色彩設計おぼえがき[辻田邦夫]

第154回 昔々……92 1995年その12 そして人生初Macな7月

先週見事に風邪を引きまして、原稿を書いた翌日の朝、近所のお医者さまへ夫婦で行ってきました。え? 夫婦で? そうなんですよ! 実は奥さんも急に夜になって熱が出てきちゃいまして、で、夫婦そろって、ということになっちゃいました。
結果。奥さん、見事インフルエンザがヒットであります! 僕は残念ながら(←え?)ハズレ。で、まあ、夫婦そろって2日ほど自宅で療養ということになったのです。
な〜んかね、ビミョウですよ(笑)。夫婦で同時に風邪で休んでるっていうのは(笑)。なんとも落ち着きが悪いというか(笑)。結婚10年で初めての体験でありました。おかげさまで2人とも、週末前には見事回復です。
……ですが、あれ? 僕だけ昨日からまた熱が。風邪の症状が。あれれ? うう〜む……。

さてさて。
劇場版『DRAGON BALL Z 龍拳爆発!!悟空がやらねば誰がやる』の制作に並行して進んでいた9月スタートのテレビ新番組『ご近所物語』、原作者の矢沢あい先生の仕事場を見学させていただいた5月以降も、大体2週に1度のペースで集英社に出向き、先生との打ち合わせを重ねていきました。
「こんなにも原作者と打ち合わせを重ねるものなのか」と今回僕は正直驚いておりました。というのも、これまで僕が携わった「マンガ原作つき」の作品では、これほどまでに先生と何度もお会いするということはなかったからです。たいていの場合、原作のカラー参考を渡されて「これを参考に」っていうのが常だったからです。
もしかしたら、その席に僕が同席させていただけなかっただけで、他の作品の場合もこれくらいの頻度で原作者さんと打ち合わせを重ねていたのかもしれません。でも今回、関さんからも梅澤さんからも「色彩設計」というポジションの僕を大事にしてくれているのだということをヒシヒシと感じておりました。そして、矢沢先生もアニメーション化にそれだけ期待してくれているのだ、と思いました。なんとも、いいプレッシャーを感じずにはいられません。

キャラクターの色関係については前回(第152回)で紹介させていただいたような形で先生からの「掟」がありましたが、それ以外についても同様にかなり細かい丁寧な注意書きを矢沢先生からいただいておりました。それは僕らアニメーション制作のスタッフからの質問にたいする回答という形で答えたいただいたもので、各キャラクターを描く上での注意点や(例えば線の均一さに始まりそれぞれのキャラクターの等身のバランス、服装の注意点などなど)、キャラクター同士の人間関係の距離感、舞台になっている街のモチーフや、ミカコの住むマンションの間取りやミカコたちの通う学校・ヤザガクこと矢澤芸術学園の見取り図、さらには今後連載に登場する予定の重要人物のスケッチや、連載の最後はこういう形で終わらせたい、という物語全体の構想についても触れられていました。まあ、連載に関するあたりは当然、外部にはヒミツです。

6月いっぱいでなんとか劇場版『DRAGON BALL Z〜』をやり終えた僕に一瞬たりともゆっくりしてる猶予はなく、怒濤のごとく『ご近所物語』の作業へと突入していきました。ちょっと遅れ気味だったキャラクターの色見本作業と彩色設定の制作作業をしながら、各話の色指定の準備。そして毎日のように何らかの打ち合わせ。7月の10日までには第1話と第2話の美術打ち合わせまで終わらせておりました。
なぜそれほどに慌ただしくなっていたのかというと、この7月の12日から1週間、またしてもフィリピン・マニラのEEI-TOEIスタジオへの出張が控えていたからなのです。ただし、今回の出張は『ご近所物語』のためのもの。この『ご近所物語』、動画・仕上げのほとんどと背景の一部、そして撮影の一部を、このマニラのスタジオでまかなうことに決まっていたからです。普通に動画と仕上げだけならば取り立てて打ち合わせをということもなかったと思うのですが、今回は美術と、そして撮影までもマニラのスタジオでの作業があるため、やはり現地のスタッフといろいろ打ち合わせをしておいた方がよいでしょう、ということに。
なので今回のマニラ渡航は大所帯でありました。シリーズ・ディレクターの梅澤さん、美術のゆきさん、行さん、そして僕という『ご近所〜』な面々。「もしこの飛行機が落ちたら『ご近所物語』も落ちるよねえ」などという冗談も出てましたが(笑)。

出張の一週間は瞬く間に過ぎ、帰国した僕を待っていたのは、番組宣伝用のポスターと同じくスチール画の作業でありました。ポスターについては、マニラ出張前に色指定まで終わらせてあって、僕は帰国した翌日に塗り上がりをチェックして納品、という段取り。問題は番宣スチールは、すでに2、3点は6月に終わらせていたのですが、後半の追加分はやっとここから打ち合わせなのでありました。そしてその中にはなんと「コンピュータでの画像処理を加えたものを混ぜたい」というプロデューサーからのオーダーがあったのです。
「ん? コンピュータでの画像処理? どうすりゃいいんだ?」。先にも触れましたが、矢沢先生の作品の特徴のひとつに、コンピュータで描画加工したちょっとデジタルなカットやコマがありまして、それをこの『ご近所物語』のアニメーションでもちょっと見せていこう、というのがもくろみでありました。
さあ、いよいよコンピュータであります。Macintoshです。
この頃すでに東映動画の大泉スタジオの製作部には、AppleComputer社のPowerMacintosh8100AVというパソコンのセットが数台設置してありまして、一応誰が使ってもOKな感じに配してありました。詳しいスペックはもう忘れちゃいましたが、ハードディスクドライブがまだ800MBくらい、メモリも32MBだったか64MBくらいだったでしょうか? 今の最新マシンと比べちゃうと、その足下はおろか、同じ土俵にさえ上がれないような代物でありましたが、それでも当時の最新モデルのひとつであったのです。5月の終わりだったか6月のはじめだったかに一度、「こんな風に使うんだよ」的な講習に毛が生えた程度のものが開かれていて、まあ何となく使い方の「い・ろ・は」程度は一応教えられてはいたのですが、実際にはまだまだでありました。それでも「ゆくゆくはみんなこんぴゅーたになるんだろうなあ」というのフンイキをビシッと感じさせておりました。
確実に時代はデジタルに向かっていくだろうし、実際、家庭用ゲーム機にしたってデジタルでありコンピュータなワケですから、絵の具でセルを塗っていくような作業は、ボタンひとつで、とは行かないでしょうが、そう遠からずやはりコンピュータでの作業になっていくに違いない。ならば、そういう技術に置いていかれないように常に準備しておかないと。これは絶対大きな転換点になる。そうそう、なにより、山内監督にすっかりMacに感化されちゃってた僕なので、「これはやっぱり自分で持たないとな、Macを」となっていったのは自然な流れでありました。自分の機材を持って自由にそれを使えないとダメだろう、と考えました。そして、きっと僕はコンピュータが大好きになるんだろうなあ、という予感もありました。
そして、マニラに出張で出かける直前のこと、ちょっと大きな決断をしました。実はこの時期、親元から離れて「仕事部屋」と称してマンションの一室を借り、そしてその部屋になんとこのPowerMacintosh8100AVを買っちゃったのであります。

第155回へつづく

(11.02.01)