第137回 昔々……81 1995年その1 瓦礫と倒壊の1月
この夏ずっと、可能な限り早寝早起きを心がけております。朝はだいたい4時から5時くらいに起き出して、仕事スタート。7時頃に朝ご飯を食べて、そのあとまた午前中いっぱい自宅で作業。打ち合わせなんかの外出は昼から。で、夜はだいたい11時くらいに寝ちゃう、という生活。これが見事定着してます。
朝のこれくらいの時間って、それはもう気持ちがよいです。静かだし、頭はさえてるし、仕事も倍くらい捗る気がしてます(←当社比)。
しかもなんと、余分だった体重が少しずつ減り始めましたよ。どうやら、早起きして活動して、お腹がすき始めたくらいにちゃんと朝ご飯、というのが良いみたいです。みなさんもお試しあれ。
そんな早起きで体感してるのが日の出の時刻の推移です。7月、8月は4時過ぎでもう明るかった空が、この9月には5時になってやっと明るくなるという感じ。ああ、もう「秋分」ですね。「秋分」を過ぎると、さらにググッと日の出が遅くなっていき、そして夕方、日の入りも段々早まっていくのです。
やっと季候も涼しくなりそうだし、いよいよ秋、って感じであります。ちょっと、寂しい季節に向かいますね。
さてさて。
年が明けて1995年1月。劇場版『DRAGON BALL Z 復活のフュージョン!! 悟空とベジータ』は、一応絵コンテも全部上がり、そこそこ順調に作業が進んでおりました。
劇場版『DRAGON BALL Z』というと、TVシリーズに比べて「よりハードな闘い」というイメージが、作ってる僕らにはあります。実際、毎回より強い敵が登場し、よりハードな闘いが繰り返されてきていました。激しい戦闘、崩れる山野に建物、爆発、そして炎上。確かに劇場版『DRAGON BALL Z』の魅力のひとつはそこにあるのですが、そのために毎回、画面の雰囲気が重く暗くなりがちでありました。
「明るくパステルっぽい色調で」と、山内監督。今回の『復活のフュージョン!! 悟空とベジータ』はこれまでの劇場版と違い、より明るくコミカルなテイストがより前面に押し出された作品になっておりました。
無邪気なジャネンバが結界を張った閻魔界は、無数の不思議なカラフルな球体が宙に浮かぶ、パステル調な明るい空間になりました。そこの中心にクリーム色系のぽわ〜んとしたジャネンバが居座っていて、悟空の執拗な攻撃をなんなくあしらっていきます。
一方、死者たちが生き返って大混乱の地上界も、いっさいリアルには描かず、キャラクターの輪郭線の外側を太い線の厚みでくくり、作画も色もすべてコミカルに作りました。これまでの劇場版『DRAGON BALL Z』では、爆発も煙もリアル指向でありましたが、今回のこの地上界においてはこれらもすべてマンガな感じに。明るいパステル系でまとめてあります。
ここ数作、劇場版『DRAGON BALL Z』の「主役」は悟天とトランクスのチビちゃんコンビでありました。確かに今回もチビちゃんたちは活躍するんだけども、でもお話の軸、闘いのメインは悟空とベジータなのだ、ということをハッキリさせるため、リアルな闘いの閻魔界と、コミカルタッチな地上界、という風に視覚的にキッチリ分けたのだと思います。
そんな感じで編集・アフレコに向けて作業が進んでいた1月17日未明、巨大地震が大阪・神戸・淡路を襲いました。阪神淡路大震災です。
その揺れは遥か東京まで届き、震度1ではあったものの、その揺れで目がさめた僕は、起きざまに点けたTVのニュースで「大変なコトになってるらしい」と知ったのです。それからはもう、TVに釘づけ。炎上する街、倒壊したビル、高速道路、民家、商店街。次々と届けられる映像に衝撃を受けました。出勤ギリギリどころかそれを過ぎてもまだ、ニュース画面を食い入るように見続けておりました。
いやあ、なんて言うか、リアルに瓦礫の映像です。僕らは日頃『DRAGON BALL』に限らず、アニメの中で瓦礫とか、建物倒壊とか、大災害な画面なんてのをよくやってますが、こうして本当に現実に起きているそれらの映像を見せつけられると、なんとも複雑な思いです。現実の重さを思い知らされました。
あの震災の映像を目の当たりにしたときに、正直「リアルに瓦礫や倒壊の映像を作るのイヤだな」と思ったのです。そして、もし、震災に遭われた子供たちが観たときに、リアルめにそういうシーンがあったとしたら、たとえアニメの中であってもイヤな気持ちになっちゃうんじゃないか? と。
そう考えたとき、「ああ、今回の劇場版『DRAGON BALL Z』、明るい画面、コミカルな部分多めに作っててよかった!」と。そんなことを思った1995年の1月でありました。
第138回へつづく
(10.09.21)