── 『千夜一夜物語』の美術の色遣いは『ジャングル大帝』のラインをひいてるところがありますよね。
杉井 うん。
── (当時の書籍「おとなの絵本 千夜一夜物語」を見せながら)これを見ると、やなせさんもイメージボードを描いていますよね。これはどの段階で描かれたものか分かりますか。
杉井 それは制作の最初の方に。
── コンテの前ですね。
杉井 前です。こういうイメージボードを、やなせさん、大量に描いていたと思います。やなせさんも、かなり力が入っていましたから。漫画家の人が、あそこまで映画の制作に参加して、一緒にやる事は少ないですよね。『ベラドンナ』の深井(国)さんも原画まで描いてましたからね。
── 杉井さんは、主人公のアルディンとかは、ほとんど描いてないんですね。
杉井 全然描いてないですね。
── 杉井さんの担当されているシーンがあまりにもインパクトが強いので、ともすると『千夜一夜』のメインスタッフであるように誤解してしまうんですけど。
杉井 ああ、もう全然。なんていうんでしょうか、ゲストアニメーターですかね。
── 公開が1969年ですから、制作時期に杉井さんはアートフレッシュの方にいられたわけですよね。何か別の作品に関わっていて、作業をする時だけ『千夜一夜物語』のスタッフルームに詰める感じだったんですか。
杉井 いや、原画は家でやってましたよ。
── 他のスタッフとコミュニケーションはあまりなくて、山本さんとのやりとりだけがあった感じですか。
杉井 そうですね。ただね、僕は暎一さんが作品を作るときには、なんていうのかなあ、上手く言えないんだけど、現場のリード役というか、ムードメーカーみたいな事をやっていたんですよ。現場に行っては「なんだ赤堀(幹治)、そんな大変なことやってんのか」とか言ったり(笑)。
── (笑)。
杉井 それで、例えば暎一さんの方から「ギッちゃん、こういうシーンなんだけど、どう思う」とか訊かれると、「うーん、こんな風にしちゃどうですかね」みたいな事を言ったり。(イメージシーンの作画に関しては)結構時間かかってますよ。僕はうちでやっていたけれど、終わりの頃にはスケジュールが危なくなってきて、みんなで手分けして中割りをしたんです。その時期には、僕も虫プロに行ってると思いますけど。最後は総動員でしたよ。面白いですから、大騒ぎをしながら、みんな楽しそうにやってましたけどね。宮本さんなんかは相当やっていますけど、タッチが巧い人なので、グラデーションなんかでもキレイにやっちゃうんだよね。あんまりキレイになっちゃうと、彫刻が動いてるみたいで堅くなっちゃうんで。僕が上から濃淡をつけたりもしましたね。
── そのイメージシーンを作画する上で、意識されたアーティストとかはいないんですか。
杉井 ええっとね、名前は忘れちゃったんだけど、いますよ。暎一さんは知ってると思うんですけど。人間の体やなんかを、デフォルメしながら表現する作家がいたんですよ。その人の考え方とかがヒントになってるんですよね。一時、流行ったタイプのアートなんじゃないですかね。
── そのアーティストは、当時はわりと目にする機会が多い人だったんですか(※編注:「虫プロ興亡記」で山本暎一はこのシーンを「ハンス・ベルメール風」と描いている。おそらく山本監督が「ハンス・ベルメール的に」と指示したのだろう)。
杉井 そうでもないですね。山本さんって『ベラドンナ』の時も、ジュール・ミシュレをやろうと言い出して。誰がそんな人を知ってるんだよっていう(笑)。
── じゃあ、そのアーティストみたいな方向性でやろうと言ったのは、山本さんなんですね。
杉井 そうです。山本さんの中に、このシーンやるんならこんな雰囲気でやりたいというものがあって、それが僕の描くヒントになっているんです。他人の画を貼りつけたりして、個々のシーンのイメージボードを作るというやり方も、山本さんはやっていましたね。『ベラドンナ』の時なんかでも、ムンクだとか、ピカソを貼りつけてみたり。そういうのが好きな人ですね。逆に「例えばこんなアニメーションの様に」と言ったのは聞いたことがない。芸術で活動している人の面白いやつを、ちょっとアニメーションに採り入れるんです。だから僕のシーンにも、そういったイメージボードがあったはずですよ。それを僕流にやったという事です。
── 山本さんが、エロチックなシーンが杉井さんに向いていると思われた事に関して、何か心当たりはありますか。
杉井 全然ないですね。それまでに、そんなのを作ってないですから(笑)。別に趣味でもないし。
── アニメートに対する姿勢みたいなものですかね。粘着質的に動かすのが好きだったとか。
杉井 ものの考え方の方で、かもしれない。僕なんかは若い頃に、抽象画みたいのをやってましたから。普通にリアルな形を再現する事には、あんまり興味がないんですよ。例えば、ロダンの「考える人」なんか「あんなのじゃなくてもいいじゃないか」みたいに思うんです。あれを抽象的に表現するならどうすればいいか、みたいな事を考えることが好きだった。多分、暎一さんはそれを知ってたんじゃないかな。それから僕はスタジオで映画批評とかを盛んにしてましたからねえ。当時だと「雨のしのび逢い」っていう、ジャン・ポール・ベルモンドとジャンヌ・モローの映画があって。僕はあれを絶賛して「あれが映画なんだよ」とか言っていた。一方、「ウエストサイド物語」が大ヒットした時に、バンバン悪口言ってたんですよ(笑)。「あんな映画のどこが面白いんだ。ダンスの技術だって音楽性だって、みんな舞台でできることで、それをフィルムに撮ってなんだっていうんだ。あんなものに比べれば『雨のしのび逢い』の方がはるかに映画的に優れている」とか、そんな話をしながら『ある街角の物語』を作ってましたからね。僕が映像表現みたいなものに興味を持っているのを、暎一さんなりに面白いと思ってたんでしょうね。次の『クレオパトラ』で「またギッちゃんに頼みたいんだけど」と言われて、「同じ事はやらないよ」という事で、今度はペンを使ってるんです。
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