小黒 うつのみやさんは、具体的にはどう巧かったんですか?
井上 画を動かすという事に関して、本当に才能があった。端から見ていると、なんの苦労もなく、画にする事ができるんだ。まず普通なら「どんな動きにしようか」と試行錯誤したり、1枚1枚の画に苦しんだり、あるいは描いてみてから、タイミングが違うとか、描くべき画じゃなかったとか気づくんだけど、そういう事がない。描き始める前にほぼ全部掴んでるような描き方をする。淀みなく描くんだよ。しかも描かれた動きは鮮やか。「この画がまずかった」と消して直すような事もない。で、早く仕上がるかっていうと、そうでもなくて、俺と同じか、むしろ遅いぐらいで。それはなぜかというと、描いてから、もっと面白い事を思いつくと、それまでに描いたものを捨てちゃうんだ。
本当に才能がある人は、そんな芸当ができるのか、と思い知ったね。それまで、身近にそんな描き方をする人はいなかった。「描けない動きはないんだ」みたいな自信に満ち溢れているし、実際に描く。もっとも、キャラは似ない。似ないどころか顔なんて、真ん丸なんだけど(笑)、でも、アニメーターに必要な、ありとあらゆるアングルをものにできる、という、そういう才能に溢れていた。
はっきり、俺は「負けている」って思ったし、それで、なんとかうつのみやをびっくりさせるような原画を描いていくんだ、って思ったね。
小黒 そうなんですか。
井上 うつのみやはジュニオをすぐに辞めてしまうんだけど、その後も交流は残るんだ。それでしばらくは、うつのみやの事を意識しながら仕事をした。正直な男で、辛辣なんだ。ちょっとでも俺が手を抜いた原画を描くと、手を抜いた部分を鋭く指摘してくる。だから、うつのみやの前では手が抜けない。また、人の原画を見たがるし、自分の原画を見せたがるんだよ。逆に、いい原画を描くと、本当に誉めてくれる男でね。だから、凄く刺激になった。
うつのみやは、その後、梅津(泰臣)さんと出会い、『アリオン』で稲野(義信)さんと出会って、感銘を受けて、それまで漫画チックだった絵柄が急速に変わっていくんだけど。そうやって凄い進歩を遂げるのを間近で見て、置いていかれないように、ってこちらも頑張った。
小黒 本当にライバルとして意識されていたんですね。
井上 うん、意識していた。ああ、それで、今思い出したんだけど、原画になったばかりの頃、これまでの話とは別に、意識していた人がいたんだよ。それが森本(晃司)さん(注19)。
『スペースコブラ』の放映をかなり衝撃を持って観ていた記憶があるよ。森本さんが、専門学校の先輩だって知っていたから、余計に意識した。『コブラ』の1話で、一番気になったところは、森本さんの仕事だったんだ(注20)。そんなわけで、うつのみやに出会うまでは、追いつきたいと思って、森本さん達、あんなぷるの仕事を熱心に見ていた。
小黒 森本さんのどういうところがよかったんですか。
井上 俺の好きな、大塚さんとか、友永さんとか、なかむらたかしさんの仕事を、もの凄くいい形で取り入れて、原画を描いてたっていう印象があった。俺のやりたい、俺の理想の原画を、森本さんが先に描いちゃっているという感じがあったんだ。
当時の森本さんは、『コブラ』を観れば分かるけど、凄く粘っこくて、ハッスルした原画を描いていたんだよ。今思い返すと、『ガンモ』をやってがっかりしたのは、森本さんのように描けなかったという事もあったのかな。
小黒 なかむらさんの仕事を取り入れて、とおっしゃいましたが、井上さん自身が『ガンモ』ですでに、ちょっとリアルな感じで描いてますよね。
井上 それはもう、そうだよね。もう『ウラシマン』も『幻魔大戦』も観ているんだから。あの洗礼を当時の若手が、避けて通る事はできないよ(笑)。まあ、なかむらさん的なフルアニメ志向は、現実的に枚数の制約があって、不可能だから、そこはAプロ的なタイミングに置き換えて(笑)。(注21)
小黒 あと、『ガンモ』の頃は森山(ゆうじ)さんの影響もあります?(注22)
井上 あるね。『うる星やつら』をかなり意識しているよね。表情なんかは、凄く『うる星』的だと思う。
小黒 という事は、なかむらさんのリアル感と、Aプロ的なタイミングと、森山さん的なキャラクターの処理が、井上さんの『ガンモ』だったんですね。
井上 うん……だったし、それをなし得なかったのも『ガンモ』だね。
結局、ずいぶん後までコンプレックスがあったな。自分が好きだった人――大塚さん、宮崎さん、小田部さん、それを引き継いだ友永さんとか、全然別のとこから出てきたなかむらさんとか、それらを巧く取り入れて消化した森本さんとか、あるいは森山さんとか――そうした人達の作画には、いつも及ばないっていう感じが、ずうっとあったね。
小黒 それが払拭できるのは、いつ頃なんですか。
井上 うーん。『くじらのピーク』かなあ(注23)。その頃になると、そういう事があまり気にならなくなるんだよ。
小黒 という事は、『AKIRA』の頃は、まだコンプレックスがあった。
井上 そう。あの頃も、まだ「なかむらさんや森本さんのように描けないな」と思っていた。ただ、その頃になると、例えばなかむらさんの『迷宮物語』の「工事中止命令」を観て、不満は感じるようになっていた。凄いクオリティではあるけど、「何か欠けてるな」っていう感じは、はっきり観た時に思った。大好きな、なかむらさんと森本さん、お2人の仕事だからね、それまでなら「なかむらさん万歳」「森本さん万歳」だけだったんだろうけど、そのコンビの仕事に初めて不満を覚える自分がいたんだ。
小黒 具体的にはどういうところが不満だったんですか?
井上 これはその時点では分からなくて、後にはっきりするんだけど、キャラクターの仕草や芝居についてなんだ。芝居のリアリズムみたいな点について、不満を感じていたんだよ。技術力の高さや巧さは認めるし、当時の俺には到底あんなものは描けるわけがないんだけど、それでも、違和感があったんだよね。だから、その頃、やっと自我が芽生えたんだろうね。
その頃、アニメーターになって、6、7年経ってたと思うんだけど、ようやく自分が分かってきたという事かな。今までは自分のできない事でもやってみたいと思っていたけれど、できない事もはっきり分かってきた。その代わり、自分のよさみたいなものにも気づき出したのかな。それで、そういう観点から観て、ようやく自分の好きだった人達の仕事にも、不満が持てるようになってきた。
そういう意味では、『AKIRA』を経たのも大きいね。じっくり1年間かけて描いてみたお陰で、今まで好きだったアニメに足りないもの、自分にできる事できない事、努力すればなんとかなる事そうでない事、その見極めがついたと思う。
今の若い人にはね、「TVをやってたくさん描きなさい」って勧めているんだよ。早く考えを決めて、早く画にするっていうのは大事な事だからね。でも、それとは別に、腰を据えて、自分の限界を探るという事もどこかでやらないとダメだと思う。それが、自分にとっては『AKIRA』だったんだろうね。自分が本気で描いたらどのぐらいになるのか、って察しがついた。
小黒 自分が分かってきたというのは、具体的にはどんな事なんでしょうか。
井上 うーん、それは言葉にはしにくいな。やりたい事がはっきりしてきたというか。その当時に、それを具体的に思っていたわけじゃないけど。
例えば、人間が何げなく鼻のところに手を持っていく動作って、意識的に手を動かした時の動作とは明らかに違うよね。だけど、今まで巧いと言われている人でも、それを同じものとして動かしていたように思うんだ。「アニメ的なタイミング」としてね。多分、そういった、さりげなさみたいな部分も含めて、人間の生っぽい芝居を描きたいと思うようになったという事かな。
小黒 じゃあ、できないと分かったというのは?
井上 それも言葉にするのは難しいんだけど……例えば、あんなぷる時代の森本さんというのは、非常に意表をついた原画の描き方をするんだよ。そういう人を驚かすような原画の描き方は自分にはできない。勿論、その思想というか、姿勢は今でも見習おうとしているんだけどね。つまり……発明というか、閃きだよね。どんなに巧くとも、スタンダードな原画を描く人もいるわけ。そういう人に比べると、森本さんは、なんでそこにそういう原画が入るのか分からないような画を入れるんだよ。言葉にすれば、「こっちの方が、快感があるじゃない」としか言えないような理由でね。それは才能がそうさせているから、真似しようがない。勿論、エフェクトの消し方とか送り方とか、些末な技術は真似できるよ。でも、「こう(動きを)割ったら、面白いでしょ」という大本の発想は真似できないんだよ。俺が思うに、大平晋也君とか、磯君だとか、そういう閃きのある人は限られている(注24)。
小黒 磯さんのお名前がさっきから出ていますよね。ここで、井上さんの磯さんについての印象について話してもらえますか。
井上 最初に磯君の仕事に出会ったのは、『鬼太郎[第3期]』の「魔女ジニヤー」の回かな(注25)。
小黒 はいはい。当時「アニメージュ」で記事になっていますよね。
井上 あ、それで俺も磯君の名前を知ったのかな。『魔女の宅急便』をやっている時に、なかむらさんから『ピーターパンの冒険』を手伝ってくれと頼まれたんだよね。忙しくて断ったんだけど、その時に、「誰かいい原画はいないか」と訊かれて、磯君の名前を出した覚えがある。まだ、1本しか観た事なかったのに(笑)。
小黒 あの時の磯さんの仕事は、井上さんに似ていましたよね。自分に似ているとは思わなかったんですか?
井上 ちょっと感じた。でも、俺より巧いと思った(笑)。俺が取り入れようと思っても取り入れられなかった稲野さんのテイスト――あれは、本当に画が巧くないと取り入れられないんだよね――を巧みに取り入れていて、動きに切れと冴えがあった。しかも、今言った、閃きがあったね。でも、まだその時はそんなには驚かなかった。
小黒 あの時の磯さんは、リミテッド志向がありましたからね。
井上 うん。その後に、『ガンダム0080』を、うつのみやの家で観る事になる(笑)(注26)。ちょうど『御先祖様万々歳!』の1話ができたというので、見せてもらったんだよ。それに併せて、あいつも凄い男で、『ガンダム』の磯君のところだけをダビングしていてね(笑)。「『ガンダム』で凄いのがあったから観る?」って言って、見せてくれたんだ。その時には磯君の名前が出たかどうかは覚えていないんだけど、はっきり衝撃を受けた覚えがある。「凄い天才が出てきたな」って。
その後、多分、時間はそんなに隔てないで、磯君のやった『ピーターパン』を観る事になるんだよ(注27)。それはもう、はっきりと、リミテッドじゃなくなってたね。あるキャラクターが怖がって何か蓋のようなものを頭に被るという芝居だったんだけど、今まで俺が描いてきたようなやり方では描きえないような動きになっていた。
どうやって描いているのかと思って、ちょうどその回の作監だった沖浦(啓之)君に訊いたんだけど、「なんか全部、原画で描いていたよ」と言うんだ(笑)(注28)。それを聞いて、「そんな描き方があったのか!?」と思ったね。と同時に「そんなやり方で動きをコントロールできるのか? 本当に描けるのか?」とも思った。
小黒 それについては当時、磯さんに直接伺った事がありますよ。それを磯さんは「自分が発明した『フル3コマ』だ」って言っておられたと記憶しています。『おもひでぽろぽろ』のドン・ガバチョも、同じ手法じゃないですか。
井上 ああ、そうなんだ。確かに、あれは一種の発明に近い。それ以前にはどんなに巧い人でもそういう発想はなかったからね。それに、そもそもフル3コマで描くべき動きをイメージしていないから、フル3コマである必要がなかった。頭の中にあるイメージが、全原画を必要とする動きじゃなかった。遡れば、昔のディズニーにはあると思うんだけど、それを除けば、そういう複雑な動きを誰もイメージしてなかった。それまではみんな、中割りを入れた、ある程度リズムのある動きだった。
●「animator interview 井上俊之(4)」へ続く