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アニメの作画を語ろう
animator interview
 井上俊之(2)

井上 ああ、もう時効でしょう(苦笑)。表向きはキャラデザインは社長(香西隆男)の名前になっているんだけど、実は、俺と梶島がやっているんだよね。
 当時、社長は忙しくてね。それで、社長から『ガンモ』の原作本を渡されて、「これからキャラ表にできるような表情を拾って、スケッチしておいてくれ」と頼まれたんだよ。それで、3日ぐらいで、「半平太は俺がやるから、つくねは梶島」みたいな感じで手分けして、メインキャラクターの表情とポーズのスケッチ集を作ったんだ。こちらは当然、社長が清書するもんだと思っていたんだよ。ところが、しばらく経ったら、社長に渡したスケッチ集が、そのままキャラ表になって戻ってきた。
小黒 ラフなまま?
井上 うん、そのまま。無茶苦茶だよね。まあ、ちゃんとお金は貰えたからいいけど。いや、そういう問題じゃないか(笑)。「東映の人に見せたら評判がよかったから」って社長は言い訳していたけど、ひょっとしたら確信犯じゃなかったかなあ。
小黒 で、『ガンモ』での活躍が始まるわけですね。
井上 うーん……活躍かなあ? ただ、当初はあまり張り切っていたわけでは、実はない。その前に、何回か原画をやって、意外に思うようにいかないという気持ちが強かった。ほら、すぐにでも、友永さんみたいに描けるようなつもりでいたから(笑)。何かが足りないと感じてたんだけど、その足りない何かが分からなくて、「単に自分に才能が足りないんだ」って思いかけていた。どこか冷めていて、外との交流もあまりなかったし、特定の誰かに見せてやるとか、「これを誰かが観るんだ」っていう意識もなくて――ひどい話だよね。実際には、視聴者が観ているんだけど(笑)――手応えみたいなものが薄かったな。北久保(弘之)との出会いがあるまでは(注13)
小黒 北久保さんと知り合ったのはいつ頃なんですか。
井上 彼は、当時、ネオメディアにいたか、それともスタジオMINをみんなと始めた頃だったかと思うんだけど。ネオメディアに、俺と専門学校で同期だった伊藤浩二がいて、彼を介して知り合ったんだ(注14)。「君に会いたがっている男がいる。『ガンモ』の1話を観て感激してる」って聞かされて凄く意外だった。「え? 俺の仕事を観てる人がいるの?」という新鮮な驚きがあったな。それが嬉しくて、「じゃあ、次は、もっとびっくりさせてやろう」とか、「こんなのを描いたら、北久保はびっくりするかな」とか、意識しながら描くようになるんだよ。
 『ガンモ』の1話の時は、「変じゃなければいいや」ぐらいの、冷めた気持ちだったから、ひょっとしたら、北久保達に出会わなければ、かなりテンションが下がったまま過ごしたかもしれない。
小黒 テンションが上がったのはいつ頃からなんですか。
井上 いつぐらいかな。「運動会」の話ははっきりハッスルしている記憶があるよ(注15)
小黒 ハッスルしてますね。描きまくってますよ。
井上 あと、ハッスルしたきっかけはもうひとつあって、それが志田(正博)君達の原画を見た事なんだよ(注16)。たまたま、東映でスタジオジャイアンツの原画を見る機会があったんだよね。それはなんて事はないカットだったんだよ。確か、鞄が玄関に置かれるだけのカットでね。1話の頃の俺だったら、流してしまうようなカットなんだ。鞄が画面に入ってくる画と置かれた画の原画2枚で済ましてしまうようなね。ところが、これが、原画が何枚も描いてあって、鞄も丁寧に、パースもしっかりとってあった。「こんなカットも、これだけ一所懸命描くものなんだ」っていう衝撃を覚えたね。どのカットも取りこぼしたくないという意識に満ちていた。それで、一工夫すれば、どんな些細なカットでも結構面白くなるんだ、って気づかされた。
 それからかな、北久保のところへ行って、彼らの執着心の固まりみたいな原画を見せてもらって触発されてね。「ああ、俺ってこんなもんか」と冷めかかっていたのが、「あ、頑張りが足りんだけだったのか」とようやく気がついた(笑)。そうやって若手でバリバリ描いている連中と知り合って、そいつらが俺の仕事を気にしていると自覚してからは、かなり頑張るようになった。自分に足りなかったものが何か分かったんだよ。勿論、色々足りないんだけど、何より、一番大事なね、執着心みたいなものが欠けてた。それが分かったんだよね。
小黒 『ガンモ』では、枚数の制約が多いところを色々工夫してカバーしてましたよね。ゆっくりした動きを2枚のオーバーラップにしたりして。
井上 率先してやっていたかな。あとは、顔のセルに閉じた口を描き込んでおいて、それを隠すように口パクが動けば、1枚省略できるとか。そうやって動かすところにいかに枚数をかけるかって工夫してた。
小黒 そうでしたね。作画の枚数制限の限界に挑んでいる感じでしたよね(笑)。動かすと言えば、背動(背景動画)、多かったですね。
井上 流行っていたね。背動をいかにダイナミックに、臨場感をもって描けるかっていうのは、当時の若いバリバリのアニメーターにとっては必要不可欠な事だった(笑)。1話でもやっているなあ(注17)。階段を降りる時に、カーブを切るんだけど、それは当時では珍しかったんじゃないかな。あと、フレームの中に(カメラアイとなっているキャラクターの)手を入れるというのもやったね。主観なんだから、手前から手が入ったっていいじゃないか、と思ってね。1話では、カーブを切る時に、凄い勢いで階段を降りてくるから、壁に手を着くんじゃないか、と思って、手を入れたんだよ。15話で洗濯物をかき分けながら進む背動の時にも、フレームに手を入れている。あれは、誰かの影響じゃなくて、自分の発明かなあ。
小黒 『ガンモ』の後は、何になるんですか?
井上 映画の『ガンモ』があって……。その時点で、うつのみやさとるに出会うんだよね(注18)
小黒 あ、その頃に。
井上 うん。実は、うつのみやの原画の巧さは、その前から知っていた。『アニメ 80日間世界一周』っていう、合作のアニメがあって、その総作監をウチ(ジュニオ)の社長が務めていた。だから、各話の原画が全部社長のところにくるんだよ。それで、「巧い原画があるから、見ろよ」という形で見せてもらったのかな。キャラは恐ろしいぐらいまでにキャラ表と違うんだけど、巧いんだよね。国内で放映されていないから、名前を確認する術がなくて、タイムシートのところに「う」ってサインが入っているから、スタジオでは、「う」さんって呼ばれていた(笑)。ちなみに「も」さんという人も巧くて、それは今、演出家をやっている森川滋さん。
 で、俺が、映画『ガンモ』をやりに東映に行って、その仕事が終わって、スタジオに戻ってきたら、そこに「う」さんがいたんだよね(笑)。それが、うつのみやだった。
 聞くと、俺の『ガンモ』を観て、「ジュニオに巧い奴がいる」っていうんでジュニオに興味を持って来たっていうような話で、またまた感激する事になるわけ。それで、一緒に『タイムギャル』に参加する事になった。そこで、うつのみやの巧さに直に触れて、メラメラとライバル心のようなものが芽生えるんだよね。
小黒 ほほお。
井上 ほぼ同世代で、しかも身近で、直接見事な描きっぷりに触れた事が大きかった。業界に才能のある人は勿論たくさんいるんだけど、直接その仕事に触れる事はそれまではほとんどなかったから、凄く刺激になった。

●「animator interview 井上俊之(3)」へ続く

(注13) 北久保弘之
劇場『老人Z』や、劇場『BLOOD THE LAST VAMPIRE』の監督として知られる演出家。当時は、『うる星やつら』等の作品で、若手のアニメーターとして大活躍していた。
(注14) 伊藤浩二
主にメカ作画監督として活躍。近年の作品に『マクロス7』、『銀装騎攻オーディアン』、『魔装機神サイバスター』等。
(注15) 「運動会」の話
『GU‐GUガンモ』第26話Bパート「リンダVSブリッコ!!ついにきた運動会」。アクションの多いエピソード。
(注16) 志田正博
当時、スタジオジャイアンツ所属のアニメーター。現在では別名で活躍中。当時のスタジオジャイアンツは、音無竜之介、摩砂雪、鈴木俊二などの俊才がしのぎを削っていた。
(注17) 1話でもやっている 
『GU‐GUガンモ』第1話Aパート「なんだ?どうした!?不思議なガンモ登場」。冒頭の、半平太とつくねがトイレを争う場面の事。
(注18) うつのみやさとる
OVA『御先祖様万々歳!』のキャラクターデザイン・作画監督で知られるアニメーター。詳しくは「animator interview」第3回で。
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