観ました!『サマーウォーズ』!!
第5回 どうかんやまきかく

 応援コメント、ということですが、筆者はこれまで応援ということをあまりしたことがないので何をどう書いたらいいのかよく分かりません。上映中の映画の応援であれば、読んだ人が劇場に足を運ぶようなことを書けばいいとは思うのですが、そんなコピーライターのような仕事は筆者には向いてません。なので、先日観てきた『サマーウォーズ』の感想の一片、ということで勘弁してください。
 細田監督が演出した『SUPERFLAT MONOGRAM』(2003年)の頃と記憶してますが、「細田守ほど、携帯電話を肯定的に描くアニメ演出家はいないなぁ」という印象を持ちました。アニメ映画を何度も監督している多くの演出家を思い起こしてみてください。携帯電話を「歪んだ現代文明」の象徴としたり、鳴らない電話に「現代社会の孤独」を見出したりするシーンが容易に想像できるのではないでしょうか。まあ、アニメファンの勝手な妄想ですけれども。
 肯定する、ということは否定するよりも難しいことです。『サマーウォーズ』の主人公、小磯健二くんの得意な「数学」で喩えていうのであれば、それは証明問題の難しさと言えるでしょう。何かを否定するには、反例をひとつ持ち出せばすみます。でも、何かを肯定するにはどんな場合でもそれが正しいことを言わなければなりません。これは地味な割に難しいことです。
 『サマーウォーズ』では、その「肯定する」視線が「家族」に向けられました。「家族」という手垢のついたテーマを「否定する」のは簡単です。既存の価値観に沿って「追認する」ことや、諦念を込めて「容認する」ことも簡単でしょう。でも「肯定する」のは難しい。ややもすると安易なノスタルジーに陥ってしまう。でも過去だけを肯定するノスタルジーは、現在の、そして未来の否定に他なりません。
 そういった「罠」を回避するためでしょうか。『サマーウォーズ』でも携帯電話、あるいはそれが象徴するディジタルなコミュニケーション・ツールを否定しませんでした。アナログを象徴する手紙との対比から否定的に見えてしまうかもしれませんが、そもそも手紙だって郵便制度という文明の発明があって成立しているツールです。この先、テクノロジーによってツールがどんな形態をとろうと、家族というネットワークは大して変わらない。変わらないどころかこんなにも「面白い」。むしろそういうことでしょう。
 と、いったことを淡々と文字に起こしたところで当たり前過ぎてツマンないですし、説得力はないでしょう。当たり前過ぎてツマンないことでも、アニメなら、あるいは映画なら面白く理解することができますし、細田監督による演出なら説得力もバッチリです。未見の方はいますぐ劇場に足を運びましょう(お……応援コメントっぽくなった!)。

●関連サイト

『サマーウォーズ』公式サイト
http://s-wars.jp/

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(09.08.20)