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第99回 「海モモ」での実験5
1990年代の「夢」を描くという事は、当時の子供たちが、どんな「夢」を持っているか、知る必要がある。
いろいろ調べてみたが、僕の知る限り、未来を楽観視している子供は少なかったようだ。
バブル崩壊で、苦しんでいる大人の様子が、そのまま、子供たちにも反映していたのかもしれない。
第48話「赤ちゃんがほしい!?」は、人間の未来が絶望的だから、そうなる前に結婚し子供を産んで育てたいと、わずか9歳にして結婚相手を募集する大富豪の娘のエピソードだが、これは、アメリカの雑誌に載っていた実話を元にして、脚本を面出明美さんに書いてもらった。
よく考えると笑ってばかりはいられないエピソードだが、小森まなみさんの挿入歌を入れ、映画「小さな恋のメロディ」や「卒業」を意識したようなラブコメ風に処理している。
この実話の方は、その後、アメリカでもコメディとして映画化され、日本では上映されなかったが、かなりアメリカ国内ではヒットしたそうである。
45話「天才になろう!」は、天才になって世界征服を夢見る少年のエピソードだが、最初は、子供を天才にしたい教育ママの話だけのつもりだった。
このエピソードは、「海モモ」の10年前、「空モモ」に続くように『クリィミーマミ』という魔女っ子ものがあったが、その文芸担当や脚本も書いていて僕の知人でもあった小西川博氏に、「海モモ」の頃は脚本家を辞めて他の仕事をしていたにも関わらず、無理を言ってお願いし、忙しい仕事の合間に少しずつ書いてもらっていた。
当時、小西川氏にお子さんが誕生して、父親として子供への気持ちを実感していると思ってお願いしたのだが――小西川氏も、『ミンキーモモ』の脚本を子供へのプレゼントにしたいという気持ちもあったのだろう――ねばり強く、時間を見つけては少しずつ書いてくれていた。
だが、教育ママの情熱で天才になっただけでは、1990年代の子供が見る「夢」にそぐわなくなっている気もした。
そこで、子供が天才になってほしい親の情熱を利用して、世界征服を夢見る少年という要素を付け加えた。
本来なら大人になりたくない子供が多くなっている時代である。
世界征服をするなら、大人を操って、自分は子供のままでいながら、目的を果たす天才少年という設定も考えたが、それを入れると、ストーリーが複雑になり、元々のテーマである教育ママの子供へ対する情熱という要素が薄まってしまうので、大人を利用して世界征服という部分は使わない事にした。
この脚本は、発注から完成まで半年以上かかり、海モモの中では、最も時間のかかった脚本になった。
脚本とは全く別の仕事をしながら、完成までたどり着いた小西川氏のねばり強さには、今でも感謝している。
その他にも、1990年代の、子供の「夢」をテーマにしたエピソードはいくつも考えた。
しかし、どんなに明るく装っても子供たちの未来……つまり21世紀……が、20世紀よりも希望と夢にあふれた世界になりそうに僕には思えなかった。
未来に悲観的な『ミンキーモモ』を描き続けたくはなかった。
それに「海モモ」の放映期間を考えると、それらの脚本の完成が間に合うとも思えなかった。
だから、それらのエピソードはそのまま手を触れずにしておくことにした。
もし、第3作目の『ミンキーモモ』が実現するのだったら、それは、おそらく21世紀である。
21世紀になったら、その時になって、それらのエピソードを見直してみようと思ったのである。
そんなわけで、結局、「海モモ」の後半は、1990年代の子供の「夢」が置かれている状況を描く事になっていった。
つまりは結局、1990年代の社会状況ということになる。
49話「魔女っ子スターウォーズ!?」は、魔法というものの存在を宇宙中継で全世界に知らせる、というエピソードだが、TVを見た誰も魔法を信じてくれない。
TVの「やらせ」だと思われてしまうのである。
つまり、テーマとしてはマスコミの信憑性である。
マスコミは、社会を動かせる力があるかもしれないが、そのマスコミの流す情報をどこまで信じていいのかが、「魔女っ子スターウォーズ!?」というエピソードが裏で言いたいメッセージだった。
余談になるかもしれないが、僕のシリーズには、『ミンキーモモ』に限らずマスコミを描いたエピソードが多い。
実は子供の頃、僕に関わる事で、新聞に誤報を書かれ、訂正をお願いしたがあっさり無視された事があった。
相手は大新聞で、その新聞で報道された事は、間違いがあってはならないのがモットーなのである。
たかが子供の事で訂正記事など書いていたら、新聞の信用に関わるというわけだ。
それ以来、マスコミの言う事は信用できない……が、僕のトラウマのようになってしまった。
だから、TV番組のやらせやねつ造は、許せないというより、当たり前だとさえ思っている。
マスコミの報道を鵜のみにして信じるほうがどうかしていると思ってしまうのだ。
だが、マスコミを全く信じずに、もしも本当のことが報道されていた時には、どう対処すればいいのだろう。
それが子供の頃から気になって仕方がないのである。
で、僕の関わったシリーズには、マスコミを描いたエピソードが目立つようになってしまった。
これは1990年代というより、どの時代にも通用する社会性を持った問題で、その問題は子供にとっても無縁ではないはずである。
なにしろ、今の大人たちのほとんどが、子供の時、新聞や雑誌より視聴覚的に影響力の強いTVを見て育った人たちなのである。
21世紀になると、それにゲームとインターネットが加わってくる。
21世紀の『ミンキーモモ』では、ゲームとインターネットの影響を題材にしたエピソードは、必ず出てくると思う。
もちろん、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』は、もともとファンタジーであり、メルヘンである。
そこに社会性を持ち込むのは筋違いかもしれない。
それでも、「海モモ」に1990年代の社会性を入れ込む事に、躊躇する事はなかった。
時代の流行を追うのではなく、時代と共存するファンタジーでありメルヘンでありたかったのである。
それが、いつの時代にも通じる普遍性を持つ事になると思ったからだ。
自然破壊により絶滅する蝶々が、人間に自力で飛ぶ事を教える、51話の「ばたばたバタフライ!」。
絶滅する動物達を冷凍しノアの方舟のような宇宙船で、宇宙に保管しようとする57話「冷たくしないで」。
「海モモ」のセミレギュラーとして登場する、なんでもかんでも冷凍したがる科学者アイリーンは、このエピソードのために、存在しているキャラクターだった。
「夢がなくなるくらいなら、それが悪夢でもあったほうがまし」と言って登場した悪夢のプリンセスが、愕然とするくらい夢のない世界を描いた55話「悪夢のお願い」。モモ達は、飢餓地帯の人に「夢を持て持てというけれど……その夢は食べられるのか?(つまり食料になるかという意味)」とまで言われてしまう。
ここまで、『魔法のプリンセス ミンキーモモ』のエピソードから「夢」がなくなっていいのか、という意見を言うスタッフもいたが、あえて続けた。
ただ、難しかったのは、社会性があり、かつ『ミンキーモモ』的な世界になじむ題材を見つけ出す脚本家がいなかったことだ。
そこが、「空モモ」のメイン脚本家と「海モモ」のメイン脚本家のある意味でのレベルの差だった。
世代の違いというか、育った世界の違いというか、TVで育ち、アニメとコミックが日常だった世代の脚本家には、自分を取り巻く社会というものに対する関心が薄く、それを書こうという指向性すらほとんど持っていないようだった。
それは、脚本家の責任ではなく、時代のなせるわざだろう。
一般から応募したプロットにも、当時の社会性を反映したものはほとんどなく、社会性があるとしたら、オタク的な世界を描いたものぐらいだった。
21世紀の現代は、オタクが完全に市民権を得ているから、オタクを描く事が社会を描く事にもなるだろう。
だが1990年代では、まだ、オタクを描く事が社会を描く所にまでいってはいなかった
結局、「海モモ」後半の社会性を帯びたエピソードのおおまかなアイデアは、ほとんど僕が出し、「海モモ」の世界に慣れてきた脚本家の人たちに書いてもらう事になった。
どんな脚本ができてきて、どんなふうに直したらいいか、僕にとっては、日々結果の分からない実験をしているような気持ちだった。
つづく
●昨日の私(近況報告というより誰でもできる脚本家)
脚本を書き終えた興奮で眠れなくなった時に、酒を飲むのは禁物である。
では、どうすればいいか。
脚本書きを仕事と割り切って、サラリーマンのように規則正しい生活をすればいい……と、言えば身も蓋もない。
仕事と割り切って脚本を書けるなら、書き終えた時に興奮して眠れなくなることもないだろう。
プロの中には、規則正しい生活をしながら、よい脚本を書いている方もいる。
仕事場を作って、サラリーマンのように通勤して脚本を書いている方もいる。
朝晩をきちんと家族と共に食べる習慣を身につけている脚本家もいる。
体のために、スポーツジム通いや、毎朝マラソンをしている方もいる。
それでいて書く脚本は素晴らしい。
それができる方たちは、プロ中のプロである。
僕は、そういう方たちには何も言えない。
ただ尊敬するのみである。
僕が今、話している相手は、脚本家と呼ばれだしてまだ間もなく、頭の中はいつも書いている脚本の事でいっぱいで、気分転換に散歩もできず、ろくに食事もできず、大好きなガールフレンドと楽しんでいても、ふと脚本の事が頭に浮かんでしまうような人である。
つまり、僕がそのタイプである。
スポーツをしていようと、映画・演劇・美術館・どんなに気晴らしになりそうなところにいても、頭の中に書く内容が引っ掛かっている。
こう言うタイプに一番いいのは、書きたくないものは書かない事である。
やりたくない仕事は断る事である。
僕は、随分、この方法で、不眠症やうつ病気味から救われたと思う。
だが、考えてみれば、これも身も蓋もない答えだ。
僕は、運良く奇跡的に、やりたい仕事や興味を引く作品に恵まれてきた。
だから、今まで続けられてきたが、そんな人はめったにいない。
新人の頃に気に入らない仕事を断っていたら、すぐに仕事がなくなる人がほとんどである。
それに、やりたい脚本だからといって書き終えた時にぐっすり眠れるわけではない。
やはり、書き終えた興奮で眠れない。
僕の長い経験上、そんな時に眠れる方法は、ひとつしかないような気がする。
体が眠くなるまで起きているという方法もあるが、人間、3、4日は、軽く起きていられる。
その間、頭はぼーっとしているし、食欲もろくにないし、時間的にも効率が悪いし、健康にもよくない。
そして、眠れたとしても快眠とはいかないようである。
どうしても書き終えた後の興奮が頭に残って、夢などに出てしまう。
眠れない時に眠る方法、それは率直に言えば薬で眠ることである。
睡眠系の薬である。
ただし、これには充分な注意が必要である。
それについては、次回にお話しようと思う。
つづく
■第100回へ続く
(07.05.16)
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編集・著作:
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