色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第121回 昔々……69 1994年その3 祝! 海外へ! その第一歩は

東京、寒いです! 4月ですよ? なんですか! この寒さは!
大方の人がそうであるように、我が家も冬物ダウンコート関係はすでに洗濯済みでしまい込んでしまっております。でも真冬ナミのこの寒さ、やはり冬物で対応? とか思いましたが、イヤイヤ、ここは春物重ね着で耐えきろう! と多少意地になっております(笑)。果たしていつまで続くんでしょうかねえ? この寒さ。
一方、アイスランドの火山噴火の影響で、ヨーロッパでは空の便が大混乱のようですね。軒並み航空機のフライトがキャンセルになってて、旅行の予定が吹っ飛んじゃった皆さん、心中お察しいたします。
そう言えば僕も新婚旅行で行ったギリシャ、エーゲ海のサントリーニ島で、強風のためアテネ行きがフライトキャンセルに。代理店通さず手配した旅だったので、全部自分らで乗り切らねばならず、慣れない英語で空港カウンターの職員とやり合った記憶が。で、急遽フェリーのチケットを取って、なんとかアテネにたどり着いたのでありました。
大波に洗われるサントリーニ島の波止場の、さながら難民状態の待合所。意気消沈した観光客でごったがえしていたのでした。僕らの隣ではフランス人カップルが携帯で電話をかけまくり。どうやらアテネからパリへの飛行機に間に合わないので変更をしようとしてたのだけどダメだったようで、微妙にプチ喧嘩状態になってたのが鮮やかに思い出されます。
東京のこの低温も、アイスランドの火山噴火も、どっちも僕らにはどうしようもない自然界のこと。こういう時、ああ、やっぱり人間なんてちっぽけだよなあ、と思います。でも、そんな自然を人類がコントロールできちゃったら、それはそれでなんか違う気がしますよね。

さてさて。
劇場版『DRAGON BALL Z 危険なふたり! 超戦士はねむれない』は、いつものように最後はチカラでねじ伏せて完成。後半はやはり韓国と中国の会社への動仕発注で作り上げました。なので、全体の約半分は太陽色彩の絵の具での彩色。太陽色での色指定もリテイク対応もさすがにだいぶ手慣れてきました。
しかしやはり太陽絵の具の発色の弱さはいかんともしがたく、どうしてもSTAC→太陽色彩で変換するには辛すぎる色については無理に換算しないで、その会社にSTAC絵の具を送って、STAC色で塗り上げてもらうようにしました。
これによって、かなり画面も作業効率もあがり、「ナンだったら、全部このやり方で韓国、中国に発注でもいいよね?」とか思うくらいでありました。
そんな『危険なふたり! 超戦士はねむれない』の制作の最中の2月、会社からある指令が僕に下ったのです。それはフィリピンのマニラにある「EEI-TOEI」への出張でありました。

EEI-TOEI ANIMATION CORPORATION——これは東映動画とマニラの地元企業EEIグループとの合弁会社で、東映動画作品の動画仕上などの作業を請け負わせるため立ち上げた会社です。今回の『危険なふたり! 超戦士はねむれない』の残り半分はここで作業したものでした。
ちなみに2010年の現在、EEI-TOEIは東映アニメーションの子会社となっていて、「TOEI-ANIMATION PHILIPPINES」となっています。
このEEI-TOEIへは、これまでに何回かに渡って、先輩方が長期出張で実作業の技術指導をしてきていましたが、ある程度安定してきたこの時点で、どうしても彩色上がりのリテイク率が下がらないのです。なので、その原因究明のための「視察」と「実作業の指導」が目的の出張、という話だったのです。
「え〜? 辻田クン、初海外がマニラなの?」と、やや呆れ気味に笑ったのは海外制作班の某通訳さん(苦笑)。そうです、実はこのマニラ行きが初海外なのでありました。実は、パスポート、『Coo』が終わった時に何となく取得はしてあったんですが、本当にそのパスポートを使うのはコレが初めて。現地に着けば現地に常駐してる日本人スタッフがいるんですが、行き帰りは基本1人旅。
『危険なふたり! 超戦士はねむれない』が完成するとすぐ、出張のための準備開始です。滞在日数は数日なので、取りたててヴィザは必要なし。空港での手順等のレクチャーを通訳さんからこまごまと。封筒に入った現地での滞在費と出張手当も受け取りました。
さらに「両替はね、ホテルでやっちゃダメだからね! レート悪いから。必ず空港内で少し、あとはスタジオ近所の『シューマート』でできるから」。ん? 「シューマート」? なんだ、それ。なんかよく解らないことばかりでしたが、「あとは向こうで祖谷クンと立仙クンに訊いて」。
行きも帰りも、荷物は身の回りの物だけではなく、仕事のカットがぎっしり詰まったジュラルミンのトランクが一緒です。それも複数個。仕事の荷物の他に現地人スタッフ、駐在スタッフへのお土産も大量に。その膨大な荷物を抱えて、着いた先のマニラ空港では税関手続きとかやらなくちゃならないわけです。しかも英語。ちょっとコレは緊張です。
中学高校大学とそれなりにやってきた英語ですが、読み書きはそこそこ大丈夫なんだけど、会話となるとほぼ未知数。日本にいて外国人相手に片言使うのとはワケが違う完全アウェーです。そして現地滞在先も現地のホテルとのこと。ここも当然日本語は無理な様子。ああ、英語かあ。もっとちゃんとやっておけばよかったなあ。

出発は3月14日。早朝5時大泉スタジオ発。大荷物と一緒にタクシーで箱崎のTCATへ。そこでリムジンバスに乗り換えて成田空港へ。第2ターミナル発のJAL便です。
ああ、初成田空港(笑)。TVドラマとかで見たことのある景色がそこに。そしてアタフタする僕(笑)。なんとか無事にチェックイン。出国審査も通り機上の人になりました。そして離陸。
5時間弱のフライトで僕はマニラに着きました。機を降りて各種手続きを終え、預けてあった荷物も受け取り、それをカートに満載して移動します。自動小銃を装備した警備員の間を抜けて、長い地下通路を進みます。そしてロビーの外へ。
ムワッ! と熱帯の熱気、そして肌の色の違うマニラの人たちの大混雑、飛び交う謎の言語。「ああ、外国だわ!」そのありさまに僕は圧倒され、息を呑んだのでありました。

第122回へつづく

(10.04.16)