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■animator interview
山下将仁(2) |
小黒 その後、『鉄人』ではローテーションで参加ですね。
山下 そうですね、それからですね。
小黒 その7話だけ、イレギュラーで金田さんも入っているんですよね。
山下 やってたと思いますねえ。
小黒 その次から、鍋島さん、飯島さん、越智さん、山下さんの4人で回してると思うんですけど。
山下 そうですね。金田さんは、あれしかやってないですね。あの時、宮崎(駿)さんがいるテレコム(アニメーションフィルム)で『鉄人』を1本作る事になって、宮崎さんも原画やるらしいって話が入ってきたんですよ(8話「恐怖の殺人合体ロボ」)。それには負けられないって、妙に対抗意識燃やして、No.1でも頑張っていいものを作ろうという話になったような。
小黒 そうだったんですか。
山下 そうでした。今、思い出しましたけど、金田さんもそんな風に言っていたような気がしますね。金田さん自身も忘れてると思うけど、そういう事を言いながら、やった覚えがあります。(テレコムの回は)友永さんがメインでやっていたんですよね。
小黒 そうです。友永さんが作監補だったと思います。で、さっき言われたように、鉄人はわりとのびのびと。
山下 ああ。楽しかったですね。ただ、当時からNo.1って、とにかく飲みに行くんですよ。仕事をしたいんだけど、池袋とかに週に2、3回は飲みに行きますからね(笑)。それで必ずスケジュールが遅れるんですよ。だから、いつもやっつけ仕事になるんですよね。最初は「よしがんばるぞ」と言ってやってるんだけど、「飲みに行くぞー」とかなんだかんだで。こっちはやり始めたばかりだから、手も遅いわけじゃないですか。それでスケジュールがなくなったところで、ガーッとやるわけですよね。だから、原画自体は相当に荒いんですよ。
小黒 『鉄人』で1回だけローテーションから外れてやられている回がありますよね。19話の「地獄のサファリ・パニック」ですね。
山下 ああ。あれはちょっと間に合わないんで、手伝ってくれと言われた話だったんじゃないかな。当時は手が遅いなりにも、そういう事があって。僕よりも越智君の方が手が遅くて、よく越智君のやつを手伝ったりもしてました。まあ、あんまり人のやつを手伝うのって好きじゃなかったんですけどね。
小黒 遅いといっても、今の若い人よりはずっと速かったんじゃないかと思うんですけど(笑)。
山下 だって、線が少ないし、本当にラフみたいなかんじで、勢いでやってましたからね。仕事自体は楽しかったですけどね。
小黒 『鉄人』の時って、No.1内での原画マンの割り振りはどなたがなさってたんですか。貞光(紳也)さんですか。
山下 (貞光さんに)要求を出すわけですよ。「今度、こういうのがやりたいんだけど」みたいな事を言うと、貞光さんがサービス精神で、それをコンテに入れてくれたりするんですよ。そういう要望を出していた事もあって、自然に決まりましたね。まあ、鍋島さんがメインの戦闘シーンなんですよね。
小黒 最後の決着が着くところは、ほとんどが鍋島さんですよね。
山下 それで芝居系は飯島さんって決まってたんですよ。僕はどちらかというと、戦闘機が出てきたり、メインじゃないものを描くのが好きだったんで、鉄人を描かなくてもOKだったんですよ。ちょっと本編からずれた部分の方が楽しかったんで、そういう仕事を抵抗なく引き受けてましたね。
小黒 「戦車が描きたい」と言って、戦車を出してもらった事なんかもあるんですか。
山下 そういうのはありましたね。越智君はどちらかというと重い芝居が得意だったんで、鉄人込みの重い芝居とかをやっていたと思うんですけど。僕はどうでもいいようなシーンなんですよね(笑)。
小黒 悪いロボットがでてきて大暴れ、みたいなところですね。
山下 あんまり本編とは関係ない。
小黒 いえいえ。
山下 遊べる要素の多いところが好きだったんで。だから、当時、不満はなかったですね。
小黒 『鉄人28号』の時のNo.1は、動画もやられていたと聞いていますが。
山下 ああ、やってます。自分の原画を動画にしたりしてましたからね。
小黒 ブラックオックスの回とか、かなりやられてませんか(36話『宿命の対決! 鉄人対オックス』)。
山下 やってますね。
小黒 僕も当時、随分とコマ送りしたんですが、戦車を投げるカットとか、どれが中割だか分からないぐらい、いろんな画が入っていて。
山下 どうでしょうかね。自分で動画やると、省いちゃうんですよね。めんどくさいから(笑)。枚数減らしたり。あんまりそういう事をやっちゃいけないんですけどね。自分の原画だからいいや、みたいに。そういう操作もしたりしたんで、今思うと、もうちょっと枚数入れた方がいいところもいっぱいあるんですよね。
小黒 いや、あれがいいんですよ。3コマ以下のところありますよね、5コマとか。
山下 ああ、あれはねえ……。
小黒 効果を狙ってやっているんですよね。
山下 あれは、そうですねえ、好きでやってましたね。
小黒 メカシーンであんなコマの打ち方って、それまでなかったと思います。金田さんだってあそこまでは極端じゃないと思うんですけれども。
山下 中割してもらう時って、中割指定を入れるんですよ。動画さんに、こっち側に詰めてくれという指示を。
小黒 原画にゲージとかを書くんですよね。
山下 ええ、そうです。僕はあんまり動画を信用してなかったんですよね。だから、タイミングで詰めちゃえばいいと思って(笑)、タイミング詰めをやってたんですよね。そのせいで凄くアクが強くなっちゃうんですよ。普通の動画の詰めだと、柔らかいニュアンスでいい感じになるんですけど、タイミング詰めは極端ですからね。インパクトはあるんだけど。
小黒 凄くインパクトありましたよ。今のタイミング詰めについて、うかがいたいんですが。普通だったら原画と原画の間に、どんな間隔で画をおいていくかで動きを作っていくわけですよね。タイミング詰めっていうのはどうやるんですか。
山下 (画の置き方は)均等でもいいんですよ。均等割りでもいいんだけど、頭が3コマで、ケツが1コマとか中なしみたいなかたちに詰めちゃうんですよね。……鉛筆あります?
小黒 どうぞ(と鉛筆を渡す)。
山下 (紙にタイムシートの見本を描きながら)シートがありますよね、ここに原画がありますよね、普通ならここに動画を入れますよね。でも僕のやってたのは、ここに原画があったら、ここに詰めたり。そういう詰め方ですよね。
小黒 つまり、中の割り方じゃなくて、シートでコマ数を指示して動きを操作するわけですね。
山下 ええ、シートでいじってました。よく亀垣さんなんかに「本当に動画を信用しないね」と、からかわれてましたね。まあ、動画を信用しないってわけじゃないんですけど、とにかく自分の個性を出したかったんじゃないでしょうかね。変わった事やろうとしていたような気がしますね。
小黒 『鉄人』のNo.1の回で、『大空魔竜ガイキング』とか『無敵超人ザンボット3』の金田さんの原画を下敷きにしたようなカットを時々見るんですが。
山下 僕はやってなかったですね。
小黒 やっていませんか。
山下 真似が嫌いでしたから。金田さんの原画を見ながら描いた事は一度もないですね。とにかく、オリジナリティを出したかったんですよね。まあ、金田さんの影響は当然受けているんですけど、その中でも自分のオリジナルを出していきたい。自分の頭で考えて描くのが楽しかったので。
小黒 『鉄人』の山下さんの原画で、戦車が爆発するカットなんですが、『ガイキング』の金田さんの原画とよく似たカットがあったと思うんです。
山下 どんなやつですかね。
小黒 ちょっと引きで、フレームの真ん中に戦車があって、ピカピカドカーンみたいな。
山下 好きで観てますからね。無意識のうちに似てしまったのかもしれない。やっぱり、金田さんの作品としては『ガイキング』が一番好きでしたからね。最終回は特に。
小黒 スゴイですもんね。
山下 僕はあの頃の金田さんの動きが一番好きだったんです。リミテッドアニメーションというものに、凄く魅力を感じてたので。どちらかというと、芝山(努)さんとか小林治さんのニュアンスを引っ張っていた時期の金田さんが好きだったんですよね。
小黒 山下さんは、金田さんのリミテッドな感じを、更に強調しようとしてたんじゃないですか。
山下 ええ。だから、後々の仕事にちょっと支障をきたしましたね(笑)。
小黒 ああ、そうでしょうね。
山下 (自分に)そういう色がついちゃうんですよね。未だにそういう部分はありますよね。
小黒 でも、山下さんがあそこまで極端なものをおやりになっていたのは、80年代前半ぐらいまでですよね。その後どんどん変わっていかれますよね。
山下 変わったポイントは2つあるんですよ。佐野君と一緒に仕事をしてからなんです。『ヴィナス戦記』という作品があったんです。劇場用作品ですし、リミテッドはちょっときついな、これは安彦(良和)さんのカラーに合わせる事が必要だなというのは感じたんですよね。ずっとリミテッドでやってきたんで、それをやるのはなかなか難しかったんですけど。そういう意識が芽生えたのが『ヴィナス戦記』ですね。それで、自分のカラーを意識して変え出したのが『83』なんですよね。
小黒 ああ、やっぱり。『83』は「メカなのに、今までの山下さんと違う!」と思いました。
山下 『83』でも最初の頃にやったやつは、まだちょっとリミテッドっぽい部分があるんですけどね。佐野君のカラーにも合わせようっていう意識もあったんです。それが大きな転換点ですかね。その後の『SPRIGGAN』に繋がっていきますよね。
小黒 そうですね。『SPRIGGAN』のメカニック作画監督が多分、ハワイに行かれる前の大きな仕事ですよね。
山下 ええ。大変でしたけど。(リストを見ながら)ただ、僕はあまり仕事をやってないですね(笑)。
小黒 アニメーターの方にしては、多くはないですよね。
山下 ええ。ないですね。
小黒 多分、このリストに漏れてるものがいくつかあると思うんですけど。
山下 それでもね、足りない分を入れても、そんな数はなにないですよ。
小黒 ちょっと話を戻していいですか。
山下 はい。
小黒 『鉄人』は初期の代表作の中のひとつと考えてよろしいでしょうか。
山下 うーん……。まあ、周りの人がそう言うのなら、そうなると思うんですけど。
小黒 ご本人的には、楽しくやれた仕事ではあるんですよね。
山下 ええ。規制がないだけに楽しくはやれましたね。今はうるさいじゃないですか。僕らの世代って規制がゆるい時代の、最後の世代に近いんですよね。まあ、いい時代ではありましたね。
小黒 規制っていうのは、画を合わせるかどうかとか、どのくらい枚数使っていいとか、そういう意味での規制ですね。
山下 ええ、そうです。リミテッドで、枚数使わない方向が好きだったんで、枚数については(自分の仕事も)あまり問題はなかったんです。ただ、今は作画自体について、とにかくうるさいんですよね。まずレイアウトを描いて、それに作監修正が入ってきて、それに合わせるわけですから、2度手間、3度手間になって。原画描く時にはもうヘトヘトですからね。今、作監をやってるんですけど、とにかく大変ですよ。
小黒 山下さんのアニメ史の中で、レイアウトチェックが始まったのっていつ頃ですか。
山下 ええと、『PRJECT“A”ko』あたりですね。
小黒 それまでは原画とレイアウトを同時に上げて、それでお終いだったんですね。
山下 ええ。最初に(レイアウト修正のシステムを)見たのが『PRJECT“A”ko』あたりだったと。あれが「面白いもの」じゃなくて「いいもの」を作ろうと意識し出した時期でもありますね。
小黒 それはアニメーターが、じゃなくて、監督が、ですね。
山下 監督が、ですね。作画的にもいいものが出始めた時期なんですよ。『(オネアミスの翼)王立宇宙軍』とか。あと宮崎さんが、いい作品を作っていて。
小黒 手間をかけたものが出てくるようになったわけですよね。
山下 そうですね。それまではやっつけ仕事みたいな中で、ゲリラ的に好きな事をやっていたわけです。それこそ「危ないけど、あそこの仕事は自由にできるからやってみようぜ」と言って潰れそうな会社の仕事をやるみたいな感覚があったんですよ。非常に危険なんです。それをやると、仕事をしてもお金が出ない可能性があるんですよ(笑)。
小黒 (笑)。
山下 僕の時は、運よくお金は出てたんだけど、知り合いには、お金が支払われていないのに会社が潰れた事があったみたいでしたね。前に金田さんが、海賊みたいなやり方で仕事をやってた、とか言ってましたよね。とにかく自由にできる仕事を重点的にやろうと。
小黒 また初期の話に戻りますが、『マーズ』でバンクをお描きになっているんですか。
山下 『ゴッドマーズ』はバンクを描いているんじゃなくて、(自分が描いたカットが)バンクになったりしてましたね。何回か「あ、俺のやったやつが画面に出てる」という「情けないカットを何回も使わないで」というのがありましたね。
小黒 ファイナルゴッドマーズとか、そういったアクションですか。
山下 そういうのは、やらなかったですね。戦闘機がバンクになってましたね。ビームを出すんです。普通、光線って(動画マンに)中割させちゃいけないんですけど、中割させちゃって。のたのたしているんですよ。
小黒 コスモクラッシャーですね。
山下 ええ。「あーもう、何度もやらないでくれ」と思いましたよ。(リストを見ながら)当時は勢いだけでしたよね。
小黒 特に『うる星やつら』の頃、当時「暴走アニメーター達」みたいな事をよく言われていたじゃないですか。山下さんは、そのシンボルと言ってもいいんじゃないかと(笑)。
山下 『うる星やつら』も楽しかったんですよね。でも、作監と相性が悪かったんで、ずっと喧々囂々。今思うと、ひどい原画描いていたので直されて当然なんですけど。やっぱりいい作監がいてほしかったという事でしょうかね。
小黒 金田に対する小松原さんみたいな作監であってもらいたかったわけですね。原画の味を残して修正して欲しい、みたいな事ですよね。
山下 そうですね。『うる星やつら』は楽しみながらも、同じぐらいストレスが溜まっちゃってて。やっぱりメカ物をやりたかったんですよね。『うる星やつら』は、なんでもありで楽しかったんですけど、バシッとしたハードなメカ物をやりたかった。そう思っているところに押井さんから『DALLOS』をやらないかと声をかけてもらって。それで、『DALLOS』の仕事を引き受けたんですよ。
小黒 『DALLOS』は、ご自身の中でも大きいお仕事になるんでしょうか。
山下 うーん、そうですね。数はやっていたみたいですね。
小黒 すっごいやってますよ(笑)。多分、3話と4話を合わせたら、220カットぐらいあるらしいですよ。
山下 1日20〜30カットぐらい描いていたと思うんですよね。
小黒 うわあ。
山下 友達には、もっとやっていたって言われるんですよ。まあ、量はやってたと思いますね。
小黒 『DALLOS』をやってる間に、TVの『うる星』とかもやっているんですか。
山下 いや、それはないですね。
小黒 『DALLOS』をやっている間は、それに集中してやっていたわけですか。
山下 なんか他に持ってたかもしれないですね。スケジュールが遅れていたので。(リストを見ながら)あと、面白い話だと『幻魔大戦』ですね。『幻魔大戦』はつらい仕事でしたね。原画も相当引き上げられましたしね。やっぱり画力がついていかなかったんでしょうね。
小黒 まあ、作風の違いというか(苦笑)。
山下 なんか上手くいきませんでしたね。だから、りんたろうさんに呼び出しをくらいましたよ。
小黒 もっと似せろとか、そういう事ですか。
山下 ええ。まず雰囲気が違うと。君は絵コンテで求めているものと違う事をやっている、みたいなかんじで。説教ではないんですけど、きつく言われたみたいですね。それで口答えしたらしいんです。全然記憶ないんですけど、後で誰かが言ってましたね。「りんさんに食ってかかってたよ」とか。自分はそんな事をしたつもりはないんですけど、そういう噂になっていたらしくて(苦笑)。
小黒 『幻魔』だとジャンボジェット機が爆発するところと、東丈が吉祥寺で超能力使うところを、やられるはずだったんですよね。
山下 そうですね。野田さんからも、もっと早くあげなくちゃダメだって、つっつかれてたんですけど、やっぱり描けなかったんですよね。戦闘シーンばっかりやってましたから、芝居を描く事に対する心構えもないわけです。量は描いたんですけどね。どれもこれも気にくわないし、巧く描けない。当時は、やっぱり劇場用の重たい作品はちょっとつらいなという感じではありましたね。『幻魔大戦』の主人公がギャグやるわけにはいかないですからね(笑)。
小黒 そういうノリの原画だったんですか。
山下 いや、全く真面目なシーンですからね。
小黒 でも気持ちとしては、ギャグやらせた方が描きやすいな、ぐらいな感じだったわけですか。
山下 だから、野田さんには「カットの割り振りを間違ったなあ。山下君にもっと合うところがあったはずだ」と言われましたけどね。
小黒 仕上がった映画だと、ジャンボ機が爆発するところは山下さんの原画のままだと思うんですが、その前後は野田さんの原画になっていますよね。
山下 そうですね。あそこら辺もやる予定だったような。
小黒 吉祥寺で、ポリバケツの蓋が飛ぶところは描いたんですか。
山下 描いたかもしれないですね。うーん、どうだったかなあ。
小黒 当時、よく同人誌で原画集が出ていたじゃないですか、確かそれに山下さんが描いたと思われる、あの辺のシーンのレイアウトが載ってたんですよ。
山下 レイアウトは描いたかもしれないですね。
小黒 でも、仕上がった原画はなかむらたかしさんが描いてると思うんですよ。
山下 そうかもしれないですね。あの時に初めて、アニメーションに対して挫折感を持ちましたね。
小黒 『オンリー・ユー』も相当描いてますよね。
山下 『オンリー・ユー』は、なんかもう、はちゃめちゃにやってましたよね。(リストを見ながら)『よろしくメカドック』って、どんなの描いたかも記憶にないなあ。『めぞん一刻』なんてやってたんですね(苦笑)。
小黒 『めぞん一刻』は、肝だめしの話ですよ。お化け屋敷みたいなところに行って(29話「ハチャメチャ秋祭り 響子さんと井戸の中」)。
山下 ああ、なんかやったような記憶はあるんですけどね。
●「animator
interview 山下将仁(3)」へ続く
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