目に見えている。
 そこで、仕事場を、思い切って小田原の早川という漁港に変えた。
 海が目の前で、海を素材にした小説「永遠のフィレーナ」を書くのに、最適の環境だった。
 小田急のロマンスカーを使えば、実際は1時間ちょっとで、新宿まで来ることができるのだが、小田原という名前だけで、ずいぶん東京から遠く感じるようで、訪れる友人はほとんどいなくなる。
 早川は、小田原でも辺鄙なところで、酒場もほとんどなく、夜の8時を過ぎれば閉店してしまう。
 後は、酒の自動販売機だけである。
 午後11時になれば、販売が中止になる。
 夜、酒を飲まなければ、仕事もはかどる。
 東京も近い。
 脚本家との打ち合わせにも便利である。
 そこで、しばらくの間、小田原と東京の間を行ったり来たりしながら、『アイドル天使ようこそようこ』のシリーズ構成と脚本の直しをしていた。
 この時期、一番苦労したのは、脚本を誰に書いてもらうかだった。
 ミュージカルのような作品で、渋谷を舞台のモデルにしているとはいえ、既成のアニメ脚本家が書くものではない個性的なものであると同時に、登場する人物のリアリティも欲しかった。
 SHIBUYAという不思議な街で起こる様々な出来事を、ファンタジー、メルヘン、そして、リアルなテーマも含めてなんでもありの世界にしたかったのだ。
 主人公のようこのキャラクターを描くについては、僕に自信があった。
 楽天的でアクティブで、何も考えていなさそうで、それでいて思いついたらすぐに実行する不思議な女の子……こういう子は、どこにもいそうにないが、僕の中にはちゃんとモデルがいて、その人が14歳か15歳の頃にやりそうなことを、少しオーバースイングに想像して行動させた。
 「ようこ」の素性が謎だらけなのも、SHIBUYAに迷いこんだ「ようこ」というキャラクターがどう動くかを描きたかったからで、ようこの素性を描くことは、過去を引きずることになり、かえってその行動の邪魔になると思った。
 アニメ雑誌の要請で、「ようこ」の過去の話を書いたことがあったが、そんな裏設定は、実は、僕にとってはどうでもよかったのである。
 ただ、相手に何を言われても、とりあえず「はい」という言葉で答える子にした。
 どんな場合でも、相手の存在を無視しない子にしたかった。
 だから、「はい」と答えても、疑問を込めた「はい」もあり、否定的な「はい」もある。
 同じ「はい」でも、状況に応じた様々な「はい」があるのだ。
 声のかないみかさんには、予告編で52回「はい」という言葉を言わせるから、52種類、感情の違う「はい」を用意しておいてくださいなどと、無茶苦茶な注文を出したら、ほとんど一本調子の「はい」で終始されて……それもまた個性的でいいかなと、思い直したりもした。
 「ようこ」に対する屈折した感情を持つアイドル歌手の「星花京子」のキャラクターは、ほとんどの部分、僕がやった。
 演出上では、アミノテツロ氏が、かなり手を加えてさらに面白いキャラクターになった。
 脚本のタイトルは別の人だが、彼女の登場するシーンだけ、僕が書いた脚本もある。
 問題は役者志望でふるさとを家出して「ようこ」の親友になる「サキ」のキャラクターだった。
 滝花幸代さんという、当時新人同様で、それでいながら舞台ミュージカルの主役をやったことのある役者に脚本を書いてもらったのは、「サキ」のキャラクターを僕が分かりたいからでもあった。
 滝花さんは、当時、22から23歳……18歳の時に役者になりたくて、京都の近くの福知山から東京に出てきた。
 できるだけ若い感覚が欲しかったし、滝花さんは文章も下手ではなかった。「サキ」の環境によく似ていたし、彼女の所属した劇団というものの体質も知っている。
 当時、伸び盛りの声優で「サキ」の声をやった林原めぐみさんとも、同じ歳だった。
 この若い二人のキャラクターが合わさって、割とくっきりとした「サキ」像ができたような気がする。
 後に、滝花さんは、俗に海モモと呼ばれる『ミンキーモモ』の脚本を、役者をやりながら数本書き、林原めぐみさんは、言うまでもなく、海モモ本人の声を演じた。
 もう1人『アイドル天使ようこそようこ』に登場する重要な女性に、「ようこ」の所属するアイドル事務所の社長の恋人(?)兼秘書兼女優の久美子という役がある。
 声は島津冴子さんだった。
 若い頃「ようこ」達のように、夢を持って都会に出てきたが、夢は破れかけて、すでに恋愛の機微もある程度知っている20代後半の大人の女性である。
 この歳ごろの女性の心理は難しい。
 久美子とおそらく同年齢ぐらいの女性で、その心理を描ける脚本家を探し、島田満さんに久美子のエピソードを書いてもらうことにした。
 島田さんは久美子以外のエピソードも書いているが、本来は、久美子専属のつもりだった。
 久美子の「スペイン坂の雨」というエピソードは、ストーリーが大人向き過ぎるとスポンサー関係からクレームがついて、放映が遅れたが、他に放映に間に合う作品がありませんという理由で強引に放送したら、一部のファンからやたら評判がよかったそうである。
 ここまでがレギュラー中心のエピソードで、ゲストのエピソードは、ミュージカル好きの脚本家ということで、影山由美さんにも数本書いていただいた。
 影山さんは、『ようこそようこ』のBGMに、作詞をつけて脚本を書いてきた。
 その他、アニメの脚本家以外の実写畑の方にも、何人かエピソードをお願いした。
 アニメの脚本家からは、なかなか出てこない発想のファンタジーが欲しかったのだ。
 戦時中の空襲を素材にしたエピソードや、日本の女性達が進駐軍の恋人に送る手紙を英文に訳してくれたという恋文横丁のエピソードや、老人問題を扱った話などを、その人達に書いていただいた。
 それでも、『ようこそようこ』の世界を描くには、数が少なかった。
 そもそも1本、1本ができ上がるのに、時間がかかった。
 1週に1本消化するTVアニメには、脚本が月に4、5本は必要である。
 プロの手では、そのペースの脚本で個性的なものができ上がるとも思えなかった。
 どうしても、手堅くまとめた平凡なものになりがちだ。
 どうせ、1週1本、それぞれ風変わりな個性的な脚本をつくることが無理ならば、いっそのこと、週1本などというペースはあきらめて、何ヶ月かかっても、個性的な脚本を作ろうと思った。
 30分のアニメ作品に何ヶ月もかかっていては、収入的に言っても、プロの脚本家は生活できない。
 だったら、脚本には素人で、脚本以外の仕事で食べて行けて、脚本家になりたいとも思っていない人がいい。
 もともと滝花幸代さんも、役者が本業の人なのである。
 僕の知り合いには、物書きではないが、物を見る視点の面白い人はかなりいた。
 ただ、脚本を書くとなると、それが半年かかるか、1年かかるか、もしかしたら、一生に1本になるかもしれない。
 もともと脚本家などになる気のない人達だ。
 それでも、個性的なものの見方を持っていて、ある程度の文章力のある人を僕は探した。
 そういう人達の作品を、そのまま使えなければ使えるように脚本化するのは、僕がすればいいと思った。
 不遜な言い方だが、プロの作品は直しても面白くならないが、素人の作品は直せば面白くなるとさえ考えていた。
 僕は『アイドル天使ようこそようこ』の簡単なエピソードを60本近く作って、素人で書けそうな人と話し合った。
 通常、アニメを書かない脚本家にも、もちろん声をかけた。
 締め切りはなしである。
 60本のうちのどれでもいいから、ものになれば、週に1本の数はそろう。
 下手な鉄砲も数を撃てば当たる。
 正直言ってくたびれた。
 小田原に仕事場があっても、週の半分は東京にいて、いろいろな人と話した。
 まだ直りきっていない体に、酒も入り、がたがたになっていくのを自分でも感じた。
 それでも脚本は予定の半分もできていない。
 放送はすでに始まっている。
 そんな時に、ある事件(?)が起きた。
 事情を知るごく一部で「ようこそようこ、山杜サキ暗殺指令」と呼ばれる出来事である。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 今、月に1本ぐらいしか仕事のない人も、よほど制作会社に逆らっていない限り、2、3年もすれば、どっさり仕事が入ってくるようになるだろう。
 それほど、最近のアニメの本数は多く、バブル状態である。
 しかも、圧倒的に原作のある作品が多い。
 コミックなど、少し有名になるとすぐアニメになる。
 オリジナルのアニメを見つける方が難しい時代だ。
 原作があって、何の工夫もなく誰が書いても同じようなものなら、少しは脚本らしきものが書けて、ギャラが安くて若い人は、引っ張りだこになる。
 そうなるともう、勉強などしている時間はない。
 だからこそ、月1本ぐらいの時期が大事なのである。
 今、いろいろな勉強や経験をして自分のオリジナリティを育てておかないと、原作のあるものしか書けなくなる危険性がある。
 原作どおりに脚本を書く事は、確かに楽だし癖になる。
 おまけに、今は、原作どおりに書くことを、制作側からも要求されている場合が多いだろう。
 だから自分のオリジナリティを守ることが難しい事も確かだと思う。
 だが、よく考えて見れば、原作どおりでいいのなら、例えばコミックなど、演出と絵コンテがあれば充分で、脚本は必要なくなってしまう。
 結果、脚本が必要なのは、原作があっても、そこにオリジナリティを要求されるものという事になる。
 そんな時代になっても困らないように、自分の作風やオリジナリティを見失わない努力だけはしておこう。
 多分、今のアニメ量産時代は、そう長くは続かないと思う。

   つづく
 


■第80回へ続く

(06.12.13)

 
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