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アニメの作画を語ろう
animator interview
 田中達之(1)
 抜群に巧い画描きである。多くのアニメファンが彼の存在を意識したのは、やはり、雑誌等に掲載された劇場版『ふしぎの海のナディア』、『Green Legend 乱』のイメージボードによってだろう。アニメ的であり、漫画的であり、イラスト的。それらのボードは実に魅力的ものであった。
 アニメーターとしての彼は寡作ではあるが、その作画は非常に濃密だ。原画デビュー作の『AKIRA』からして、とても新人とは思えぬ見事な仕上がりであったし、過剰に動かしまくった『Green Legend 乱』1話、ハチャメチャな作画が愉しい『DOWN LOAD 南無阿弥陀仏は愛の詩』等も作画ファンなら是非ともチェックしたい仕事だ。
 近年は、CANNABIS名義でイラストレーターとしても活躍しており、むしろ、そちらの方が有名かもしれない。演出も手がけた『永久家族』や、初監督作品の『陶人キット 予告編』は短いものではあったが、イラストやイメージボードで提示されていた彼の画の質感や雰囲気が、映像のかたちで再現されていた。特に後者は、リアルであり同時にイラスト的な、今までのアニメ作品にない新しい映像だった。もっともっと彼の映像作品を観てみたいものだ。
 今回の取材では彼自身の仕事についての話に加え、テレコムアニメーション時代の同世代のアニメーター達についても話を伺う事にしよう。

2003年7月18日
取材場所/東京・スタジオ雄
取材/小黒祐一郎
構成/小川びい、小黒祐一郎
PROFILE
田中達之(TANAKA TATSUYUKI)

 1965年5月25日生まれ。福岡県出身。血液型はA型。高校時代から漫画の執筆・投稿を始め、18歳で上京し、テレコムアニメーションに入社。動画修行を経て退社した後、『AKIRA』でフリーの原画マンとしてスタートを切る。アニメーターとしては寡作であるが『DOWN LOAD 南無阿弥陀仏は愛の詩』『THE 八犬伝[新章]』等で密度の高い、そしてインパクト抜群の仕事を残す。一方、『ふしぎの海のナディア』や『Green Legend 乱』ではイメージボードを担当。その巧さと、世界観の斬新さで注目を集めた。近年ではSTUDIO4℃での仕事が多く、『永久家族』やCMの演出等に携わりつつ、初の完全オリジナル監督作「陶人キット」の予告編を、短編作品集『デジタルジュース』で発表。
 また、CANNABIS名義でゲーム「リンダキューブ」シリーズのキャラクターデザイン等を手掛けるなど、イラストや漫画の世界でも活躍。独特の画風にファンも多く、今夏、作品集「CANNABIS WORKS」(スタイル・飛鳥新社)が出版された。現在、描き下ろし漫画単行本「BOILED HEAD」(美術出版社)を執筆中。

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●飛鳥新社「CANNABIS WORKS」情報ページ
http://www.asukashinsha.co.jp/topsozaitemp/cannabis/cannabis.htm

▲ アニメーターを始めた20歳頃に描いたスケッチ (「CANNABIS WORKS」より)
小黒 定番の質問になりますが、田中さんは、子供の頃から画を描くのがお好きだったんですか。
田中 親父が設計技師で、街を歩くとスケッチをするような人だったんですね。それが結構巧かったんですよ。多分、その影響で描き始めたんじゃないかな。
小黒 田中さん自身はどんな風に描いていたんですか。
田中 子供の頃ですか。
小黒 そうですね。子供の頃から学生の頃までについて教えてください。
田中 えっとね。小学校の頃には、自分を主人公にしたマンガを描いて人気者になってましたけどね(笑)。なんか、そんな感じ。物心つくと同時に、マンガがやりたい、と思っていたんですよね。その頃はマンガでしたね。アニメではなくて。東京から九州に引っ越したんですけど、なかなか馴染めないんで、とりあえず机に『マジンガーZ』の画を描いて、画が巧いとこを見せて(笑)、興味を持ってもらうとか。そういう感じでした。クラスでいちばん巧かったわけではないですけれど、大抵2番目ぐらいで。
小黒 高校、大学の頃は?
田中 いや、俺、高校中退なんで(苦笑)。高校時代、中学・高校時代の話ですか? 何を話せばいいのかな……。小学校の時は手塚治虫とか、松本零士とか、永井豪とかが好きで、マンガ家になる事しか考えてなかったんですよ。ところが、中学2年の時が凄い年だったんですよ。まず『未来少年コナン』の再放送が始まって、それで初めて『コナン』見たんですよ。それが衝撃でした。次に夏休みに『(銀河鉄道)999』の劇場版。で、秋に『エースをねらえ!』の劇場版があって、冬休みに『ルパン三世 カリオストロの城』。あれで、すっかりおかしくなっちゃって、その時からアニメーターになる事しか考えなくなった感じですね。あの1年は本当に異常に凄いのばっかり。
小黒 『さらヤマ』の翌年で、アニメブームだって言われた年ですよね。出崎(統)さん、りん(たろう)さん、宮崎(駿)さんが皆、代表作を残して。
田中 あの時は巨匠が出揃った感じでしたよね。
小黒 それでアニメーターになるしかない、と思われたわけですね。
田中 もう、学校へは教科書の隅にパラパラマンガを描きに行ってただけ。『あしたのジョー2』のボクシングシーンを一所懸命マルチョンで真似して、「あのパンチはどうやって作画しているんだろう」なんて、そんな事ばかりずうっと研究して。その頃は、とにかく宮崎さんと、友永(和秀)さんが好きでした。特に友永さんがヒーローでしたね。
小黒 友永さんと言うと、作品としてはどのあたり?
田中 「ここが友永さんではないか」なんて思いながらTVの『(宇宙戦艦)ヤマト』を観ていましたよ。あとは、劇場版『999』での金田(伊功)さんとの競演。戦闘機が撃ちながら空中分解するやつ、トチローの死のシーンの後に、アルカディア号が目の前に浮かび上がってきてガーッと行くシーンとか、あの辺でもう鼻血(笑)。
小黒 なるほど、なるほど。
田中 前から気になっていたんですけど『ゲッターロボG』の合体シーンの作画って誰なんですかね。
小黒 あれは小松原(一男)さんじゃないですかね。『G』のオープニングが小松原さんだから。
田中 そうか、小松原さんなのかあ。『G』の合体シーンが凄く好きだったんですよ。頭がバカッと割れるやつ。友永さんじゃないかと思ってたんだけどなあ。友永さんの動きや間って、凄く肉感的なんですよね。あとはなんて言っても、(『ルパン三世[新]』の)「アルバトロス」と最終回。もう、バリバリの作画マニアでしたね。
小黒 でも、その頃は、地方にお住まいだったんですよね。情報を得るのは難しいのでは。
田中 ええ、九州でした。だから、「アニメージュ」やら「月刊アニメーション」やら必死になって読んで。あとは、実際の画面を見て、この画のクセは絶対にこの人に違いない、みたいな感じでしたね。
小黒 その頃からビデオデッキを持ってたんですか。
田中 いえ。デッキを持っている友達のところへしょっちゅう遊びに行ってました。そこで、コマ送りや一時停止を繰り返すので、嫌われてしまって。
小黒 ああ、テープが痛むから。
田中 「頼むから『どうぶつ宝島』のあのシーンをコマ送りさしてくれ!」つって(笑)。
小黒 チャンバラのところですか。
田中 チャンバラもそうだし、キャシーの部屋に突入するところとか、凄く好きで。あの頃の、宮崎さんや金田さんって、作画に謎が多いじゃないですか。信じられないポーズをとったり。
小黒 この画とこの画の間に、どうしてこの画が入るんだろうとか。
田中 そうそう(笑)。『どうぶつ宝島』の「刀! 刀!」とか言ってるカットなんか、コマ送りで見ると、キャシーの首がはねられているとしか思えない(笑)(編注:マストの上の戦いで、刀が折れたジムがキャシーが持っていた刀を奪うカット)。友達の家に押しかけて見て覚えて、学校でパラパラマンガ描いて復習してました。とにかく大友(克洋)さんのマンガを見るまでは、「目標・宮崎駿」で、とにかくアニメーションを極めたいなと思ってましたね。大友さんを見て、ちょっとまたオカシくなるんですけどね。
小黒 大友さんを知って、またマンガを描き始めたわけですね。
田中 友達にミリタリーマニアみたいなやつがいて、「気分はもう戦争」を見せてもらって。最初は好きになれなかったんですけれど、読み出したらハマって。特に「アキラ」の第1巻の頃までが強烈に好きで、タッチの線1本、1本を覚えるぐらいに見てましたね。それで、ひょっとしてマンガの方がいいのかな、って思い始めて。「アキラ」が始まったのが、上京する1年前ぐらいかな。
小黒 上京するきっかけはなんだったんですか。
田中 いやあ、高校を中退して、半年ぐらいブラブラしてたんですよ(苦笑)。その時に、テレコムがアニメーターを募集しているのを聞いて、宮崎さんのいるところなら行くしかない、と思って応募したんですね。
小黒 それが18歳の時?
田中 ええ。すでに宮崎さんはテレコムにはいなかったんですけどね。もちろん、大塚康生さんや友永さんはいらっしゃいましたけど。
小黒 結局、テレコムでは原画に上がられなかったんですよね。
田中 もうそれどころじゃなくて、出社拒否状態で、馘になって辞めたんです。
小黒 ええっ、そうなんですか。
田中 これは大塚さん自身もおっしゃってますけど、俺は6期生なんですけど、その年は、あまり具体的に教える事はしないという方針だったんですよ。これは時効だと思うんで言っちゃいますけど、大塚さんは、課題を出された後で、ぶらっと消えちゃうんです(笑)。1週間が過ぎても現れなくて、出された課題はとっくに終わっているから、俺らは落書きしかする事がない。それから1週間経って、ようやく現れて。それで課題を渡したら、「この課題に2週間かかっているようじゃ、君達ダメだね〜」って言われて(笑)。そんな感じだったので(動画の基本の)タップ割も知らないし、合成伝票の書き方も知らなかったんです。『MIGHTY ORBOTS』で初めて動画をやったんですけど、全部デッサン割したら、もう(動きが)ガタガタになっちゃって。
小黒 テレコムでの同期はどなたなんですか。
田中 あまり言いたくないんですけど(笑)、「世界の巨匠・貞本義行」です。ずるいんですよね、あの人は。もう原画でバリバリ活躍してたのに、何で今さら動画の養成受けてるのかと(笑)。実は2年前に前田(真宏)さんと一緒に試験に受かっているから、先輩達も「さん」付けで呼ぶんですよね。
小黒 その頃、すでに貞本さんは「DAICON」とかの修羅場をくぐり抜けていて。
田中 しかも、その頃、劇場作品の準備もしているところで。
小黒 あっ、『(オネアミスの翼)王立宇宙軍』の準備をしながら、養成受けてたんですか。それはひどい(笑)。
田中 ええ、『王立』はまだ企画段階だったけど、劇場版『マクロス』の原画やりながら、動画の養成受けているんですよ。その頃、俺らは『NEMO』のパイロット版の動画をやっていたんですけど、とある原画をもらった時、「こんな原画は中割できん。ワイが直してやる」って、貞本さんはその原画を直しちゃった事もありました。でも、巧いから誰も文句が言えない、って感じでしたね(笑)。
小黒 ええと、大塚さんが話してる有名な逸話があるじゃないですか。課題で貞本さんが、走る刑事のアクションをまず描いて。田中さんが、「ちくしょう、負けるか」というんで、それを追っかけている中年男の走りを描いた、という。
田中 いやいや、それ、違いますよ。貞本さんが若者の走りを描いた時は、俺は少年の走りを描きましたから。課題が違うんですよ。歩きの課題の時に俺は「東京の地下鉄の通路を歩くオッサン」を描いたんです。東京に来てびっくりしたのが、歩く人のスピードが凄い速かった事なんで、それで歩きを、普通中5枚のところを中4枚で描いたんですよ。それで走ってる印象になったのかな。実際はそんなもんです(笑)。それが膨らんでそういう話になったんじゃないかなあ。
小黒 そうだったんですか。
田中 当時テレコムの新人でずば抜けていたのは……同期ではないんですけど、青山(浩之)さんって知ってます?
小黒 たしか『CYBERSIX』で演出をやられた方ですよね。
田中 今は『STEAM BOY』に参加してます。俺らの1期上なんですけど、あの人が凄い天才だったんですよ。給湯室近くのゴミ箱に、ある時、『NEMO』のラフ原画がどっさり捨ててあって、同期のマニアと、「これは近藤喜文さんだよね!」「なんでこんな凄いの捨てちゃうんだろう」って話していたら、そこに柳沼(和良)君が通りかかって「あ、これ、青山のだよ」。
小黒 おおっ。
田中 そのぐらい凄い。ラフ原を見て、「ここまで動きが巧い奴がいるのか」って、びっくりしたのは、磯(光雄)君と、青山さんって感じですね。貞本さんは、すでに「巨匠」だったし、歳も4つぐらい離れていたから、ライバル視はしてなかったけど、青山さんは1歳しか違わないのに、到底及ばないレベルの画を描いていたので、悔しかったですね。
小黒 柳沼さんは同期だったんですか。
田中 いえ、柳沼君もひとつ上です。とにかく、その頃の新人の中では青山さんがずば抜けていて、5期のナンバー1が青山さんで、柳沼君がそれに次いで巧かった。柳沼君は、なんて言うかな、すげえ達者だったんスよね。一発描きでサラッと描く。動きも、凄いぶっとんだ動き描いてて。
小黒 金井(次郎)さんは、同期じゃないんですか。
田中 金井さんはテレコムじゃないんですよ。青山さんの机に行くと、メモ帳にパラパラマンガが描いてあって、凄く巧いんだけど、3分の1ぐらいは別の人のなんですよ。それがまた凄くって、訊いたら「俺の友達の金井のだ」と。俺も福岡でパラパラマンガを必死にやってたんで、自信があったんですけど、もう全然レベルが違う。自分より上のパラパラマンガ家がいたというのがショックだった。2人とも、画もムチャムチャ巧いですしね。
小黒 『ルパン三世』のスペシャルで金井さんの担当カットを観た事があるんですけど、『旧ルパン』と『新ルパン』をミックスしたような絵柄で、さらに凄く形をリアルをとらえていて、驚いた事がありますよ。
田中 そうそう。今では、きれいに物を立体として捉えて描く原画ってそんなに珍しくないけれど、金井さんは当時からきっちり立体で描いていた。
小黒 で、えーと、田中さんはテレコムを出社拒否で辞めて。
田中 ははっ(笑)。
小黒 本当に出社拒否なんですか?
田中 要は行かなくなって、馘を言い渡されて。なんかずーっと動画やらされてるじゃないですか。やってるのも合作ばかりで、もう、好きになれない。当時テレコムは上が詰まっててて、あと何年動画をやったところで絶対原画にはなれない雰囲気があったもんで、希望が持てなくなったんですかね。あと俺、テレコム時代に画が描けなくなってたんですよ。なんかもう、描き方がよく分かんなくなってきて。テレコムを辞めた後に『王立』に参加する事になっていたんですけど、それも1週間ぐらいで辞めちゃって。「田中はテレコムでダメになった」と貞本さんに言われたりして。その後、2年ぐらい、製本所やらゲーセンやらでバイトしてたんです。その頃、もうアニメは向いていないのかな、と思って、ひたすらマンガを描いて投稿してました。
小黒 その頃のイラストは、どんな画風なんですか。
田中 これに載ってる、20歳ぐらいのやつっていうのが(「CANNABIS WORKS」P128〜129)、ちょうどテレコム辞めた直後ぐらいに描いたものですかね。大友調を抜こうと意識していたんですよ、これでも。テレコムに入る前にマンガ描いてた事もあって、画がイラスト寄りになっちゃって。原画描くのに向いていない画になってたんですよね。特にテレコムって、線が細くて細かいタッチが入るような画とは対極の画風でしょう。自分としては、シルエットの捕え方とか構図とか、大友さんと宮崎さんの画風って凄く似てると思っていて、俺の中ではつながっているんですけど。ただ、原画や動画の表現上でのテクニックとしてはまったく逆なんですよね。それで、自分の中で、バランスがとれなくなっちゃった。自分としては、どういうスタイルにすればいいのか、凄く悩んでいた時期ですね。それに当時マンガ界はヘタウマ全盛期で。
小黒 ああ、なるほど。ちょうどあの頃ですね。
田中 テクニックを表面に出しているようなものは否定されがちな時代だったから、世間を意識して、マンガをやるんならそんな(大友調の)画は描けないよな、って思い込んでいて、かなりしんどい時期でした。
小黒 その後で、『AKIRA』に参加されるんですね。
田中 そうですね。「アキラ・アーカイヴ」では、井上(俊之)さんが、俺が自分で持ち込みをした、みたいにおっしゃっていたけど、実際にはちょっと違うんです。
小黒 と言うと?
田中 ちょうどその頃、柳沼君と一緒に住んでいたんですけど、「『AKIRA』やりたいなあ、でも動画しかやった事ないし、ダメだよな」といじけていたんですよ。そうしたら、柳沼君が、とある作品で誰だかが描いた原画を段ボール1箱分持ってきて、「何かな?」と思ったら、それがあまり巧くない人の原画で。それで柳沼君が「お前なあ」って。「こいつが『AKIRA』に誘われてんだ。こいつより下手な原画が描けるのか、お前は!」って言うんですよ。「お前は絶対『AKIRA』やんなきゃダメだ」と説得されまして。
小黒 おおー。
田中 じゃあ、ちょっと、行ってみよっかなあと思って。柳沼君と一緒に遊びに行ったんです。当時描きためてた画をスクラップにしてたんで、それをスタジオに預けたのかな。そしたら、俺達のアパートにいきなり大友さんから電話かかってきたんです、「大友です」って。その時はまさか本人が電話してくるとは思わなかったので「あ、え、どこの?」と訊いたら、「あ、大友克洋です」と言われて(笑)。それでやることになったんですよ。後でプロデューサーに「原画の経験は?」とか聞かれましたが、「バリバリっス!」とそこはウソ言って(笑)。
小黒 田中さんに自信をつけさせるために、そんな事をしたんだ。柳沼さん、いい人ですね。
田中 そういう男気のある奴なんですよ。確かに大友さんの画は死ぬほど好きだから描けるけど、それまで動画しかやってなかったので、原画はできないだろうと思っていた。柳沼君の説得がなかったら多分、参加する事はなく、いじけて見ていたんでしょうね。……そんな感じですね。
小黒 『AKIRA』では、まずどこを担当されたんですか。
田中 これも無茶な話なんですけど、最初は、本谷さんがやられた冷凍カプセルが浮上する場面を振られたんですよ。
小黒 ああ、あのチューブみたいなものが乱舞するところ?
田中 そうそう。さすがにそれは辞退しましたね。で、最終パートに参加する事になったんですけど、その絵コンテは、まだできていなかったので、しばらくはこぼれたような部分の原画を担当していました。本谷さんのパートの合間合間に入る大佐やドクターが驚いている顔のカットとか、ケイがスパークしながら弾かれて飛んでいくところとか。あれがいちばん最初に描いた原画じゃないですかね。
小黒 なるほど。
田中 あ、その前に、『AKIRA』とは全然関係なく、『真魔神伝(バトルロイヤルハイスクール)』の爆発シーンを1カットだけ描かせてもらった事があります。
小黒 それはあの校舎の窓がバンと割れて……。
田中 ええ。校舎の外から見たカットです。それは俺がゲーセンに勤めている頃で、「原画描いてみたかったなあー」みたいな事を言っていたら、あのシーンは柳沼君の担当だったので「1カットぐらい描いてみろよ」みたいな感じで。でも、庵野(秀明)さんに全修正されちゃいました。タイミングは自分のだったんですけど、煙はもう全部直されて。北久保(弘之)さんには「達ちゃん、『AKIRA』が初原画じゃないよね。俺は見たぞ!」って言われるんですけど(笑)。確かにその1カットはやってます。
小黒 『AKIRA』で田中さんがやられたので有名なのが、鉄雄の腕がのびるシーンですよね。何カットぐらいやられているんですか。
田中 30カットぐらいですかね。「ドクター、聞こえるか?」ってセリフの後、「はい、大佐」って車の中でドクター応答しますよね。あのカットから俺です。そのあと、伸びた腕をレーザーが貫いて、今度は腕を引っ込めて、鉄雄がスタジアムの方をパッと見る、そこまでです。
小黒 その後の、金田からは別の人の担当なんですね。
田中 ええ。
小黒 あの腕のディテールは、どのぐらい大友さんの指示なんですか。
田中 レイアウトを出して、それに大友さんから修正が入った時に、色分けの仕方から、ディテールまで指示が細かく入りましたね。そうそう、大友さんって、結構、江戸っ子みたいな感じのアバウトな人で、作打ちで、「こうやって、肉塊が勃起するわけよ!」って、巻き舌のべらんめえ調で言われて。もっと、クールな学者みたいな人だと勝手に想像していたから、びっくりしましたけどね。
小黒 ははは。あのシーンはかなり入魂の場面だと思うんですけど。
田中 まあ、ゲーセンのバイトに比べれば天国でしたよね。原作の山形が死ぬシーンが凄く好きで、テレコムに入った頃も「『AKIRA』がアニメにならないかなあ。描くんだったら、やっぱ山形のシーンだよな」って思っていたもので。映画で言うと、それに当たるのがあの場面ですからね。感動して、凄く一所懸命やりましたよ。……もっと巧けりゃよかったんですけど。
小黒 いえいえ、あのボリューム感とか、ディテールの細かさとか素晴らしいですよ。
田中 あれはずいぶん無駄な事をやったな、と思いますね。今なら「こんなとこ動かしてもどうせ見えない」と思うような、そんな無駄な事を、みんな、一所懸命にやってましたね。自分もそういうバランスが全然分からなかったし。
小黒 ふむふむ。
田中 ただ、井上さんや沖浦(啓之)さんみたいな別格の人を除けば、みんな手探りでしたよね。ずいぶん無駄なアクションが多いんじゃないかと思いますね。
小黒 そうですか。
田中 特に、動きに関しては、井上さんが「アキラ・アーカイヴ」で話してた通りだと思います。(なかむら)たかしさんが、あまりにもディズニー寄りだったので、「えっ、そっちへ行くの?」って戸惑いがみんなにありましたね。大友さんは、気のいい人だったので――直接聞いたわけではないんですが――「なかむら君がそうしたいなら、そうしていいよ」という感じだったんだと思います。ただ、テイストが大友さんとは明らかに違うんですよね。だから、今見直して思うのは、井上さん、沖浦さん、川崎(博嗣)さん、うつのみや(さとる)さん、梅津(泰臣)さんのやったところが、『AKIRA』はこうあるべきという動きをしているんじゃないか、という事ですね。
小黒 なるほど。
田中 逆に言うとたかしさんがいちばん異質だったのかも知れない。勝手な想像ですが、たかしさんは、最近の『バニパル ウィット』や『パルムの樹』のような、線も少なくして、簡略化された様式的な画や動きがやりたい、という自身の作家性に目覚め始めた頃だったんじゃないかと思います。
小黒 田中さんのところも、リアクションの細かい、フルアニメっぽい芝居をしていますよね。
田中 いやいや、俺はそういう事を考える余裕はなかったです(苦笑)。ただ、動きの理想像はあの頃からあまり変わってないですね。むしろ、その後の混乱期が大変で、自分が何をやりたいかというのを見失っていたんですよ。『AKIRA』の頃は、ただ単に力が足りなかったという。
小黒 ふーむ。
田中 こう言ってはなんだけど、『AKIRA』では、原画の上がりだけを見ると、沖浦さんのところとか、うつのみやさんのところとかは凄く輝いて見えるんだけど、井上さんの原画はあまりに優等生的な感じがして、ちょっと大人しすぎなんじゃかな?と思ってましたね。ところが、フィルムになってみると、「ああっ、すいませんでした、井上さん!」という感じで。
小黒 つまり、井上さんのは、仕上がりを計算した作画だった、と。
田中 そうそう。バカな若者だったんですね、俺って。井上さんって、ああいう感じの(リアルな作画の)路線は多分あれが初めてだったと思うんですけど、演技のバランス含めて、もうあの頃に完成してたんだなあって思いますね。それから、梅津さんのシーンがね、凄い好きでしたね。
小黒 田中さんの少し前の、金田と鉄雄の対決を始めるところですね。
田中 瓦礫の上に立つ鉄雄が凄いカッコよくて。俺、鉄雄が凄い好きだったんですけど、あのシーンを観て「ああ、『AKIRA』ってなあこれだよな」って思いましたね。

●「animator interview 田中達之(2)」へ続く

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