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第93回 「海モモ」を支えてくれた人たち2
初代の『魔法のプリンセス ミンキーモモ』いわゆる「空モモ」の音楽関係は、ビクターが担当していた。
実は、ミンキーモモだけではなく、僕が最初に原作・シリーズ構成した『戦国魔神 ゴーショーグン』や、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の後の『さすがの猿飛』もビクターで、それらの作品に使われる常識外れのBGMに、音楽プロデューサーは作曲家の方達とともども、後で考えればよく付き合ってくれたと思う。
音楽に対して妙な注文の多い僕としては、運がよかったともいえる。
聞くところによると、当時ビクターのアニメ音楽担当の永田守弘氏にとっては『戦国魔神 ゴーショーグン』が、初めてアニメの音楽に関わった作品だったそうで、それだけに力が入って、数年前、偶然お会いした時も『戦国魔神 ゴーショーグン』は今でも印象に強く残っている作品だとおっしゃっていた。
当時は、まだCDがなくLPレコードの時代だったが、アニメになっていない小説の「その後の戦国魔神ゴーショーグン」のイメージLP――この中には『戦国魔神ゴーショーグン』に登場する美形悪役(?)ブンドルが作曲したという設定の交響曲「宇宙の美」などという曲も入っている――、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』が「不思議の国のアリス」になる番外編ドラマLP、『さすがの猿飛』の番外編LP――原作コミックの第1話を英語の教材にして英語の授業をするという内容で、最後は英語の代わりに京都弁までまじってめちゃめちゃな授業になる――その他、『さすがの猿飛』の舞台になる忍者の高校の校歌など奇妙な歌は、全体からいえばほんの一例に過ぎず、内容が変幻自在な僕のシリーズのエピソードに合った様々な曲を、僕の意見を取り入れる形で、沢山作ってくれた。
僕の思い込みかも知れないが、永田氏やその他音楽関係の方達も楽しんで作ってくれていた気がする。
「空モモ」の場合でいえば、本来のBGMに加えて追加のLPが作られた時は、その中には、主題歌ではないが、アニメの演出をやる前は音楽バンドをやったこともあるという噂のあった、総監督の湯山邦彦氏の作詞する歌までなぜか含まれていた。
BGMのメニュー出しは、本来、監督と音響監督の範疇だから、湯山氏が音楽にこだわるのはいいとしても、歌の作詞までする監督はそう多くないだろう。
もっとも、僕の作るシリーズは、ミュージカル風の指向の強い作品が多いから、『アイドル天使ようこそようこ』のアミノテツロ氏や、『超くせになりそう』の遠藤徹哉氏など、作詞をする監督が必然的に増えることは確かである。
別に対抗するわけではないが、僕もシリーズ構成や、脚本上、いろいろ作詞をするから、音楽を作る側は、かなりその対処に大変だっただろうことは予想できる。
監督側からの注文もある上に、シリーズ構成側からも注文がでてくるのだ。
僕の場合、シリーズ全体の雰囲気を把握するために、BGMをテープに録音してもらい、仕事場で絶えず聴いていた。
つまり、監督や音響監督が、BGMをつける以前の脚本完成時に、ある程度僕なりのBGMや歌のついた完成品を頭の中で作っていたのである。
もちろん、僕の頭の中の完成品と、現実にアニメになった作品とは音楽が別のものになっても仕方ないし文句も言わない。
だが、少なくとも『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の「海モモ」以前の作品に対しては、僕はBGMの制作にまで必要最小限の意見や注文を出させてもらっていたことは確かだ。
そんな僕に対して、ビクターはとても好意的だった。
曲や歌を作る前にどんな曲が必要か、ビクター側から僕に打診してくれて注文を尊重してくれたのである。
もっとも、『戦国魔神 ゴーショーグン』も『魔法のプリンセス ミンキーモモ』も基本的にいえばオリジナル作品であり、原作があるとはいえ、『さすがの猿飛』もアニメのストーリー展開は、オリジナルといっていい。
オリジナルの場合、番組開始当初は、その作品がどんなストーリー展開になり、どんな音楽が必要になるかは、総監督にすら予想がつかない場合もある。
ストーリー展開はシリーズ構成の僕の頭の中に、漠然とあるだけである。
僕の場合、ラストをきっちりと決めてはいないが、だいたいの見当はつけている。
だから、オリジナル作品の場合、BGM制作にはシリーズ構成が参加すべきだとは思うが、実際は、そこまでするシリーズ構成はいないようだ。
アフレコに参加するシリーズ構成も少ないし、脚本の完成するところまでの責任すらとらないシリーズ構成もいると聞く。
シリーズ構成というものの職域が、いまだにはっきりしていないのが現状だろう。
それはともかくとして、ビクターと僕との意志の疎通は良好だった。
特に、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』の「空モモ」については、僕はそれを強く意識していた。
音楽制作側の「空モモ」に対する愛情のようなものも、感じられたのだ。
だが、今度の音楽制作は僕としては未知のキングである。
「空モモ」からも十年が経っている。
『魔法のプリンセス ミンキーモモ』がどういう作品か、その世界観を分かってもらえるかどうかも不安材料だった。
さらに、その頃になると、僕のBGMへ対する考え方が、普通のシリーズ構成とかけはなれていることも自覚していた。
つまり、シリーズ構成がBGMに注文や意見をいうことなど、まずありえない。
僕は、その、ありえないシリーズ構成なのだ。
それだけに、ビクターの時のように、キングとうまくいくかどうかが分からなかった。
BGMは、「海モモ」の13話分までに最小限必要な曲を、湯山氏に告げて、打ち合わせは湯山氏に任せた。
湯山氏は、いうまでもなく「空モモ」の総監督である。
前作から10年経っているとはいえ、『ミンキーモモ』の世界を一番よく知っている人である。
どんなBGMが必要になるか、僕が言うまでもなく分かっているはずだ。
僕は、期待半分、不安半分で黙って待っていた。
やがて、曲ができ上がってきた。
BGMの作曲家は長谷川智樹氏という方で主題曲とエンディングの編曲もしている人だった。
主題歌を唄っている小森まなみさんもいい。
さらにエンディングを作曲した岡崎律子さんの曲もよかった。
その中でもやはり注目したのはBGMの作曲家だ。
でき上がったBGMのテープを貰ったが、僕がいちばん出来を気にしていたのは7話「雪の中のコンサート」のエピソードで、ピアニストが恋人のために作ったという設定の「愛しのマーシカ」という曲だった。
その曲は、僕の予想を驚くほど越えてよかった。
長谷川智樹氏という作曲家を選び、小森まなみさん、岡崎律子さん、林原めぐみさん達をずらりと歌や作曲に並べたキング系の音楽プロデューサーのセンスに僕は感心したが、その方の名前までは聞く事もなく、番組開始当時はお会いする機会もなかった。
恥ずかしいというか、失礼というか、その頃はキング系のアニメ音楽会社がスターチャイルドという名前である事も知らなかった。
やがて、アフレコが始まってしばらくして、ミンキーモモのドラマCDを作ろうという話があった。
アフレコスタジオに、そのプロデュサーが現れ、僕と会うなり、いきなり言った。
「ゴーショーグンの『時の異邦人』あれ、すごくよかったですね」
『ミンキーモモ』のアフレコスタジオで、『戦国魔神 ゴーショーグン』の映画『時の異邦人』の話が出てきたのだ。
『時の異邦人』はその時には、すでに何年も前の作品だった。
それに、この人、とても人なつっこい顔で、にこにこ笑っている。
プロデュサーというよりも、まるでアニメファンの少年のような笑顔だ。
僕としても思いもしないところで、昔の僕の作品の名前が出てきて、さらにその作品が誉められているのだから悪い気はしない。
これが相手の気持を掌握するテクニックだとしたら、たいしたものである。
それがテクニックかどうかいまだによく分からないが、僕が会った事のないタイプのプロデューサーであることは確かだった。
その人の名前は大月俊倫氏だった。
大月氏は、『エヴァンゲリオン』のプロデュサーとして業界で有名な方だが、「海モモ」でも、なくてはならない存在だった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
書きたくなくても、原作どおりの脚本を書かねばならない時はどうするか?
最初に断っておくが、僕自身は、原作はあっても原作どおりの脚本を書いた覚えがない。
原作があっても書きたいようにしか書かないというか、書きたいようにしか書けないといった方が正しい。
だから、これから僕が書くことは、原作どおりの脚本を書かなければならない人への提案である。
それは、原作どおりの脚本を書く前に、原作の設定と人物を使って自分なりの脚本を書いておくことである。
これなら、新たにオリジナルの脚本を書くより楽だし、原作の設定と人物がすでにあるのだから台詞も人物も動かしやすい。
自分のオリジナリティがあふれた書きたい台詞や登場人物の行動を、原作の設定や人物に置き換えて、原作どおりとは別のもう1本の脚本を書いておくのである。
もちろんその脚本は、プリントして机の奥にしまっておき、その後、原作どおりの脚本を書いてそれを提出する。
もう1本、別の脚本を書くなんて無駄じゃないか……という人もいるだろう。
しかし、無駄にはならない。
原作の設定と人物を使っても、あなたが書きたいように書いたものには、原作どおりとは違うオリジナリティが必ずある。
それを、書き続ける事で、あなたのオリジナリティはあなたの中で磨かれて守られる。
それが、いつかものをいう。
なぜなら、あなたが書いた原作どおりの脚本の、原作の方をよく読んでみよう。
その原作だって、どこか他で見たり読んだような設定だったり、どこかにいそうな人物が動いている場合が多い。
世の中、目からうろこの落ちるような新しさのある原作は、そうは生まれないのである。
すでに物語のパターンは、ほとんど出尽くしている。
これから目新しいストーリーを見つけたり作り出したりするのは、絶望的だといっていい。
今、出回っている原作のたぐいは、使い古しのストーリーを、ちょっとだけ目先の変わったアイディアで新しく見せているだけなのである。
あなたが、あなた自身のオリジナリティを持っていれば、それは、どんなストーリーが出てこようと、その世界の中で使い回しがきくはずである。
その内、あなたならではのオリジナリティのある人物が動きやすい企画が、どこからか出てくるかもしれない。
もしかしたら、あなた自身が、そんな企画を思いつくかもしれない。
その日のために、今は、人の原作を使ってでも、自分のオリジナリティを磨いて守っておこう。
つづく
■第94回へ続く
(07.04.04)
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