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アニメの作画を語ろう
シナリオえーだば創作術――だれでもできる脚本家[首藤剛志]

第85回 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』2作目「海モモ」のはじまり……

 『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の続編は、すでに企画が通っているらしかった。
 前作が、空に浮かぶフェナリナーサから来たミンキーモモであることから、今度は、海の底の夢の国マリンナーサから来たミンキーモモにしようという事になっており、登場するお供の3匹も、ミンキーモモが、大人に変身する時に使う呪文も、監督の湯山邦彦氏によって決まっていた。
 僕が『アイドル天使 ようこそようこ』をやっている間に、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の前作の空編を監督した湯山氏を中心に、企画が練られていたようだ。
 ただ、前作のリメイクになるか続編になるかは、まだ決まっていなかった。
 要するに、前作が空だから、今回は海で行こうという事はなんとなく決まったが、エピソードを前作で使ったもののリメイクにするかどうか、判然としていなかった。
 前作をどれだけ意識するのかもはっきりは決まっていず、だから、ミンキーモモが現れる地球上の状況や、両親の設定も決まっていなかった。
 そのくせ、ミンキーモモ関連の玩具は、スポンサーサイドから、続々決まっていた。
 監督を含め、いろいろ話し合ったが、前作の空のフェナリナーサと今回の海のマリンナーサが違うのだから、ミンキーモモも前作と違う人格であるべきだという結論になった。
 つまり、空から来たミンキーモモと海から来たミンキーモモは、別人だということである。
 空から来たミンキーモモは、今回のミンキーモモとは別の人格で、今も地球のどこかに住んでいる。
 空の夢の国フェナリナーサも、海の国マリンナーサとは別の国で、地球から遠ざかりながらも存在しているということである。
 結局、今回の夢の国を、空から海の中に変えた瞬間から、今回の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、リメイク(作り直し)ではなく、過去にフェナリナーサから魔法の少女が来た世界に新たな魔法少女が来たという、世界観は『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を踏襲しているが、内容はリメイクではなく続編になったのである。
 実は、旧『魔法のプリンセス ミンキーモモ』――ファンの間では「空モモ」という名前で呼ばれているモモ編――には、それなりの続編が作られている。
 小説化した「それからのモモ」という作品である(徳間書店アニメージュ文庫)。
 その作品では、魔法少女から人間に生まれ変わり、子供へと成長したミンキーモモが、ロンドンに引っ越しして、かつて魔法少女だったことを思い出し、ある程度の魔法の能力を持っていることに気づくことになっている。
 しかし、人間として生まれてきたミンキーモモは、その魔法の力を使わない事を決意する。つまりみずからの魔法を封印するのである。
 そんな作品が「それからのモモ」だった。
 だが、今度の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』――普通、海モモと言われている――は、「それからのモモ」の続編ではなく、もう1人のミンキーモモの話である。
 住む場所も両親も、空モモとは違えなければならない。
 それでいながら『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の世界観の中で生きているモモでなければならない。
 その2人のモモの関連性を、はっきりさせるために、空の夢の国フェナリナーサの王様とお妃を、いきなり、海モモの第1回に出すことにした。
 地球の人々は、空モモの頃より、さらに夢と希望を失いつつあり、フェナリナーサはどんどん地球から遠ざかっていた。
 お後の地球は、海にある夢の国マリンナーサによろしく頼む……といういささか無責任な設定である。
 そんな訳で、今度は遠い親戚すじにあるマリンナーサのミンキーモモが、地上に現れて、夢を広める役目を担う事になる。
 とはいえ、フェナリナーサ的血統を持つマリンナーサのミンキーモモだから、使命感に燃えているのではなく「えーだば調」「なるよになるしかないだば」のお気楽な性格である。
 ただし、旧作の「空モモ」から10年近くの時間が経っている。
 その間、地球の人々の夢と希望がどれだけ変化したかは、意識して描くようにしたかった。
 時代も空モモの時代とは違う。
 空モモの頃は、かなりメルヘンチックでファンタジー色の濃いエピソードが多かったが、10年後の海モモの時代では、現実をかなり意識したファンタジーを目指すことにして、空モモと海モモの違いをはっきり色分けできるようにしたいと思った。
 空モモと海モモは、繰り返すけれど、別人である。
 海モモの声は林原めぐみさんに決まった。
 空モモの声だった小山茉美さんとの違いを危惧する人もいたが、『アイドル天使 ようこそようこ』のサキ役で、林原さんを知っている僕に不安はなかった。
 林原さんと小山さんは、当時は、年齢こそ違うが、どこかしら似たようなタイプの声優さんだった。
 だが、林原さんにはむしろ、空モモと似ているようで、実は全然違う人格であることを期待した。
 それは湯山監督も同意見で、林原さんには、前作の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を見ないようにお願いしたぐらいだ。
 前作の空モモの演技や声に影響を受けてほしくなかったからだ。
 実際、林原さんが前作の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を見たかどうかは知らないが、「空モモ」と似て非なる「海モモ」になった。
 「空モモ」が山の手育ちなら、「海モモ」は下町育ち……林原モモは、ミンキーモモではなく、ヤンキーモモだという口の悪い人もいたが、明るく軽いキャラクターで、僕はそれがよかった。
 海モモは、次第に当時の現実の社会を反映した重いテーマのファンタジーと出会うことになる。
 最初からモモが真面目で重いキャラクターだと、話が暗く陰々滅々になりかねない。
 だから、最初はできるだけ、明るくお手軽な、出たとこ勝負の元気なキャラクターであってほしかった。
 その分、重いテーマに出会った時、明るいモモに対するダメージが大きくなり、全体的な雰囲気はモモの個性で明るいが、テーマはさりげなく重い印象で残るだろう。
 それが、海モモの狙いのひとつでもあった。
 ところで、中盤、海モモと空モモが出会うエピソードがあるが、ここで2人のキャラクターの違いが、わりとはっきり見えてくる。
 海モモと空モモは、明らかに違う性格なのである。
 小山モモと林原モモは、声の演技によって上手く描き分けられた、と思う。
 「こんなことなら、もっと早めにモモ同士を会わせておけば、キャラクターの違いが、より視聴者に分かりやすくなったかもしれない」というのは、監督の湯山氏の当時の意見である。
 ところで、モモとモモが最初に出会うエピソードでは具体的に描いてはいないが、人間に生まれ変わった空モモは、実は自分が魔法のプリンセスである事に気づいている。
 そのあたりは、さっきも言った小説「それからのモモ」で書いたとおりだ。
 人間として生まれてきた自分にこだわって、魔法をあえて封印しているのだ。
 そこいらが分かっていると――別に分からなくても支障はないが――あのエピソードは別の見方ができるかもしれない。
 いずれにしろ、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の海モモ編は始まった。
 地球上の父親を考古学者、母親を小説家志望の女性にして、住む家を2人が経営するホテルにしたのは、訳がある。
 ホテルだと、様々な種類の人がいろいろな事件や事情をしょい込んで泊まりにくる。
 わざわざミンキーモモが外に飛びだして事件に出会わなくても、泊まり客のかかえる事件のほうからホテルにやってくれば、事件に出会うまでのストーリーを省略できて、脚本家が書く時に楽だと思ったのだ。
 だが実際には、この設定を使いこなせる脚本家は、あまりいなかった。
 「海モモ」の脚本には、『アイドル天使 ようこそようこ』とは、別の脚本上の苦労があった。
 10年前の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』(空モモ)の脚本は、若手5、6人のライターで、十分間に合った。
 しかしその方達は、10年後には、実写の世界の脚本家になっていたり、アニメを書いていてもそれぞれレギュラーの作品を持って大忙しだった。
 つまり、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の空モモを書いていたほとんどのライターが、10年後には売れっ子の脚本家になっていたのだ。
 それだけ、「空モモ」には、レベルの高い若い脚本家がそろっていたことになる。
 だが、10年後の「海モモ」の時点では、ギャラの問題もあるし、書くのに時間と手間のかかる『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の脚本を書く余裕がなく、無理に書いてもらうのは遠慮すべき雰囲気だった。
 それでも、昔のミンキーモモの脚本家の方達に、まるでご祝儀のように数本書いていただいたが、とても本数が足りなかった。
 彼らの間でも、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書くのは、結構きつかったようだ。
 少なくとも、昔の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』を書いた脚本達は、そろって業界ではかなりの実力のライターになっている。
 当然、それぞれライバル意識のようなものもある。
 他のライバルより、下手な「ミンキーモモ」は書きたくないという意識もあっただろう。
 そのせいか脚本の完成も遅れ、ギャラが安いから、無理を言って沢山書いてもらうわけにもいかなかった。
 たまに書いてもらえるゲスト脚本家という存在である。
 だが、その分、その方達からは、直しの少ない完成度の高い脚本ができてきたことは確かである。
 僕自身も、今度の「海モモ」には、『アイドル天使 ようこそようこ』の時のように素人ではなく、ちゃんとしたプロのライターに成長する人に書いてもらいたかった。
 『アイドル天使 ようこそようこ』にはプロの脚本家にはない自由奔放さが必要だったが、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』には、それに加えて、作品をある程度のファンタジーに成立させるテクニックも必要だった。
 それに僕としては、「海モモ」に関わったライターは、「空モモ」のライターのように業界で知られるライターになる、という伝統のようなものを作りたかったのである。
 「空モモ」のレベルの脚本を書ける若手ライターがいるかどうか……。
 『アイドル天使 ようこそようこ』とは別の意味の、脚本家を見つける地獄がはじまった。

   つづく


●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)

 脚本には、構成が大切だという意見がある。
 大多数の人がそう言う。
 いわゆる、起承転結や、序破急のたぐいである。
 だが、最初からそれを気にしてストーリーを作ると、キャラクターの動きや心情に無理が出ることが多い。
 起承転結や序破急などの構成を考えなくても、キャラクターが自然に動いてくれると、結果として、後から見直してみると、起承転結や序破急の形になっていたという方が正しいと思う。
 過去の名作映画や演劇も、後から分析して見れば、起承転結や序破急になっていたというに過ぎない。
 つまり、作品を後から説明する時に、その作品の構成を語るのが分かりやすいからだ。
 できあがった脚本を見直してみたら、出来がいいシナリオは、そういう構成になっているものが多いのである。
 だが、時として、起承転結、序破急の構成をとらなくても、よくできた脚本がある。
 キャラクターが自然に生きている脚本に、そんな場合が多い。
 極端な言い方だが、脚本を書き始める時には構成を意識しないほうがいい、とまで言い切ってしまいたい。
 僕自身は、構成力のある脚本家だと言われることがよくある。
 シリーズ構成といわれる仕事も多くやる。
 シリーズの終わり方は、時々、思いつきで考えることもあるが、通常は、キャラクターが不自然に動いていないかどうかを、いちばん注意している。
 構成力があると言われる僕が、実は構成などほとんど考えていないのは皮肉だが、少なくとも僕の場合は、キャラクター本位のいきあたりばったりである。
 結果的に、構成がよくできていると言われるのは、いまだに妙な気分だけれど、後で読み返すと、自分でも上手く構成ができていると思う場合が多い。
 それは、あくまで結果論であり、最初に構成をしっかり作って脚本を書くことはまずない。
 キャラクターの動きが、堅苦しくなって仕方がないからだ。
 次は、脚本は数学だ、という意見について書いてみようと思う。

   つづく
 


■第86回へ続く

(07.01.31)

 
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