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アニメの作画を語ろう
animator interview
 井上俊之(1)
 井上俊之は、デビュー当時の『GU‐GUガンモ』で業界の注目を集め、以来、 『AKIRA』、『MEMORIES』、『GHOST IN THE  SHELL』、『人狼』、『BLOOD THE LAST VAMPIRE』、『千年女優』と、次々と話題作に参加し、素晴らしい仕事を残してきた。その作画の質の高さ、仕事の確実さから、「パーフェクトなアニメーター」とまで言われている。
 キャラクターデザイナーや作画監督になるよりも、むしろ、1人の原画マンとして「動き」を追究していきたいと考えているのだそうだ。現在は、より人間の動作を忠実に再現した、リアルな芝居を描く事を目標にしている。
 また、彼のアニメに対する愛情と造詣は、大変に深く、後進に対する指導にも力を注いでいる。「animator interview」第2回では、そんな彼の足跡と、作画に対する考えについてうかがう事にしよう。

●2000年12月5日
取材場所/東京・スタジオ雄
取材/小黒祐一郎
構成/小川びい、小黒祐一郎

PROFILE
井上俊之(Inoue Toshiyuki)

 1961年生。大阪府出身。アニメーター。専門学校からスタジオジュニオを経て、現在フリー。『GU‐GUガンモ』で頭角を現し、その後、『AKIRA』、『魔女の宅急便』、『MEMORIES』、『GHOST IN THE SHELL』等の作品に参加。昨年話題となった『人狼』では副作画監督を務めた。押井守をして「演出家要らず」「パーフェクトなアニメーター」と言わしめる実力者である。現在は、なかむらたかし監督の新作劇場作品に参加中。
 現在、Production I.Gで若手アニメーターを指導する「井上塾」を主宰。その講義の一部はProduction I.Gのホームページで読む事ができる。アドレスは以下の通り。
http://www.production-ig.co.jp/

【主要作品リスト】

小黒 昔の話から訊かせてください。そもそも、井上さんがアニメーターを志したきっかけは、何になるんですか。
井上 『未来少年コナン』を観た事だね(注1)
小黒 なるほど。
井上 それまでも、『ルパン三世』や『ハイジ』や『ど根性ガエル』を観て、いいな、とは思っていたんだけど、それは単にTVでやっている漫画を観ているというだけで、好きでアニメを観ているというわけではなかったんだよね。画を描く事も嫌いではなかったけど、別に美術部に入って画を描くというほどではなかったし。今考えると、非常に淡々とした高校生活を送っていた。ところが、高校2年の時に、NHKが、今度初めて漫画――まだアニメという言葉はなかったと思うんだけど――をやるというので、観始めたんだ。もう、最初から惹きつけられて、本当にあれほど毎週が楽しみなTV番組っていうのは、後にも先にもあれだけだったな。
小黒 そうでしょうね。
井上 それで、ちょうど同じ頃に、「アニメージュ」が創刊される(注2)。創刊号に、『コナン』の設定資料が小さく載っているんだけど、それを見て、「これは一体、ナンダ!?」と思ったんだよね(笑)。TVで放映しているものと同じ絵柄で、いろんなポーズや表情が描いてある。その頃は、キャラクター設定というものがあるという事すら知らなかったからね。「これ、なんだろう、誰が描いたものなんだろう」と思った。それで、「アニメージュ」の創刊号で、アニメーターという職業の事を知って、アニメーションの世界に急速に興味を持ってしまった。あの時、「アニメージュ」がなかったら、『コナン』を観ても、ただ、面白かったで済んでしまったかもしれない。
 それから、確か創刊当時の「アニメージュ」で『ホルス』の特集も組まれていたと思うんだ。そこで、『コナン』を作っている人と同じ名前を見つけるんだよ。「え? あの人がこれも作ってんの?」って。さらに、そこに掲載されている『ホルス』の絵柄にも惹かれる事になる。「岩の崩れ方が気持ちいいな」「塗り分けが潔よくていいな」とか。
小黒 早熟ですね。もう、すでにそういう感想を(笑)。
井上 うん(笑)。そうやって、大塚(康生)さん達の仕事に急速に傾倒していくんだ(注3)。すでに、アニメーターの引く線やフォルムに、凄く惹かれていたんだよね。
小黒 ちょっと待ってください。今、その『ホルス』の記事が載っている「アニメージュ」を探してみますね。

(本棚から当時の「アニメージュ」を引っ張り出す)

小黒 ありました。これですね。
井上 ああ、これだ。これ。懐かしいなあ。『ホルス』も創刊号だったか。そう、この特集を見て「波のフォルムがかっこいいな」とか思ったんだ。他のアニメよりも、自分の趣味に合うというかね。(パラパラと「アニメージュ」をめくりつつ)今から見ると、本編スチールじゃなくて、宣伝用に描きおろした画が多いね。……このマンモスのフォルムとかにググッとくるものがあってね(笑)。それから、確かファンがアニメの作り方を質問するみたいな記事があって……ああ、あった、あった。これなんかも記憶に残ってるな。ああ、創刊号にこういう記事があるんだなあ。……それから、創刊号に……ああ、これだ。
小黒 「アニドウ」の紹介記事ですね(注4)
井上 うん。ここに「FILM1/24」の誌面も掲載されているでしょ(注5)。そこに、小田部羊一さんの画が載っていて……(注6)。この小田部さんの画にも凄く惹かれた。ここに載っているページの続きが読みたいと思った。「FILM1/24」という本に、俺の知りたい事がぎっちり詰まってるような気がしてね。凄く手に入れたかったんだけど、当時の俺には、手に入れる術がなかった。
 それから3、4年経って、上京する前に、アニメアールの毛利和昭さんのところに遊びに行った事があってね。毛利さんがその「FILM1/24」を持っていたんだよ。その時には「これだ」って飛び上がって喜んだ。その時の嬉しさたるや、人生の中で最も嬉しかった事のひとつに挙げられるくらい(笑)。その時にコピーをとらせてもらったその記事は、今でも大事にしてあって時々、読み返すよ。
小黒 なるほど(笑)。いや、その気持は分かります。
井上 アニメに関する情報がまだ少ない時代だったから、そういう情報のひとつひとつが凄く嬉しくて。最初の頃のロマンアルバムを手に取った時も、凄く嬉しかった。最近は、あれほどの感動がなくて(笑)。
小黒 イカンですね。
井上 イカンですね。……まあ、そういう時代なのかも知れないけど。
小黒 アニメの情報に関しても、豊かな時代になったという事ですね(笑)。
井上 そうね。初めて『ホルス』を観た時には、凄く嬉しかった記憶がある。TVで放映された、画面の左右がカットされた放映だったけど。
小黒 『コナン』でアニメに目覚めて、「アニメージュ」の創刊でアニメの情報を得るようになって、その後はいろんなアニメをチェックしまくったんですか。
井上 いや、アニメならなんでもいいわけじゃなくて、俺が反応するアニメは、その頃からはっきり限定されていてね。「アニメージュ」で、大塚さん達が関連した記事を覚えて、関わったスタッフの仕事を、あれこれ観ていくわけ。その頃は、よく、東映長編を夏休みなんかにTVで放映していたから。そうやって確認しながら、どんどん追いかけるべき人を限定していったんだ。「あ、この人は『ホルス』に関わっているけど、自分が惹かれている部分には貢献していないんだな」とね。
小黒 そうやって決まった追いかけるべき人は、どなただったんです?
井上 大塚さん、宮崎(駿)さん、小田部さん……あとは、森やすじさん。それから小松原一男さんと……劇場版『銀河鉄道999』って何年だっけ?
小黒 1979年の夏ですね。『コナン』の次の年です。
井上 じゃあ、その時に金田(伊功)さんと友永(和秀)さんも知ったのかな(注7)。特に友永さんには惹かれてね。何しろ、大好きな大塚さんと一緒に仕事までしているわけだから。で、その頃公開された、『龍の子太郎』には、小田部さんの仕事として意識して、劇場に行ったから……。
小黒 『龍の子太郎』は、同じく79年の春ですよ。そりゃ、知識の進み具合が早い。相当なものですね(笑)。
井上 そうやっていっぱい観て、「これのこのカットがいいのは、きっとこの人だろう」と想像したんだよね。いっぱい観ると、よいと思った作品に共通したスタッフが参加している事が分かってくるじゃない? そうやって推理を重ねつつ、「きっと、この人とこの人が、俺の好きな部分を描いているんだろうな」って。
 そうやっているうちに、もう高2の終わりぐらいには、「アニメーションの仕事をするんだ」って決めていたんじゃないかな。受験勉強を始める時期だったから、周囲に反対されたはずなんだけど、もう目もくれなくてね(笑)。こう言うと生意気みたいだけど、不思議と、「絶対にアニメーターとして上手くいくんだ」っていう、盲目的な確信みたいなものがあったね。
小黒 『カリ城』が1979年の暮れにありますけど、それは井上さんに影響していないんですか?
井上 うん。それはもうあんまり大きな事じゃない。大塚さん達がやったら素晴らしいものになる、っていうのは当たり前の事だから、「相変わらず素晴らしい」というふうに観てて(笑)。むしろ、テンションが落ち着いてしまったな、とすら思ってた(苦笑)。
小黒 確認しておきますけど、それは映画としてではなくて、アニメーションとして、なんですよね。
井上 あ、勿論、作画の事ですよ。『カリ城』よりも、俺のアニメーター心をくすぐったのは、むしろ劇場の『999』。友永さん達の執着心や活気を感じたなあ。だから、『コナン』と『999』で、きっかけとしてはもう充分だった。
小黒 なるほど(笑)。
井上 俺は金田さんよりは、どちらかと言えば、友永さんに惹かれていたね。東映長編時代の人達はすでに雲の上の人という感じがあったから、若い自分としては、今まさに脂が乗ろうとしているエネルギッシュな人として、友永さんに憧れていた。凄い作画をするんだっていう熱意が画面から滲み出ていてね。今でも、心の師匠と言うか、ずっと追い求めている人ではあり続けている。
小黒 なるほど、そうやって、アニメの知識を深めると同時に、アニメーターとしてのステップアップも始まっていたんですね。
井上 その後、専門学校行ってからだね、なかむらたかしさんを知るのは(注8)。周囲で『Gライタン』は凄い、って言われていたんだけど、俺にとっては目標は大塚さんとか友永さんとかで充分で(笑)、「それより凄い人がいるわけがない」って、どっか高を括ってるとこがあって、目に入らなかった。ところが、たまたま「大魔神の涙」の回を観たんだよ。その時の驚きたるや、もう、「ちょっと一旦、友永さんは置いといて」って思うぐらいのものだったね(笑)。しかも、あれは丸々1本、1人で原画を描いているじゃない。その頃は、既にそれがいかに凄い事か、その意味も分かるから。それがちょうど上京する直前で、アニメへの熱意も、さらにはっきりと深まった。
 俺がアニメに目覚めてからそれまでの3、4年の間に接した事のない、「アニメの快感」みたいなものが、そこにはあったんだよね。それは大塚さん達が持っていない、作画の快感だった。とにかくもの凄く興奮した覚えがある。周囲のみんなにも「観ろ! 観ろ!」って熱心に勧めたし。アニメを観て、あれほど興奮するのは多分、次は、磯(光雄)君を観るまでないんじゃないかなぁ(笑)。(注9)
小黒 確かに、なかむらさんの作画は、それまでに観た事のないアニメーションでしたね。で、上京されて?
井上 入るプロダクションは、俺が好きな人達と関連があるところと決めていたんだよ。だから、オープロとスタジオジュニオのどちらかに入ろうと思っていたんだ。そのふたつが、元はひとつのプロダクションだと知っていたからね。
小黒 ハテナプロですね(注10)
井上 そう。人的交流もあるだろう、友永さんにも会えるかな、なんて甘い事を考えていたんだよね。オープロは、先に就職活動した同期生から、すでに席がないようだという話を聞いていたから、それならば、ジュニオにしよう、と。それでジュニオにクロッキー帳を持っていったんだ。
 当時は、俺はいわゆるアニメっぽい画はほとんど描いてなくて、クロッキーばかりやっていたんだよ。クロッキーも好きだったんだよね。それは多分、なかむらさんが好きな心とどこかでつながっているんだろうけど。後から分析すればね、なかむらさんも、クロッキーとかエゴン・シーレのデッサンとか、そういうもののいい部分をアニメに巧い具合に持ち込んでいたと俺は思うんだよ。勿論、当時はそんな事は考えもしなかったけど、アニメにはクロッキーが必要だな、とどこかで感じていたのかもしれないね。アニメはいろんな画を描かなきゃいけないから、何かの色に染まっちゃいけないんだ、とは意識していたな。だから、当時から、あまり顔は描かないようにしていたしね。今でも顔を描きたいとは思わないんだけど。
小黒 ああ、そうなんですか。へえ。
井上 ともかく、ジュニオの社長にクロッキー帳を見せたら、ひどく感心された。もっとも、こちらは、それにそれほど感激する事なく、「そんなのは当然」なんて思っていたんだけどね。生意気だよね(笑)。それで、ジュニオに入る事になって、同期の4人ぐらいで上京するんだよ。ちなみに、それが、梶島正樹、佐藤豊、三宅和彦と、後に海洋堂に入るボーメ(注11)
小黒 初の原画は何になるんですか。
井上 『ストップ!!ひばりくん!』。それを3本やって、そのあと『伊賀野カバ丸』をちょっと手伝って、それから『GU‐GUガンモ』をやるんだよ(注12)
小黒 もう活字にしてもいいですよね? キャラデザインの話は。

●「animator interview 井上俊之(2)」へ続く

(注1) 『未来少年コナン』
1978年4月から同年10月まで放送。制作/日本アニメーション、監督/宮崎駿、キャラクターデザイン・作画監督/大塚康生。本文中にもあるように、NHK初の30分連続シリーズのアニメである。
(注2)「アニメージュ」
徳間書店が発行しているアニメ雑誌。1978年6月に、日本最初の月刊アニメ専門誌として創刊された。
(注3) 大塚康生
東映動画発足時より活躍するアニメーター。代表作に『太陽の王子ホルスの大冒険』、『ルパン三世[第1作]』等がある。現在は、テレコム・アニメーション・フィルム等で後進の育成にあたっている。
(注4) アニドウ
プロのアニメーターの親睦団体として発足した、日本でも有数の歴史をもつアニメファン組織のひとつ。
(注5) 「FILM1/24」
アニドウの発行している機関誌。「アニメージュ」創刊号には、「FILM1/24」の『母をたずねて三千里』の記事の誌面の一部か小さく掲載されていた。
(注6) 小田部羊一
東映動画出身のアニメーター。『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』等のキャラクターデザイン・作画監督で知られる。
(注7) 金田伊功、友永和秀
共に当時、派手なアクション作画でファンを魅了したアニメーター。金田伊功の代表作は『大空魔竜ガイキング』、劇場『幻魔大戦』、『銀河旋風ブライガー』のオープニング等。現在はハワイでCGによる劇場作品の制作に参加。友永和秀の代表作は『マグネロボ ガ・キーン』、『ルパン三世 カリオストロの城』、『名探偵ホームズ』等。最近作に『CYBERSIX』がある。
(注8) なかむらたかし
前回の「animator interview」を参照。
(注9) 磯光雄
劇場『おもひでぽろぽろ』、『新世紀エヴァンゲリオン』などで知られるアニメーター。
(注10) ハテナプロ
永樹凡人、香西隆男、小泉謙三、我妻宏の4人が東映動画を退社して1964年に設立した、外注スタジオの草分け的存在。オープロダクションやスタジオジュニオはここをルーツとするスタジオ。そのため、井上俊之は、ジュニオと、友永和秀が所属していたオープロとが当時でも交流があるのではないかと思ったのだ。
(注11) 梶島正樹、佐藤豊、三宅和彦、ボーメ
梶島正樹は『天地無用!』シリーズの原案・キャラクターデザインで知られるアニメーター。佐藤豊は『それいけ! アンパンマン』などで活躍する演出家。三宅和彦は『Bugってハニー』などで活躍したアニメーター。また、ボーメは海洋堂の造形師として有名である。
(注12) 『GU‐GUガンモ』
1984年3月から翌年3月まで放送された、東映動画制作のTVアニメ。原作は細野不二彦の同名漫画。スタジオジュニオ、スタジオジャイアンツの若手アニメーターが腕を競い、傑作、異色作を残している。取材中で話題になっている北久保弘之も原画で参加。85年春に公開された同名劇場作品は、井上俊之が作画監督を務め、原画にはイキのいい若手アニメーターが多く参加し、画的な見応えのあるフィルムとなった。
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