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                        【ARCHIVE】 「この人に話を聞きたい」 平田敏夫(3)
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                      | ―― じゃあ、いよいよ『金の鳥』の話をお願いします。マッドハウスが、東映まんがまつりの1本として制作したんですよね。(注9) 平田 マッドハウスが『金の鳥』を作る事になった事情は、僕はよく知らないんですよ。当時、東映のプロデューサーさんだった田宮武さんが、「そろそろ東映のまんがまつりに、外の血を入れた方がいい」というスタンスだったと聞いています。「変わったものを作るのはマッドハウスだ。マッドにやらせてみようじゃないか」という事だったみたい。その前の『(まんが)イソップ物語』では、外からひこねのりおを監督として連れてきて、東映の社内で作っていたと思うんだけど。
 ―― 言われてみればそうでしたね。
 平田 うん。で、次の『金の鳥』は制作を外部発注という事で、マッドハウスが作る事になった。作品的には、大好きな作品なんです。でも、作品を観たあるプロデューサーの方に「ちょっと趣味的過ぎる」なんて(笑)、言われましたけど。でも、アニメーターの人達は、総じてみんな面白がってくれて。東映の美術の連中なんかも「やられてしまった」とか言ってくれた。
 ―― そう言われる気持ちは分かりますね。
 平田 あの作品では「音楽シーンは我々がやるより、南家こうじにやらせた方がいい」と思って。それで南家こうじに白紙のコンテを渡して、「3分です。南家さん、よろしく」って(笑)。(注10)
 ―― 南家さんが担当したパートは、コンテを描かなかったんですか。
 平田 描かなかったと思う。僕は全体の構成をやって、その音楽シーンだけはコンテではスポーンと抜いておいて、南家さんに好きにやってもらったんです。でも、ディズニーもミュージカルシーンは別のディレクターが立っていますよね。それから、アクション担当のディレクターが立っていたりしますよね。『金の鳥』もそういうノリだったんです。う〜ん、あの時は、丸さん(丸山正雄)のやり方がちょっと移ったかなあ(笑)。
 ―― 『金の鳥』は、大橋学さんの数少ないキャラデザイン作品ですよね。
 平田 そうです。大橋学を活かすためにはどうしたらいいかというのが、まずあった。で、石川山子を活かすためにどうしたらいいか。福島敦子はどう配置したら活きるのだろうか(注11)。みんなの個性を殺さないで活かすためにどうしたらいいのか考えていくと、映画のスタイルが決まっていくんです。そういうやり方だから、演出不在と言われちゃうのかも知れない。大橋学は止め画が好きだから、じゃあ、止め画でミュージカルシーンをやろうか。『金の鳥』では南家こうじのと別に、大橋学のイラストレーションでやったパートがあるんだ。『ユニコ』でも、大橋学で同じような事をやっていますよ。『金の鳥』では、いわゆる監督業をしたかなあと思っているけどね。そういったクセの強い人達をまとめて、また、作品的にも、あれだけクセの強いものは、なかなかないと思うんですけどね。
 ―― 美術もすごいですよね。
 平田 『金の鳥』の美術はドリームチームですよ。石川山子が美術監督で、門野真理子、山本二三、男鹿和雄。後に『ボビー』の美術をやってる山川晃。それから、サンリオのイラストレーションでグランプリをもらった安藤(ひろみ)という女性がいて。本当にドリームチーム。すごいよね。
 ―― そもそも石川さんをアニメ界に引っぱってきたのが平田さんだ、とうかがっているのですが。
 平田 違います。サンリオ時代の同僚です。
 ―― そうなんですか。
 平田 彼女は、サンリオで背景をやっていたの。『ユニコ』の時も、彼女はサンリオのスタッフだった。サンリオのアニメーション部門が縮小される事になった時に、僕が丸さんに紹介した。今言った安藤も門野真理子も、みんなサンリオの同僚だったの。僕はその紹介役だね。
 ―― サンリオのアニメーション部門って、かなりの人材を輩出しているんですね。
 平田 そうだった。あそこには、後に劇場『ジャングル大帝』の美術をやる阿部行夫というのがいて、彼がみんなのお師匠さんだった。彼が美術監督で、それ以外は背景で。彼等が外へ出たら花開いた。それは、みんなを育てた阿部行夫が偉かったんだと思う。
 ―― 『金の鳥』は、野田(卓雄)さんが作画したところもよかったですね。前半の魔女が登場するところですよね。
 平田 うん。野田さんなんて、あんなにしっかりと構築して仕事をする人なのに、よく『金の鳥』みたいな、いい加減な作品をやってくれたなあと思ってる(笑)。それから『金の鳥』には、新川(信正)というのがいてね。彼は、ああいうあったか〜いアニメーションを得意にしているんです。『金の鳥』は層が厚いんだよなあ。美術だけじゃないんですよ。アニメーターもすごかったね。
 ―― あの作品では、キャラクターの輪郭線を繋げてないですよね。あれはどなたのアイデアだったんですか。
 平田 大橋学ちゃんじゃないかな。彼はああいうのが好きなんだよね。線がぶれてて、間が飛んでいるとか。
 ―― キャラクターデザインは、大橋さんと福島さんの合作ですよね。最初から合作でやる予定だったんですか。それとも作業を進めているうちに、そういうシフトになっていったんですか。
 平田 最初から合作だったと思います。それも大橋さんと福島さんを活かすためにやったんだとと思う。
 ―― 一番最初に言った、過剰に盛り上げたりしない、というのが平田さんらしさだとすると、『金の鳥』の主人公の飄々とした感じとかも、平田さんの持ち味なのかな、と思うんですが。
 平田 僕もそういうところがあるんだけど、大橋学もそうなんだよね。彼も飄々としてるから。彼のキャラクターを見て、やっぱり「この主人公でそういうのは、やりたくないなあ」と思うところがある。今、言われたようなところは、僕には体質としてずっとあるね。でも、例えば『はだしのゲン』なんかは熱い物語だから、そうはいかない。「押すとこは押さないとね」と思ってやったと思う。
 ―― なるほど。
 平田 自分が最初から最後まで作ったのは、『金の鳥』と『ボビー』だけじゃないかな、と思ってるんだけど。『金の鳥』は、南家こうじのところを除けば、他の人に絵コンテを描かせてないし。
 ―― テイスト的にも、丸々ご自身のテイストで。
 平田 そうそう。そうやって人に任せたところも含めて、自分が全部の構成をまとめた。上手くいってるか失敗してるかは別にして、「個人で最初から最後まで頑張ったよ」というのは(笑)、あの2作品だけじゃないのかなあ。マッド以外でやった、よその作品はまた違いますけど。
 ―― もうひとつの代表作の『ボビー』のお話もうかがいたいんですが。
 平田 これはねえ、若気の至りかなあ……とか思ってるんです。
 ―― かなり、かっ飛ばしてますよね(注12)。
 平田 とんがってましたね。僕は、とんがらない人なんですけど。なんでとんがったのかなあ、あの時(笑)。
 ―― 原作に触発されたんじゃないんですか?
 平田 うん。乾いた映画が好きなのね。向こうの映画でもアンドレ・カイアットとか。その系統が好きだったり、古いよなあ(笑)。片岡義男って、基本的にはハードボイルドなんですよね。余計なものを省略して、ある種の美学だけを追究している。積み重ねじゃなくって、省略していく美しさみたいなのがあると思うんだけど。原作の『ボビー』もそうなんだと思う。だけど、上がってきたシナリオの第1稿は、そうでもなかったんですよね。原作の別の話と合体させてあって、水商売をやっている女の子を絡ませたりしていたんですよ。
 ―― もっとドラマチックな話だったんですか。
 平田 そうです。もっとストーリーが入り組んでいて、心の綾を描いたり、というシナリオだった。それはそれでシナリオとしてOKだったんだんですけど。原作をもう1回読み返したら、原作通りでいいんじゃないかと思えたんです。長編じゃなくて中編なんだから、膨らませる必要はない。むしろ余計な事をカットしていく方向の方がいいんじゃないか。それで、これからの人生を選択していく高校生の、ひと夏の物語になるんじゃないかと思った。コンテが上がったら、りんたろうプロデューサーにも「面白いじゃないか」と言ってもらえて(注13)。
 ―― 原作もボビーが自動車に跳ねられて、お終いなんですか。
 平田 そうです。原作はもうちょっとハードです。ボビーのヘルメットがアスファルトに転がって、お終い。生首が飛んで終わったようにも読めるんですよ。映画でも、ボビーを殺すか生かすかの、二案がありましたけどもね。ラストカットで病院のベッドでギブスだらけのボビー君がいる、という案もありました。そこをどうするかは、ダビングの頃までアバウトにしたまま進めた。キャラクターデザインの吉田秋生さんは「ボビーを復活させよう」派でしたね。最後には「姑息な事は止めよう」という意見が出て、あのかたちで行く事になったんです。
 ―― 誰もいない部屋で、電話が鳴るカットで終わるんですよね。
 平田 そうそう。死んだシーンは見せないけれども、多分、死んだのであろうと。青春ってすごく輝いているものだけれど、その時は二度と戻ってこない。戻ってこないから、みんな忘れられないんだ、みたいな部分が出せればいいなと思った。青春をシンボライズして描くと、こうなるんだよという風に切り取ってみた。作品の作りとしては、最初から最後までイメージの羅列で、「これでドラマになるのかよお」っていう感じで(笑)。
 ―― あの映像のインパクトは、ものすごいですよね。実写の写真をコラージュしたところがありますが、あそこは、ご自身で写真を撮ったとか。
 平田 プロのカメラマンに撮ってもらったの。一緒に晴海埠頭に行って、制作の人にキャラクターと同じ格好をしてもらってバイクに乗せて。カメラマンに連続写真でバンバン撮ってもらった。その後、押井(守)君もやっていたけど、写真を1回、セルにコピーして、それをマーカーを塗って、撮影して動かした。この手法は、僕はコマーシャルでもやっていなかった。
 ―― イラストを使ってるところがありますよね。あれは、キャラ表をそのまま使ったと聞いていますが。
 平田 キャラ表を使っています。「ポップアートにしちゃおうぜ」なんて思って、ペイントマーカーで、画の周りにギザギザを描いたり、星印を入れたりして。そういう作り方はコマーシャル時代の財産ですね。色んな事をやってるんです。スクリーントーンを貼ったり、カラートーンを貼ったりとか。そういう作業は人に頼めないから、自分でやるしかないんだよね。だから、作業的にはちょっときつかった。他の人の原画をチェックしながら、そういう自分の作業もやっていたから。
 ―― 自ら撮影素材を作っていたわけですね。
 平田 そうそう。撮影台の脇に付きっきりになったカットもありますよ。
 ―― 具体的には、どんなカットなんです?
 平田 画のぼかし。センターフォーカスって言うんです。今ならデジタルで簡単にできる、なんて事のないカットなんだけど。カットによってぼけ方が変わってくるから。いちいちメンタムを拭いては塗り替えていったり。
 ―― え? 何を塗ったんですか。
 平田 メンソレータム。(撮影時にセルに乗せる)ガラスの上に塗るの。
 ―― なるほど。それでレンズのぼけた感じを出すんですね。
 平田 そう。アナログの手作業で、『老人と海』みたいな事をやってるんですよ(笑)。あの作品は、テクノロジーの宝庫なんです。僕の技術的なものは、みんなあそこに入っちゃってる。そういう意味でも面白かった。音楽だらけだし、ビデオクリップみたいな映画でもあるよね。野村宏伸君のプロモーション的な意味も少し加味しようという狙いもあったんだ。(注14)
 ―― 『ボビー』みたいな作品は、本当になかなかないですよね。
 平田 この前、『花田少年史』のオープニングをやって、「あれ? 『ボビー』と一緒だ。僕、なんにも進歩してない」って思ったの(笑)。でも、今でもああいう事をやるの人間は、珍しいらしくて。南家こうじと熊田(勇)さんぐらいしかいないとか言われた。
 ―― ああいう作品を作るような資質の人は、いないですよね。
 平田 自分で言うのもなんだけど、『花田少年史』のオープニングは若い人に評判が良くって、本当に良かった。でも、(今の若い人は)みんな巧いから、やろうと思えばああいう事もできるんだろうけど。チャンスがないだけの話でね。
 ―― いや、技法を思いつくかどうかというのも、あると思いますよ。
 平田 BACKSTREET BOYSの歌を使ったという意外性で受けているというのも、あるしね(笑)。
 ―― 3つの取り合わせの意外性ですよね。『花田少年史』で、あの歌で、あの映像。
 平田 そう。ミスマッチの良さだよね。
 ―― 『花田少年史』のオープニングはどこまでおやりになっているんですか。
 平田 絵コンテをやって、実写の写真を使っている部分はやっています。作画は兼森(義則)さん達にお任せして。上がった原画をコピーとって、それに色を塗るのも自分でやった。
 ―― で、『ボビー』の話に戻りますが。
 平田 『ボビー』はちょっと、気恥ずかしい作品だよね。あれを作った自分が気恥ずかしいのね。あの頃の角川映画って、最先端っていうのかな。「角川映画で映画を1本撮らなきゃ、監督じゃないよ」みたいなところがあって。それで「やってやろう。とんがってみよう」みたいな気持ちがあった。その若気の至りが、気恥ずかしいのね。
 ―― 仕上がりに関しては、恥ずかしくないんですよね。
 平田 どうかなあ。恥ずかしくはないけど、技術を売り物にしてるみたいなとこが出ちゃってる。もうちょっと押さえるべきシーンがあったんじゃないかと、今になって思うけれど。
 ―― もっとドラマ寄りに作った方がよかったかもしれない?
 平田 かも知れないなあと、思っているんですけど。テクニックが表に出過ぎると嫌味だよね、と自分で自分を批判してるんですけどね(笑)。
 ―― 先ほど、マッドハウスの作品で、最初から最後まで自分でやったのは『ボビー』と『金の鳥』だけかもしれない、というお話がありましたが。
 平田 他には『はだしのゲン2』なんかがあるけど、あれも兼森さんや川尻(善昭)に助けてもらって、混成チームで作ったみたいな作品だった。
 ―― 『はだしのゲン2』も部分的に、他の方がコンテ描いたりしてるんですか。
 平田 コンテは全部僕が描きました。でも、巧いアニメーターばかりだったから。兼森さんや川尻が1人で1シーンの原画を描いていたりするんですよ。そうすると「平田さんの絵コンテを、ちょっとアレンジしました」みたいな事になる。アニメーターを役者に喩えると、役者の個性が強いというやつだったんです(笑)。「寅さん」で御前様が出てきた時に、監督がああしろこうしろとは言わないでしょう。御前様の芝居に合わせて撮っちゃう、というのがありますよね。そういうノリじゃないのかなあと。
 ―― 笠智衆ですね。それはそうでしょうね(笑)。
 平田 『はだしのゲン』には名優とも言えるアニメーターがいっぱいいたんですよね。名優が演出がカバーするという事はありますよね。
 
 ●【ARCHIVE】「この人に話を聞きたい」 平田敏夫(4)へ続く
 
                           
                           
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                                (注9) 
                                『グリム童話 金の鳥』は、マッドハウスが制作した劇場作品。凝った美術とユニークなキャラクターが魅力の快作だ。制作されたのは1984年だが、3年間オクラ入りして、87年に公開された。
                                
                                (注10)
                                『金の鳥』では「みんなのうた」等で知られる南家こうじが、ミュージカルシーンを担当している。
                                
                                (注11)
                                大橋学は『宝島』オープニング・エンディング、『ロボットカーニバル』の「CLOUD」等を手がけたアニメーター。石川山子は『夏への扉』『浮浪雲』『風と樹の詩』等を手がけた美術監督。その濃密な仕事ぶりは目を見張るほどのものだ。福島敦子は『Manie―Manie 迷宮物語』の「ラビリンス*ラビリントス」等で知られるアニメーター。ゲーム「ポポロクロイス」シリーズのキャラデザインも手がけている。  
                                (注12)『ボビーに首ったけ』は、片岡義男の小説を、吉田秋生のキャラクターデザインでアニメ化した劇場中編。イラストや実写の写真、鉛筆画の動画まで駆使した多彩な映像表現と、青春ものらしい爽やかさが魅力の作品である。
                                
                                (注13) 
                                監督のりんたろうが『ボビーに首ったけ』では、プランナーの立場で参加している。  
                                (注14)野村宏伸は、当時の角川映画の常連俳優。本作で主演を務めている。
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