色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第148回 昔々……87 1995年その7 そして『DRAGON BALL Z』終焉の6月

もう、皆さんはごらんになりましたか? 映画「SPACE BATTLESHIP ヤマト」。僕は我慢しきれずに公開2日目にいそいそと観にいって参りましたよ。
感想はと言いますと、僕はかなり満足でした。……とか書いちゃうと、またみんなに「甘い!」とか言われちゃいそうですが(笑)。
正直言って、あのTVシリーズ全26話の長大なストーリーを2時間ちょっとの尺の映画でそっくりそのままリメイクしようったってそれは無理。実写化ってつまりは、エッセンスを汲んでいろんなものをそぎ落として、そして「一般化」する行為だと僕は思っております。その点においては、かなり頑張ってるな、と素直に思っちゃいました。大胆な設定の変更、古代進と森雪のキャラクターの性格も含めた「配置転換」は上手いなあと。他の登場人物たちも、とりわけ真田さんと斉藤は見事でありました。
ただ惜しむらくは、ヤマト自体を、宇宙戦艦としてのヤマト本体の映像をもっと観たかったなあ、ということ。雄々しいヤマトの勇姿はもちろんですが、痛んでいく姿、でも攻撃に耐えてなお前に進もうとするヤマトの映像をもっともっと観たかったですね。僕も商業用映像の制作者の端くれですので、作り手側のいろんな事情とかも想像できちゃうんだけれども、僕ら古株のファンはもうね、ヤマトという艦(ふね)自体を愛しちゃってるので、その辺の扱いが残念でしたね。

と、まあ、こんな感じに昭和49年10月の本放送第1話から欠かさず見倒しちゃった僕みたいな古株ファンがゴロゴロいる作品ですから、なにかとねえ、大変だと思いますよ(笑)。で、そんな僕らは、よくも悪くも省かれてるディティールとかもいろいろ補完して観ちゃうわけで、じゃあ、今回の映画が初「ヤマト」体験な若い人たちの眼にはどう映ったんだろうか。そんなことを考えます。そして、そんな若い人たちには是非とも、オリジナルの『宇宙戦艦ヤマト』TVシリーズ全26話を観ていただきたいな! と思うのであります。

さてさて。
とうとう週刊少年ジャンプ誌上での「DRAGON BALL」の連載の終了が決まりました。なんというか、「あ〜、とうとう……」という想いが僕の中にも大きかったです。そもそも鳥山明氏の漫画は「Dr.SLUMP」そして「DRAGON BALL」と、もうかれこれ十数年、いつも必ずそこにあったワケですよ。そしてそれがTVをはじめとするアニメになって、忘れもしない、僕がバイトで生まれて初めて塗った本番用のセルは『Dr.スランプ』のTVだったし、『DRAGON BALL』はTVとの関わりこそ薄かったけれど、劇場版について、とりわけ『Z』になってからは、だいぶ思い入れをもってここまでやってきてるわけです。
ちょっと余談なんですが、TVシリーズの方の『DRAGON BALL Z』、ジャンプの連載にどうしても追いついちゃうので、雑誌の発売待ってシナリオ構成に着手じゃ遅いんですね。でも、先のストーリーは鳥山氏の頭の中にしかないわけで。それで連載のネーム(コマ割りと台詞が入ったラフ)原稿を上がったところから順次、編集部から東映動画に送ってもらってたんですよ。で、それを僕ら、こっそり先に読めちゃってた。まあ、絵はないわけだからお話の展開だけですがね。
「原作の連載終わっちゃうんだから、TVも劇場版も遠からず終わりが来るんだよなあ」そんな気持ちが、思いもしなかった大きさでそこにあったのは事実であります。そして、いま僕らが作ってる劇場版『DRAGON BALL Z』が、たぶん最後の劇場版になりそうだ、という話になっていたのでありました。

さて、そんな劇場版『DRAGON BALL Z 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる』、例によって例のごとく、原作の中のどのあたりに起きたことになってるエピソードなのか? というところを確認することから始まりました。それによって、「いま現在、誰は死んでて、誰はまだ登場してない」とか「誰は復活してて、どんなワザが使える」とか、原作、そしてTVシリーズの進み具合との兼ね合いを図らなければなりません。毎度のことではありますが、これで変なことやっちゃわないように気を遣います。
とりわけこの頃は、前作でも登場した合体技「フュージョン」が盛んになってて、悟天とトランクスがやたら合体したがる(苦笑)。「まさか、今回も新たな合体技が出る?(汗)」とか思いましたが、それはありませんでした。ああ、よかった(笑)。実は僕、嫌いなんですよ、あの「フュージョン」。別に一緒にならなくっても、それぞれが個々に力を高めていければそれでいいジャン! ……というか、実はその競い合いが『DRAGON BALL』の本来の姿だったでしょ? とか僕はずっと思ってたのでした。

今回のポイントは夜のシーンばかりだということ。実は設定上、勇者タピオンに封印されたヒルデガーンは、タピオンが寝ちゃうと封印解けて出現するってことになってたのですね。なので、戦いのシーンはほぼ全部「夜」背景。全編通して、夜シーンが異常に長い作品となりました。
そして延々市街戦であったというところ。実は『DRAGON BALL Z』の劇場版って、これまでは極力市街戦を避けてきてたのです。というのも、街中で戦っちゃうといろんな建物とか破壊することになって、崩壊する建物の瓦礫だとか街中の人たちだとか、はなはだ作画が大変になる。で、どんなに大変でも、実はそれってお話の根幹にあんまり関係のない大変さだったり。それまでだったら「ここで闘うとみんなが危険だ!」とか言って、人里離れた場所に移動して戦ってたりしてたんですが、それを今回はそのまま都市の中で戦っちゃってたのです。
どうしてそういうシナリオになっちゃったのかは不明。逆にそういう展開にすることで、お話に変化をつけようとしてたのか? 確かにこれまでの劇場版『DRAGON BALL Z』とは絵面は変わって見えましたが、う〜む、どうだったんだろう? 僕としては、前作の劇場版『DRAGON BALL Z 復活のフュージョン!! 悟空とベジータ』の時の「リアルに瓦礫や倒壊の映像を作るのイヤだな」という想いもあったので……まあそんなにリアルではないにしろ、街中でドカンドカン戦いを繰り広げるのには抵抗があったのでした。だから正直言って、あんまり気持ちのノリはよくなかったのです。
そしてそれは微妙に色にも反映しちゃってる(苦笑)。市街戦での煙の色が僕史上1、2を争うほど微妙な色になっちゃってました。正直言ってキレイじゃない。確かに夜の戦いのシーンが多く、当然背景は夜の街。背景美術とのバランスで色を指定していってるのでありますが、少しずつ暗め&彩度低めの色ばかり使っておりました。暗いからといって、もっとキレイに見える色を使えなかったのか? と、実はあとから画面を見て反省しきりでありました。デジタル彩色の今だったら塗り上がりをササッと別色に変換できちゃうんですが、この頃は塗り上がりを直すのは、つまり最初から塗り直しということ。しかも大量な色あわせのカットを一気に色指定して、それが一気に塗り上がってくる、という時間的余裕のなさ。まさに暗い気持ちで塗り上がりの検査、そしてラッシュチェックに臨んだのは言うまでもありませんでした。
そしてクライマックスは黄色の龍の降臨! う〜む、さすがにもう話のネタも尽きちゃってる、そんなことをしみじみと痛感しておりました。

ともあれ、こうして劇場版『DRAGON BALL Z 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる』は6月末に完成。7月半ばに全国公開となりました。同時上映はたしか『SLAM DUNK』だったような。そしてこの作品が、やはり最後の劇場版『DRAGON BALL Z』となりました。とにかく、毎年2本のペースで作り続けて、『DRAGON BALL』時代からあわせて16本、そろそろ潮時でありました。
「この先、もう何年か経ってから、あらためてジックリと作りたいねえ、『DRAGON BALL』の劇場版は」そんな話を当時劇場スタッフの仲間内で話していた記憶があります。いずれにしてもこの「DRAGON BALL」という原作は、未来永劫、ずっと残っていく名作に違いありません。だから、いずれまたブームになることもあるだろうし、ひょっとしたら鳥山氏が続編とか描くかもしれない。そうなった時、それが何年先であっても、きっとまた復活するんだろうなあ、と思っていたのでした。いずれにしたって、いまはもう限界(笑)。いろんな意味で「休養」が必要なんだよなあ、と思っておりました。
しかし、その『DRAGON BALL』、意外な方向へお話が転がっていくことになるとは、その時の僕はまだ思いもしなかったのであります。

第149回へつづく

(10.12.14)